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罪の街(仮題)  作者: 宵﨑ひよ
第一章「旅の途中」
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第一章第三節「目覚める街と日のあたる席」

 部屋に戻ったあと、簡単に身支度を整えてから、リアムとエレシアは街歩き用の軽装で宿の食堂へと向かった。

 旅用の重装備や道具袋はすべて宿に預けてある。今日は一日かけて、街を見て歩きつつ、足りない消耗品を補充する予定だった。


 階段を下りていくと、香ばしいパンの焼ける匂いが漂ってきた。

 急に空腹が顔をもたげる。昨日の夢の名残はまだ胸の奥にわだかまっていたけど、そんな時でも食欲が湧けば少しは気分が上向きになるらしい。


 食堂に入る。時間帯のせいか、まだ人の気配はまばらで、宿の朝はようやく目覚めはじめたばかりのようだった。


「いらっしゃいませ~!」


 給仕の女性の声に迎えられ、二人は窓際の席へ向かう。

 石造りの床にブーツの音が響き、窓辺のテーブルには柔らかな朝日が射し込みはじめていた。


「日が昇って少し経つのに、やけに寒いな」


 テーブルに座りつつ、リアムは窓の外に目を向ける。

 部屋の暖気に少し曇っている窓ガラスの向こうでは、石畳の通りを商人や荷運び人が足早に行き交っていた。

 荷車を引く男が市場の方へ向かい、朝の空気を切るように車輪の音が響いていく。

 パン屋の店先にはもう煙が立ち上り、店主らしき男が湯気を背にして、通りに向けて看板を立てかけていた。


「この辺りは周りを丘に囲まれているでしょ。だから朝は冷え込むのよ。あと少しすれば和らぐわ」

「そういうもんか」


 リアムが感心したところへ、軽やかな足音が聞こえてきた。現れたのは、エプロン姿の若い給仕。栗色の髪をふんわりと束ね、大きな瞳をぱちくりとさせながら、笑顔を浮かべて二人の席へ向かってくる。


「おはようございますっ。今朝は焼きパンと、干し肉入りのスープ、それから山羊チーズですね。温めたエールか、山羊のミルクもつけられます。どうされますか?」


 同い年か、少し年上くらいだろうか。

 声に張りがあり、語尾がほんのり甘く跳ねる。自然体のようでいて、どこか“見られていること”を意識しているような立ち居振る舞いだった。あどけなさを残すその瞳は、どこか楽し気にリアムを見つめている。


