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第24話 教祖様

 バタバタという足音が外から響くと、その騒々しさでユウは目を覚ました。


(あ、れ……? 私、なんで寝てたんだっけ……――)


 なぜか重い体を持ち上げると、ユウはいつも以上に靄のかかった頭で考える。すると靄の中で自分を捕えるガリブと、怪しい葉巻を吸わせたロトの姿が浮かび上がった。


(ああ、そうか――私、ロトに無理やり変なの吸わされて、それで――)


 体調は芳しくなかったが、眠気の具合から体感で丸1日寝ていただろうことがわかる。とすると、前回から1日経っているから今は聖儀祭5日目か……。

 先に起きていたロトが駆け足で部屋に飛び込んで来たのは、そのときだった


「みんな起きて! 凄い人が来たよ!」


 ユウが目を擦って現在の日にちを予想していると、他に寝ていた者たち――主にアイとリラ、ルン、ブラウが、ロトの大声で目を覚ました。

 それ以外の者たちはすでに働きに出たのか、目の届く範囲に姿はない。


「なに、ロト姉ちゃん……そんな大きな声出してどうしたの?」


 リラがまだ眠い目を擦りながら問う。するとロトは張り切って叫んだ。


「聞いて驚かないでよ。なんと私たちの教祖様がここに来てるんだって!」


 ロトは未だに寝ぼけ眼のリラやルンを起こしつつ、興奮しながら言う。ロトは余程その教祖様とやらをしたっているのか、とても昂った様子で騒いだ。


「教祖様って……いつもロトお姉ちゃんがラジオから信託を受けてるっていう、あの?」


 聞いたのはルンだった。腹の傷はもう大丈夫なのか、起き上がってロトに聞いている。と思ったら傍に置いてあった葉巻に手を伸ばして、ライターで火をつけている。どうやら葉巻を吸うことで痛み止めとしての効果を利かせているらしい。

 そして周りの反応を見る限り、ユウ以外のみんなは教祖様とやらを知っている風だった。

 ルンが言うと、それまで目を擦っていたアイとリラ、そしてブラウが熱に浮かされたように目を輝かせた。今の会話を聞いて完全に目が覚めたらしい。熱に浮かされ恍惚とした表情を浮かべる彼ら彼女らの様子を見ただけで、ロトたちにとって教祖様という者の存在がどれだけ大きなものなのかをユウは悟った。


 ユウがそんなことを考えながらちょっとした恐怖を感じている間に、みんな起き上がると部屋の外に向かって夢遊病者のように目的地を目指して歩き始めた。

 その先ではおのおのの場所から信者であろう他の者たちも一斉に同じ方向を目指して進んでおり、もしかしてこの建物に住んでいる住民全員が、その教祖様とやらを一目拝むために向かっているのではないかと思うほどの人数だった。


「ほら、ユウも早く!」


 人々が一様に希望を湛えた表情で異様な熱量で一斉に歩き出していく中、教祖様の存在を知らなかったユウは一人置いてきぼりで呆然として動けないでいた。

 そんなユウを急かすようにロトがこちらに手を伸ばす。その顔はこれまで見た中で一番輝いており、ここでの貧しい生活や酷い仕打ちが全部嘘かのように満面の笑みを浮かべていた。

 まるで光の先へ誘ってあげるよとでも言っているかのようなその手を、ユウは自然と握っていた。途端に引き起こされて立たされると、片方残されたユウの腕を強く握り締めてロトは矢庭に走り出した。


 あまりに突然走り出すものだからユウは途中でこけそうになった。それくらい興奮して周りが見えていないのか、ロトはアイやリラたちを置き去りにして走る。

 道順はわざわざ聞かずともわかった。ここの住民たちが一斉に同じ方向に向かっているから、それを見れば行く先は自ずと割り出されるというものだ。

 ただでさえ迷宮となっている城砦の中を、全員が右へ左へと曲がりながら迷いもなく進んでいく。その様子を見てユウは、どうやら教祖様とやらはロトだけではなく、ここにいる全員からも慕われている存在だということがわかった。


