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第33話 宮殿

 聖儀祭10日目の今日、フロード・スィンドゥラーはかつてないほど激怒していた。

 かつてこれほどまでの裏切りに遭ったことがあっただろう。ここまで屈辱的な目に遭ったのは初めてである。いや、今はそんなことを考えていられない。それはすなわちここまで激昂するほどの怒りに震えたことがないという証拠だった。

 とにかくフロードはこの怒りを早く帝王にぶつけようと、肩を怒らせながら宮殿の廊下を足早に歩いていた。目指すは謁見の間。そして今、その扉が目の前に現れる。


「陛下、これはいったいどういうことですか!?」


 扉を開き、開口一番に口を突いたのは有無を言わせぬ怒声だった。

 対する帝王はというと、相変わらず塔の上の玉座にふんぞり返りながら、驚いた様子もなく冷めた表情でフロードを見下ろした。


「なんだ、騒々しい。お前との面会は今日の予定にはなかったはずだが?」

「……なるほど。あくまで白を切るおつもりなら、私の方から言わせていただきます」


 フロードは一旦怒りを鎮めると、しかし相変わらず声には怒気を込めながら、つい先ほどあったことを懇々と語った。


「私は今日予定していたサロンを開こうと、先ほど幸福地帯に赴きました。幸福地帯に行くことは数年ぶりでしたから、私もある程度は様変わりしていることは承知でいったのですが……このような仕打ちはあんまりではないですか?」

「なに、仕打ちだと? いったいなんのことだか」

「いい加減惚けるのはおやめください! では一体どう説明するおつもりですか、今のあの幸福地帯の惨状を!」


 まるで万事問題ないと言いたげな帝王の発言に、フロードは我慢の限界だった。帝王の前であることを忘れると、矜持を傷つけられた怒りで喚き散らす。


「人々が、私の信者を含めたありとあらゆる老若男女が、互いを殺し合い笑顔を湛えているではありませんか! そして言うのです、フロード様、これが幸せになるということなのですねと! 全身血だらけで、半殺しの目に遭いながら、私にキラキラと幸福に満ちた眩しい瞳を向けてくるのです! フロード様、こうして傷つけ合うことが幸福になるということなんですね、これが努力するということなんですねと! フロード様が努力しろと、だから私たちは幸福になるためにこうして傷つけ合っているんです、こうすればするほど幸福ゲージがたまっていく。あなたが言った努力を私たちは日々続けているのですと、人を殺しながら幸福を語るのです!」

「なんだ、つまり暴動が起こっているということか?」


 いまいち要領を得ないと言いたげに帝王が問うと、フロードは首を振る。


「暴動ではありません! 殺し合いです!」

「はっはっは。つまりあれか、聖儀祭で盛り上がってちょっとした小競り合いにまで発展してしまったというだけの話だろう。そんなの放っておけばよい」


 その惨状を見ていない帝王は、面倒臭そうにハエでも払うような手つきで言った。


「陛下はあの惨状を見ていないからそう言えるのです! 本当に人々が目の前で殺し合っているのですよ!?」

「いちいち大げさな奴だな。しょせんは庶民だろう。わずかばかり減ったところで痛くも痒くもないだろうに」


 放置しろという帝王の言葉に、フロードはこれまで生きてきた人生の中で初めて凍りついた。あの冷酷無慈悲なフロードが、である。そして初めて帝王の命に背いた。


「そんなこと……認められません」


 口を出たのは、これまでの自分の価値観や生き様を覆そうとする敵への、精一杯の反撃だった。フロードは自分のプライドのために、初めて帝王を敵に回す。


「こんなの……私の望んでいる幸福の形ではありません。これでは私があの殺し合いをさせたと思われるではありませんか! しかもタームを隔てる壁が地震で破壊されており、それさえも私への賛美に代わっているのです! まるで私の力がそうさせたというみたいに! もう誰にも手の付けられない状態になっているのです!」


 一心不乱に、腹の底で沸々と煮えくり返る怒りをない交ぜにしてフロードは訴える。早く帝王から訂正してくれと、これ以上自分の信者たちに変なことを刷り込ませてしまう状況をどうにかしてくれと。しかし帝王の意見は違った。