「スープとパン、それに……肉は別々で」


 ちらりと視線を向けながらリアムが言うと、彼女は申し訳なさそうに首を振った。


「ごめんなさい、お肉はスープに入ってるので、そのままは出せなくて」

「あ、じゃあそれでいいです」


 肩をすくめて答えるリアムに、給仕は満足そうにうなずく。


「スープとパンですね。お姉さんはどうします?」 

「私はパンとチーズだけで」


 エレシアは淡々と答え、給仕の顔を一瞥するだけで目線を逸らす。


「承りましたっ。ところで――」


 言葉の調子が少し変わる。彼女は腰をかがめて、声のトーンをほんのり落とした。


「……お二人とも旅のお方ですよね? 昨夜もお見かけしましたけど、お連れさんって感じじゃなくて……なんだか馴染んでるというかぁ」


 言い終えると、彼女は人懐こい笑みを浮かべて首をかしげる。客と打ち解けたい気持ちと好奇心、ちょっとした下心――そんな全部が見え隠れしているようだった。


「あぁまあ……変な縁でね。6年も一緒だし、お互い空気みたいなものだよ、いい意味で」


 リアムは笑って受け流す。エレシアの様子を少し見ると、特に何ということもなく、窓の方を見ていた。いつもよりさらに退屈そうに見えるのは、さすがに思い過ごしだろうか。


「いい意味で、ですね?素敵です」


 そう言って彼女が人懐っこい顔で微笑んだ時、食堂の入り口の方から声が聞こえた。反射的に給仕の女性が振り返る。


「マリーナ!」


 食堂の入り口に立っていたのは、冒険者らしき若い男とその連れらしい男女が数人。どうやらマリーナというのは給仕の女性の名前らしい。


「ヴァルさん、おはようございます。こんな朝早くからどうしましたぁ?」


 小走りに駆け寄るマリーナに、男――ヴァルと呼ばれた青年は少しだけ気まずそうな顔を浮かべた。

 よく見ると、彼の鎧はベルトが歪み、ところどころに乾いた泥や煤の跡が目立つ。肩口には小さな切れ目があり、頬には治療した跡らしいぼろ布が充てられていた。


「……それにしても、スゴイぼろぼろですね」


 マリーナが目を丸くして言うと、後ろの仲間たちがくすくすと笑い声を漏らす。


「ああ、ごめん。やっと依頼が終わって、さっき帰って来たところで」


 男は少し身なりをただすように鎧のベルトの位置を正す。


「いや、大した用事でもないんだけど、その……今月分の宿代。渡そうと思って」

「ん。それじゃあ受け取ってオーナーに渡しておきますね。無事に帰ってきて安心しましたっ」

「あ、ありがとう。それじゃあ、えっと、また後で」


 男は照れたように頬をかきかけ、けがの痛みに少し顔をしかめると、手を軽く振って食堂を出ていく。連れらしい男女もその後を追いかけていった。

 マリーナは小さく息を吐き、腰に手を当てて仕方ないなとでもいう様に肩を落とす。


 リアムは、給仕の彼女がヴァルという男に駆け寄っていってから、どこか座りの悪い気持ちになった自分に気づき、そっと息をついた。


(……まあ、どうでもいいけど)


 言い訳をするようにそう心中でつぶやく。今の自分には縁遠い話だ。


「さて。飯が来る前に、今日の買い出しの段取りを考えとくか……」


 そう言っておいてから、不意にエレシアが彼らをどう見ているのか気になって顔をあげる。

 エレシアはただ窓の外を見ていた。彼らのことなど気が付いてもいないかのように。


 そう思った途端、リアムの目線に気づいたように、わずかに視線だけを寄越した。……何かを問うでもなく、笑うでもなく。ただ、見返して――すぐに眉をひそめて見せる。

 思わず、目を逸らしてしまった。顔に出ていなかったかどうか、今すぐ確認したい衝動にすら駆られる。


「あー、なんだっけ……。そう、俺は火打ち石がだめになってる。あとは保存食がもう心許ないかな」


 誤魔化すように言いつつ、自分でもその声がどこか落ち着かないのを感じていた。

 エレシアは一瞬だけ、リアムの顔をじっと見つめる。けれど、それ以上は何も言わずにすぐにいつもの調子で口を開いた。


「私は薬草を買いなおさないといけないわ。前に買ったものはやっぱり処理が甘くて。それから、整備用の油を買っておかないと」


 エレシアがそれ以上追及してこないことにやや安心しながら、リアムはひそかに息を整えてから、口を開く。


「あの店、どこか雑だったな」


 前の町で立ち寄った雑貨店を思い出す。口ばかり回る痩せた店主が、やたらと的外れな品物を取り出してくるのを辟易しながら聞いていた事しか覚えていない。


「だから、『大丈夫なの?』って聞いたじゃない」


 エレシアには責める調子もなかったが、痛い所を突かれては、リアムは少しだけ目をそらし、苦笑まじりに頭をかいた。

 確かに、そんなことを言われた。……ただ、あの町には他にめぼしい雑貨店もなかったし、何よりその先の道にある川が、春になると雪解け水で増量するという話だった。そうなる前に渡ってしまいたかったというのが本音だ。