 やがてそれまで駆け足だった足が滞る。前に人が密集して詰まり始めたのだ。同時にそれは教祖の近くまで来たということでもあった。それでも人々は少しでも教祖の顔を見ようと、一歩でも前へと詰め寄っていく。

 ロトもその例に漏れなかった。よほど信仰心が強いのか、すでに人でぎゅうぎゅう詰めになっている密集地帯を、子どもの体躯を生かして狭い隙間を縫いながら進んでいく。

 気づけば後ろの方にアイとリラ、そしてルンとブラウの姿もあった。アイとリラとブラウは、先日の事故で怪我をしたルンを庇いながら進んでいる。

 すると不意に、先頭の方から朗々とした演説が聞こえてきた。


「――なのでこの恵まれた環境にいるあなたたちは、恵まれていない人たちに少しでも持っているものを与えるのです。相手の悪いところばかりを見るのではなく、許す心と長所を見つけることが本当の豊かさに繋がるのです」


 なにやら聞き覚えのある常套句が飛んで来る。それも、なにやら一方にだけ都合のいいような。もしこの場にアラインがいたら、今の演説をこう訳していただろう。

 ――泣き寝入りしろ。お前たちはなにも得ることなく、黙って獣の餌になれ――と。

 しかしユウにはなにを言っているのかわからなかった。なおも演説は続く。


「幸せになりたいなら勉強をしなさい。勉強をして世の中を知るのです」


 ――幸せになりたいなら、バカになって幸福度を下げればいい――


「こちらが搾取したことにより、相手が虐げられて差別され、家畜以下の生活を強いられていたとしても。それで不幸になったのは本人のせいなのです。小さなことに目を向けて幸せを感じようとしないのが悪いのです」


 ――お前たちが報われなくても、未来の子どもたちが幸せになるなら犠牲になるべきだ。お前たちはそれで納得するべきだ。そして未来の子どもたちにも同じように「今のお前たちが報われなくても未来の人たちが幸せに暮らせるならそれは名誉なことだ」と、あたかも今までのことが意味のあったことであるかのように言い、それを永遠に繰り返せ――


「手早く幸せになる方法。それは今ある幸せに目を向けることです」


 ――手っ取り早く幸せになる方法は、不幸になることだ――


「そして一番大切なのは忍耐です。我慢と努力を惜しむ者に幸福は訪れません。」


 ――気持ち良くなったり気分を良くするのではなく、拷問のような耐え難い苦痛を与えたあとに普通の状態に戻ることで、少しずつ痛みを取り除いていく手法――


「なに、これ……?」


 本来なら素直に聞いておけばいい言葉が、別の言に変換されて脳内に響く。その裏に潜む悪質なものや数えきれない矛盾が、演説が響いて来るごとに浮かんでは消える。

 そうこうしている間に、ユウはロトに引っ張られて、先頭にまで来ていた。そしてロトたちが教祖様と呼んで慕い敬う者の顔を、ユウ真は間近で見る。

 フロードはなおも両手を広げ、信者たちの前で演説を繰り広げていた。その横には見覚えのないガードマンが脇を固めており、厳格な面持ちでフロードの周囲を陣取っている。

 途端にユウは絶句する。そしてフロードがこの場にいることが信じられず疑念を覚えた。


(どうして……あの人は壁の向こう側にいたはず。それなのにどうしてここにいるの? それともあの人も、壁の超え方を知っていて、それで――)


 ユウが呆然としている間にも、フロードは演説を続ける。


「あなたたちはすでに、いろいろなものを持っています。大切なのはそれに気づき、大事にしていくことです。ゼロではなく、すでにプラスなのです」


 ――ゼロからではなくマイナスからのスタートにすることで幸福度はグッと上がる。痛みを受けてから普通の状態に戻ることで、日常の小さな幸せとやらに目を向けさせる――


「身近にあるものに気づいてください。なにかあるはずです。そして誰かがそれを欲しがっていたら、躊躇わずに与えてあげてください。そうすればあなたは、もっと素敵なものを手に入れられます。人々の笑顔という、とても尊いものを!」


