第29話 傷心
城砦が崩れ去ってから数時間が経った。傷心して落ち込んで身動きを取れずにいるユウには可哀想だったが、とにかく不幸地帯から一刻も早く離れたかったアラインは、ユウを無理やり奮起させて、移動を開始することにした。
レールは地震でひしゃげていたため、列車が来る望みはなかった。仕方なくアラインたちはレールに沿って徒歩で幸福地帯を目指すことに決めた。
ユウにはとにかく今は時間が必要だった。短い期間の出来事だったとはいえ、心を許した仲間たちを失い、目の前で友人に成り得た者が絶命するのを目撃して、深く傷ついている。このままでいてもユウは落ち込みっぱなしだと思ったアラインは、とにかく体を動かせば少しでも気が晴れるだろうということもあり、歩くことを決めた。
しかしユウが歩けていたのは最初だけだった。時間が経つと友人が絶命した場面を思い出してしまうのか、途中で蹲り顔を手で覆ってしまう。それでもなんとか励まして立ち上がらせるが、それも何度か繰り返しているうちについにユウは立ち上がれなくなった。歩けば気晴らしになると思ったが、事はそれほど単純なものではないらしい。
アラインは仕方なくユウを背負っていくことにした。幸い時間はたっぷりある。12日間の逃避行も半ばに迫り、だいぶこの旅にも慣れてきた。
途中アラインは何度か休憩を挟むと、携帯食料で食事を摂らせたり、ユウの失われた腕の修復に時間を割いた。
改めてみるユウの傷口は、血肉や骨というものはなく、何度見ても綿だけが詰まっているだけだった。しかしそれを、わざわざ聞くような野暮はしない。
ユウの出生については、先刻ダースロウから聞かされたばかりだ。ユウが自分のことについてどれほど知っているかはわからないが、状況的に今は触れていい空気ではない。
ユウの腕の修復は一足飛びにはいかなかった。アラインは10本の指を構えると、それぞれの指先から糸を出し、肩の付け根から順番にユウの体を紡いでいった。
特に関節や骨となる部分には強固な糸何百本も束ねて使い、筋肉や神経に成り得る部分は丁寧に、そして繊細に作っていった。
その様子をユウは、落ち込みながらも目を奪われる様子で眺めていた。そういえば、こうやって目の前で指から糸を出すところを見せるのは初めてだっただろうか。もうすでに呪印や獣化でこちらが普通の人間ではないことはバレているが、そのことについてユウはどう思っているのだろうか。気になったアラインは聞いてみることにした。
「やっぱ変に映るか?」
「え?」
「糸。指から出してるの。この体のことだってあるし……」
アラインが問うと、ユウはしばし考えるように俯いた。やがて「ううん」と首を振る。
「最初に見たときは驚いたけど、でも、アラインがアラインでいることに変わりはないから。今はどうも思ってないよ」
アラインは正直に、ユウのことを優しい子だなと思った。こうしてアラインのコンプレックスについても執拗に触れずに、ただありのままを受け入れてくれる。今が傷心中だっていうこともあったかもしれないが、でもアラインにはそれだけで十分だった。
その一方で腕の修復にも力を注いだ。ただ人形の腕を直すのとは違うのだ。元のように意志を持って動かすことのできる腕を作るには、『因果歪曲計』を作るときと同じくらいに集中力を必要とした。そのため修復作業の進行は少しずつとなり、今回はユウの肩くらいまでの修復に留まった。
その間も、ユウの元気はなかなか戻ることはなかった。やはり仲間を一度に失ったショックは大きかったのだろう。それも事件からそう時間も経っていない。アラインはユウが持ち直すには、もっと時間が必要だと考えた。
しかしそんなアラインの心配は、思ったより早く解決することになった。それは次の休憩時に、アラインが自身の呪印の撤去作業に取りかかったときである。
「うっ……ガアアアアアアアアアアアァッ!」
腹の底から出されたような悲鳴とともに、ゴキッとなにかが折れる音が周囲に響く。常軌を逸した悲鳴にユウはビクリとすると、久方ぶりに自分の意志で体を動かした。
視線の先では、半裸のアラインが、脇腹から突き出た骨を力づくでへし折っていた。
ユウは気づいていたことだったが、アラインの姿は列車で離れ離れになったときに比べて獣化が進んでおり、声を聞かなければアラインだと判断できないほど変容していた。
