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第22話 グループ行動

 今が何日だったかわからなかったユウは、ロトから自分がどのくらい昏倒していたかどうか聞いた。ロト曰く、ユウが気絶していたのはほぼ丸1日だったらしい。

 そこから導き出される今日の日付は、聖儀祭が始まってから4日目ということだった。

 先ほど食事をしていたのも一日の始まりだったからだそうで、どうやらロトたちはこれから外に働きに出るらしい。因みにユウはあの吐瀉物のような食事は不衛生でどうしても食べる気にはなれず、ついさっきお爺さんからもらった干し芋を少しだけもらった。


 量としては微々たるものだったが、それでも食べ物があるだけありがたいと思えた。

 しかし、いつもならなにもせずとも無事に食事にありつけるというのに、なぜ今はこんなにひもじいのかとユウは疑問を覚える。それから思い至ったのはすぐのことだった。ユウは先日アラインからもらったペンデュラムを見る。


(そうか。これで私の幸運体質を押さえてるから、私は今こういう境遇なんだ)


 パリィと遭遇した際、アラインからこのペンデュラムを締めるよう指示を受けていたことを思い出す。ユウの幸運体質が抑えられたのはきっとそのときだろう。

 ということは、これを逆に回せばユウは元の幸運体質に戻れるというわけだ。

 だがユウはそれをしなかった。なぜならアラインから事前に、もしものとき以外は幸運体質に戻らぬように言われていたことを覚えていたからである。


 その理由は確か、スチュワードのような者たちに、こちらの動きを察知されないようにするためであった。スチュワードが因果を観測してユウを追って来られたとき同様いるかもしれない敵も同じ手口でユウを見つけないとも限らないためだ。

 ゆえにユウはペンデュラムから手を離す。大丈夫、幸運体質に頼らなくとも、アラインがきっと自分を見つけだしてくれると信じて。


「よしみんな、このあとも元気に働くよ!」


 ユウが一人意気込んでいると、食事の片づけを終えたロトが発破をかけた。


「ユウはここに来て日が浅いからなにをすればいいかわからないよね……。よし、じゃあ今日はルン、アイとリラ、それとブラウたちと一緒にゴミ拾いや水汲みに行ってくれないかな。お願いできる?」

「わかった」


 このグループでのリーダーであるロトがそう告げると、ユウは素直に従った。その返事にロトは満足げに頷くと、それからルンたちに視線をやって指示をする。


「それじゃあ4人とも、ユウをお願いね。なにをするかはそっちに任せるよ。それとユウには――」


 ルンたちに告げたあと、ロトはユウの方を見ると近寄りながら懐を弄る。やがてなにかを取り出すと、それをユウの頭に被せて軽く縛った。


「うん、似合ってる似合ってる。可愛いよユウちゃん」


 なんだろうとユウは頭につけられたそれを触る。それでもユウが首を傾げていると、ブラウが鏡を持ってきてこちらに向けてくれた。

 ユウが被せられたのは、灰色に煤けた頭巾だった。


「これは……?」

「ユウ、珍しい髪の色してるから目立つでしょ? この建物に住んでいる人の中にはそういうの気にする人もいるから、目立たないようにと思って」


 ユウが鏡を見つめているとロトが説明した。納得のいく理由にユウはなるほどと頷く。


「それではロトお姉ちゃんとガリブお兄ちゃんもお仕事頑張ってください」


 なおもユウが鏡を覗いているとルンがそう言った。どうやらグループに別れてからは彼女がリーダーらしい。ルンが相変わらず丁寧な言葉遣いでお辞儀をすると、ロトとブラウは「そっちもね」と言って部屋を出て行った。