 ――とにかく幸福度は低く。欲しいもの、本来であれが誰もが与えられて持っているはずのものを、生まれたときからなにもかもをあらかじめ奪っておく。そして少しずつ与えていき、自分は与えられているのだと錯覚させる。彼ら彼女らから搾り取った甘い汁を啜りながら、生まれも育ちも恵まれた人たちの個人的な幸せの価値観を押しつけてやる――


「そんなの間違ってる」


 講和の途中、それを否定する声に誰もが不気味な敵意を込めてそちらを振り返る。

 気づくとユウは、自分でも知らないうちにフロードの言を否定していた。その裏に隠された汚い本音を嗅ぎ取って、その幸福論は間違っていると堂々と宣言していた。

 それは本当の意味での幸福を、人に与え、人から与えられることの意味を知っているユウだからこそ公言できることだった。しかし周囲はそうではない。

 フロードの解く偽りのありがたい声明を妨害され、聞き入っていた人々は厭わしげな視線をユウに送る。その敵意の籠った眼光にユウはたじろいだ。

 ところがフロードはそうではなかった。たちまち周囲から湧き上がる罵声や不満に対して「静粛に」と一声で諫めると、ユウの方を見て丁寧な言葉使いで疑問を投げる。


「あなた、年はいくつ?」


 その聞き方は、相手がユウであることに気づいていない口調だった。ユウとフロードは初対面ではなく前に一度顔を合わせたことがあるのだが、今のユウは頭に頭巾をかぶっており、そして離れた場所にいたため、フロードには気づかれなかった。

 しかしユウはフロードのことを覚えていた。その笑みの裏に隠された汚い顔も。


「年は、ええと……」


 生まれてこの方自分の年齢のことなど気にしたことがなかったユウは、突然年を聞かれて答えることができなかった。それを見てフロードは得意げに口元を歪める。


「ああ、なんて可哀想な子。自分の年齢もわからないなんて。きっとこれまで人の優しさに触れたことも、優しさを与えたこともないのでしょうね。だから本当の幸福を知らないのでしょう。そんなあなたに私から一つ質問です」


 まるで試すように言うと、フロードはユウの顔をじっくりと見ながら、一つだけ問うた。


「教えてちょうだい。あなたにとっての幸福とはなにかしら?」


 問いは単純なものだった。そしてこれまで幸福体質で得をしてきたユウには簡単な質問だった。だからなんの疑いもせずに、考える間もなく即座に答える。


「権利があること。みんなと同じものが手に入って、誰とも区別なく同一のものを――」

「おっほほほほほほほほ!」


 ユウが自分の体験談から論じていると、不意にフロードが高笑いを上げてそれを遮った。それから愛嬌のある小動物に向けるような笑みを浮かべて、やれやれと首を降る。


「ごめんなさい。とても可愛らしいことを言うものだから思わず笑いが込み上げてしまったわ」


 まったく申し訳ないと思っていない様子でフロードは目元に浮かんだ涙を拭った。それから「そうね」と唇に人差し指を当てると、しばし黙考してから唐突に言い放つ。


「30点。……と言ったところかしら。ああ、凹まないでちょうだいね。まだ青いあなたには難しい質問だったわね。ちょっと意地悪をしちゃったかしら?」


 ユウの回答に点数をつけると、フロードは真っ直ぐにユウを見据えて告げる。


「いい? 本当の幸せって言うのはね……自分が幸せだと信じることよ」

「信じること……?」


 ユウはフロードの世迷い言を思わず繰り返していた。


「そう。これはとても大事なことだから、どうかこの場にいるみなさんも一緒に聞いてください。本当の幸せとは、どんな状況に置かれ、どんな待遇を受けても、自分の考え方一つで幸福であると見出せることです。例えばこの環境!」


 フロードは声高らかに全体を示すように手を広げると、先を続ける。


「傍から見たらこの場所は清潔とは言えません。建物も老朽化でところどころ汚れが目立ち、隙間風もあって寒い思いをしていることでしょう。そして食糧面。毎日食べるものにありつくのもやっとで、ときにはひもじい思いをしていることとお察しします。そんなとき幸福な者は、今あるものや自分の置かれた環境に感謝を示すのです」


