第35話『セシリア』
聖儀祭11日目。アラインの拠点である雑貨店『セシリア』がある街では、あの日厄災が街を襲い、その後大きな地震が起こったあとも、祭りは滞りなく行われていた。
さすがに厄災をもろに受けた周辺地域では経営中止を余儀なくされ、聖儀祭には参加できず、救助活動や修復作業に手を採られ、祭りどころではなかったが。それ以外の地域では今日も何事もなく聖儀祭は続行されており、街はそれなりに華やいでいた。
「まったく。あれだけのことが起きたあとだって言うのに、よく騒げるもんだな」
そんな街の様子を、とある建物の上から眺めながらジルは文句を漏らした。
ジルが建物の上にいる理由は無論、壊れた『因果歪曲計』の修理のためだ。
あの日、スチュワードが街に現れ災害を撒き散らしたとき。スチュワードを翻弄するために限界まで稼働させた挙句、壊れてしまった大量の『因果歪曲計』。ジルはアラインが店を開けると言った日から今日まで、壊れた『因果歪曲計』の修理に取り組んでいた。ジルは仲間たちと分担しながらこの作業を聖儀祭中ずっと行っていた。
「あーこっちも酷え。こりゃ時間がかかりそうだな」
焦げた風見鶏の中を開けて取り付けた『因果歪曲計』を確認すると、ジルはもう何度目かもわからない不満を漏らした。今回も厄介な壊れ方をしており修理に手間取りそうだ。
「ったく、これなんてどうなってんだ? もういっそ新しいのに取り換えた方が早い気がしてくるな、くっそ。えーとここがこうなってて……あれぇ?」
「ここをこうするんだよ」
ジルが『因果歪曲計』の修理に手を焼いていると、かすれた声とともに横から出てきた手が修理すればいい箇所を教えてくれた。ジルはすぐに納得すると、力んでいた眉間を脱力した。
「あ、そっかこうか。ありがとな……って、うわぁ!」
振り返りながらお礼を言いかけて、ジルは驚きの声を上げる。そこにいたのは、全身血塗れの包帯に身を包んだ者だった。顔はフードに隠れていて見えない。だがほとんど気配を消してジルの後ろに陣取った輩だ、唯者ではないのは確かだった。
ジルは反射的に距離を取って身構える。と、そのとき風が吹いた。街全体を吹き抜けていく風は相手の衣服をバサバサはためかせると、不意にフードが頭から外れる。
頭まですっぽり包帯に巻かれた顔面がジルの目前に晒された。ジルは相手の正体に気づくと、自分の目を疑いつつ、その名前を口にした
「アラ……インか!? お前……!」
ジルが驚いたように言うと、アラインは未だに風でバサバサいうフードを鬱陶しげに抑えながらジルの前に立ち、久しぶりに会った相棒に軽く手を上げる。
「よう、ジル。俺がいない間、こっちは大丈夫だったか?」
◇
アラインの帰宅が拡散されると、それまで『セシリア』で働いていた従業員たちはそれまでの仕事を中断して集まり、アラインの変わり果てた姿に言葉を失った。
「アライン……その姿、いったいなにがあったの!?」
この店の店主の酷い有様を見たカンナは声を張り上げると、ズカズカとアラインに詰め寄ってほとんど事情聴衆のような勢いで聞いた。カンナがそこまで焦るのも無理もないだろう。カンナだけではない、他の従業員たちも今アラインの姿を見て凍りつく。
ほぼ全身に巻かれた包帯。その包帯から滲む大きな血痕。服の上からでもわかるほどの重症の跡。酷く疲れ切った顔にボロボロの衣装。そこには以前までの元気な姿のアラインはなかったのである。
その一方で問われたアラインは、口を割ろうとはせず沈黙を保っていた。その顔からは思案の色が見られ、絶賛言葉を選んでいる最中であることが窺える。
「悪いけど、ちょっとジルと二人きりにしてくれないか?」
やがて口を開いたかと思うと、アラインは事情を説明するのではなく、ジルとの話し合いの場を設けさせてくれと要求した。
アラインの状態が状態なだけに、頭ごなしに拒否するわけにもいかなかった。なにより『因果歪曲計』関係の仲間たちからすれば右腕であるジルを、片やカンナたち普通の従業員からすれば旧友を所望したことに、納得せざるを得なかった。
「っ……わかったわよ。その代わり、話が終わったらちゃんと私たちにも説明しなさいよ」
