第37話 VS
スチュワードの攻撃はアラインの腹部を貫かんとする勢いの正拳突きだった。そこを狙ったのは、以前その攻撃でアラインを貫いたときの傷があると踏んだからだ。
だがスチュワードはすぐに違和感を覚える。前回なら抉れたはずの腹部が、今回は貫くどころか手応えすらない。それもそのはず、今アラインの全身は夥しい鱗に覆われ、これまでにないくらいに硬化していたのだから。
そんなスチュワードの呆然を余所に、アラインは自分の胸に穿たれた手首を掴むと、空中で姿勢を変えて、そのままスチュワードを下敷きにする勢いで落下していった。
二人は月経秤の敷地内に落ちると、轟音と砂埃を上げて地面に衝突した。体勢を取れていたアラインとは違い不格好な形で落ちたスチュワードはおかしな格好で地面に叩きつけられると、落下時の衝撃でしばし動けなくなる。
その間にアラインは雄叫びを上げた。すると首にかけていたペンデュラムによって集まってきた薄幸がアラインの身にまとい、ますます獣化が加速する。
アラインは全身を震わせながら両手を上に上げる。その全身は充血したように赤黒く変色し、肌が爬虫類のような鱗になった。長くなった爪はさらに鋭くなり、腕の骨や筋肉が盛り上がると二股になる。パックリ割れた二の腕からは触手が伸び、頭部に人外の目が出現してひとりでに瞬きしてギョロギョロと蠢く。背中からは翼が生え、その付け根から新たに二本の腕が生えた。耳は葉っぱのように大きくなって尖り、尾骶骨からは鱗に覆われた禍々しい尻尾が生える。全体的に皮膚が爆発すると、肉片や体液をぶちまけながら新しい筋肉が盛り上がってアラインの体は一回り大きくなった。
一方で立ち上がったスチュワードは呻きを上げるアラインに肉薄すると、足払いをして脛の骨ごとへし折る。体勢を崩したアラインはそのまま回し蹴りを食らうと月経秤側へと吹き飛ばされ、勢いよく壁に激突してひびを作った。そこに跳躍したスチュワードが膝蹴りを放つと、アラインは体をくの字に曲げて壁に小さなクレーターができる。
けれどアラインは怯まなかった。今や獣化したアラインの肉体は再生能力まで常軌を逸しており、足の骨折など数秒とかからない間に完全回復した。当然おられたときの痛みはあったが、それも獣化による興奮でアドレナリンが大量に分泌されたことで、痛覚などほとんどないに等しい。
それよりもアラインは体が曲がった反動を使ってスチュワードに両手を伸ばすと、相手の両腕を巻き込んで細い腰を掴み、そのまま握力で砕いた。ただでさえ細長いスチュワードの体躯は簡単にへし折れると、おかしな方向に折れ曲がる。
その瞬間にスチュワードの再生が始まり、大量の多幸が周囲に集まってくる。
しかしアラインがそれを許さなかった。アラインはスチュワードを上空へぶん投げると、周囲に集まる多幸をスチュワードから遠ざけた。すると『眸』で視認していた多幸の波も一緒にスチュワードの方へと折れ曲がり、あとをついて行く。
アラインは翼を羽ばたかせると自らも上空へと飛び上がり、敵を追いかける『流気』を追い越すと、宙返りをしながら尻尾でスチュワードに打撃を与えた。
しかしスチュワードもやられっぱなしではなかった。すぐに空中で体勢を立て直すと腕をクロスして尻尾の攻撃を受け止める。その間に『流気』が追いつきスチュワードのひび割れた個所を再生した。
次はスチュワードが攻撃する番だった。スチュワードはアラインの尻尾を掴むと空中でグルグルと振り回し、月経秤に向かって放り投げる。遠心力で加速したアラインの体は月経秤に放られると勢いよく壁に激突した。その間にスチュワードは地面に着地すると、体内から膨大な薄幸を放出する。するとスチュワードにも変化が現れる。
薄幸開放に伴い着ていた衣服が盛り上がると、背後や袖の間からコードの束や、筋肉の塊のようなものを放出した。次いで細長かった全身の至るところが風船のように膨張すると、機械人形の肉体を弾かせながら血液のような液体を撒き散らした。コードの束や筋肉はそのままスチュワードの全身にまとわりつくと、肉体の一部となって強化される。次の瞬間には細かった肢体は盛り上がった筋肉とコードの血管に覆われ、グロテスクな肉の壁の装甲となる。
分厚くなった胸板は深い呼吸を繰り返すと周囲の多幸をたちどころに吸い込み、大量の薄幸を吐き出した。その吐き出された薄幸をアラインが吸い込むことで、アラインの獣化がますます加速する。
アラインは月経秤からスチュワードを見下ろし、スチュワードは地上からアラインを見上げる。双方睨み合う形になると、アラインの体からは莫大な多幸が流れ出し、スチュワードの肉体からは夥しい薄幸が放出される。
