第39話 バトラー
同時刻。その事件が起こったのは、宮殿に残っていた3体のダースロウたちがユーディスの解放に向けて外に移動しているときであった。
外へと続く通路を歩いていると、それを阻むようにしてバトラーが立ち塞がる。ダースロウたちは歩む足を止めると、バトラーと対峙する形で正面に立った。
『帝王がお呼びです』
『ご同伴願います』
独特な肉声で伝えると、バトラーはダースロウたちを通すまいと構えを取る。しかし他に用事があったダースロウたちはそれには答えず、平坦にあしらった。
「そこを退けバトラー。我々にはやるべきことがあるのだ。帝王には従えない」
1体のダースロウが私用だとバトラーの誘いを断る。けれどもバトラーもそれに従うわけにはいかなかった。なんといっても帝王の命を受けているのだから。
『それは困ります』
『私も帝王の命を受けているので』
「あくまでも引き下がるつもりはない、ということか」
「それが生みの親の命令であってもか?」
ダースロウたちが口々に告げると、しかしバトラーは沈黙で答えた。どうやらバトラーの中では生みの親よりも帝王の方がカーストは上のようである。でもそれは仕方のないことだった。なぜならそのように作ったのはなにを隠そう、このダースロウたちであるからだ。
むしろダースロウたちからしたら、自分たちの設定したように動いているバトラーに満足感を覚えるほどだった。やはり自分たちの傑作に欠陥はないと。だが今はそれが皮肉だった。欠陥がないからこそ、生み出した機械人形が自分たちに牙を剥いている。
『この事態について聞きたいことがあると』
『事と次第によっては……とのことですが』
バトラーは帝王から預かった言伝を伝える。明らかに訳ありな内容にダースロウたちはなるほどと頷くと、お互いに顔を合わせて小さく囁き合った。
「どうやら帝王もこの事態に気づいたようだな」
「無理もない。これだけ盛大に起こっては気づかれるのも時間の問題だった」
「だからと言って、ここで引き下がるわけにもいかないがな」
ダースロウたちがコソコソと喋っていると、その内容を聞いたバトラーが動いた。
『あなた方の様子を見るに』
『ご同伴願いないということでしょうか?』
直球な質問にダースロウたちは体を相手に向けると、白々しく質問を投げる。
「だとしたらどうする?」
ほとんど答えが出たような返事にバトラーは構えを取ると、戦闘態勢に入る。
『無理やりにでも連れて行くだけです』
『それが帝王の命とあらば、なおのこと』
「そうか――では」
ダースロウが返事をするのと、一同が黒装束をはためかせたのは同時だった。
それまで風もなく沈黙していた黒装束の前側が広がると、現れた暗闇の中から無数の因果の糸が網状に放出される。バトラーはそれに反応するとすぐに跳躍してそれらを躱し、空中で体を回転させながらダースロウたちに迫る。
そして一体のダースロウの前に着地すると同時に腹を貫く。
攻撃を食らったダースロウは「ぐっ」と声を漏らすと、大きく体を曲げてその場に膝をついた。まずは一体。次いで二体目を倒そうと貫いた腕を引き抜こうとしたとき、バトラーは異変に気づいた。
引き抜こうとした腕に抵抗を覚える。まるで腕になにかが絡まったような違和感だ。奇妙な感覚にバトラーは何事かと顔をそちらの方に向ける。
引き抜いた腕を絡め取るように、因果の糸が絡みついていた。そこには血痕らしきものはなく、確かに手応えはあったのに、その証拠となるものが存在しなかった。
