案件13:魔王転生希望者 黒崎・漆夜(くろさき・しちや)
転生課の白い執務室。
机の上には淡い光を放つ書類が整然と並び、天井から降り注ぐ柔らかな照明が室内を満たしていた。
「では、次の希望者をどうぞ」
扉が静かに開き、黒いコートを翻して現れた青年は、空気そのものを変えてしまうような存在感を放っていた。
名は黒崎漆夜。
その瞳は炎のようでありながら、底冷えするほどの冷徹さを湛えている。
「……黒崎漆夜さんですね。はい、お席にどうぞ」
白い制服に身を包んだ職員が淡々と促す。
漆夜は椅子に腰掛け、腕を組んだまま低く口を開いた。
「望む転生先は一つ。俺は――魔王になる」
職員の手が、ペンを持ったまま止まった。
一瞬、白い部屋に沈黙が流れる。
「……はあ。魔王ですか。いやあ、また珍しい志望が来ましたねえ」
「珍しい? 俺の知る限り、魔王は物語の中心に立つ存在だ。
英雄も勇者も、奴らはすべて魔王の存在を軸に語られる。
物語を生み出しても誰にも顧みられなかった俺には、それしか残されていない」
漆夜の声は低く、だが一語一語が鋭く突き刺さる。
職員は少しだけ眉をひそめ、書類に目を落とした。
「なるほど……小説家志望で、作品は世に出なかった、と。
つまり、『注目されたい』『物語の中心に立ちたい』という願望の延長線上で魔王希望、と」
「注目されたい? 違うな」
漆夜は首を振った。
「俺は――俺が紡ぐ物語を、世界そのものに強制的に刻みたいだけだ」
「……言い方がずいぶん物騒ですねえ」
「魔王に相応しいだろう」
職員は溜息をつき、机の端を軽く叩いた。
すると机の上に光のプレートが浮かび、文字が次々と刻まれていく。
【転生希望:魔王】
【必要能力:圧倒的魔力、支配力、威厳】
【補足:舞台演出を好む性格】
「……うーん、黒崎さんの希望は承知しました。ただですね、魔王枠ってそう簡単に出せるものじゃないんですよ。
世界バランスの調整役として置かれる存在ですから、職権でぽんっと用意するのは――」
「俺は妥協しない。勇者でも王でも聖人でもない。
俺が望むのは、世界を震わせる『魔王』という立場だけだ」
漆夜の瞳に一瞬、狂気じみた光が宿る。
その圧に押され、職員は咳払いをして表情を整えた。
「……まあ、強い意志は悪くないです。転生課としても、意欲ある人材は歓迎ですし。
ただし、条件があります」
「条件?」
「魔王という立場は、勇者や国王、聖女といった『対』の存在がいなければ成立しません。
つまり、あなたが魔王として転生した場合、その世界には必ずあなたを討伐しようとする者が現れる。
その覚悟があるのかどうか」
「……ふっ」
漆夜は口元を歪め、不敵に笑った。
「それこそが俺の望みだ。
勇者が現れるからこそ、魔王は輝く。
勇者が俺を倒そうとする度に、世界は物語となる。
――ならば、俺は喜んでその舞台を受け入れよう」
白い部屋の空気が震えたような錯覚を覚える。
職員は静かに書類を閉じ、深く頷いた。
「……了解しました。黒崎漆夜さん、あなたの転生希望は『魔王』。
こちらで正式に受理いたします」
光のプレートがまばゆい輝きを放ち、漆夜の背後に黒い影のような紋章が浮かび上がった。
その瞬間、彼の存在はすでに魔王の片鱗を帯び始めていた。
「ふはは……これでようやく俺の物語が始まる」
「ええ、どうぞ。あなたが主人公となる世界へ。――ただし、自己責任でお願いしますね」
執務室の扉が閉まる。
そして、黒崎漆夜という名の新たな魔王伝説が、静かに幕を開けた。