互いの『流気』は激しくぶつかり合うと、やがて空間に異常をきたした。虚空で互いに相殺し合っていた『流気』は濃度と密度の限界値を突破すると、やがて空中にプラズマが走る。可視化したプラズマは放電となって周囲に飛び散ると、それまで視覚化できなかった『流気』に色がついてオーラのように周辺を漂った。
たちまち月経秤を中心として『帝冠クラウン』に不気味なオーラが発生する。それまで紫がかっていた空はプラズマを放つオーラによって赤黒く照らされていった。
双方が跳躍したのは同時だった。そして空中で二つの影がぶつかり合った直後、火花が弾けてプラズマの漂う空間に誘爆を起こしていく。
アラインは翼で、スチュワードは放出する薄幸で浮遊すると、空中を超高速で移動しながら殴り合いの激闘を繰り広げた。途端に幸福地帯と不幸地帯にまで漂ったプラズマは各地で弾けると、パレードで盛り上がる街を爆発で満たしていく。
各地で悲鳴や叫びが上がる。だがその絶叫はもはやアラインには聞こえなかった。今はただ目の前の敵を打ち倒すことだけに専念しており、他のことは考えられない。その間にも各地ではバタフライ効果の恩恵による被害が起こっていた。
アラインは因果の糸と、強化された『眸』による先読みでスチュワードの攻撃パターンを予測していた。対するスチュワードも増強された肉体でアラインの攻撃を受けつつ、自らも攻撃に徹する。
当然その被害は月経秤にももたらされた。それまで壮大な外観を保っていた壁はアラインとスチュワードのぶつかり合いにより、たちまちひび割れて崩れ、崩壊する。それまで『帝冠クラウン』のシンボルであった塔はたちどころ穴だらけになり、破壊されていった。
戦いはアラインが優勢だった。薄幸の放出の調節により細かい動作が必要とされるスチュワードと違って、翼の生えたアラインは空中戦では有利だった。
それをスチュワードも悟ったのだろう。しばらく空中戦に興じていたスチュワードはやがてアラインを意図的に月経秤の方へと吹き飛ばすと、自らもそこに突っ込んで月経秤内へと入って行った。狭いところなら翼も使えないだろうと踏んだのだ。
ところがその戦法はアラインに有利に働くこととなる。アラインは自分が月経秤の中へと誘われたことを確認するや、即座に因果の糸を伸ばして月経秤の廊下中にワイヤートラップを張り巡らせた。
スチュワードがそれに触れると、多幸の『流気』がスチュワードの吐き出す薄幸と反応して爆発が起こった。それでもスチュワードが強引に前に進もうとすれば、その度にワイヤーに引っかかり爆風が起こる。
それはアラインによる時間稼ぎだった。というのもアラインは、スチュワードと戦うことよりも他に、優先しなければいけないことがあったからだ。
ユウが宙の天球によって打ち上げられるまでの残り時間のことだ。
打ち上げられるまでの具体的な時刻はわかっていない。アラインがダースロウから聞かされたのは、とにかく聖儀祭の終わりまでには必ず打ち上げられるということ。そのためスチュワードの相手ばかりをしている暇もなかったということだ。
スチュワードによって月経秤に吹き飛ばされたことはラッキーだったとも言えるし、狙い通りとも言えた。なぜならこの結果はアラインの先読みによる賜物であるからだ。
ユウの居場所はわかっていた。というよりも見えていた。それは獣化によって常に発動状態にあった『眸』によって、月経秤内にある明らかに異常な大きさをした多幸の塊が見えていたからだ。アラインはそれをユウ以外で見たことがない。
アラインはユウのいるところへと急ぎながら、片やスチュワードとの距離をできるだけ開けるために因果の糸によるワイヤートラップを仕掛ける。
しかしその罠をスチュワードは、一瞬の怯みだけを見せて次々と掻い潜ってきた。それでもないよりはマシだった。トラップを仕掛けていなければ、地上では絶対に足の速いスチュワードに、今ごろは追いつかれていただろうから。
いつしかスチュワードは腕を前に突き出し、全身に纏っていたコードと筋肉の装甲をアラインへと伸ばしていた。伸び縮みするその攻撃はアラインの翼を掠り、加速しようとするアラインの飛行をことごとく邪魔する。
それでもアラインは進み続けた。狭い廊下で異形の翼をはためかせ、一方で各地に罠を張りながらとにかくユウのいる方へと突き進む。例え後方でどれだけスチュワードがトラップを強引に突破して来ようとも、決して振り返りはしなかった。