そんなアラインの身体能力は、また人間の姿だったときと比べて数倍に増したのか、腕力だけで太い骨を容易くへし折れるほどに強化されていたらしい。
それからアラインは反対の脇腹から同じように生えていた骨をへし折り、再び獣のような咆哮を上げた。それから体の他の場所から生えた何本もの異形の骨をへし折ると、その度に絶叫しては、耳を塞ぎたくなるような叫び声を上げる。
「なにしてるのアライン!?」
ユウが正気を取り戻したのはそのときだった。ユウは数時間ぶりに声を出すと、自傷行為を繰り返すアラインに駆け寄り、急いで腕を取って自分を傷つけるのを止めにかかった。
「!? ユウ!?」
ようやく正気を取り戻したかと思えば、突然飛びついてきたユウにアラインは思わず目を見張った。アラインはユウが我に返ったことに安堵する一方で、その腕を振り払う。
「離せユウ! これは必要なことなんだ!」
言いながら空いていた方の手で、鱗に覆われた顔の皮膚を破る。勢いよく破り裂いたせいか鮮血が周囲に飛び散り、ユウの顔を汚した。生温かな温度にユウは一層叫ぶ。
「自分を傷つけるなんてダメだよ! お願いだからやめて!」
「ウワアアアアアアアアアアアアアアァァ!」
懇願するユウに、しかし汚れていく自身の体が我慢ならなかったアラインは、しがみついてきたユウごと腕を振り回しながら、力任せに触手を毟り取っていく。
ユウがどれほど叫んでも、アラインは自傷行為をやめることはなかった。
骨を折り、肌ごと鱗を剥ぎ、長い爪で触手を切断する。いつの間にか両肩に出現していた目は指で潰し、本来存在しないはずの肉眼を抉り出す。
体の隅々まで覆われた気味の悪い呪印を除去しなければ気が済まなかったアラインは、結局自傷行為を一時間も続けた。必死で止めにかかるユウの制止の声をすべて無視したまま。
そして双方、疲労困憊で地面に膝をついたころ、ようやくアラインの壮絶な自傷行為は終わった。そのころにはアラインの全身は血だらけになり、敗れた皮膚からは肉が剝き出しになり、骨の折れた個所はギザギザに尖っていた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ――」
すべてを剥ぎ取ることはできなかったけれど、一頻り除去作業を終わらせると、アラインは憔悴しきっていた。もはや立っていられずその場に膝をつき、上半身を倒して地面に手をつき、激痛で震える体を支える。
ユウはそんなアラインに後ろから抱き着きながら、すすり泣いていた。
「う、うぅ。ぐすっ……嫌い」
「ハァ、ハァ……ユウ?」
久しぶりにユウが口を利いてくれたかと思うと、そんな拒絶の第一声にアラインは当惑した。それから今までユウにどんな光景を見せていたのかを自覚し、ハッとする。
「わ、悪いユウ! でも仕方なかったんだ。怖かっただろうけどこれは必要なことで――」
「嫌だ! やだやだやだやだやだ、聞きたくない! アラインなんか嫌い!」
「ユウ!」
癇癪を挙げて泣くじゃくるユウを、アラインは咄嗟に抱き締めた。
抱き締めた理由としては、呪印まみれの体を見られたくなかったのもある。だが一番の理由は、今のユウにこれ以上ショックな光景を見せてはいけないと思い取った行動だった。
そんなアラインをユウは片手だけでポカポカ叩く。しかし小さな女の子の腕力はまったくダメージにならず、軽く体に響く程度の衝撃を与えるだけだった。
ユウはしばらくアラインを叩き続けたが、打撃はほんの少しもアラインにダメージを与えることはなく、すべて無駄な足掻きに変わってしまう。それでもアラインはユウを抱き締める手を離さなかった。そしてユウの気が済むまで好きなようにさせた。ユウの殴打は体には響かないが、心には痛いほど響いてくる。
やがて疲れたのか、それとも無駄と悟ったのか、ユウはアラインを叩く手を止めて、抱き締められるがままアラインの胸の中で泣いた。
ユウの変化に気づくと、アラインは優しい声音で「ユウ?」と呼ぶ。しかし返ってきたのは、弱々しい泣き言だった。
「もう、やだよ……誰かが傷つくところなんて、もう見たくないよーぉ……!」
ついにユウは泣き声を上げると、血で体や衣服が汚れるのも構わず脱力し、アラインの胸で号泣した。そして自分の胸の内を言い募り、必死に懇願する。
「お願いだからもうこんな酷いことしないで! もうこれ以上は耐えられないよぉ!」
