第二章序節
ほぼほぼ企画段階でまだどう変わるかわかりません。
構成上、本章の前に前日譚を入れる必要があったので、今後差し込んでからの本編スタートになります。第一章は目下執筆中です。
夜の都市は、ひとたび陽が落ちれば、まるで別の顔を見せる。
ミアは息を切らしながら、闇に沈んだ路地裏を駆け抜けていた。胸が痛む。肺が焼ける。耳の奥で鼓動が鳴り響く。だが、足を止めればそれで終わりだと分かっていた。
思考がはっきりしない。体は限界に近い。それでもミアは、わずかに残った力を振り絞って前へ進んだ。逃げなければならない──自分に言い聞かせるように、そう意識を繋ぎ止める。ただの恐怖ではなかった。もっと深い、取り返しのつかないものを感じていた。
背後から迫るのは、もはや何人いるかも分からない無数の足音。最初は一つ、二つだった音が、今やぞろぞろと増殖し、周囲の壁に反響してまるで耳元で囁くかのようだ。ざわめきが聞こえる。それは言葉のようでありながら、何を語っているのか分からない。意味を成さない音が、ミアの背筋を冷たく撫でた。
路地の角を曲がったとき、何かが頭からずり落ちた。お気に入りのキャスケット帽──弟分のルカが拾い物を直してくれたものだった。それに気づいて足を止めかけたが、追手の気配がすぐそこにある。振り返ることも、拾いに戻ることも許されなかった。ミアは悔しさを噛み締めながら、帽子を闇に置き去りにして走り続けた。
脳裏を、残してきた仲間たちの顔がかすめる。
(……ルカ、ティミー、ナナ……)
彼らの幼い瞳が浮かび、心を締め付ける。
(私が……いなくなったら、どうなる?)
それは恐怖よりも深い感情だった。彼らを守ると誓った自分が、こんな形で消えるわけにはいかない。ミアは、リーダーとしての責任に突き動かされるようにして、走る速度を少しだけ上げた。
だが、逃げ場は少なかった。高く積まれた廃棄物、崩れかけた建物の壁、そして通りを覆うように張り巡らされた鉄柵が、まるで彼女の進路を塞ぐ罠のように立ちふさがる。
「……!」
路地の角を曲がった瞬間、ミアは息を飲んだ。影だ。
路地の先、わずかな街灯の明かりに人影がこちらに向かっている。大声で意思疎通をする声。こっちだと言っているのが聞こえる。背後からは足音、気配、揺れる空気の圧。見えないはずの恐怖が、確かな形を持って迫っていた。
――回り込まれてる。
そう思うと、もう逃げ場はないと思えてきた。
なぜ狙われたのかはわからない。
思い当たる節がないとは言わないけど、たったそれだけのことで、とも思う。
捕まってたまるものか――。
そう考えながら別の角を曲がる。
しかし、その瞬間、希望は潰えた。
目の前に、立ちふさがるような闇が広がっていた。行き止まり――袋小路だった。
ミアは足を止めた。背後に伸びる長い影。息を整える間もなく、闇の中から複数の気配が押し寄せてくる。彼女は最後の力を振り絞って壁をよじ登ろうとしたが、冷たい手が足首を掴み、引きずり下ろした。
「―――!!」
硬い地面に叩きつけられた衝撃と共に、肺から息が抜ける。頬に伝わるのは、湿った土と砕けた石の感触。そして次の瞬間、口元に押し込まれた硬い布。声にならない叫びが喉の奥で潰れた。
視界が、黒い布で完全に覆われる。音も、光も、空気さえも遮断されるような感覚。何かに全身を拘束され、身じろぎすらできない。そこにあるのは、ただ、闇と沈黙。
そのとき、心の底から湧き上がった一つの名が、彼女の中でこだました。
――ノア……!
叫んでも届かない。けれど、その名だけが、彼女の意識の最後の灯だった。
そして、都市の闇は何事もなかったかのように、再び静けさを取り戻した。