「ではユウさん。仕事の説明をするので、私たちに着いて来てください」


 ロトたちが行くと早速ルンが先頭を行く。それにアイとリラ、ブラウも着いて行く。ユウはようやく頭巾から手を離すと、急いでルンたちのあとを追った。


       ◇


 辿り着いたのは外、室内とは別種の異臭とスクラップの散らばるゴミの大地だった。

 外に出るとユウたちはしばらく歩いた。周囲には他の子どもたちもおり、なにやらゴミの中を漁ってなにかを探している。中には大人の姿もあり同じことをしていた。

 どこを見渡してもゴミの山しかない中で、いったいどこに用事があるのだろうかとユウが訝しんでいると、不意にルンは立ち止まる。


「今日はこの辺にしましょう。私はユウさんに仕事を教えるから3人は先に始めてて」


 ルンが指示を出すと、3人はいつもの仕事をこなすように他の人たち同様、ゴミの大地を漁り始めた。ユウはぼんやりとその様子を眺めたあとルンに尋ねる。


「みんななにしてるの?」

「ゴミの中から少しでも価値のありそうなものを探しているんです。ユウさんは私と一緒にやりましょう。まずは私がやってるところを見ててください」


 ルンは手短に説明すると、地面に膝を継いでゴミの山を漁りだした。次いで掘り当てたガラクタをいくつか手に取ると、吟味するように顔を近づけて目を細める。それから価値のあるもの、ないものと右と左により分けていった。

 正直ユウにはより分けられたどれもが同じガラクタに見え、違いがわからなかった。それでも明確な区別があるようで、ルンはどんどんより分けていった。

 しばらくルンを見ていたユウは、しゃがみ込むと見様見真似でガラクタを手に取ってみた。しかしなにを見ても価値を見出せず、一人「うーん」と唸る。

 手元から黒い影が飛び出したのはそのときだった。突然飛び出した小さいものに驚いたユウは「うわっ」と声を出すと、その場に尻もちをつく。


「どうしたの、ユウさ――あ!」


 悲鳴を聞きつけたルンは何事かとユウを振り返ると、小さい影を見て声を上げる。

 小さい影の正体はネズミだった。どうやらユウがしゃがんだところに丁度巣があったらしく、そのあとも2匹、3匹とゴミの中から飛び出してくる。


「アイ、リラ! ブラウ!」


 ルンはすかさず声を大にして3人を呼ぶ。呼ばれた3人は振り返るとルンを見た。


「ネズミが出ました! 捕まえてください!」


 リーダーが叫ぶと、事態を把握すると3人はすぐさま動いた。それぞれ持参していた捕獲用の網を取り出すと、ゴミの上を走り回るネズミを追いかけ回す。


「ユウさんも! 他の人に取られないうちに捕まえてください!」


 呼ばれたユウはいったいなにが起こっているのかわからぬまま、自分は捕獲用の網を持っていないということも忘れ、それでも言われた通りネズミを追いかけた。

 事件が起こったのはそのときである。

 それはブラウがゴミの中にネズミを追い詰め、見事捕まえたときだった。


「よこしやがれクソガキが!」


 そう叫んでブラウを殴ったのは大人の男だった。力仕事で鍛え抜かれた剛腕で、まだ5歳にも満たないブラウの腹を思いっきりアッパーする。

 思いもよらぬところからの攻撃にブラウは避けられるはずもなかった。ブラウは腹にまともに大人の全力の拳を叩き込まれると「カハッ⁉」と胃液を吐き出し、そのままゴミの中をゴロゴロと転がる。しかしネズミは手放さないままだった。

