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第27話 城砦

 穴を抜けるとアラインは広い空間に出た。そこはゴミと埃とカビにまみれた汚らしい空間だった。先刻のラシルの花の群生地とは違い、一気に不潔になった環境と空気、なにより鼻が曲がりそうな臭気に、アラインは思わず鼻と口を塞ぐ。


「どこなんだ、ここは……?」


 アラインは鼻を摘まみながら言い、一方で心の奥底では、以前どこかで見たことあるようなデジャブに違和感を覚えていた。見た感じ、昔使われていただろう機械や作業台が並んでいるが、以前は工場だったのだろうか。

 喉元まで出かかったしっくりこない感じに、アラインはしばし周囲を見渡す。なぜか見逃してはいけないような猜疑心に、アラインは試しに今はもう動かない機器に触れてみた。

 刹那、生前の父の顔と、父のいないところで陰口を叩いていた作業員が脳裏に浮かんだ。すると走馬灯のように幼少期の記憶が再生され、当時の光景が鮮明に目の前に浮かぶ。

 そして思い出した。


「まさか……ここは昔、親父が働いていた労働施設か!?」


 ようやく引っ掛かりが取れると、アラインはスッキリした様子で辺りを見回した。今なお揺れが続いているせいで天井から埃が落ちてくるが、今はそんなことどうでもよかった。

 懐かしさと忌々しさの混同する気持ちでしばし眺めていると、すぐ近くで地震に怯えた浮浪者が逃げていくのを目撃した。それも一人や二人じゃなく、たくさんの数だ。

 どうやらこの工場は、今は浮浪者のたまり場となっているらしい。

 部屋の隅に目を移せば、当時労働環境だった時代から放置していた毒物の入ったドラム缶が山のように放置されており、カビで一部に穴が開いて中身が漏れているものもあった。


 先ほど逃げて行った浮浪者を思い出す。全身に怪しげな皮膚の病気が広がっており、体が変形していた。きっとここで生まれたに違いない。そしてどうして、あのようなゆがんだ体に生まれてしまったのかもある程度想像がつく。

 恐らくこの工場の土壌で長年埋め立てられていた汚染された土壌が汚染物質で地上を汚し、その土地で育ったものを食べてしまったのだろう。それ以外にも汚れた空気や環境も起因しているに違いない。そうやって体内に取り入れた化学物質が原因で病気や機能障害を引き起こしたに違いない。もしかしたらここでは公害病も流行っているかもしれない。

 また、逃げて行った人の中には肌の色の違うものも見られた。おそらく大量の移民も受け入れているに違いない。となればここは本当に無法地帯なのだろう。


 先ほどダースロウがユウの居場所は把握していると言っていたが……まさかこの汚染された環境にいるのだろうか。もしそうなら早く見つける必要がある。理由は言わずもがな、今のユウはペンデュラムの効果で幸福体質ではなくなっているからだ。

 こんなときだ。ユウには幸福体質に戻るなとは言っているが、今のような緊急時にはさすがに独自の判断で幸福体質に戻っているかもしれない……果たして今ユウは無事でいるだろうか。

 地上に出た今も地震は収まっていなかった。とにかく凄い揺れで、部屋のあちこちからなにかがぶつかる音や、ひび割れた天井から瓦礫や埃が次々と落ちてくる。なんといっても、初期微動からかなり時間が経っているのに、未だに揺れが収まる気配がない。この凄まじい規模、もしかしたら国全体が揺れているのかもしれない。


 そう考えると俄然ユウの身が心配になった。とにかく今の獣化した姿で人前をうろつくわけにもいかないので、顔に広がった呪印を隠すものを見繕う。体の方は先日盗んだフード付きの羽織があるため必要ない。アラインは適当に布や包帯などを探して顔を隠す。