喉から絞り出せる限りの声量でユウは叫ぶ。それにアラインは、慰めるでも言い訳するでもなく、ただ呆然としながら静かにユウを見つめた。
どのくらい時間が経っただろう。ユウはやがて泣き止むと、アラインの体を押した。それが離れる合図だとわかると、アラインもユウを抱き締めていた腕を緩める。
しばらく二人ともなにも話さなかった。気まずかったわけではない。ただどうすればいいかわからず、だがこれが正しいような気がして、成り行きに任せたのだ。
「ごめん、ユウ。もうユウの見てる前ではやらないよ」
間もなくアラインがそう口約束した。もうしないと言わなかった辺り、自傷行為自体は続けるつもりだろう。言葉尻からそれが読み取れたユウはアラインに聞いた。
「その体の変化は……どうにもならないの?」
「……一応、セーフポイントを辿れば症状も収まる。でも今はとにかく幸福地帯を目指さなきゃならないから、いちいちセーフポイントを辿ってはいられない。でも幸福地帯が近付けばじきによくなる。呪印も、傷の治りもよくなってくるはずだから……」
説明したアラインに、ユウはダメともわかったとも言わなかった。ただ聞かされた事実を聞いて、静かに「そうなんだ」と返事をするだけだった。
アラインは取り敢えずユウが落ち着いてくれたこととに安心すると、それ以上自傷行為をすることはなかった。代わりに体に出現していた潰した目や、二股に分かれかけていた腕を因果の糸で縫うと、二度と開いたりすることがないようキツク縛る。
それからようやくユウに振り替えると、首からかけていたペンデュラムに触れた。
「幸福体質に戻ってる……自分で判断したのか?」
「うん……緊急事態だったから、自分の判断で。ダメだった?」
不安そうに問うてくるユウに、アラインはそっと被りを振る。
「いいや、そのお陰でユウを見つけ出すことができた。今回の判断は正解だ」
「……そっか。ならよかった」
アラインの返答を聞くとユウは口元で小さく笑う。それにアラインも笑みで返した。
ペンデュラムは再び締めて、ユウの幸福体質は抑えておいた。例の如く刺客がいないともわからないからだ。どんなときでも備えておくに越したことはない。
やっとのことでユウが少しだけ明るさを取り戻すと、アラインは不要な服を切り裂いて包帯代わりに巻くと、ユウに手伝ってもらいながら傷口を塞いだ。
応急処置が終わると、二人は再び歩き始めた。
◇
旅は基本的に徒歩でのものとなった。食料はあらかじめ持っていた携帯食料で食い繋いだり、途中小さな町を見つけて必要分を調達したりした。
呪印の除去作業も、ユウが見ていないところか眠ったあとでこっそりやった。やはり自分の体が異形のものに変化していくことは精神的に耐えられるはずもなく、アラインは血飛沫が飛び散るのもお構いなく、無心に自分の体を剥ぎ続けるのだった。
お陰でアラインの全身は包帯でグルグル巻きの状態になった。しかも肌を隠した個所からは乾いた血が付着しているため、フードを被っていなければ不審者に映ってしまう。
一方でユウの腕の修復も、時間を費やした結果、どうにか元の長さにまで修復できた。あとはユウ自身がリハビリをしなくては細部の動きまで再現しきれないが、これで日常生活を送る分には苦労せずに済むだろう。
その腕は傍から見れば、完全に腕の形をした糸の塊だった。因果の糸で紡いでいるためそう簡単に切れたり解れることはないが、それでも引っかかりやすく、取り扱いには注意が必要だから、一応包帯で隠しておくことにした。
二人が幸福地帯に着いたのは地震の2日後、聖儀祭7日目のことだった。
といってもそれは、恐らく幸福地帯に入っただろうという予測でしかない。一応は『眸』を使って『流気』を読み、周囲に多幸の気が流れているのを確認する。
そんなあやふやな状態でしばらく歩くと、やがて街が見えてきた。ここに来る途中にも小さな町はいくつか見てきたが、今度の場所はそのどれよりも大きかった。その規模からして恐らくこのタームの一番端――『生贄の門』がある街だろう。
程なくしてアラインたちは何事もなく街に辿り着く。するとアラインとユウは、すぐに街の熱気に当てられた。いや、熱気以上の異様な空気感に当てられる。
現在が聖儀祭の期間と言うこともあって、やはり住民たちははしゃいでいた。そしてここは地震の影響が少なかったのか、建物もたいして破壊されておらず原形を保っている。