 フロードはみなが薄々感じていた不満や猜疑心を代弁すると、自分が正義であるかのような眼光で聴衆を見回し、さらに熱量を上げて論じる。


「考えてみてください。あなたたちは本当に不幸な境遇なのでしょうか? 住む場所もあり、なんだかんだ食べるものもあって。それが不幸な境遇? 否! それは不幸とは言いません。少なくとも本来の不幸な境遇というのは、住む場所も食べるものもなく、飢え死にしてしまうことではないのでしょうか。そして考え改めるのです。自分よりも不幸な人は他にもいると。自分よりももっと辛い目に遭っている人はいると。比べてみてください」


 フロードの問いかけに一同は想像した。今よりも最悪な環境を。住む場所も食べるものもなく、飢え死にしてしまうもう一つの未来を。互いに罵り合い、奪い合い殺し合い、そんな環境に慣れてしまった能面で死肉を食らう様を。そして怖気上がって震える自身の体を抱き締めた。


「辛いときこそ比較するのです。今置かれた環境よりもさらに酷い惨状を。そもそも考えてみてください。みなさんはこの世に生まれただけでもラッキーなのです。世の中には生まれる前に死んでしまう子どもや、生まれてすぐに死んでしまう子もいます。それに比べてどうですか? みなさんはこの世に生まれ、酸いも甘いも噛み分けられて生き延びてこられたではありませんか。経験という貴重な財産を手に入れられたではありませんか。それのどこが不幸なのです! むしろみなさんは持っている側なのです。だから――」


 そこでフロードは一旦言葉を切ると、自分に向いた目を見回しながら仕切り直す。


「だから、今度は与える側に回るのです。そして次に、幸せになる習慣を教えましょう」


 そこで再び区切ると、フロードは女神のような表情で全体を見回し、信仰心を煽るように両腕を広げ、心の底から慈悲を与えるように次なる教えを全体に説く。


「例えばここにはたくさんの移民がいます。その人たちは辛い思いをしてここに逃げてきた者たちです。そんな人たちに与えることです。食べ物を。着るものを。暖かい温情を」


 そうフロードが宣告したとき、ユウは人相の悪い何人かの移民が厭らしく口元を歪めたのを確かに見た。そして自分たちにとって都合のいいことを力説するフロードに声援を上げ、全体が賛同しているかのように腕を真上に突き出してアピールする。一方で元からこの城砦で暮らしていた者たちは、もっと移民たちに支援しなければと前向きな決意のもと、自分で考えることをやめた空っぽの眼差しで涙を流す。


「幸せになるためには二つのステップがあります。まず自分が幸せであることに気づき、それを信じること。そして次に自分の持っているものを与えることです。それが幸せになる方法です」

「あなたは与えないんですか?」

「……ええ?」


 嘲笑にも似た声をフロードが出したのはそのときだった。もちろん問いを口にしたのはユウだ。その声には、呆れや猜疑心の混じった色が混ざっていた。

 そしてユウはフロードの身なりを見ながら、さらに問い詰める。


「その高そうな服。それに指に着けてるいろんな指輪にアクセサリー……それを買うために使ったお金は、貧乏な人たちにはあげないんですか?」

「……はーっ。本当にあなたは、世間というものをわかっていないのね」


 反論したユウに、フロードはあからさまに飽き飽きした息を吐いた。


「この指輪や服はね、言わば私の装備なの。世の中にはね、その場に合った身なりをしていないだけで話を聞かない人がたくさんいるの。お葬式なら喪服、結婚式ならドレスって具合にね。私はそういった場で戦うために、演説や公演をするため、私の声を届かせるためにこんな格好をしているの。わかる?」


