第42話 宇宙
ユーディスが『帝冠クラウン』から上昇していく光景は、宙の天球の中からも見ることができた。眩い光りの塊が地上の開いた隙間から登ってきている。しかし後半はユーディスの発する凄まじい光量で『帝冠クラウン』の様子は遮られてしまった。
そしてついにユーディスが『帝冠クラウン』から旅立つときが来る。それまでただの丸い球状だったユーディスは光の帯を生やすと、やがて帯は羽となり、鳥のような大きな翼となって宇宙を羽ばたいていく。
ユーディスはそのまま宇宙の彼方へと飛んでいくと、少しずつ小さな光となっていった。
そんな光景を、アラインとユウは宙の天球に取り付けられていた窓から眺めていた。そして光がはるか先へと消えて行く光景を目にして、ユウはぽつりと呟く。
「行っちゃった……」
ユウは事実だけを言うと、そのあともしばらく去って行くユーディスを見送る。
打ち上げられた直後、まずアラインが着手したのは地上に降りる方法だった。
時が来れば爆発するように設計されていることをあらかじめ知っていたアラインは、どうにかそれを防げないかと室内をいろいろいじるようになった。その結果、アラインの元から備わっていた技術力を活かして内側から宙の天球を弄ることに成功し、なんとかこの機体が爆発しないように設定することができた。
それ以外にも、今乗っている宇宙の軌道から逸れてどうにか地上に戻るようにはできないかと、いろいろ実験を繰り返したりもした。
結論を言うと、戻ることはできそうだった。ただそのためにはとても長い時間を必要とし、並の人間なら生きていることさえできないほどの期間を要することになりそうだった。
つまりそれは、仮に地上に帰れたとしても、そこにはもうジルや他の仲間たちはみんな死んだあとで、誰一人として知り合いがいない状況というわけだ。
それはあまりに寂し過ぎる。そう考えたアラインは、仲間たちにどうにか合図を送れないかと考えた。そこで思いついたのがモールス信号だった。
簡単な仕掛けだった。幸いこの宙の天球の室内には電気などいろいろ道具がそろっている。それを使ってアラインは簡易的な点滅装置を作ったのだ。
これで地上のジルたちに信号を送れる。自分たちはここにいると。
毎日同じ時刻に装置を点滅させて試してみる。だがその思惑は思うようには行かなかった。地上からの返事が返ってこなかったのだ。
それでもアラインはめげなかった。毎日毎日諦めず一定時間光りを反射させ続ける。例え今日返事がなくても、もしかしたら明日は返ってくるかもしれないと。
アラインはどれだけ時間がかかるとしてもいいと思えた。結果的には地上に帰ることができるのだから。ユウをここから出してやることができるのならば、と。
「ごめんね、アライン……」
アラインがいろいろと調べていると、ユウが出し抜けに謝った。アラインがユウの方を向くと、ユウは視線を下げたまま、ぼそぼそと囁く。
「こんなことに巻き込んで。私のせいで帰れなくなっちゃった」
ユウが口にしたのは、このような事態になってしまったことへの謝罪だった。確かにユウの言った通り、もうアラインとユウは地上に帰ることはできなかった。
その理由としては、この宙の天球が上空に描かれた天球儀、地上から見ることのできる宙の天球が集まった帯のエネルギーの軌道に乗ったためだ。この軌道に乗ってしまったらもう二度と下界に戻ることはできない。
そのことをわかっていたからユウは詫びたのだろう。
それに対してアラインはというと、なにも喋らずにただユウを見つめていた。厳密に言うと、喋ることができなかった。ここまで異形化が進んでしまうと、もはや口内までもが人の形を失って人語を喋ることができず、唸ることしかできなかった。
しかし心は人のままだった。だからアラインはユウの謝罪に応える代わりに、その場にしゃがんでユウの足――今はもう切断されてしまったところに手を伸ばす。
するとアラインは手を広げてなにかをする所作をした。だが思ったようにいかなかったのか、もう一度手をつき出してできるかどうか試みる。しかし結果は同じだった。