カンナは不承不承にそう言うと、しかしやはり腹の中では納得していないのか、肩を怒らせながら部屋を出て行った。それに続いて他の従業員たちも部屋をあとにする。
そして最後に残ったのはジルだけになる。そのジルはというと、いよいよこのときが来たかと言わんばかりに息を吐き、真剣な面持ちでアラインと向き合った。
「……それで? きちんと教えてくれるんだよな。今まであったこと全部」
今まで、というのはきっと、この11日間だけのことではないだろう。ユウと出会ってから今日に至るまでに起こったこと、そのすべてを指しているのだ。
それはアラインも承知していた。こんなボロボロになって帰って来て、なにもなかったなんて言えない。だからこうして人払いをして、ジルにだけ残ってもらったのだから。
「ああ、話すよ。これまでの間になにがあったのかを」
アラインも覚悟を決めると、決意に満ちた表情でこれまであったことを話した。
すべて伝えきるのにどれだけの時間を要したかわからない。ただ話している間、ジルが眉を寄せたり、苦い顔をしたりしていた。
すべてを話し終えたのは1時間を過ぎたころだった。細かい箇所は省き、大まかに話したが、これでも大事なところは詰め込んだつもりだった。
そこにはもちろんユウのこと以外にも、アライン自身のこと……アラインの過去を含めた呪印のことも話し、まだ腕に残るその痕を見せた。
自分から呪印のことを話すのはジルが初めてだった。他の者たちが信頼の置けないというわけではなかったが、やはり人前に晒すのは憚られるもの。だから仲間たちを代表してジルを選び、絶対に他の者にはバラさないという約束のもとで教えたのだ。
初めてこの話をしたとき、最初ジルは戸惑っていた。それはそうだろう。長年付き添ってきた仲間がまさか化け物紛いの人物だとは思いも寄らないはずだ。そして安心してもらうために、全身の包帯は呪印を隠すためのカモフラージュであることも伝えた。
アラインから伝えられることはすべて伝えたあと、ジルは休憩もせずにずっと作業をしていた職人みたいに、どっと疲れた表情で椅子の背もたれによりかかった。
「はぁー……なぁーるほどなぁ。そりゃ誰にも話せないわけだ」
あらかた事情を話したあとの第一声は、ありがたいことにアラインの気持ちを汲んでくれるものだった。理解を示してくれたジルにアラインも心の底からホッとする。
「それで、これからどうするつもりだ。そんな形でユウちゃん誘拐されて、まさかこれで終わりってことはないだろ?」
アラインが胸を撫で下ろしていると、ジルが鋭く聞いてきた。当然のようにユウの名を出されると、アラインは机の下でギュッと小さく拳を握る。同時に戸惑いが生じた。
「お前は……反対しないのか?」
「反対ってなにをだよ?」
恐る恐る聞くと、ジルはじれったそうに問い返してくる。ここでなんでもないと首を振れば話はすんなり終わるだろう。だが状況が状況なだけに、軽々しくそんなことはできなかった。ゆえにアラインは自分から拒否されかねないことを聞くことにする。
「ユウを助けることだよ。俺が言うのもなんだが、また先日の災害みたいに危険が伴うかもしれない。大勢の人を巻き込むことになるかもしれないんだぞ。お前たちにだって……多分、これ以上ないくらい迷惑をかける。それでも俺を止めないのかってことだ」
それまで敢えてジルが濁してくれていた部分を、アラインはこれはというほど正直にすべて明らかにした。これにはジルも頭を抱え、「馬鹿正直かよ」と小さくぼやく。
「要するに、自分のせいでまた周囲でなにか起こるのが嫌だと……お前はそれが言いたいんだな? アライン」
ざっくりとだが的確にジルが代弁してくれると、アラインはその通りだと頷く。するとジルは長く大きなため息を吐き、パンと自分の膝を叩くとアラインを指差した。
「お前は一つ大きな勘違いをしてる。あの災害もユウちゃんの誘拐も全部お前のせいじゃねぇ。元はと言えばそのスチュワードとかいう執事が全部やったことだ」
「う、うん。まあ、それはそうなんだけど……」
「二つ目。これからお前がすることで、俺たちに迷惑がかかるかもしれないってところだが……むしろやってくれなきゃ、そっちの方が腹の虫が収まらない」