「よかったではないか、国民がお前を慕ってくれて。これがお前の求めていた結果だろう」


 事も無げに、望みは叶えられたとでも言うように帝王は言い切った。


「信者が増え、それまで関係なかった一般人までをも巻き込み、一丸となって騒いでいるのだろう? それに加えてすべてお前がやってくれたことだと感謝までしている。一つのタームを丸ごと、いやこのまま行けばタームを超えて波及するやもしれん。お前の名が『帝冠クラウン』全体に、この世界全域に轟く。それのどこに不満がある?」


 前のめりになり、言い聞かせるように語った帝王を前にフロードは口を噤んだ。


「いや……しかし。これでは本当の幸せでは……」

「お前が最初に言ったのではないか。幸せは考え方次第だと」


 帰って来たブーメランが突き刺さったような感覚だった。なおも帝王は語る。


「だったら今回の騒動も、お前のお得意の、考え方で幸せと捉えればいいだけのことだ。なにも難しいことはない。それに異を唱えるのであれば……お前の今までやってきたことは間違いだったというだけのことだ。お前が今まで人々にやってきたのはそういうことだったのだと、醜悪な自分を恥じて悔い改めろ」


 思いもよらぬところからのブーメラン。そこからのポリシーとプライドの否定。それは心の殺人だった。フロードは今、帝王によって心を殺されたのだ。

 だが魂の殺人はまだ終わらない。ここから劣悪な死体蹴りが始まる。


「というか……そもそもわしは、その考え方自体、無理があるものと思っていたがな」


 急に掌を返すように帝王は言うと、ヒットポイントゼロのフロードをなじる。


「よいか、フロード・スィンドゥラーよ。幸せになるのに一番初めに重要なのは基本的な暮らしだ。そしてその基盤を支えるのは資金。よいことだけを見ろとか、そんなことで本当に人が幸せになるわけがなかろう。それはただの洗脳で紛い物の幸福だ。本当に人々のことを思っているなら、辛いと言っている人の言葉を受け入れ、根性論や精神論ではなく金をばら撒けばよかったのだ。努力でどうにかなるのは恵まれた人だけ。そしてお前はその立場だった。だから努力や考え方で幸せになれると勘違いをしてしまったのだろう」


 帝王の言葉を最後に、謁見の間に沈黙が降りる。それはフロードがなにも言い返せなかったということであり、自身を支える人生観を粉々に粉砕されたということだ。


「ぁ……わ、わた、……私、は……」


 フロードは言葉が出ず、それでもなにか言わなければと口をパクパクさせて、言葉にならない言を呪文のように唱えた。それしかできなかった。

 気づくとフロードは謁見の間から出、宮殿の廊下を行く当てもなくうろちょろと歩き回っていた。謁見の間を出た記憶はない。しかし自分は今廊下にいる。

 フロードは今やなにも見えていなかった。上手く立ち回れず壁にもたれかかりながら歩く中、ただぼんやりと虚空だけを見つめ、白と黒に点滅する視界の中でふらふらする。

 そんな調子だから対向者ともぶつかってしまい、相手の持ち物を落としてしまった。


「あ、ごめんなさ……私、前見てなくて――」


 顔を上げるとそこには、酷い火傷で口と顎の下が首と繋がり、歯が剥き出しになった恐ろしい顔面が目前にあった。


「ひぃ!? あ、うわ……っ」


 突然眼前に現れた恐ろしい形相にフロードは思わず叫びを上げると、その場に尻もちをついた。そして自分が今ぶつかったのが、黒装束の者――ダースロウだったことに気づく。

 なぜそんな恐ろしい顔を晒しているのかと後退れば、指になにかが触れる。それを見ると、普段ダースロウがつけている恐ろしい仮面が転がっていた。それはフロードがぶつかったときに、相手から落としてしまったものだ。

 ダースロウは全部で3名おり、そのすべてがフロードを冷たく見下ろしている。


「規則を犯したな」


 凄まじい火傷で喉まで焼かれてしまったかのような、喋りにくそうな発音で仮面を剥がされたダースロウが告げる。その顔はもう黒装束の奥に隠れており、見ることはない。


「我ら『軸の番人(ダースロウ)』の配剤に則り、因果律を教導する」


 ダルダルになった皮膚の垂れ下がる掌がフロードに向けられた直後、5本の指先から糸がたわみ、フロードの全身から糸を吸い取っていく。

 バチンと電気が弾けたのはそのときだった。フロードとダースロウの間で因果が激しく反発すると、ダースロウは吸い取っていた糸を放置して慌てて手を引く。

 途中で中断し、なおかつ咄嗟に手を引っ込めたのがいけなかった。ダースロウが糸を絶たぬまま一気に手を引っ込めたことで、フロードの全身に繋がっていた糸も一斉に引っ張られると、操り人形状態になっていたフロードにおかしなふうに作用する。


