第36話 機軸への嚮導
聖儀祭11日目の、日付が変わる直前。国民の大半が寝静まり、祭りも一旦は落ち着きを取り戻そうというころ。その影は『帝冠クラウン』の暗躍を開始した。
その影が暗躍を始めた場所はタームの分かれ目。アラインたちが最初に『生贄の門』で通った場所だ。タームを隔てる壁が破壊され、瓦礫の下に『生贄の門』が埋まってしまった左右の二つの分岐点に彼らは陣取っていた。
その影が暗中飛躍していたのは主に『因果歪曲計』が設置されている個所。月桂秤から外側に向かって、とにかくタームの分かれ目に沿って、『因果歪曲計』が仕掛けられているこの世界の端、限界の場所までを範囲として暗躍していた。
薄暗がりの中を暗躍していたのは、アラインの仲間たちであった。
そして彼ら彼女らは誰にも気づかれぬよう、ひっそりと静かに『因果歪曲計』を操作する。聖儀祭初日のときのように。吉凶を調節するネジを限界まで絞って、一方では吉の方へと全振りして、片やもう片方では全力で凶の方へと持っていく。
その結果『帝冠クラウン』の一部、タームを隔てる壁に沿って、見事に一直線のセーフポイントが発生した。だが吉凶の調節はそれだけでは終わらなかった。
両サイドにいた者たちはさらに『因果歪曲計』を絞ると、セーフポイントの濃度をさらに濃くしていく。左右の吉凶をこれでもかとぶつけあい、中和を試みる。
するとセーフポイントに変化が起きた。それまでタームを隔てる壁に沿って出現していたセーフポイントは徐々に吉凶の色をなくしていくと、やがて少しずつ凪いでいく。
凪はセーフポイントを一直線に発生していくと、そのうちに因果の存在しない特殊空間を作っていく。空に複数の花火が打ちあがったのはそのときだった。
月経秤から放たれた花火が、常時紫がかった空を鮮やかな色に照らす。それは祭りの最終日――聖儀祭12日目の開始を告げる合図である。
そして二度目の大地震が『帝冠クラウン』を襲った瞬間であった。
先日のものとは比べ物にならないほどの揺れが『帝冠クラウン』全体を揺るがす。それは瞬間的な揺れではなく、いつまでも続く断続的な揺れだった。
それまで消灯していた各民家では一斉に電気が点き、『帝冠クラウン』は聖儀祭一日目のとき以上に興奮度が高まった。まるで地盤そのものが動いているかのような不自然な揺れに、寝静まっていた国民は強制的に目覚めさせられる。その感覚は当たっていた。
なぜなら今『帝冠クラウン』は、四つのタームに沿って切り裂かれて外側へとスライドし、見事な四等分に分断されていっている最中だったのだから。
突然地面に空いた大きな溝に、近隣に住まう国民たちは直ちにその場から離れて大陸側へと避難した。それとは反対に中心地、月経秤を目指す影の集団が地上にある。
「ついにユーディス解放のときが来た。行くぞ、我が同胞たちよ」
そう静かに呟いたのは、複数いるうちの一体のダースロウだった。
彼らは大陸側へと逃げて行く住民の間を掻い潜りながら、着実な足取りで月経秤へと歩いて行く。その光景は『帝冠クラウン』の各地で目撃することができた。
一方そのころ、四方に別れたタームの狭間、因果が凪で満ちた溝に落ちて行く一つの影がある。フードを被ったその影は溝の底へと消えて行く間際、両タームの岸壁に糸を伸ばして足場を作り、空中に着地する。その人物こそアラインその人だった。
あらかじめダースロウから地面が割れること伝えられていたアラインは、慌てるようなことはなく、落ち着いた様子で漠然と月桂秤を見やる。
底が見えない溝の間。アラインは『眸』を発動し、月経秤の方に向くと因果の糸を伸ばした。たちまち月経秤にまでかかるつり橋を作っていく。それも陳腐なつり橋ではない。足場を何重にも硬め、強固な糸で紡いだ決して崩れない巨大な橋を作り上げていく。
次いで『眸』を発動した目で橋の全体を見やる。そこには海割りの如く左右に飛沫を上げた吉凶の因果が上空高くへと延び、禍々しくも煌びやかな因果の津波を作り出していた。