ユウは最初アラインがなにをしているのかわからずぼーっと見ていたが、次第にその手つきがいつも因果の糸を出すときの所作であることに気づくと、ユウはハッとした。
「もしかして、私の足を直そうとしてくれてるの?」
アラインは答える代わりに、肩を落とす仕草をした。それだけでユウは悟る。アラインは因果の糸を出すことができなくなっていたのだ。
ユウにはその理由がわからなかった。しかしアラインは納得していた。今自分たちがいるのは宇宙空間。ここは『帝冠クラウン』と違い因果の流れが存在しない場所のようだ。
試しに『眸』で『流気』を確かめてみる。『眸』は無事発動した。というかこの姿になってから常に発動しっぱなしだったため、わざわざ発動させるまでもなかった。けれどやはり『流気』は観測できなかった。ここには吉凶に流れは存在しないらしい。
そして吉凶の流れがないということは、恐らくユウの幸運体質も――
「アライン?」
言葉が喋れずとも動作でアラインが落胆していることを察したユウは、控えめに声をかけた。しかしアラインは首を振るだけで、やはり話すことはできない。
そのことがわかっていたユウも、ある程度事情を察して「そっか」と一人頷く。
「足は元には戻せないんだね。でも仕方ないよ、糸が出ないんじゃ」
言うとユウは這いずりながらアラインのもとに来て、異形となった頭に手を置く。
「ありがとうね、こんなことになってまで私を気遣ってくれて。だけどもういいよ。アラインにはこれまでだって、数え切れないほどいっぱいしてもらったから。これ以上は望み過ぎだよ」
優しいユウの言葉にアラインは「グルル」と答え、首を垂れた。ユウの優しさには救われたが、それでもユウの足を治すことはできない。こんな怪物の姿になって、因果の糸を操る能力さえなくして、この果てしない空の中で自分がユウにしてあげられることがない。それがアラインには悲しかった。
ユウはその頬を撫でると、優しく頭を抱き抱えた。
「今までありがとうね、私のために頑張ってくれて。でももういいんだよ。こんなことになっちゃったけどさ……きっとなんとかなるよ。だって、今までだってそうだったもん」
なんとかなる、とはどのことを指しているのかアラインにはわからなかった。しかしユウに言われると、不思議とそんな気がしてきた。
「これからは二人で生きて行こう。一人じゃ心細くてだめだったかもだけど……二人でいれば、きっと大丈夫だよ。大丈夫って信じようよ」
なおもユウは言葉を紡ぐと、ギュッとアラインの頭に顔を埋めた。
あれだけ激しい戦闘を繰り広げて得たものが、異形の化け物と、両足を失った少女とは、あまりにやるせない結末にアラインは小さく息を吐くと、壊さないようにそっとユウを抱き締めた。
◇
宇宙空間に放置されて数日。その間にわかったことは、ユウもアラインも食事や水分を摂らなくても平気だということだった。
ユウは元々人形だから食事など必要ないことはある程度予想していたことだが、アラインは別だった。元は人間なのだから食事を摂らねば生きていけないと思ったのだ。
しかし以外にもアラインは平気だった。今の異形の姿になったお陰か、はたまたダースロウの不死の遺伝子による賜物か。睡眠すら取らなくても活動できたのだ。
生命に関する危機は現段階ではなかった。だが精神面は別だった。特に元々人間の姿をしていたアラインにとっては、今の化け物の姿は耐え難いものがあった。
その結果――
「アライン、やめて!」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオォォ!」
アラインは雄叫びを上げると、自分の体を引っ掻いたり、触手や羽を引き千切ったりなどの自傷行為に走った。
逃亡劇も激しい戦いも終わり、他に二人を仇なす者がなくなったことが一番の原因だった。その結果、平穏を取り戻したアラインは自身の状況をより深刻に捉えるようになってしまい、自分を俯瞰して見る時間が増えたことが自傷行為の一番の原因だった。
ユウはいつも止めようとするが、アラインとは格段に力の差があり、力のないユウには腕一本拘束することすらできず、アラインの気が済むまで自傷行為を傍で見ていることしかできないという地獄の時間が過ぎていくことになった。