想定外の反応に思わず「え?」と声が漏れる。するとジルは立ち上がり、言った。
「だいたい考えてもみろよ。俺たちがなにしたってんだ? ただ普通に可愛い従業員を一人雇って、楽しく慎ましやかに暮らしてただけじゃないか。それをどこのどいつだか知らねぇが、執事とかいう変なバケモンが急に現れるや、一方的に俺たちの町を破壊して、帰りたくないって言ってた子を無理やり連れ戻したんだぞ。おまけにうちの店長をこんなボロボロにまでして。こんなの、向こうに一泡吹かしてやらないと気が済まないってもんだろうが!」
ジルは机をバンと叩くと一息で捲し立てた。その勢いにアラインも呑まれてしまい、思わず頷きそうになってしまう。だがどうにかそれをぐっと堪え、急いで待ったをかけた。
「そ、それは感情的になり過ぎだ! もっと冷静になって――」
「冷静になって!」
アラインの言葉を遮ると、ジルはビシッと目の前に指を突きつける。
「考えてみた結果。お前はどんな答えを出したんだ? お前にはその時間があったはずだ。そしてその答えに不満があるなら、どうしてお前はわざわざ俺たちに迷惑をかけるかもしれないと前置きをする? 本当はもう自分の中で答えが出ているからじゃないのか」
「そ、それは……」
「俺が代わりに言ってやるよ。アライン、お前はただ逃げてるだけだ。そしてそんな自分に気づいているから、俺にその逃げ道を塞いでほしいと思ってる。違うか?」
アラインにはわからなかった。自分は冷静なはずだ。冷静だからジルの案に待ったをかけた。けど矛盾も覚える。ならどうして最初からジルに相談を持ちかけたのだと。
やめた方がいいと答えが決まっているなら、わざわざ相談なんてしないはずだ。
「リーダーのお前が決められないなら、副リーダーとして俺が答えを出してやるよ。アライン、これ以上の問答は時間の無駄だ。これ以上お前に言い訳に付きあってる暇はない」
ぴしゃりと言われて、時間の無駄と言われて、アラインは二の句が継げなかった。そして最後に今一度考えてみる。自分がどうしたいのか。今後どうするべきなのかを。
その結果出た答えは――開き直ることだった。
「言いやがったな? 偉そうに好き放題ぺちゃくちゃ言いやがって」
アラインは口元で小さく笑って見せると、チラリとジルを軽く睨んだ。しかしジルはそれを真っ向から受け取ると、同じように見つめ返してくる。
「当たり前だろ。何年お前の相棒をやってると思ってんだ。考えなんてお見通しなんだよ」
憎たらしくも言い返してくる。その挑発、受けて立とうじゃないか。
「もうどうなっても知らねぇからな。最悪、責任は全部お前一人に押し付けたままとんずらこくぞ」
「好きにしろよ。こっちだってお前のいない間、どうにか切り盛りできてたんだ。もうお前だけにおんぶに抱っこじゃない。俺たちだって独り立ちの時期なんだよ。そんなことより早く教えて見ろよ、お前の考えてる今後の方針を」
いい度胸だった。では教えてやろうではないかとアラインは意気込む。自分が今考えている今後の方針と、そのために必要な作業を。
こうしてアラインはジルに自分の考えを伝えた。今回の作戦は前回のときとは違い、広範囲にかけて行うものだったから、細部まで綿密に伝える必要があった。
それを言った結果、ジルは目を見開くと、マジかよと苦笑いを浮かべる。
「おいおい、本当にこれやる気か? いったいどんだけの場所に迷惑かけんだよ」
「心配するな。この事態はどの道、俺たちの意思に関係なく起こること。俺たちはただそれをちょこっと利用させてもらうだけだ。全般的な非はこっちにはない」
「まあ……その通りらしいな。確かにこれは、俺たちにはどうしようもないことだ」
アラインが悪い顔で同意を求めると、ジルもそれに乗っかって笑みを浮かべる。
「決まりだな。決行はいつにする?」
「そりゃもちろん――今からだろ」
二人は悪巧みをするように顔を突き合わせると、同時に立ち上がる。無論、これから仲間たちを呼び、作戦会議をするためだ。それから二人は外に待たせていた仲間たちを部屋に招き入れる。最初で最後の『帝冠クラウン』全域を巻き込んだ作戦を実行に移すために。