その光景を含めた月経秤へと至る道こそ、機軸への嚮導。
こうして巨大な橋という足場が完成すると、アラインは機軸への嚮導を渡って月経秤を目指す。その空間には多幸も禍災も存在せず、ただ純粋な凪、無の境地だけが君臨していた。それはセーフポイントとは異なる、吉凶の存在しない真空。
「今助けに行くからな、ユウ――」
呟くと、アラインは懐からペンデュラムを取り出した。それは先日ユウに渡したものであり、ユウから返されたものである。アラインはそのペンデュラムを首にかけた。
そしてギュッと一方向に絞り、不運を少しずつ全身にまとわせた。
変化はすぐに表れた。それまで人間の肌だった部分には鱗が生え揃い、不気味な光沢を帯びていく。目は充血して瞳は縦に割れて獣のような眼光を覗かせた。八重歯は牙へと変わると鋭くなり、切りそろえられていた爪までもが鋭利に伸びて長くなる。
すぐに不快感が全身を襲った。堪え切れないほどの拒絶反応で身震いが絶えない。落ち着き払っていた気持ちはすぐに叫び出しそうになり、鱗の生えた肌を掻き毟りたくなる。
それらの衝動をアラインはどうにか別のものへと転化した。それは怒りだったり、破壊衝動だったりと、とにかくこれから相対するだろう相手への敵意へと変えた。そうすることで自傷願望を上手く制御でき、戦闘モードへと移行することができる。
進むにつれてそれまで平坦であった機軸への嚮導は、徐々に上り坂になると、月経秤の天秤の中心地へと向かって伸びていく。アラインはその道を別段素早く駆け上がるわけでもなく、ゆっくりと確実に獣化しながら登って行った。
間もなくして本来なら月経秤を囲う壁があるべきところを超えて、上空の天秤の支点部分に差し掛かる。そこでアラインは再び因果の糸を放った。
放たれた糸はかまいたちのように月経秤の壁に衝突すると、まるでケーキでも切り分けるかのように壁に穴が開き、瓦礫となった壁の一部がガラガラと崩れ落ちる。空いた穴の奥には宮殿が覗き、清楚で煌びやかな空間が露わになった。
アラインは機軸への嚮導を渡り切ると、歩みを止めぬまま月経秤内へと進入する。
まず初めに目に入ったのは大きな扉だった。その両隣に道が分かれている。アラインは再び『眸』を駆使すると『流気』を読み、自分が向かうべき道を調べた。
月経秤でも『眸』は快調だった。どうやらこの能力が使えないのは壁の周りにいるときだけのようで、壁の外側か内側にいる分には問題はないようだった。
だが『眸』を使う必要はなかった。なぜなら自分が向かうべき道は、真っ直ぐ目の前の扉――謁見の間へと続いていたからだ。
謁見の間から漏れるのは、吉凶二つがない交ぜになった奇妙な『流気』。
アラインはなおも歩行を続けると、謁見の間へと繋がる扉を両手で開ける。目前には塔が立っており、その上には玉座が置かれていた。その玉座に人影を見つける。
玉座に座る帝王と視線が交差する。吉凶二つの『流気』をまとうのは帝王だった。
その視線は冷たく、ネズミでも見るかのような目でアラインを認めたあと、たいして驚いた様子もなく帝王は言った。
「この騒動を起こしたのはお前か」
「……だったらどうだって言うんだ?」
アラインは帝王とは初対面であったが、それでも向こうの服装や雰囲気で相手がどういう立場の人物かはある程度想像がついた。だが、今はそんなことはどうでもいい。
「ユウはどこにいる?」
アラインが乱暴な口調で告げると、帝王はやはり表情を変えず淡々とした口調で言った。
「無礼な奴だな。いったいどこで『倖の神巫』のことを知った?」
アラインは答えなかった。そして落ちるしばしの沈黙。やがて帝王が告げる。
「お前の主人が狙われているぞスチュワード。ネズミを摘まみ出せ」
帝王が命じた直後、アラインは再び月桂秤の外へと投げ出されていた。