何ヶ月も経つとアラインを止める気力さえなくなり、ユウは泣きながら時間が過ぎて行くのを待つしかなくなった。そのうち涙さえ出なくなり、本物の人形のように壁にもたれて虚無を見つめる時間だけが増えて行った。
だがアラインもいつまでも自傷行為をしているというわけではなかった。やがて平常心を取り戻して現実を見るようになる。そして周囲に飛び散った血や自分の肉片、再生されていく肉体、そしてなんの反応も示さなくなったユウに気づくと、今度は悲しみの時間が始まることとなる。
「グ、グル、グウウゥゥ……」
「アラ、イン?」
「グウウウゥゥゥゥゥゥ。オーオオオォォ、オーオオオォォォォ――――……」
アラインは今度は悲しげな声を上げて泣き始めた。
元の人間の姿に戻れないのが辛い。元に戻りたい。人間になりたい。また話せるようになりたい。そんな様々な思いが混じった泣き声が宙の天球の中に響き渡る。
そうなるとユウは両足のない体を持ち上げ、アラインのところまで這いずっていき、隣に寄り添ってそっと頭を抱き締めてやる。
「よしよし。アラインはいい子いい子。こうなっちゃったのはアラインのせいじゃないよ。どんな姿になってもアラインが好き。それは変わらないから泣かなくてもいいよ」
頭を撫でてやりながらユウはアラインをあやす。
こんなことをしても、また時間が経てば再び自傷行為に走るとわかっていても、ユウはアラインを慰めることだけはやめなかった。健気に介抱し、温かい言葉をかける。そうしないと本当にアラインが壊れてしまいそうだったから。
◇
さらに月日が流れると、ようやくアラインの心にも余裕が生まれてきたようで、建設的なことにも着手できるようになった。
もちろん人語を話せないアラインはユウにそのことを伝えることはできない。だが別によかった。いつか帰れるのであれば、今は苦しくても耐えよう。それに今の自分たちは決して一人じゃない。二人だから希望を持つことができるのだ。
それを確かめるように、アラインはいつものようにそっとユウの腰を抱いて引き寄せる。その所作だけでユウはアラインの意図を察すると、ユウはアラインを見上げて微笑んでアラインの体にもたれた。それから二人で窓の外、『帝冠クラウン』を見下ろす。
やがて二人の間に子どもが生まれた。しかしそれは人の形をしていなかった。
生まれたのは、意思を持って蠢くぶよぶよの黒い塊だった。
始めこそ二人は自分たちの間に生まれたそれに不気味なものを感じたが、一緒に過ごすうちに愛着が湧き、可愛らしく思えるようになってきたのだった。
それに悪いことばかりではなかった。ある日アラインが自分たちの子どもを『眸』で確認したところ、黒い塊が吉凶二つの運気を有していることに気づいた。
発見はそれだけではない。子どもが生まれてからしばらくして、アラインは自分の獣化が以前よりも和らいでいることに気づいた。
最初アラインは、なぜ自分にこのような症状が出たのかわからなかった。しかし原因を探ろうと記憶を遡った結果、以前ダースロウとの会話で父と母の交配の話を思い出してピンとくる。
確か純粋なダースロウだったアラインの母は、人間である父と交配したことによってダースロウの力が失われ、結果的に死に至ったという話を思い出す。
それを思い出してアラインは、もしかしたら今回の獣化が和らいだ原因も、そこにあるのではないかと踏んだのだ。ユウと交配したことで、アラインの獣化の呪いが子を伝って排出され、それだけでなくユウの幸運体質も遺伝として渡ったことで、この黒い塊は吉凶二つの運気を有するようになったのではないかと。
現に、ユウと交配すればするほど自分の獣化の呪いが解けていることにアラインは気づいていた。いつしか人語も喋れるようになり、ユウに話しかけてみたことがあった。
「ウ……ユ、ウ……」
「! アライン、今なんて!?」
アラインの獣化が徐々に解けていることはユウも気づいていた。だからいつしかアラインは人の姿に戻れるのではないかと想像することもあったが、それでも実際に目の前でアラインが自分の名前を呼んだことに、ユウは感動せずにはいられなかった。