明らかな異変にバトラーは咄嗟に手を抜こうとする。しかし引き抜けない。腕はまるで重い岩の間にでも挟まれたかのようにビクともしなかった。それでも強引に引っ張りだそうとすれば、ダースロウの体内から伸びた糸がピンと張ってそれを妨害する。
「かかったな」
腹を貫かれたダースロウが呟いたときだった。バトラーに絡みついていた糸は独りでに伸びて行くと、意思を持った生物のようにバトラーの全身を這う。
突如として意思を持った糸に、バトラーはもう一方の自由な方の腕で引き千切ったり振り払ったりする。けれどどれだけ抵抗をしても糸は次々にダースロウの体内から湧き出し、なおも伸び続けてバトラーの全身を侵食していった。
やがて糸はバトラーの全身を包むと、細く鋭い糸の先っぽがミミズの頭のように起き上がる。そしてバトラーの胸部目がけて思いっきり頭突きをした。
尖った先端は容易くバトラーの胸を貫くと、そのまま奥へ奥へと進入して体内からバトラーを凌辱していく。異物の進入にバトラーはビクビクと体を震わせながらも、どうにか抵抗を試みようと依然として同じく糸を引っ張ったり引き千切ったりを繰り返す。
けれどそれも時間の問題だった。やがてバトラーの体内に入った糸は、内臓代わりに動いていた歯車や器官に至ると、ついにその動きを狂わせた。
瞬間、それまで抵抗を見せていたバトラーの動きに変化が表れる。バトラーは途端に引き攣ったように全身を痙攣させると、ぎこちない動きで変てこな踊りをした。
それも数秒。次の瞬間には動きを止めると、電池が切れたように沈黙する。次いでゆっくりと顔を上げると、先ほどまでの殺気を静めてダースロウたちの前に佇んでいた。それはまるで躾の行った従順な獣のようで、まるで敵意が感じられない。
ようやくバトラーの動きが停止すると、それまでバトラーに腹を貫かれて体を曲げていたダースロウが突如ぶわりと気化する。どす黒い煙は再び人型を模ると、そこには無傷のダースロウが何事もなかったかのような井出達で突っ立っていた。そして呟く。
「あくまでもバトラーの生みの親は我ら。ならばその構造も知り尽くしているというもの」
「我らの傑作をけしかけるとは。帝王も愚かなことをしたものだ」
「となれば、当然その報いも受けてもらおう」
先刻腹を貫かれたダースロウがビュッと手刀を振り下ろす。するとバトラーへと繋がっていた糸はたちどころに切断され、何十本もの糸が宮殿の床に落ちていった。
するとバトラーはようやく顔を上げ、ダースロウたちと向かい合った。
「我ら『軸の番人』の配剤に則り、因果律を教導する」
ダースロウはバトラーにそう言うと、怪しげな呪文とともに手を広げた。
瞬間、沈黙していたバトラーの体が宙に浮き、両手を広げて磔のポーズを取る。途端に全身から多幸と薄幸の『流気』が溢れると、電流が流れたように全身を痙攣させた。
◇
薄いカーテンが何重にも重ねられた真っ黒い空間。その先に進むと、やがて巨大な培養槽が目の前に現れた。足を止めると、改めてその培養槽の中身を見る。
デイスは相変わらず声にならない悲鳴を上げており、常に発狂していた。そこには人間らしさも人間性もなく、ただ苦痛に叫ぶ獣の本性が現れているだけだ。
だがそんなこと、今のバトラーには関係のないことだった。バトラーはただ命じられたことをするためだけにこの場におり、それを遂行するために行動に移すだけだ。
バトラーは糸が絡まった体を動かすと、そのまま培養槽の隣にある機械の方へと向かった。それから機械につけられていた端末をカタカタと弄る。
(だ……れ……?)