「きゃああ!?」


 全身の筋や筋肉が強引に引っ張られるような感覚に、フロードは悲鳴を上げる。

 一方で処刑に失敗したダースロウは一歩後退ると、悔しげな声を漏らす。


「こちらの配剤が弾かれた。因果律を教導できない」

「この女……そうか、奴はバトラーによって加護を授けられた身」

「だから我らの規則を破っても無事でいられたのだ」


 ダースロウは仲間内で口々に説明し合うと、やがて納得した。そのうち仮面を外されたダースロウは仮面を拾い直すと、元の位置につけてフロードに振り返る。


「運がよかったな女。今回は見逃してやる。だが次はないぞ」


 それだけ告げるとダースロウたちは足早にこの場を去って行った。


「痛た……なに、どうしたの私?」


 怪しげな呪文を唱えられたかと思えば、急に弾き飛ばされて、フロードはようやく立ち上がる。しかしそこで違和感を覚えた。立ち上がったときに左右の高さが合わない。視界も斜めってしまい、なにより一つ一つの動作をするときに体に違和感がある。

 いつもと違うことに気づくと、フロードは小さなポケットサイズの鏡を取り出して確認する。だがそこに映った自分の姿を見た刹那、悲鳴を上げた。

 そこに映っていたのは、人形になり損ねた化物の姿だった。

 手足のサイズはすべてバラバラの長さにされ、関節もおかしな方向に曲げられ、変てこな姿に変えられてしまっていた。さらに顔にまでかかっていた因果の糸が引っ張られたせいで、端正だった顔のパーツは眉や目の位置は頬に、口の位置は真横へ、鼻は本来眉のある位置へと、めちゃくちゃな位置へと変更されてしまい、もはや人とはいえない崩壊した表情になってしまっている。


「いや、いやいやいや……いやああっぁぁぁぁ!」


 突然姿を変えられてしまったフロードは一瞬にして我を忘れると、誰かの助けを求めて宮殿内を走りだした。ところが幸か不幸か、今日に限って宮殿内は誰も通りかかることはなく、閑散としている。

 それでもフロードは助けてほしくて走り回った。右も左もわからなくなり、唯ずっと先の方、宮殿の奥深くへと潜っていく。


「どうして……どうして誰もいないの!? 誰か、ああ、誰か助けてぇ!」


 長さの違う足で器用に走り回っていると、やがて駆動音の響く薄暗い空間へと出た。明らかに立ち入ってはならない場所に来ると、それでもフロードは助けを求める。


「誰かぁ! 誰かいないの!? 誰でもいい、誰でもいいから私を助けて……!」


 叫びながら走っていると、やがてフロードは謁見の間以外に、初めて蝶番の付いた部屋らしきものを見つけた。人間に飢えていたフロードは躊躇いなくドアを開ける。

 そこはまさしく部屋だった。なんの変哲もない、人が暮らしているような温かい空間。その中心で床にペタンと座っている人物を見るや、フロードは自分の目を疑った。


「あなた、アラインのところにいた……どうしてここに!?」


 最後にユウを見たのは不幸地帯での城砦内だった。それがなぜ宮殿の、それもこんな奥深くにいるのか。フロードはそんなユウの信じられない姿を発見して声を上げた。一方でユウの方も、突然部屋の外から現れた化け物然としたフロードを見て悲鳴を上げる。


