案件05:賢者転生希望者 ルシアン・グレイ
天界庁舎の朝は、淡い光に包まれて始まる。鐘の音が響き渡り、書類の山を静かに照らす中、アルフレッドは机に向かっていた。
「……今日も転生業務か」
神様と思われがちな立場だが、実態はただの公務員。山積みの書類、次々に押し寄せる転生希望者、ホログラムによる異世界状況の確認。すべてをこなす日々は、思った以上に体力も神経も使う。
午前九時、扉が開き、一人の青年が現れた。背筋を伸ばし、冷静な瞳をアルフレッドに向ける。
「こちら、転生課でしょうか。私はルシアン・グレイ、前世では研究者でした。次は賢者として異世界で生きたいのです」
アルフレッドは申請書を手に取り、目を細めた。
――希望職業:賢者。あらゆる知識に精通し、未知の知識を得るためなら手段を選ばず行動する。
「……賢者ですか」
静かに言葉を発したが、内心では警戒が走る。賢者という存在は非常に便利だが、その力は制御が難しい。知識を求めすぎれば、異世界の秩序や社会構造に大きな影響を及ぼす可能性がある。
アルフレッドは内部連絡用のホログラムを起動した。
『賢者転生希望者、能力制御および世界影響の確認、即時対応』
ルシアンは落ち着いた様子で申請書を差し出す。
「私は全ての知識を求めます。そのためには、異世界の法律や倫理に制限されることなく行動する必要があります」
アルフレッドは眉をひそめた。
「……倫理や秩序に従わない行動は、異世界に混乱をもたらす可能性があります。君自身の責任で制御できる自信はありますか?」
「もちろんです。ですが、知識を得るために必要なことは、時として制約を超える場合があります。それでも、未来に役立つのであれば行動する価値はあると考えています」
アルフレッドは深く息をついた。これほど理性的で冷静な希望者は珍しい。しかし、冷静なほど、危険な行動を取りやすいとも言える。
書類を慎重にめくりながら、転生の可否を判断する。能力の影響範囲、行動の予測、知識取得の速度。全てを計算に入れなければならない。
「……ルシアン・グレイ。君の転生は条件付きで認める。まずは監視下で能力制御の確認を行い、異世界に重大な影響を及ぼさない範囲で行動すること」
「承知しました」
ルシアンの瞳には、覚悟と好奇心が入り混じって光っていた。
アルフレッドは書類に指を走らせつつ、未来への注意事項を書き込む。
「世界の知識を得ることは良いが、他者への影響を最小限に抑えること。知識取得の過程での危険行動は報告義務を守ること」
ルシアンは軽くうなずき、静かに微笑んだ。
「了解です。私が賢者として生きる上で、この条件は必須だと理解しています」
転生手続きの開始。光の粒が部屋を満たし、書類とホログラムの情報が交錯する。アルフレッドは一つひとつ確認しながら、手続きが正確に行われることを願う。
光がさらに強まり、転生門がゆっくりと開く。黄金色の光がルシアンを包み込む。
「ルシアン・グレイ。君は賢者として、新たな世界で歩み始める」
青年は深く一礼し、光の中に歩を進める。周囲の書類や光の粒が祝福のように揺らめく。
「ありがとうございます。未知の知識を追求し、この世界に貢献します」
光が消え、部屋は静寂に包まれた。アルフレッドは椅子に深く腰を下ろす。胸には安堵と同時に、まだ消えない不安があった。賢者の力は大きく、知識の行使が世界に予期せぬ影響を与える可能性がある。
デスクの片隅に、淡い光を帯びた紙片が現れた。未来からの便り。
『転生後、無事に賢者としての訓練を終えました。未知の知識を追求しつつ、世界の秩序を守る努力をします。ありがとうございました』
アルフレッドは手紙を胸に当て、目を閉じる。
「……やはり、この仕事はやめられない」
窓の外に広がる夕暮れの光が、庁舎内の書類と机を柔らかく染める。今日もまた、転生課では一つの魂が未来へ送り出されたのだった。
しかし、机の上にはまだ、次の希望者の書類が山積みだ。アルフレッドは背筋を伸ばし、再び眼前の仕事に集中する。
神様公務員の一日は、今日も書類と未来を守る戦いで満たされていく。