 そうやって今いる場所から使えそうなものを見繕っていると、アラインは偶然にも懐かしい代物を見つけた。それを見て過去が思い出されると、思わずそれを手に取る。

 見つけ出したのは、当時父がハマっていた自己啓発本の表紙だった。肝心の中身の方は破れてしまっており、表紙一枚しか残っていなかった。


「親父……」


 思わぬところで見つけた父の形見に、アラインは本の表紙を見つめる。著者の名前が載っている個所はボロボロに破れてしまっており、誰の本なのかわからない。

 わからなかったが、取り敢えずアラインはそれを持っておくことにした。一応は父の形見だし、持っていても損はないだろうと考えたからだ。

 やがてアラインは仕度を済ませ、ユウを探す準備を整える。探す方法はもう決まっていた。アラインはユウが幸福体質に戻っていることにかけ、急いで『(ホルス)』を唱える。

 途端に視界いっぱいに、どす黒い因果の流動が見えるようになった。それは不運を孕んだ悪質な流れ。それは不幸地帯に特有の悪循環の象徴だった。

 そんな粗悪な流れの中に、アラインはわずかな幸運な流れを読み取る。


「あっちか!」


 微々たる好機な流動にアラインは弾けるようにして飛び出した。初めて訪れる土地ではあったが、地図がなくとも因果を辿ればすぐに進むべき道がわかる。

 違和感を覚えたのはすぐのことだった。まず一つ、確かに幸運の流れはあるが、ここが不幸地帯に位置するためか、薄幸が濃霧のように漂っているため視界が悪い。そしてもう一つ。大きな福徳の流れと、その前に福徳には遠く及ばない小さな幸運の流れを見出す。

 このまま行けば先に小さな幸運の方にぶつかるが、好都合だった。いったいユウ以外のなに者がこの惨害の運気の中でうろついているのか、確かめる口実ができた。


 始めて訪れる見慣れない道を、もう何度も通っているかのような身のこなしで右へ左へと曲がり、ときに一直線に突き進む。未だ収まらない揺れの中、崩れる天井を躱し、倒れてきた壁を避け、長年『因果歪曲計(ウェザー)』の配置で培ってきた身体能力で一気に駆け抜ける。

 そんなことを繰り返しているうちに、一つ目の目的地であるわずかな幸運に近づいて来た。アラインはスピードを緩めぬまま、直ちに角を曲がってその正体を目撃する。

 角で克ち合ったのは、何人ものガードマンに守られながら道を行くフロードだった。


「うわっ!?」


 思わぬ宿敵にアラインは立ち止まる。一方でフロードはと言うと、アラインの驚きの声を聞くやそちらに目を向けると、包帯の隙間から見える顔を見て目を見開いた。


「あら、あなた……アラインじゃない!」


 一瞬で正体がバレたことにアラインは背筋を凍らせる。まさか一度しか発していない声と、包帯の隙間から見えるわずかな肌と目だけで判別されるとは思っていなかった。それほどフロードの観察眼が長けているということだろう。これには素直に脱帽した。


「フロード、……さん。なんでこんなところに」

「あら……あらあらあら。随分と、まるで私がここにいることが心底心外そうに聞いてくれるじゃない。私がどれだけあなたたちを探していたかも知らないで」


 フロードはわざとらしく悲しげな声を出すと、コロコロとおどけてみせた。

 この様子だと、詳細まではバレていないだろうが、自分たちが原因で『セシリア』の移転の話が白紙になったことは知られているらしい。


「まさか、そのためだけにこの廃墟に訪れた、なんて言いませんよね……」

「そのまさかよ。私はね、帝王自らあなたたちの行方を追うように言われているのよ」

「帝王、だって……!?」


 まさか本当に存在しているかもしれない帝王から直々に狙われているとは思ってもみなかった。その事実にアラインは驚愕した。でもどうして帝王が? 考えられる理由は一つ。

 恐らくユウが関係しているに違いない……。先ほどダースロウも言っていた、ユウを逃がせと。きっとそのことと今フロードがこの場にいることは関係しているのかもしれない。それくらいのことはアラインでも想像ができた。