それからアラインは拙い言葉でユウに説明した。自分たちの交配により呪いが徐々に解けかけていることを。ユウはそれを自分のことのように喜んでくれた。
それから二人は一層子作りに励んだ。そして予想通り、二人の間に黒い塊が生まれる度にアラインの獣化は解けていき、どんどん人間に近い姿に戻っていった。
それから何年経っただろうか。アラインはついに人の姿に戻ることができた。
だがそれは同時に、アラインの生命力の根源、ダースロウの力を失うことにもなっていた。つまりアラインは人間の姿に戻れば戻るほど、寿命が縮んで行ったのである。
本能的にそれを悟ったアラインは、そのときが来る前にもし地上に降りるときが来たときのために、下界に降りるための装置を作っておいた。まだ動けている今でないといけないとわかっていたから、アラインは熱心にそれに取りかかった。
装置を作るにはかなりの時間を要した。その間にいくつもの宙の天球が爆発して消えていくのを見た。爆発の光りを捕らえる度に宇宙で花火が上がるのを見る。
その度に地上も薄暗くなって行った。月経秤が崩壊して新しく宙の天球が上がることはもうない。それはつまり地上を照らす輝き――瞬く数奇が減少するということだ。
衰退して行く『帝冠クラウン』を見るのは辛かった。アラインたちは自分たちの立場も忘れて地上にいる者たち、ジルたちや仲間がどうしているかを心配する。
だが感傷に浸ってばかりもいられなかった。アラインは装置の完成を急ぐ。
そしてついにアラインは装置を完成させた。それにはとても長い年月が必要だった。
喜ばしいのはそれだけではない、同時にアラインも人間の姿に戻ることもできたのだ。
だがそのころには、アラインはもう瀕死の状態だった。まだ獣化する前、地上にいたころなら健康体だった肉体はほとんど骨と皮だけになり、それはアラインの命の灯火が消えかけていることを示していた。
それでもアラインは嬉しかった。人の姿に戻れたことが。もう戻れないと諦めていた元の姿に戻れたことが。それは自分の命を犠牲にしてでも成し遂げられてよかったと思えた。
「アライン、具合はどう?」
宙の天球内に備え付けられていたベッドに横たえられたアラインにユウは寄り添って体の調子を聞く。それにアラインは一言二言答えるだけで限界だった。つまりダースロウにとって交配するということは、それだけ命を削ることなのだ。
「ありがとう、ユウ……」
命を削ったことで、骨と皮だけになった手でユウの頬に触れながらお礼を言った。それにユウは首を振る。
「なんのこと?」
「俺を人間の姿に戻してくれた……辛抱強く俺に付き合って、人の姿で死を迎えられるようにしてくれた。こんなに感謝してもしきれないことはない」
「アライン……」
まるで今生の別れのようなことを言うアラインに、ユウはアラインの寿命が尽きようとしていることを悟った。それを知った上で、ユウはいつも通りの様子でアラインに語りかける。
「私こそ、お礼をしてもしきれないよ。ありがとうね、私を普通の女の子にしてくれて。あのときアラインが私を助けてくれなかったら、私は今ごろなにも知らないで、この宙の天球に詰め込まれて、爆死するのを待つだけだったから……」
そういうユウの体もまた変化を見せていた。
何十年も経ち、月日が流れれば人は成長するもの。だがアラインは、ユウは別だと思っていた。なにせユウは人形なのだから。だが違った。
ユウも人間のように、大人の女性として徐々に成長していったのだ。これは予想外だった。まさか人形のユウが成長するとはアラインは思ってはいなかったのだ。
そんなユウは、今や宙の天球の部屋を埋め尽くすほどに増えていった黒い塊の一つを抱くと、我が子の体を愛おしそうに撫でた。
「そう、か……。それじゃあ、お相子だ……な」
アラインは優しげな笑みを浮かべるとユウの頭を撫でた。ユウはそれに甘えて気持ちよさそうに目を細める。
それからアラインが息絶えたのは間もなくのことだった。ユウがいつものようにアラインに声をかけると、沈黙が帰ってきたのだ。異変を感じてユウは何度も呼びかけたが、やはり返事はなかった。