 まるで自分の格好が、暮らしが、嫌々やっているかのような声音でフロードは宣った。

 ユウは即座に屁理屈だと思った。しかし発言できない。なぜならフロードの目がわずかな怒りに燃えていたからだ。これ以上ツッコめばなにをされるかわからない。

 以前アラインから聞いた助言を思い出す。


『いいかユウ。フロードは自分にとって不利益を被ると思った奴は、どんな手を使ってでも消そうとする奴だ。だから変に目をつけられるようなことはするんじゃないぞ』


 そのことを思い出したからユウはこれ以上の反論は憚られた。そんなユウを見てフロードは自分の勝ちを確信したのか、ようやくご満悦そうな笑みが口元に戻る。


「さすがですフロードさん!」


 会場にわずかな沈黙が流れたときだった。一人の溌溂な声がその場に響く。その聞き覚えのある声音にユウは振り返った。

 横を見ると、すぐ隣にロトがいた。ロトは羨望の眼差しでフロードを見ている。


「あらそう。ありがとう」


 しかしフロードは特に関心を示すことなく、ファンの一人だと思って適当にそう言った。

 常人であれば、そうあしらわれた時点で言葉を続けることはないだろう。ところがロトは違かった。もう一歩フロードに近づくと、なぜかユウの肩に手を置く。


「フロードさんの、自分の持っている者は人に与えよって考え方、とても気に入っています。私も自分よりも貧乏な人たちに少しでもいい暮らしをしてもらうために、普段から募金とか、移民の人に食べ物を分けてあげたりしています。……だから、これもその一つ」


 そのときユウはなにが起きたのかわからなかった。だが一瞬後すぐに察する。

 ロトはユウの頭巾に手をかけると、思いっきり引っ張って取っ払った。まるで自分で見つけた莫大な財宝を見せつけるかのように、ユウをフロードの前に差し出す。

 途端にユウの隠していた銀髪が衆目に晒される。それを見たフロードは息を呑むと、故人にでもあったかのような驚きの表情で目を見開いた。ロトは続けてフロードに告げる。


「だからこれは私からの贈り物です。どうぞこの子をお納めください」


 いつか見た銀髪を目にしたフロードは、ロトがユウの正体をバラしたあとも、しばらく相手が本物のユウであるのを探るような目つきで凝視していた。

 一方でユウは、今も得意げにフロードに尊敬の眼差しを送るロトに問う。


「ロ……ロト? どうして……」

「だってラジオでフロードさんがユウを探してるって聞いたから、それで知ったの。列車の事故で偶然ユウを見つけたときに確信した。その特徴的な銀髪、背丈、性別……一目見た瞬間に察した。ああ、この子がフロードさんの探している子なんだって」