「それにしても廃墟なんて随分なことを言ってくれるじゃない」


 アラインが驚いていることなど気にしないふうに、フロードは言葉を続けた。


「ここはまだ工場として動いていたころ、私が吸収合併して運営していた工場なのよ。今は移民の受け入れ場として運営しているわけだけども。知らなかったの?」


 帝王に追われていることの事実よりも、アラインにとってはそちらの方が衝撃だった。


「フロードさんが!? ……ここの元責任者!?」


 ここでまさかの事実を聞かされてアラインは完全に思考が停止した。

 だが同時に合点が行くこともあった。

 まだここが営業していた当時、なぜ職場で自己啓発本の類が流行っていたか。父がビジネス書を愛用していたのか。それはフロードが社内に普及させていたからだったのだ。


「あら? あなた……まあまあ、これはまた随分懐かしいものを持ってるじゃない」


 衝撃の事実にアラインがショックを受けていると、フロードがアラインの手に持っているものを見て呟いた。何事かとアラインは手元を見る。

 それは父の形見である自己啓発本の汚れ切った表紙だった。


「懐かしいわぁ。私がまだアマチュアだったころ、私なりに頑張って執筆した本なのよ」


 ドクン、と鼓動が大きく跳ねた。そしてフロードの言葉が脳内で反復する。


(こいっ、今なんて言った? 自分が書いた本だって? この本がまさか……)

「あのころは私も書くことに専念していたから、ここの社員には随分と読んでもらったわ。そのまま営業理念なんかにしちゃったりして、社員にはみんな読んでもらってたのよ」


 フロードは得意気に言うと、まるで偉業を成し遂げたかのように過去の栄光を語った。

 その横でアラインは、途轍もない憤怒で腹の中が煮えくり返っていた。


「……お前、が……」

「えぇ?」

「お前が、こんなものを布教したのか……自分の利益のためだけに……こんなものを!」


 次の瞬間にはフロードに掴みかかろうと一歩前に出ていた。しかしあと一歩というところで及ばなかった。フロードの横にスタンバっていたガードマンに止められてしまう。


「アライン!? いきなりどうしたっていうの!」


 突然自分に牙を剥こうとしてきたアラインにフロードは目を剥いた。押さえつけられたアラインはフロードに掴みかかる代わりに手に持っていた本の表紙をビリビリ破るとそれを投げつけ、足元に落ちた分を怒りが収まらないとばかりに踏みにじる。


「お前のくだらない自分勝手なくそ理屈のせいで! 俺の親父は死んだんだぞ!?」

「死んだ……?」

「こんなくその役にも立たない本なんて作りやがって! ふざけんんじゃねぇ!」


 完全に頭に血が上り、怒髪天を突いていたアラインは、思いつく限りの罵声をフロードに浴びせかけ、心の底から罵った。たったそれだけで激しく息が上がり、アラインはゼーゼーと吐息を荒げながら、今にも泣きだしそうな顔で目を潤ませた。

 愚かしいほど純粋だった父を誑かしたフロードに、アラインは明確な殺意を覚える。

 そんな必死な様子のアラインを見たフロードはと言うと……フッと鼻で笑った。


「馬鹿馬鹿しい……そんな負け惜しみ。弱い人間の言い訳じゃない」


 アラインはフロードの言い草にとてつもないショックを覚えた。

 殺意を通り越して心が凪となる。この心境をどう表現したらいいのだろうか。とにかくひどく血の気が引いて、心にぽっかりと穴が開いた気分だった。


「フロード様、そろそろ急がねば……っ」


 いまだにアラインが呆然としていると、ガードマンの一人がフロードに耳打ちした。地震の揺れはまだ収まっていない。城砦は今にも崩れようとしている。


「それもそうね。早くこんなところ、出ていきましょう」


 フロードは目前で殺意をばら撒いていたアラインがいなかったかのように振舞うと、冷たいほどすぐに気持ちを入れ替えて、避難のために呆然としていたアラインの横を通り過ぎていく。


