第40話 宙の天球
「うああぁあぁぁぁぁぁっぁぁあっぁあぁ!?」
両足が切断された刹那、耐え難い熱の塊が傷口から燃え広がった。糸人形に片腕を解かれたときとはまったく違う、れっきとした激痛がユウの精神を叫ばせる。
血は出ていなかった。代わりに綿が傷口から覗いている。
スチュワードは刃の付いた手刀を納めると、床に転がった両足を拾った。そしてそれをゴミでも扱うかのような手つきで部屋の外に放ると、ユウに背中を向ける。
「スチュ、ワード……! どう、して!?」
これまで感じたことのない激痛に藻掻きながら、ユウは慕っていた背中に叫ぶ。だがスチュワードはユウを無視して外に出ると、この部屋の外に備え付けられていた端末に指を滑らせた。途端に月経秤全体から駆動音が響き始める。
スチュワードは用意を済ますと、扉を閉めるようにその部屋の檻を下ろした。そこからは絶対にユウを外には出さないという気迫がある。
アラインがスチュワードに捨て身タックルを食らわせたのはそのときだった。細長い体躯は巨体の突進によって軽々と吹き飛ぶと、壁に激突してひびを作る。
そのままアラインはスチュワードに追撃を食らわせようとし、ユウが部屋に隔離されていることに気づく。その丸い形をした部屋からは駆動音が響いており、すぐ傍の端末からは怪しげなカウントダウンが始まっていた。
すぐにアラインはユウの身に危険が迫っていることを悟ると、檻に手を掻けた。
そこにスチュワードの突進が加わり、今度はアラインが吹き飛ばされてしまう。
この怪しげな部屋が動き出したのはそのときだった。回転式拳銃の弾倉のような形をしているこの部屋は、まるで弾倉そのものであるかのように回転を始めると、ユウを幽閉した球状の部屋がなにかの発射台に向かって移動していく。
そのときアラインはあることに気づいて上方を見た。そこにはなにかを外に出すために発射口があり、ユウは現在進行形でその発射台へと誘われている。そこから導き出される答えは単純なものだった。悟ったアラインはすぐに起き上がろうとする。
しかしすぐには立ち上がれなかった。今自分の上にはスチュワードが乗っかっており、こちらに拳を振り下ろしてくる。アラインはそれを避けると自らも拳を振るい、スチュワードに一発お見舞いする。だがこの執事、ただの打撃ではビクとも動かない。
殴り合いをしている間にもユウを閉じ込めた球状の部屋は発射台へと迫る。するとアラインは、一か八かの賭けに出ることにした。
アラインは揉みくちゃになっているスチュワードの脇腹、酷くひびが入って損傷している部分を両手でがっしりと掴むと、そのまま握り潰す勢いで握力を込めた。元々ひび割れていた脇腹はいとも簡単にバキバキと音を立てると、ひびを広げて行く。
一方でアラインの考えていることを知ったスチュワードは、自分の体が完全に破壊される前に多幸を寄せ集めて自己再生を試みた。読み通りスチュワードの肉体はどんどん再生されていき、これまでの戦闘でついた傷もどんどん直っていく。
ただ一ヵ所、未だにアラインが掴んでいる脇腹の再生速度だけ異様に遅かった。いや、再生速度が追いつかず、ミシミシとひびを作りながら砕けようとしている。
それはアラインの握力がスチュワードの再生速度を上回っており、現在進行形でその体を真っ二つに砕かんとしているということだった。
その果てに待っている結末を予見したスチュワードは弾かれたように全身をビクリとさせると、目論見も計算もなにもない、単純な打撃の殴打をアラインに浴びせかけた。
当然スチュワードを両手で掴み続けていたアラインはガードすることができず、体中に生傷ができあがっていく。それでもアラインは一切手を緩めることはせず、スチュワードを力いっぱい握り潰し続けた。すると再び執事の脇腹からバキリと音が鳴る。
やがてスチュワードは殴打が意味ないことに気づくと、続いて両手の番った爪をアラインの胸や肩に突き刺した。そのまま肉をミンチにするが如く両手を振り回すと、アラインの肉体はたちまち薄く切断されていき、血飛沫が上がった。
それでもアラインは手を離さない。すると脇腹でまたもやゴキンと音が鳴る。
これでも一切手放さないアラインにスチュワードは当惑すると、今度は急所を狙うことにした。スチュワードは右手で両目を貫き、左手で心臓を抉る。
「ヴオオオオォォォォォォォォォォォッ!」
アラインはこれまでで一番手応えのある咆哮を上げた。スチュワードはそんなアラインの反応に確かなものを覚えると、そのまま右手で両目を抉って引っ張る。すると指で串刺しにした二つの眼球がズルリと零れ、眼窩から垂れ下がった視神経がピンと張った。スチュワードは右手を掲げると、思いっきり引っ張って2本の視神経を引き千切る。
なんと残酷な仕打ちだろう。常人であれば痛みに耐えきれず悶絶しているところだ。
にもかかわらず、アラインは未だに脇腹を掴む手を離そうとはしなかった。それどころか痛みを堪えるようにますます手に力を入れる始末である。
本来であればすでに自由の身になっていたはずの自分が未だに拘束されているこの事態に、スチュワードは混乱した。気づけば、さっきあれだけ痛めつけたはずのアラインの体の傷がもう治っている。化け物と化した今のアラインの再生能力によるものだろう。
脇腹もそろそろ限界が近い。次で決めなければスチュワードがダウンするところだ。