 まるで神様からの贈り物を受け取ったようにロトは言いつのった。


「ああ……ああ、まさか本当に壁を越えて、こんなところにいるなんて」


 ユウがロトに絶句していると、フロードは感激の声を上げてユウを凝視した。


「その子を捕まえて!」


 命令を下したのはそのときだった。ユウはそれと同時に逃げようとする。しかしロトの手にガッシリと肩を掴まれてそれは阻まれてしまった。

 その手を振り解こうとしたユウの体に無数の手がまとわりつき、瞬く間に身動きが取れなくなってしまった。

 ユウは突然自分を裏切ったロトを縋るように見る。だが途端にそのことを後悔した。


「そんな……」


 自分を拘束する手の中には、アイとリラ、ルン、ブラウの姿もあったからだ。


「あらゆる情報網を使って、あなたが壁を越えたことは知っていたわ。列車に乗ったことも、そしてその列車がこの近くで事故に遭ったことも」


 フロードは感慨深げにそう言うと、それから初めてロトのことをまともに見た。


「あなた、名前は?」

「はい、ロトです!」

「そう。ロト、あなたはきっと成功するわ。そして絶対に幸せを手にできる。私が断言してあげる。あなたはとても優れた子よ。心の底から感謝するわ」


 ロトはフロードに感謝を告げられると目を輝かせた。憧れの人に認められ、そして幸せになれると断言されて有頂天になる。その顔は真っ赤に染まっていた。

 一方でユウは今なお足掻いていた。しかし自分を掴む手は一つたりとも緩むことはなく、ガッシリと掴んだまま離さないでいる。

 そんな悪足掻きをしていると、目の前に迫ったフロードが告げる。


「少しお話をしましょうか。二人きりでじっくりとね」


 フロードは演説していたとき以上に嫌な笑みを浮かべると、鋭い目つきでユウを見た。


       ◇


「それで? どうやって私のオンラインサロンを台無しにしたの」


 フロードがそう問うたのは、城砦の外へ向かう道すがらであった。ユウの両脇では屈強なガードマンが陣取っており、ユウの腕を背中に回して拘束している。


「っ……なんのこと?」


 関節を決められて痛む腕に顔を歪めながらユウは抗議した。しかしフロードは聞く耳を持たなかった。むしろユウの返答を聞くと視線を鋭くして厳しい口調で告げる。


「嘘おっしゃい! 私は聞いていたのよ。あの日、あの楽屋で。あなたがアラインと隠語を使って怪しい遣り取りをしていたことを!」


 会話と聞いてユウはピンとくる。そういえば以前アラインにそんなふうのことを言ったような記憶があった。しかしそれはあくまで『因果歪曲計(ウェザー)』のことに対してであって、他に話してはいないが、そして察した、結果的にフロードが言っているのは、ユウの幸運体質のことであることを。

 だがフロードがそのことを知っているとは思わなかった。直接フロードに話した覚えはないし、あのときは隠語で会話していたためバレることはなかったはず。


 それでもフロードの勘が働いたのは、長年の経験で培ってきたものが働いたからだろう。そして奇しくもその勘は近いところまできて、今ユウを追い詰めている。

 しかし、だからといってどう説明したものか。オンラインサロンが潰れたのは自分の幸運体質が発動したからですって? そんなこと常人なら信じられはずがない。それも現実主義者のフロードがまともに耳を傾けるとも思わなかった。

 ではどう答えるべきか。ユウが返答に困っていると、フロードが不意を突く。


「もしかして、あの災害を起こしたのもあなたなの?」

「……っ!」


 偶然にも原因を言い当てられてユウは息が詰まった。しかし直接関与したわけではない。そう自分に言い聞かすと、ユウは苦しい表情で首を降った。


「私は……なにもしていない」


 そうであってほしいと願いを込めて言う。だがフロードには通じなかった。


「本当にそうかしら? 偶然とはいえ、あの騒動が起こったのはあなたが現れてからだったのを覚えているわ。最初に会ったときの意味深な言葉も忘れてないわよ」


 それは以前、アラインに『土地代をどうにかすればいいの?』と聞いたときのことだろうか。もしそのことを指しているなら、それこそ誤解だった。あのときはまさかあんな事態にまで発展するとは思ってもみなかったのだ。


「本当に違う。私はなにも……」


 言いながら、ユウの脳裏には燃え盛る街並みや死にゆく人々の姿など、悲惨な光景が蘇っていた。それを自分のせいじゃないと、本当にそうであってほしいと願いを込めながらユウは奥歯を噛み締める。

 しかしそんな口上、フロードにはすべてお見通しだった。


「ふん、せいぜいそうやって否定していなさい。調べればすぐに証拠が出て来るんですから。なにを企んでるのか知らないけど、警備隊に着き出される前に言った方が身のためよ」

「……そっちこそ、なにを企んでるの?」


 それは苦し紛れの反抗だった。当然その程度の反抗など、フロードには痛くもかゆくもなかった。強いて言えば、この期に及んでまだ噛みついてくるユウに苛つきを覚える。


「あら、なんのこと?」

「なんでロトたちが恵まれていないことを教えないの? あんな、あたかも今の境遇が恵まれているみたいに言って。なにが目的であんな身も蓋もないことを――」

「身も蓋もないですって? よくもまあ、そんなことが言えたものね」


 小さな抵抗のつもりが、思わぬところでフロードに火をつけた。フロードはユウの言い草に目を剥くと、ユウの方を振り返って憤る。


「私はこの方法で人が幸せになると本当に信じてるの。現に私はその方法を試して、効果があることを実感した。だからそれを気づいていない人に教えているだけ。それのなにがいけないって言うの⁉ みんなが幸せになる方法なのよ!」