「ああそうそう、言い忘れてたけどね」


 アラインが立ちすくんでいると、フロードが振り返ってこちらに叫ぶ。


「あなたたちの場所は私の情報網を使って常に感知してるから。どこに逃げたって無駄よ。今は非常事態だから見逃すけど、次はないからそのつもりでいなさい」


 それだけ伝えるとフロードはさっさと行ってしまった。

 今からでも追いかけてぶち殺してやりたいと、この瞬間に何度思ったことだろう。

 だがそれはできなかった。今もなお『(ホルス)』が発動した視界の先で、ユウと思しき幸運の塊が、戸惑ったように立ち往生しているのが窺える。

 苦渋の決断だった。アラインは今にも振り返ってフロードを襲撃したい気持ちをぐっと抑えると、唇を噛み締め、拳を固く握り、それでもユウの下へと走り出した。


 とにかくアラインは走った。走ることだけに集中した。フロードへの怒りをかき消すように。そうしないとフロードへの殺意に飲み込まれそうだったから。

 歯が欠けそうなほどグッと歯噛みし、一心不乱に走っていると、やがて禍福の境がハッキリとしてきた。それはユウの近くまで来たという証拠だ。

 そして角を曲がったときだった。地下へと続く階段で、ユウともう一人の少女が口論しているのが目に入る。そのとき再び大きな揺れがその場にいる者たちを襲った。


 ユウたちの頭上で天井が崩壊したのはそのときだった。ユウの身を案じたアラインは思わず駆け出す。だがその不安は杞憂に終わる。

 アラインが助けに走らずとも、幸運体質のお陰でユウは巻き込まれずに済んだ。

 だが口論していたもう一方の女の子は無事では済まなかった。揺れたときに態勢を崩して後ろに倒れると、そのまま頭上から崩れてきた瓦礫に頭を押し潰され絶命してしまう。

 きっと痛みを感じる間もなく逝ったことだろう。しかしユウの心の痛みは壮絶なものだった。ユウは押し潰された女の子の前に膝をつくと、絶叫に近い声を上げて泣き始めた。


「うわぁあああああああああ!!」


 その絶叫は地震で崩れる瓦礫よりも大きく、あたかもその声量が原因で揺れが起きているのではないかと錯覚するほどに痛々しい叫びだった。

 普段は怒りなど見せたことのない温厚なユウの、今までに見たことのない狂乱状態にアラインは慌ててユウのもとへ駆け寄った。そして目の前に落ちてきた岩の塊を何度も殴り壊そうとする腕を掴み、必死にユウに呼びかける。


「やめろ、やめるんだユウ! もう死んでる! もう助からな――」


 叫びかけて、アラインはユウの片腕がないことに気づいた。

 いつどこで失ったのか。ユウが人形であることを知ったあとだが、失ったとき痛みはあったのだろうかと、様々な考えが脳裏を掠めるが、今はそれどころではなかった。

 いったいユウとその子がどういう関係なのかは知らない。しかし過ぎたことを、彼女の死を悼む時間があるほど今の状況は芳しくなかった。今にも崩れようとしている城砦。今先決なのは、一刻も早くこの場から立ち去ることだ。

