第5話
アラインはすぐに頭を切り替えると、骨や筋肉の上げる悲鳴を無視して起き上がった。
出入り口は表から鍵がかかっていて外に出られなかった。仕方なく適当に周りにある積み荷を手早く重ねて足場を作ると、アラインは先刻自身がぶち抜いた屋根から脱出する。そのころには大声が間近に響いていた。
「さっきの音はこの辺りからだ! 周囲を調べろ!」
ご親切にも、向こうからわざわざ自分たちの居場所を知らせてくれた。とは言うものの状況は芳しくない。むしろ悪い方に転がりつつある。
一度態勢を立て直すため、アラインは落ち着いて能力を使える環境を確保しようと、屋根から屋根を伝って隠密行動を心がけた。なによりも落下時の鈍痛があとを引いて上手く体を動かせない。痛みで思わず身が引き締まる。
そのとき、進もうとした先の足元で小さく火花が散った。それに続いて一発の銃声が虚空に轟く。途端に打撲で掠れかかっていた意識が急激に浮上した。
「バカ野郎! この距離で外してんじゃね!」
銃弾が飛んで来た方向に目を向ければ、隣の建物の上階に二人の隊員を発見した。内の一人はこちらに銃を構えており、悔しげに肩を震わせながらがなった。
「くそ、変なとこでふらつきやがって!」
罵りながら再び銃の焦点を合わせる隊員。銃弾の着地点からして、アラインがたたらを踏まなければ弾が命中していただろう。その事実にアラインはゾッとした。
(撃ってきた!? もの投げただけで発砲命令って……嘘だろ!?)
投げただけとは言っても、それが工具となれば危険度はグッと上がるのだが……。それを抜きにしても、平常であれば到底あり得ない状況にアラインは舌を巻く。
そのとき、ふと思い当たって急いで周囲を見渡した。嫌な予感は的中する。
「しまった! セーフポイントから外れ――」
喚いた直後、叫びは立て続けに響いた発砲音に掻き消された。
驚いたアラインは飛び上がると、目的もなく弾かれたまま、とにかく走る。
すぐに後方から逃走者を追えと指示が飛ぶ。アラインは予期せぬ不運の連続に戸惑いながらも、原因を究明するため、混乱した頭を乱暴に回転させた。
(流れは読み間違えてないはず。途中に設置してあった『因果歪曲計』も何度も確認したし、さっきまではセーフポイントに沿ってた。運は絶対こっちに向いてた!)
(じゃあどこだっ? いったいどこでルートを間違えた!?)
アラインは目が見えているにもかかわらず、今やなにも見ていなかった。
どこを走っているかもわからぬまま、とにかくもう一度因果を目視しようと、急いで意識を左右の眼球に集中させる。
瞬間、視界ごと意識が異次元に飛ばされた。
先程まで極彩色のカーテン越しに見えていたはずの世界は、今や強烈な放射状の七色に侵食され、目を潰さんばかりに激しい点滅を繰り返す。
耐えがたい視覚への暴力に、無意識に眼球が目を背けようと動けば、それに合わせて今まで放射状だった虹色の幻覚が形を変え、視界を眩しく照らし出す。
その奥に映る元の世界は、建築物などのあらゆる無機物と、見えている限りの人や動物などの有機物でぐちゃぐちゃに混ざり合う。
地面は人の顔の形へ、人間の体には辺り一帯の景色が組み込まれていった。
「ああぁぁああぁぁああぁああああああああああ――ッ!?」
時空を凌駕した領域を垣間見るや、アラインは絶叫した。
意識ごと向こう側に引きずり込まれるような恐怖と精神的激痛を覚えると、即座に両手で顔全体を覆いながらその場に頽れる。擦り切れかけた自我をどうにか保とうと、悶絶するように体をめちゃくちゃに振り回した。
それらの苦痛は、次の瞬間、乾いた発砲音によって拭い去られた。
新たに生まれたショックが上書きされると、強力に発動していた能力も強制解除されていく。たちまち心に平穏が訪れると、全感覚が安寧と静寂に包まれた。
だがそれも長くは続かなかった。脇腹から発生した衝撃は徐々に熱を孕むと、途端に全身から力を奪っていき、踏ん張り切れずに脱力する。
そのままアラインは体を倒すと、どことも知れぬ建物の屋上から落下した。