 まるで逆鱗にでも触れたかのようにフロードは顔を真っ赤にして叫んだ。そこには嘘を言っているような含みはなく、心の底から発していることが窺える。

 ゆえにユウは気づく。フロードは本当にこんな方法で、人が幸せになれると信じていることを。そんなはずないのに。それで幸せになれるのは、最初から恵まれた環境にいる人か、それこそ棚から牡丹餅的な経緯を経た一部の人だけに限られた話なのに。


「――なら、見せてあげる」

「なんですって?」


 不穏な響きにフロードが訝しむのと、ユウが身を捩ったのは同時だった。瞬間、一瞬だけガードマンの手がユウから離れると、ユウは身を翻してフロードたちと距離を置く。

 当然それで逃げられるほど間合いは開いていない。けれどユウにとっては十分な時間稼ぎだった。そのまま自由になった手で首から下がっていたアペンデュラムを掴む。

 途端にガードマンたちがユウを包囲した。それにフロードがほくそ笑む。


「あらあら、鬼ごっこ? でもあなたに勝機はないわよ。さあ、そんなつまらないお遊びは終わりにして、さっさとこちらにいらっしゃい」


 呆れたようにやれやれと首を降りながらフロードは正面に立つ。でもそれでよかった。今この瞬間だけでも、自由の身になれたのなら十分こちらに勝機はある。


「あなたはなにもわかってない。本当の幸福の意味を――だから私が教えてあげる」


 言いながら、ユウは動悸が激しくなるのを感じた。脳裏には以前の凄惨な場面がちらつく。それでもフロードだけは許すことができなかった。

 この、人が自ら不幸に落ちるように詐術を駆使し、無自覚で甘い蜜を吸う最低な女を。


「そんなのあなたに教えられる義理はないわ。さあ、とっととその子を捕まえて」


 フロードはユウの言葉を一掃してガードマンに指図する。それとユウがペンデュラムに手をかけたのは同時だった。次いでユウはフロードに向かって声高々に宣言する。


「ちゃんと見て――これが本当の意味の幸福だよ!」


 叫びながらユウはペンデュラムを一気に回した――幸福体質の制御を解除する方へと。

 刹那、目には映らない果報の飛沫が通路いっぱいにぶちまけられる。たちまちユウの全身から溢れ出した多幸の奔流が全体に広がると、この城砦を幸運で満たした。

 大地震が起こったのはそのときだった。突如突き上げるような大きな揺れが全身を震わせると、城砦全体をグラグラと揺らして、そこかしこの瓦礫を崩した。

 全方向からミシミシと嫌な音が鳴ると、天井から砂埃が降り、たちどころに通路を砂煙で覆う。備え付けられていた電球は激しく点滅すると、一同の姿を何度も消した。


「なに⁉ いったいなにが起こったの――!」


 突如として発生した大きな揺れにフロードは呆気にとられた。ただ一人、この地震の原因が自分であることを知っていたユウだけが、その隙を見て脱兎の如く逃げる。


「あ、待ちなさい――なにしてるのあなたたち、早くあの子を捕まえて!」


 立っていることすらままならない揺れに翻弄されながらも、横目でユウが逃げていくのを見たフロードは即座にガードマンたちに命令した。指示を受けたガードマンたちは大きな揺れに動揺しながらも、ユウを捕まえようと急いで方向転換をする。

 周囲の瓦礫が崩れたのはその瞬間だった。たちまち天井が崩れると、ユウの逃げて行った道をみるみる塞いでいく。

 これにはガードマンも八方塞がりだった。次いで彼らの思考はこの危険な状況を見て、即座にユウの捕獲よりも主の安全の確保へと転換される。

 その結果もたらされたのは、担いででもフロードを外に逃がすことだった。


「ちょっとあなたたち、なにをするの⁉ 放しなさい!」


 ガードマンたちはすぐにフロードの肩を掴むと、強引に背中を押して外へと繋がる通路を走った。それは賢明な判断であり、後にフロードの一命を取り留めることになる。

 城砦全体に放送が鳴ったのは、そのときだった。

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