案件07:天使転生希望者 アリエル・ルミナス
天界庁舎の朝は、透明な光に包まれて始まった。鐘の音が静かに書類の山を揺らす。アルフレッドは、今日も机に積まれた膨大な書類を前にため息をつく。
「……今日も転生業務か」
神様と思われる立場だが、実際の業務は公務員そのもの。書類の確認、能力の調整、転生希望者の安全確保、異世界の影響のチェック。全てをこなす毎日は、想像以上に神経と体力を消耗する。
午前九時、転生課の扉が静かに開いた。そこに立っていたのは、一人の女性だった。長く柔らかな金色の髪、透明感のある瞳、そして微笑む唇。アリエル・ルミナス――天使のような存在感を放つその人物は、静かにアルフレッドを見つめた。
「転生課ですか? 私はアリエル・ルミナス。次は天使として生きたいのです」
アルフレッドは申請書を受け取り、目を細めた。
――希望職業:天使。非常に高い能力を持ち、治癒・浄化・戦闘、あらゆる分野に対応可能。自身の正義を絶対とし、そのためなら国さえ滅ぼしかねない力を秘めている。
「……天使ですか」
静かに言葉を発したが、内心は戦々恐々としていた。これほどの力を異世界に送り出すことは、巨大なリスクを伴う。
アルフレッドは内部連絡用ホログラムを起動した。
『天使転生希望者、能力制御・安全確認担当、至急』
アリエルは静かに微笑む。微笑みは柔らかく、穏やかで、アルフレッドの胸の緊張を一瞬だけ和らげる。しかしその微笑みは、同時に不思議な威圧感を伴っていた。怒れば国を滅ぼす能力を持つ、その事実を知る者なら、この微笑みの裏に潜む力を直感的に感じ取ることができるのだ。
「私は……非常に優しい者です。ですが、自分の中の正義に反することは許せません」
その声は穏やかで柔らかい。アルフレッドはその言葉に安心しかけた。だが次の瞬間、微笑む顔に冷たい決意を感じ、息を呑む。目は完全に笑っている。唇も笑っている。しかし、その微笑みからは、世界を変えてしまいかねない強烈な意思が滲み出ていた。
「……その力、制御可能ですか?」
「はい。私は他者を傷つけたくはありません。しかし、正義のためなら、どんな犠牲も許容します」
アルフレッドは眉をひそめ、慎重に書類をめくった。異世界の秩序、政治状況、社会構造、予想される影響範囲――全てを計算に入れなければならない。アリエルの力は、世界規模での破壊をも可能にする。
「……条件を守れるなら認めます。ただし、最初の一年は監視下での生活を義務付けます」
「承知しました」
アリエルの微笑みは変わらない。穏やかで優しい、それでいて絶対の意思を内包する笑顔だ。アルフレッドの心は、恐怖と安心の入り混じった奇妙な感覚に包まれた。
転生手続きが始まる。光の粒が部屋を満たし、書類とホログラムが交錯する。アルフレッドは一つひとつ確認し、手続きが正確に行われることを願う。
光が強まり、転生門がゆっくりと開く。黄金色の光がアリエルを包み込む。
「アリエル・ルミナス。君は天使として、新たな世界で歩み始める」
アリエルは深く一礼し、光の中に歩を進める。微笑みはそのまま、柔らかく、優しく、しかし恐ろしい。目も口元も完全に笑っているのに、なぜか見る者すべてに緊張感を与える笑顔だ。
光が消え、部屋には静寂が戻る。アルフレッドは椅子に深く腰を下ろし、胸に安堵と同時に、不安を抱えた。天使の力は世界規模の危険も含む。それを異世界に送り出した責任は、計り知れない。
デスクの片隅に、淡い光を帯びた紙片が現れた。未来からの便り。
『転生後、無事に天使として活動を開始しました。正義を守るために力を尽くしつつ、世界の秩序を乱さぬよう努力します。ありがとうございました』
アルフレッドは手紙を胸に当て、深く息をつく。
「……やはり、この仕事はやめられない」
窓の外に広がる夕暮れの光が、庁舎内の書類と机を柔らかく染める。今日もまた、転生課では一つの魂が未来へ送り出されたのだった。
しかし机の上には、次の希望者の書類がまだ山積みだ。アルフレッドは背筋を伸ばし、再び眼前の仕事に集中する。
神様公務員の一日は、今日もまた書類と未来を守る戦いで満たされていく。