第9話
ぼんやりと見覚えのある天井を見つめて、一分が過ぎたころだった。散漫な頭で浅い呼吸を繰り返していると、しわだらけの女性の顔が覗き込んでくる。
「やっと起きた。目はきちんと覚めた? 気分はどう?」
「あー……」
見慣れた相貌から発された親しみのある声に、アラインは生返事をしながら脳内で状況を整理した。一先ず、自分が今ベッドに横たわっていることは理解する。
寝起きで焦点の定まっていない目を凝らすと、グレーの生地に大きな黄色い花びらがプリントされた割烹着を着た、更年期の女性の横顔が見えた。その手には丁寧に畳まれた衣類が積まれており、今まさにタンスに仕舞われている最中である。
白髪交じりの長髪は、これまた地味な黒いヘアゴムで無造作に頭の後ろで束ねられており、目尻の細かなしわや潤いが失われつつある手の甲、年齢とともについたであろう胴回りのふくよか過ぎない脂肪も加わって、どこか母親然とした安心感を醸していた。
「おば、さん……? てことは養護院か」
夢現で口籠りながら現在地を把握すると、見知った人物にアラインは安堵した。
おばさんはこの養護院の施設長で、アラインが信頼を寄せる数少ない人物であり、小さいころからお世話になっている恩人である。
覚醒したばかりで霞む頭に徐々にエンジンをかけつつ、アラインは起き上がろうと身動ぎした。
「っ……」
腹部から走った痛みに瞼がピクリと反応した。不意を突かれて思わず声を漏らすと、顔をしかめながら思い当たる節を探す。すぐに思い至った。
(ああ、そういえば撃たれたんだっけか)
跳弾を受けたときの場面が脳裏に浮かんで納得する。気を失ってからどのくらい時間が経ったのか気になると、そんなアラインの心を読んだようにおばさんが話を振った。
「まだ怠そうね。と言っても、3日も寝込んでれば体も訛って当然か」
「3日だって!? いつの間にそんな……てか、なんで俺はここに」
「途中何度も目を覚ましたのに忘れたの? まあ、あんだけ高熱出して魘されてたら、意識も朦朧として覚えてないか。よっぽど疲れてたんじゃない?」
タンスを閉めると、おばさんは棚にあった体温計を手渡す。その意図を察して無言のまま脇に挟むと、看病されていたときの断片的な記憶が浮かんだ。
(言われてみれば、何回かトイレと着替えで起きたような……)
手持無沙汰でしばし追想していると体温計が鳴った。数値は少しだけ平熱を下回っていたが問題ないだろう。今度は傷を庇いながら身を起こす。
毛布を胸から退かしたところで、部屋の中を軽く片づけていたおばさんはアラインに渡された体温計を受け取り、数値を見ながら気遣わしげに言った。
「もう起きるの? 病み上がりなんだからゆっくりしてればいいのに」
「熱も下がったし平気だよ。それにこれ以上迷惑はかけられないし」
「迷惑だなんて……。だいたい体は大丈夫なの? 怪我したって聞いたけど」
「あーそれは……」
痛いところを突かれて思わずどもる。跳弾とはいえ負傷したのだ、まだ治療跡を確認したわけではないが、それなりの手当ては受けたはず。
となれば、一連の騒動が養護院の施設長であるおばさんの耳に入るのは明々白々。だがそれはたいした問題ではなかった。危惧すべきことは他にある。
傷を刺激しないよう、アラインはそっと服の上から傷の場所を触った。
(包帯かなにかが巻かれてる感触……誰かがやってくれたのか)
(ということは、体は確実に見られてるってことか。くそ、完全に油断してた。いったい誰が怪我の手当てを――)
揺るぎない事実を確認するとアラインは危機感を抱いた。途端に眉間に眉が寄る。
芳しくない状況にアラインが思いを馳せて黙考していると、それを図星と取ったのか、おばさんは心底呆れたようにため息を吐くと、やれやれと首を振る。
「どうせまた無茶したんでしょ。頑張るのはいいけど程々にしなさいよ。命あっての物種なんだからね。傷の治りは早いようだからよかったけど」
「手当したのか!?」
さり気ない一言に、それまで沈黙していたアラインは弾かれたように反応すると、最悪の事態を想定して血相を変えた。無自覚におばさんに向ける眼光に軽蔑が滲む。
が、当のおばさんはこちらに一瞥をくれることもなく、別の作業に取りかかりながら、からかうようにフッと鼻だけで笑った。
「見てないわよ。あんた昔から肌見られるの嫌がってたじゃない。というか、私が怪我のこと知ったときには、すでに他の子がやってくれてたわよ」
「別の子……?」
親しみの籠った口調から、第三者がおばさんにとって身近な人物であると察した。好ましくない展開に心がざわつく。