「その声、まさかフロード……さん? でもなんでそんな姿に?」


 ユウがフロードの姿に驚愕していると、フロードも仰天したまま中に入って来ようとする。と、そのとき空いていたドアが閉まりかけた。咄嗟にユウは叫ぶ。


「あ、扉閉めないで! この部屋内側からだと空かないの!」

「え? あ!」


 ユウの指摘にフロードは急いで振り返ると、間一髪でドアを開けたままにした。

 フロードはユウと顔を合わせたことで一旦冷静になると、不意に以前ここを出て行くとき、バトラーが零していた怪しい単語を思い出す。それからジッとユウを見た。


「まさか……あなたが、『(くわ)神子(しんし)』?」

「? なに、それ……私は『(こう)神巫(いちこ)』ではあるけど」

 聞き覚えのない、しかし近しい意味合いの単語にユウは眉を寄せる。


「そう、あなたが」


 フロードはなにかを納得したように一人頷いた。それから一旦深呼吸すると、いつもの落ち着いた表情を取り戻し――懐から護身用の拳銃を取り出す。


「!? なに、それ……」


 明らかに武器の形をした拳銃を見ると、ユウは緊張の走った顔で硬直した。


「ねえ? あなた。確かめたいことがあるから、少しこっちに来てちょうだい」


 優しい声音でフロードはユウを誘う。でもユウには罠であることがバレバレだった。しかしユウも動かないわけにはいかなかった。

 ユウは外の世界の知識に疎いため、拳銃という武器の存在を知らない。だが今こちらに向けられているものが、自分を傷つけるだろうものであることは察していた。

 どういう方法でフロードが自分を傷つけるかわからないが、きっと従わなければ痛い目に遭うだろう。それくらいは勘が働いたユウは、素直にフロードに近づいた。


「あなたのせいで、すべてがめちゃくちゃになった」


 不意にフロードが語る。それでもユウは足を止めない。止めたらいけない気がした。そして至近距離まで近づくと、絶対に発砲を外さないところまで来る。そしてフロードが叫んだ。


「あなたさえいなければ――私もこんな姿にならずに済んだのに!」


 最初は些細なことだった。最初に出会ったとき、ユウが訳知り顔で怪しげなことを言ってから自分に都合の悪いことが立て続けに起き、ユウを怪しいと思った。その感は正しかったのだ。『(こう)神巫(いちこ)』だったとは。すべてがユウのせいに思えた。ユウとさえ会っていなければ、こんな状況に陥ることはなかった。この娘さえいなければ!

 それは単なる八つ当たりだった。でも今はそれでよかった。それで少しでも自分の溜飲が下がるのであれば、腹いせに一人や二人犠牲にしても構わなかった。


 フロードの指が拳銃の引き金にかかる。あとは思いっきり引くだけだった。だがフロードは自分の関節が酷く曲がっていることを完全に忘れていた。その状態で発砲する。

 瞬間、指が引き金を引くと同時におかしな方向に捻じれた関節も同時に動くと、銃弾はユウの頬を掠って後方に飛んで行った。思わぬ誤算にフロードは舌打ちをする。

 ユウは突然フロードの懐に飛び込むと、拳銃を持った手に両手で掴みかかった。


「離しなさい、この疫病神が! あなたさえ、あなたさえいなければこんな……!」


 フロードは自由に扱えない体で全力の抵抗を見せると、関節のねじ曲がった腕や足で力いっぱいユウを叩いたり蹴ったりした。ドアの間で二人はもみくちゃになった。それでもユウはフロードから離れず、拳銃を持った手に口を近づけると、そのまま思いっきり噛みつく。

 フロードは小さく「いたっ」と声を出して脱力すると、ようやく拳銃を手放した。すかさずユウはフロードの手から拳銃を奪い取り、思いっきり遠くに投げる。

 だがまだ安心できなかった。フロードは先程の拳銃同様に、まだどこかに武器を隠し持っているかもしれない。それを今すべて確かめるのは難しかった。

 そこでユウが取った行動は逃げることだった。好都合にも部屋のドアはフロードが部屋に入って来たときに開いたままにしてくれている。ユウはそのままドアをすり抜けて飛び出すと、一気に走り去っていく。


「待ちなさい! あなた! 絶対に許さないわよ!」


 後ろからフロードの呪詛にも似た物凄い叫び声が響く。だがそれもドアが閉まるまでだった。パタンとドアが閉まってしまうと、叫びは消えて一気に静まりかえる。

 それは因果なことだった。フロードがユウと巡り会ったこと。それこそがフロードの命運を分けた因果応報の始まりだったのだ。ユウの幸運体質によって自分が今までしてきたことのすべてが、因果応報となって報いが降り注いで来たのであった。

 それから二度とその扉が開かれることはなかった。

 ユウはただ怯えて行き先もわからぬまま、追っ手に捕まらないように曲がりくねった宮殿の通路を、がむしゃらに走り続けた。

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