だがそれにしたって、今のはしゃぎようは異常だった。中でも一番異常に目を引いたのが、そこら中で放置されてある数台のパレード車だった。
運転手やキャストたちの姿は見当たらず、その辺にいる住民がパレード車を乗り回したり、上に乗ってはしゃいだりと、祭りと言うよりかは無法地帯に近い盛り上がり方をしていた。
なにか変だ。どこかおかしい。そう感じたのはアラインだけではないようで、ユウも小さく「アライン……」と呟いて、心配そうに服の裾を握ってきた。
念のためにアラインは『眸』で『流気』を読んでみる。見た限り、周囲の環境に異常は見当たらない。しかし周囲の人には異常が見られた。
ここにいる者たちから流れて出ている気が、幸福地帯の住人の気だったのだ。
要するに、こちら側のタームには存在しない真の幸福の者の気をまとっていたのである。
「なんだ!? どうなってるんだこれは?」
「どうしたのアライン?」
声を荒げるアラインにユウが訪ねる。しかしアラインはそれどころではなかった。通常ではあり得ない環境になっていることに驚愕して、軽く混乱する。
「こんなことあり得ない。みんなどうやって――まさか『生贄の門』を!?」
「アライン!?」
突然アラインが走り出すと、ユウも驚きながらそのあとを追った。
アラインは異様な熱気に包まれた街の中を、人や屋台には一切目もくれないまま一直線に突っ切っていく。その行先は、こちらとあちらのタームを隔てる『生贄の門』。
しばらく走っていると、建物の隙間からひびの入った壁の一部が目に入った。それを見て、アラインの想像した嫌な予感が膨らんでいく。
そしてその予感は的中した。アラインはようやく立ち止まると、こちらとあちらのタームを隔てる壁の正面に立ち、愕然とする。
タームを隔てているはずの門は外壁が崩れ、奥から向こうのタームの人々がこちら側に流れて来ていた。
その反対も然り。こちら側のタームにいた者が、あちら側のタームへと流れて行く光景もある。つまるところ、両タームの行き来が可能な状態となっていたのだ。
考えられる理由は一つ。つい先日起こった大地震が原因だろう。それ以外に考えられなかった。あの『帝冠クラウン』全域を揺らす地震なら、この状況にも納得がいく。
恐らく壁が崩れたのは大地震のとき。あれからすでに2日は経っているから、当時は起こったであろう暴動や騒ぎはかなり沈静されていた。その証拠に、今では両タームの行き来がかなりスムーズになっており、誰も慌てたり騒いだりしている様子はない。
「アライン、これって……」
ユウも状況を理解したようで、アラインの対応を見守る。
けれどアラインの目的は変わらなかった。
「……俺たちも行こう」
「本当にこのまま通って大丈夫なの?」
覚悟を決めたアラインの横顔に、ユウは心配げに問いかける。でもアラインの答えは変わらなかった。
「あそこまで門が壊れてちゃ『生贄の門』も機能もしてないんだろう。だからみんな普通に行き来してるんだ。むしろ対価を支払わなくて済んでラッキーくらいに思っておこう」
敢えてポジティブな言葉でアラインは奮起する。そんな様子にユウは困惑しつつも、前を歩き出したアラインに急いで着いて行った。
確かにアラインの言った通り、ここまでの事態になってしまってはどうすることもできない。それは本当のことだった。しかし危惧することが増えたことも確かだ。
これで今まで誰も知らずにいた格差が露わになってしまった。今はまだ物珍しさに観光気分で行き来しているだけかもしれない。だがこのまま幸福地帯と不幸地帯の格差が知られてしまえば、暴徒と化した不幸地帯の者たちが幸福地帯へ雪崩れ込む可能性もある。その流れ込んだ人たちをタームは全員を向かい入れることはできない。それを阻止するために新たな諍いも起きるだろう。
この様子だと、ここ以外の他のタームの壁も壊れて人の行き来が活発になっているかもしれない。そうしたら世界はどうなってしまうのだろうか……。
12年周期の、吉凶を隔てていた壁がなくなった。それがこの世界にどんな影響をもたらすのか、今後この世界はどう変貌していくのか。それは誰にもわからない。
でも、だからこそアラインたちは進むしかなかった。聖儀祭終了まであと5日。それまで本当に来るかもわからない追手から逃げ切り、幸福地帯で身を隠す。当初からの目的は何一つ変わらない。その目的を果たすためアラインとユウは『生贄の門』の先へと進んだ。