 それにもかかわらず、ユウはいやいやをするように激しく首を振ると、珍しく駄々を捏ねながら、首から上のつぶれてしまった彼女の死体にしがみつく。


「嫌だ、この子は置いていけない! せっかくできた友だちなのに! こんな場所に置いていけないよおぉ! アライン助けてよお!」


 ユウは泣き叫ぶと、今度はアラインにしがみついた。そして恨み言を言うように叫ぶ。


「どうしてなの!? 助けられるはずだったのにどうして助けられなかったの! 私今、幸運体質に戻ったのに! どうしてなのおぉ!?」

「違うユウ、運が悪かったんじゃない! むしろユウは幸運だったんだ」


 咄嗟にアラインが叫ぶと、そんな言葉が返って来るとは思わなかったユウは、まるで裏切られたかのような表情で、黒く染まった穴のような目でアラインを見た。


「どうして……? どうしてそんな酷いことを言うの!? これが幸運だったなんて! これのどこが幸運なの!? 誰一人として助けられなかったのに!」

「それは違うユウ! 運が良かったからこそ切れた縁だったんだ!」


 アラインは見た。今は亡き頭の潰れた彼女が死ぬ瞬間。その彼女から溢れ出ていた厄災のオーラを。彼女に関わることで振り撒かれるカタストロフィを。だからアラインは叫ぶ。


「その子は、ユウの運の効力を封印していたから出会った子だったんだ。幸運であれば本来なら出会うはずのなかった子だったんだよ。運がなかったから出会った!」


 その事実を聞くとユウは膝から崩れた。アラインにしがみついていた手を放し、希望をなくした顔で呆然と虚空を眺める。


「運が、よかった? みんな、みんな死んじゃったのに……これが一番いいことだったの?」


 それは問いかけではなく独り言だった。それか、この世に存在するとも知らない神への怒りだったのかもしれない。

 どちらにしてもアラインは放ってはおけなかった。いくらユウの幸運体質があるからとはいえ、この地震の中で無傷でいられるのかは想像できなかった。


「とにかくここから出よう。もうこの城砦は持ちそうにない。いくらお前が幸運体質だからといっても、この地震を収めることはできないだろう。一刻も早く外に出るんだ」


 それからユウを連れ出すのは案外あっさりといった。それはアラインがユウの心を折ったからに他ならないが。そのダメージのせいでユウは立ち上がる力さえなかった。

 だからアラインは仕方なくユウを背負うと、生気を失い脱力したままのユウを背に出口へと走った。この城砦にはまだ幼いころ、住み着いていた過去があるから道は覚えていた。

 アラインが駆け回っている間にも、あらぬ方向へ逃げ惑う住民たちはたくさんいた。しかし今のアラインにはユウを守ることだけで手いっぱいだった。残念だが、彼ら彼女たちを助けることはできそうにない。


 そんな罪悪感にさいなまれている間に、無事アラインたちは城砦の外へと脱出できた。目の前にはごみの大地が広がっており、アラインはなるべく崩れ行く城砦から距離を取るため、道なきゴミ山を、列車のレールが見えるところまで逃げていく。

 後方から凄まじい倒壊音が響いたのはレールにたどり着いた時だった。後方を振り返ると、それまで不安定な形で原形を留めていた城砦が、上の方から砂埃をまき散らしながら崩れていく。


 その振動はアラインたちのいる場所まで響くと、臭気で汚染された突風がアラインたちの間に吹きすさぶ。アラインは飛んでくるゴミ屑や砂埃に目を閉じつつも、以前自分と父が住んでいた城砦が崩れていくさまをじっと見つめていた。

 しばしの間崩れていた城砦は、揺れが収まったあともところどころ崩れて倒壊していったが、やがて不自然な形で収まると、以前とは全く違う方たちで存続した。


「収まった……のか?」


 それ以上崩れることなく沈黙した崩れかけの城砦を眺めると、アラインはようやく一息ついた。無事安全圏まで逃げ果せたことを確認すると、アラインはようやくユウを降ろす。


「ユウ、大丈夫か?」


 アラインはレールに腰を下ろすと、相変わらず無反応なユウに向き直って体調を伺う。

 だがユウの状態はアラインが思っていたよりも深刻だった。これまでに経験したことのないショックで完全に精神が参っており、こちらの声に反応を示さない。

 理由は考えずともわかった。先ほど階段で頭を瓦礫で押し潰された少女のことが原因だろう。

 アラインのいなかった間、ユウがあの場所でどんな人と出会い、どのような暮らしをしてきたかはわからなかった。だがユウの子の様子を見る限り、きっとかけがえのないものをたくさん失ったに違いない。そうでなければこの落ち込みようは説明がつかなかった。


「ユウ……」


 真っ黒に染まった瞳から涙を流すユウのほほに触れると、アラインは優しい声音でその名を呼んだ。しかしユウは反応を示さず、ただ静かに沈黙を貫くだけだった。

 その様子を見たアラインは、しばらくはユウの心情が戻らないことを悟った。どうやらここから先は、ユウを背負って移動するしかないようだ。

 なんにしても、もうこの場所には用はなかった。かといって今すぐ動く体力もここまで逃げるのに必死でかなり消費してしまい、すぐには動けそうにもない。


「なあ、ユウ。お前、どこで片腕を失くしたんだ……」


 試しに話しかけてみる。しかし、やはりユウからの反応はなかった。

 今の獣化した姿のことも、早いうちにどうにかしないとアラインの精神が持ちそうになかった。そのためにもセーフポイントか幸福地帯を目指さなければ。

 取り合えずアラインはユウの隣に座ると、半分以上倒壊した城砦を――かつて自分が生まれ育った故郷を遠くから眺める。そう考えると故郷を失くしたような哀愁を覚え、父との思い出も一緒に崩れ去ってしまったかのような気がして、寂しさすらも感じた。


 しかし結果的にアラインにとってもユウにとって忌まわしい場所にしかなりえなかったこの場所が崩れた去ったことは、今にして思えばこのことですべての厄災の片がついてよかったのではないかという考えに至る。

 なんにしてももう手遅れだった。アラインは考えても無駄だと首を振ると、その厄災のすべてを断ち切るようにため息をついて、横に座る儚げなユウの顔を見る。

 それから静かにユウに寄り添うと、慰めるようにそっと肩を抱くのだった。

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