「……そのときは、いけると思ったんだよ」

「ダメだったわね?」


 誤魔化すように言った言葉に、エレシアはやはり責める風でもなくこちらを見返してくる。


「……まあ、そういう目は少しずつ育てていくことね」


 エレシアの言葉を最後に、一瞬だけ、二人の間で言葉が途切れた。

 ふてくされているとかではない。ただ、なんと返すべきかわからなかった。正直、自分にエレシアほどの見極める目が育てられるイメージが湧かない。


「は~い、おまちどうさま。ん、お二人さん何かありました?」


 ちょうどそのとき、マリーナが料理を両手に戻ってきた。


「ん……。いや、ただの雑談だよ。ありがと、うまそうだな」


 そう言ってパンを手に取りながら、視線をエレシアに流す。エレシアは再び、窓の外に目線を戻していた。


「んー、そう?なんか雰囲気悪そうだけど? ……ま、とりあえず食べて食べて」


 マリーナが持ってきた食器を手早く並べていく。


「お腹がすいてるから、余計な事考えるのよ~。はい、これは私からのサービス」


 そう言ったリアムの皿の横には軽くあぶったベーコンが、エレシアの手元には湯気の立つ薄緑色のお茶が置かれた。ほんのりとハーブの香りがたちのぼる。


「お姉さん、こういうの好きかと思って。うちの庭で採れたものなんです」


 マリーナは得意げに笑う。

 エレシアは目を伏せ、しばし湯気を見つめた後、小さく一つ息をついた。


「ええ。……ありがたくいただくわ」


 お茶のカップをとったエレシアの声は少しだけ和らいでいるようだった。


「うん、よしっ」


 マリーナは満足そうに独り言ち、そのまま「ごゆっくり~」と置いて立ち去ろうとした。


「……あ、ごめん、ひとつ聞いてもいいかな?」

「んぅ?」


 そんな彼女を、リアムは一つ思い出して呼び止める。


「これ以上のサービスはできませんよー?あ、それとも何か”個人的なお願い”ですかぁ?」

「……いや、さすがにそんな図々しいことは言わない」


 マリーナのいたずらっぽい言い方に、リアムは片眉をわずかに上げて無難に笑い、冗談を受け流す。マリーナの気さくな調子にも、どこかまだ慣れきれない自分を少しだけ自覚していた。


「冗談ですよ~」


 どこまで本気かわからない笑顔を返し、マリーナは「それで、何か御用でした?」と仕切りなおす。彼女の切り替えの上手さは、見習うべきかもしれない。


「この街に、古道具屋とか、薬屋ってあるか?」


 マリーナは少し上を見上げるようにして、唇に指先をあてて考える素振りを見せる。


「うーん……薬屋さんは心当たりあるけど、古道具屋さんは分かんないなぁ」


 そしてふいに、視線を隣の卓へ送った。

 そこには、制服姿の衛兵らしい男が一人、黙ってスープを啜っていた。


「……ねえ、ラトさん。古道具屋探してるんだって、どこかおすすめある?」


 ラト――と呼ばれた男は静かに顔を上げ、無言でうなずいた。


「“ゲルドの箱庭”ってのがいい。南の通りの角、教会の向かい側だ。品ぞろえはともかく、欲しいものはしっかり置いてる」


 ゲルドの箱庭。その名前を胸の内でつぶやく。教会ということは、今朝部屋の窓から見たあの尖塔の辺りだろう、と辺りを付ける。


「さっすがラトさん。今度サービスしちゃうねっ」


 マリーナはそう言ってラトの方を軽くたたく。ラトは少し怪訝な顔をして「必要ない」と一言返した。


「でも、あそこ古道具屋さんだったんだ~。知らなかった。今度見に行ってみようかなぁ」

「……いや、マリーナはやめとけ」


 ラトは淡々とした口調のまま、マリーナの浮かれ気味な声を制した。

 まるで冗談に付き合うのも面倒だとでも言わんばかりだが、その語感にはわずかに親しみもにじんでいたように思う。


「ゲルド爺さんは、気に入ればいい品を出すが、人を選ぶ」


 リアムとエレシアに目をやる。

 無愛想な視線だが、そこに警戒や敵意はなかった。ただ、何かを測るような間。やがて、ごく小さくうなずく。


「……まあ、あんたたちなら、大丈夫だと思う」

「え?私選ばれないってこと?」


 マリーナが少し心外だという様子でラトを見つめるが、ラトはそのまま視線を自分のスープに戻した。……返事をするつもりはないようだ。


「扱ってる物は?」


 エレシアが口をはさむ。なんとなく、エレシアにしては興が乗っている印象がある声色だった。


「道具、古布、本、服……後はこまごまとしたもんだな」


 ラトは振り向きもせず、スープを口にしながら言った。


「ちょっとばかし雑多だが、常連には重宝されてる。珍しいもんも、たまにある」

「なるほど……面白そうね。ありがとう」


 エレシアは少し満足げにそう言った。ラトは軽く顎を引き、また食事に戻る。


「それじゃあ、薬屋さんと合わせて、簡単な地図書いてきますねっ」

「あ、マリーナさん」


 リアムの呼び止めに、ぱたぱたと奥へ戻りかけたマリーナが「はい?」と振り返る。


「貴重な情報、ありがとう。助かった。ラトさんも」


 リアムのお礼に、ラトは静かに片手をあげて答える。


「いーえ~。代わりに今日の夜は、たーっくさん注文してくださいね?」


 マリーナはウィンクをひとつ残し、厨房の奥へ去っていった。

 リアムは苦笑いしつつパンを手に取り、ふう、と息を吐く。いつの間にか、ティナの夢を見て焦がされていた心が澄んできているのに気が付いた。

 リアムは、一つ深く息をつく。


「……さて、まずは腹ごしらえ、だな」


 スプーンが器に触れる音が、まだ静かな朝の空気の中に、静かに響いた。


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