第7話
「!? おい、こっちには人質がいんだぞ! こいつがどうなって、も……」
勇ましい足取りに、言葉の途中でアラインは脅しが無駄だと悟って絶望した。
敗因はこの執事が警備員たちと同じように、少女を案ずる心を持ち合わせていると錯覚していたことだった。なぜこの得体の知れぬものに良心があると勘違いしてしまったのだろうと、途端に後悔の念が押し寄せる。
(人質がどうなってもいいのか!? それともなにか打開案が――)
執事の躊躇いのない歩調は、アラインと同じく狼狽する警備員たちを率いて、目の前の対象を排除しようと着実に向かって来る。
いずれにしても四面楚歌。考え得る退路は断たれた。
(……いや、まだだ。まだ可能性は残ってる。窮地を覆す淡い可能性が!)
しかし、それでもアラインはまだ諦めていなかった。胸中で自身に言い聞かすように発破をかけると、チラリと腕の中の少女に切望の眼差しを向ける。
(もしあれの強気な態度がハッタリで、本当は人質の身を案じていれば――)
実際に少女が傷つく場面を目の当たりにすれば、態度を改めるはず、と。
そう思い至ったときには、アラインは工具を持つ手を振り上げていた。
同時に切羽詰まった思考は判断を鈍らせる。ほんの少しだけ斬りつける仕草をするつもりだった切っ先は、勢いよく少女の顔目がけて吸い込まれ――
ズドン! と重い音を立てて、落ちた鉄鋼がアラインの目前で地面に突き刺さった。
「――ハァッ!」
あまりに突然のことに全身を硬直させると、アラインは安堵とショックの息を盛大に吐き出した。振り下ろした切っ先は間一髪で少女の鼻頭で急停止する。
頭上を仰げば、先程アラインが突き破った天井がある。鉄鋼の正体はその一部だった。
老朽化で元々強度が落ちていたのだろう。天井は大きな亀裂で覆われていた。
それら一連の流れを予期していたように執事は縮地した。
一同がハプニングに気を取られていた寸刻。突然のトラブルで一瞬全員の緊張の糸が切れたと同時に前に飛ぶと、排除対象目がけて一直線に迫る。
アラインが跳躍した執事に気づいたとき、すでに距離を半分以上も縮められていた。
明かに人間技ではない身のこなし。今から身構えようにも体が動かず、当然回避も間に合わない。間近に迫った死の気配を嗅ぎ取ると、アラインは血の気が引いて卒倒しかけた。
なによりも恐ろしかったのは、跳躍したその姿。
通常なら一つしかないはずの肘と膝の関節が、二つも存在していた。
腕の方は上腕と前腕の間にもう一つ上肢があり、足も前述と同じ有様だ。背中は肩甲骨が筋肉ごと剥がれたとしか思えないほどに面積が広がって可動域を超え、腰骨も数十センチ伸びている。突進速度も剛速球のような速さが出ており、人間の備え持つ機能を完全に超越していた。
(死――ん――!)
反射的に死を覚悟した直後。暗闇に閉ざされた予想を裏切ったのは、立て続けに響いた轟音と、双方を遮るように崩れ落ちた天井の残骸だった。
跳躍で空中にいた執事は止まることは愚か、避けることもできず、そのまま上からの重圧に押し潰されると、残骸の下敷きになって埋もれてしまう。
事態はさらに悪化した。一度崩れた天井は穴の開いた中心から一気に拉げると、外側に向かって順に崩壊していく。これには警備員たちも撤退を余儀なくされ、急いできた道を戻って行った。
アラインも即座に避難を試みようと踵を返し、不意に少女と目が合う。
「しま――っ!」
思いがけず素顔を見られフードに手が伸びかける。だが残骸の豪雨の中でそんな猶予はなかった。アラインは咄嗟に少女を連れて、警備員たちとは逆方向に走る。
幸いにも向かった先には非常口があり、これまた運がいいことに鍵もかかっておらず、二人は簡単に外の非常階段に出ることができた。
(出口に、鍵の開いたドアに、階段……なんだ、この奇妙な運のよさは? 『眸』は発動してないから運を味方につけられてはいないはず。全部偶然か?)
先程までの災難続きとは打って変わり、見違えるような妙な幸運の巡り合わせに眉根を寄せつつも、アラインは眼前に広がる外界を見渡す。
前方には見慣れた街並み。すぐ真下には湖と見紛うほどに巨大な水域を認め、そこは周辺地域に分布する用水路の合流地点であることを理解した。
一度外に出てしまえばアラインの独壇場だった。たちまち脳内に地図が描かれると、自分の現在地を確認し、進むべき道を把握する。
(過剰反応のせいで因果は見れない――が、設置した『因果歪曲計』がある!)
瞬時に『因果歪曲計』の設置個所の見当をつけた。あとは能力を使わずとも、これを辿れば自然とセーフポイントに行き当たり、正規ルートから逃走できる。
と、アラインは不意に顔を歪めて、先程から痛む腹部に目を落とす。
真っ赤に染まった衣服を捲ると、1センチ前後の肉のクレーターから血が滲み、痛々しい銃創が口を開けていた。それは先刻隊員に撃たれたときの傷跡。
(傷の浅さからして跳弾か……いや、銃の威力が弱かった? 弾が傷口を塞いでて出血は少ないけど……ったく、いまいち運がいいのか悪いのかわかんない展開だな)
視線は目下の分水路へ、片手はやけに落ち着いている少女をしっかりと掴み、残った方は怪我に触れたままアラインは思考する。そのとき下から複数の足音が響いた。
「おい、話が違うじゃないか! ピンピンしてるぞ!」
「なんだって!?」
何者かと顔を向ければ、ついさっきまで追いかけっこをしていた警備隊が、驚愕の表情でこちらを見上げていた。アラインの死体の確認に来たのだろうが、事前情報と違うものだから当惑しているのだろう。再び銃を構えて駆け上がってくる。
だがお陰で躊躇いは消えた。後方はもちろん、下方も逃げ道を絶たれれば、もう残された退路は一つしかない。アラインは一方的に少女に告げる。
「力むと沈むから体に力入れるなよ」