自我が狂いそうな発狂の中、デイスは訪問者に気づくと問いかけた。しかしバトラーは答えない。ただ自分に命じられたことを遂行するためだけに行動する。
一定の間隔で記憶を消されていたデイスには、バトラーが何者かわからない。当然今バトラーが弄っている機械のことも。しかし生存本能がアラームを発した。
(ダ、メ……それに、触、っちゃ……)
本能的な危機感を覚えると、デイスは自分でもわけがわからぬまま発信していた。それでもバトラーは答えない。ただ目の前のことに没頭し機械を弄り回す。
(お願……い。それは、弄っちゃダメ、なんだ。でないと僕の役目が……やく――)
デイスが発信できたのはそこまでだった。デイスが譫言のように呟いている間に機械の変更を終えたバトラーが準備を終わらせてスイッチを入れると、デイスに衝撃が走る。
デイスは瞼を開けたり閉じたりすると、培養槽の中で溺れかけた。口から大量の泡を吐くと呼吸困難に陥り、苦痛以外の新たな苦しみに藻掻き苦しむ。
(ああ、が! があがががががっがあががっががっがががっがあっが――)
発狂とは違う、未知の感覚にデイスは我を忘れて悲鳴を上げる。デイスはこの感覚を知らない。知らないから怖い。怖いけど、それは……心に平穏をもたらすものだった。
それはデイスの発狂を徐々に静めさせた。苦しみしか知らなかった肉体に初めて無感覚が訪れ、二つ目の感覚を覚えさせる。やがて3つ目の感覚――
途方もない幸福感がデイスを襲った。
(ひぅ――!?)
これまでの苦痛とは違う、思わず口角が上がってしまいそうな体感にデイスは言葉を失う。生まれてこの方その感覚を知らなかったデイスは、今の感情をどう表現したらいいかわからなかった。にもかかわらず、不思議と嫌な感じはしない。
そう、バトラーが行ったのはデイスへの苦痛の遮断と、膨大な幸福の流出だった。
デイスの中での幸福ゲージがどんどん上がる。それと並行して室内が真っ赤に染まりサイレンが響いた。デイスが快楽を体感しているという警告だ。
(あ――――あっ、ああぁあああぁぁあぁぁ)
それまで苦痛の悲鳴しか上げていなかったデイスに変化が表れる。それまで発狂ばかりしていた思念は譫言のようなものを垂れ流すと、ボケたような声を漏らした。
やがてそれは徐々に大きくなると、やがてデイスは口角を上げ――笑い声へと変える
(あーは、あーははは。あーははははあははああははっはははっはははははっはははぁっ!)
その嬌声は、苦痛による発狂と同じくらい狂ったものだった。ともすればそれはある意味では苦痛であり、同時に快楽でもあった。幸福による途方もない快楽の渦。
それはメーターを振り切り、常人では耐え切れないほどの幸福へとデイスを上り詰めさせていく。そのうちデイスは培養槽の中で激しく痙攣し、叫んでいた。
幸福メーターはどんどん上がる。デイスの限界値を超えて。この世のすべての快楽と幸福をこの短時間で体験して、脳は沸騰し精神は別方向へと発狂していく。
そして――
(あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ)
最後に悲鳴とも嬌声とも取れない絶叫を上げた瞬間、デイスの肉体は培養槽の中で勢いよく粉々に爆砕すると、液体は一気に真っ赤な血に染まってデイスを絶命させた。
◇
「――ひゅご!?」
帝王が息を詰まらせたのはデイスが絶命した直後だった。帝王は自分の身になにが起きたのかわからぬまま、ただ全身に走った衝撃に体をビクリとさせて玉座で仰け反る。
力が抜けて行く。肉体的な体力だけではない。体内に内蔵されていた多幸と薄幸までもが萎む風船のように抜けて行き、体の外へと出て行くではないか。
いったい何事かと帝王は目を白黒させる。視界の端に、上方へと舞い上がる灰を見たのはそのときだった。その出所はどこかと帝王は視線でその先を見つめる。
指先が灰となって燃え尽き始めていた。手だけではない肩や膝、全身のあらゆるところが灰となって散り散りになり、徐々に消滅していく。
帝王は恐怖に戦いた。その恐ろしさに思わず叫びだしそうになる。だがそれはできなかった。目の前で徐々に消えて行く自身に目を奪われていたのだ。
そのうち灰の中から、帝王の声にならない恐怖の囁きが漏れてくる。その灰はやがて黒煙となると、宮殿の上方にどす黒い渦を巻いて悲鳴を響かせた。
最後の抵抗に帝王は上方に向かって両手を突き上げる。間もなく着ていた衣服ごと完全な灰となると、宮殿全体に最後の悲鳴が木霊して、帝王は瞬く間に消滅した。