アラインが亡くなったことを実感した直後、ユウは初めて声を荒げて泣いた。いつもののんびりした顔をぐしゃりと歪め、今まで出したことのないような大声で。
ユウが悲しみに暮れると、黒い塊たちが母の異変に気づいてユウの側に集まり始めた。それに気づいたユウは、黒い塊たちの行動が子ども心に母を慰めようとしていることを知ると、それが嬉しくて愛おしくて、また涙が出る。
数秒と経たないうちにユウは黒い塊たちに埋もれた。それでもユウは泣き止むことはなく、その日ユウは一日中泣き続けたのだった。
それから今度は、ユウと黒い塊たちの生活が始まる。アラインが亡くなってからユウがすることは変わった。主に黒い塊と接する時間が増えた。黒い塊にはそれぞれ個性があり、形も少し違っている。
そして新たな発見もあった。ユウは黒い塊の数が以前よりも増えていることに気づく。ユウは黒い塊を観察してみた。そして見つけた。黒い塊は時間が経つと自ら分裂して、数を増やしていったのだ。
どうやらこの黒い塊は、出産の他に、独自で数を増やす機能も備わっているみたいだ。
ユウは順に黒い塊たちを撫でていく。それこそ本当の人間の赤子のように。一体として仲間はずれにすることなくユウは平等に愛を注いだ。
それから『光帝ユーディスと12の誓い』の話も聞かせた。自分の知っている寓話はこれだけだったが、それでも子どもたちになにか話してあげたいと思ったのだ。
アラインとの出会いや、出会ってからの冒険活劇なども話した。こちらの方が最近の出来事が多かったため、より具体的に話せて子どもたちも楽しめたと思う。例え会話ができなかったとしても、子どもたちは体をゆらゆらと揺らして感情表現を示し、それがユウにはこちらの話を聞いてくれているように見えた。
そんな生活が100年も続く間に変化が訪れた。今度はユウの寿命が尽きようとしていたのだ。
通常であれば人形であるユウは、それこそ不死に近い肉体であるため永遠を生きることだってできた。しかしやはりダースロウの傑作。アラインのときと同様、交配によって徐々に幸運体質の能力を子に分けていったことが関係してか、ユウは不死ではなくなっていた。
その証拠にユウは人間の女性のように徐々に老けていき、毛は白髪になり、腰も曲がっていった。そこにいたのは人形ではなく、人間の老人の女性だった。
「どうやら私にも、いよいよ終わりが来たみたいだね」
今や日課となった黒い塊たちを撫でる作業をしながら、ユウは窓に映った自分のしわくちゃになった老けた顔を覗き込む。そこには寿命の近い老人が移っていた。
そのころには、ユウはもうまともに起き上がっていられないほど老け込んでいた。1日の中でも寝込んでいる時間が長くなり、ほとんど横になっている。
そしていよいよ、ユウにもそのときが訪れた。
「ア、ライ……ン……――」
ベッドに横になっていたユウは、かつての愛しい者の名を呼ぶと薄目を開けた。視界の周囲では黒い塊がこちらを覗き込んでおり、心配そうに全身を揺らしている。
ふとユウは自分の人生を振り返ってみた。果たして自分の人生は、幸せなものだったのだろうかと。
アラインは自分の死と引き換えに、人としての尊厳を取り戻して死んでいった。そのアラインの顔はとても幸せそうで、本当に幸福に満ちた表情をしていた。
では自分はどうだろうか。果たしてこの人生は、幸せといえるのだろうか。
いろいろあった。月経秤でほぼ監禁に近い生活を送り、外に出てアラインたちに出会い、楽しいこともあれば悲しいこともあって、最後にはここに行き着いた。
今ならユウは胸を張って言えた。幸せな人生だったと。
「今、私も行くね……アライン」
それからユウは眠るように目を閉じた。ユウの周りにいた黒い塊たちは母の異変に気づくと、途端に一斉にざわめきだし、自分たちの母を覆い始める。
恐らく数日後には、ユウの肉体は黒い塊に呑み込まれて、ベッドから消えていることだろう。アラインのときもそうであったように。
そしてまたとても長い、悠久ともいえる時間が過ぎて行くこととなる。