スチュワードは一瞬だけ思考する。次はどこを狙うべきか。首は鱗で覆われており切断は難しい。脳は頭蓋が邪魔して、きっとこちらの握力では貫くことも砕くこともできないだろう。
となれば、狙うのは一ヵ所のみ。
スチュワードは左手で抉っていた心臓のところに右手も同時に突っ込むと、肉の壁を鋭い爪で掘り進めながら、アラインの心臓を鷲掴みにした。
「ヴァアアアアアアアアアアアアア!」
再び手応えのある悲鳴をアラインが上げると、スチュワードはついに勝機を見出した。そのまま掴んだ心臓を両手で包み、力一杯握り潰していく。
初めこそドクンドクンと一定の脈を打っていた心臓は、すぐにドクドクと早鐘を打ち始めると、やがて握力で破れた肉の間から血液が垂れ始めた。
スチュワードはこれまでにないくらい握力を込める。すると熟した瑞々しい果実から水分を絞り出すかのように、アラインの心臓からバシャバシャと血液が溢れ出した。
なおも脇腹を掴み続けるアライン。だがそれも次で終わりだった。スチュワードは血の一滴も残すまいと、力の限り心臓をギューッと絞り上げる。
すると、ついに心臓は止まった。それまで手中で早鐘を打っていたそれは完全に停止し、ただの肉の塊と化す。これでこの内臓器官は一切使い物にならなくなったわけだ。
なのに、どうしてだろうか。アラインの脇腹を掴む手から力が抜ける気配が一切ない。それどころか先程よりも握力が上がり、またバキバキと嫌な音が鳴った。
どういうことかとスチュワードは敵を見る。
アラインは絶命していなかった。それどころか耐え難い苦痛を与えたことでより一層活気付き、文字通り命を燃やしてスチュワードを砕かんと躍起になっている。
スチュワードは知らなかった。異形化したアラインが今、眼球が肩や足などいろんなところから出現しているのであれば、心臓の数も増えていたということに。
致命的な音を聞いたのはそのときだった。脇腹から芯のようなものが折れる大きな音が鳴ると、ガクンとスチュワードの上半身が前に倒れる。
その瞬間をアラインは見逃さなかった。アラインは掴んでいたスチュワードの脇腹を、持ち方を変えて、今度は上下に向かって思いっきり引っ張る。
刹那、限界までひび割れていたスチュワードの脇腹は真っ二つに折れると、そのままアラインによって引き千切られて、上半身と下半身の二つに分断された。
アラインは勝利の雄叫びを上げると、下半身を投げ捨て、上半身を床に叩きつける。
下半身を失ったスチュワードの切断面では火花が散り、何本ものコードが垂れ下がっていた。叩きつけられた拍子に部品が飛ぶと、ガシャンと音を立てて散らばる。
なおもスチュワードは上半身だけで動いて、アラインに攻撃しようと手を伸ばす。なるほど、スチュワードも所詮は機械人形であり、核を潰さなければ完全停止しないというわけだ。
しかし肝心の核がどこにあるかわからない。ここまで破壊して動くこと自体予想外であれば、その場所を探している時間もなかった。
そこでアラインが取った行動は、スチュワードを床に叩きつけて、めちゃくちゃに踏み付けることだった。
核の場所がわからなければ、全体的に壊してしまえばいいと。アラインは異形化の影響で強まった脚力で何度も何度もスチュワードの上半身を踏みつける。その度に内部の部品が飛び散り、装甲は割れ、コードが露出する。
やがてスチュワードは数秒と経たないうちにスクラップになると、ついに活動を停止した。アラインは敵の沈黙を確認すると、すぐにユウの方に向く。
未だにバタフライ効果の影響でそこら中から爆発が起こっている中、ユウが軟禁された部屋はすでに発射台に装填されていた。気づけばカウントダウンも一分を切っており、もう他のことをしている時間がない。
アラインは急いで球状の部屋に駆け寄ると中を覗く。そこには両足が切断されたユウがこちらに這いずっている姿があり、アラインを見つけて声を荒げていた。
「アライン! もう駄目、時間が……っ!」
もう時間が残り少ないことに絶望してユウが諦めの声を上げる。しかしアラインは諦めていなかった。確かに時間は残り少ないが、全部なくなったわけではない。
アラインはユウを閉じ込めている檻を掴むと、腕力で鉄格子を歪めた。一方でアラインの意図を察したユウは、床を這いずってアラインのもとへと近づいて行く。
その間にアラインは人一人が通れるくらいに鉄格子を開くと、中に閉じ込められているユウに向かって手を伸ばした。ユウも一生懸命床を這いながらアラインを目指して手を伸ばす。
アラインが背中に衝撃を受けたのはそのときだった。ドスンという音とともに物凄い力で体が前に押される。アラインの体は鉄格子の中を通って球状の部屋に転がった。
倒れた瞬間、アラインは鉄格子の方を振り返る。そこには先ほど破壊したスチュワードの下半身の姿があり、アラインに突進したときの姿勢のままで床に倒れていた。
カウントダウンが終了したのはそのときである。鉄格子の外側についていた扉が閉まり、強固な隔壁が降りると下半身の姿が見えなくなった。
代わりにガタンと部屋全体がなにかに嵌るような振動がする。
耐え難い重力がかかった瞬間、アラインとユウが閉じ込められた部屋――宙の天秤は月経秤の発射口から放出されると、上空に向かって飛んで行った。