 その執着心が男をさらに苛つかせた。男は地面に転がったブラウに伸しかかると、ネズミを奪おうとブラウの手を掴む。それでもブラウは叫び声を上げながら抵抗を続ける。


「離せってんだよガキが! それは俺が最初に見つけたんだ!」


 ブラウがそれでもネズミを渡さずにいると、男はついにブラウをめちゃくちゃに殴り始めた。小さな少女に伸しかかったまま、馬乗りになって両腕を全力で振り下ろす。


「「やめろおおおおぉ!」」


 そこに叫んで突進したのはアイとリラだった。二人分の体に思いっきり体当たりされると、男は態勢を崩して地面に転がる。


「ブラウ、大丈夫⁉」

「どこか怪我はしてない!」


 アイとリラはすぐに仲間の安否を確認した。ただでさえ痣だらけだったブラウの体には新たな痣ができており、額と口からは血が流れている。


「なにすんだい、この化け物が⁉」


 リラの頭を鉄の塊でぶん殴ったのは女だった。恐らく男の連れなのだろう。


「リラ⁉ うわぁ!」


 リラが体勢を崩すと、体がくっついていたアイも一緒になって倒れた。すると男の仲間と思われる数人の大人たちもそこに集まり、寄って集って3人をリンチし始めた。

 総勢7人の大人が、3人の子どもを鉄で叩き、拳で殴り、蹴り飛ばす。周囲には肉を叩く生々しい音が響き渡り、見るに堪えない醜悪な暴力で小さい体を蹂躙し続ける。


 少し離れた場所にいたユウはその惨状に気づくと、自分よりも小さい者たちが集団リンチに遭っている光景を見て凍りついた。いったい今なにが起きているのかわからず、顔を青くしたままその場に磔になって呆然とする。

 そして心の中で、初めて会ったときなぜ彼ら彼女たちに複数の痣があるのかを察した。

 ここにいる子どもたちは、日常的に大人たちから虐待をされ、今目の前で起こっている悲惨なことを日常的に受けていたのだと。


「やめてぇ! お願いだからそれ以上なにもしないで!」


 そう叫んだのはルンだった。いつもの丁寧な言葉遣いはどこかへ行き、ただ仲間たちを助けようと必死に叫びながら、大人たちの一人に噛みついて懇願する。

 しかし無駄だった。ルンはすぐにぶん殴られると、ゴミの上に転がりながら倒れる。

 どこからか骨の折れる音がしたのはそのときだった。


「うぎゃあああ!」


 短く悲鳴が響く。ユウが見ると、致命的なダメージを受けたアイがおかしな方向に曲がった腕をだらんとさせながら、痛い痛いと泣き叫んでいた。


「な……なにこれ。なにこれ?」


 さっきまでは慎ましくも暖かな笑顔を浮かべていた子どもたちが、今や大人たちから集団でリンチを受けながら、死の瀬戸際に立たされている。その光景はユウの今まで暮らしてきた環境からはかけ離れ過ぎており、この現実を受け止められなかった。


「だ、誰か止めて……誰かぁ」


 ユウは助けを求めようと周囲を見渡す。だがいくら慈悲の目を向けても、周りにいる子どもたちはもちろん、すぐ近くで見ていた大人たちはなにもしないままその場で立ち尽くし、表情のない顔で成り行きを見ているか、知ったことではないと顔を逸らしていた。

 そうやって周りばかり見ているから、ユウは足元で大量のネズミが逃げ出していることに気づかなかった。それを知ったのは近くの大人が「ネズミ」と叫んだときである。

 無責任な声にユウが目を向けると、確かに足の間を大量のネズミの群れが走っていくのを見る。だが走っていたのはネズミだけではなかった。


「ひぇ!」


 もう何度目かわからない悲鳴が再び上がる。だがそれはルンたちのものではなかった。

 今度はなにかと目を向けると、いったいどこから湧き出したのか、一体の糸人形が今まさに3人をリンチしている内の一人の体から糸を引っ張っているところだった。


「うわあ糸人形だ! 逃げろ!」


 誰かがそう叫ぶとその場にいた者たちは、ルンたちがリンチを受けている光景を見たときよりも感情を剥き出しにして慌てふためき、一斉にこの場から逃げ出していった。

 気づくと糸人形の数は一体どころではなかった。そしてユウはなぜネズミが巣穴から逃げ出していたのかを知る。ネズミは不注意で巣穴から飛び出したのではなく、穴の反対側から現れた大量の糸人形から逃げてゴミの上に出て来たのだと。


 今やゴミの大地中には何十体もの糸人形が不気味な笑声を上げながら、人々の体の至るところから糸を引っ張り出し、気が狂ったように半狂乱で駆けずり回っていた。

 ユウは逃げなければという本能が沸くと同時に、助けに行くならば今だと思った。大量の糸人形が沸き出した今、リンチしていた集団は完全にルンたちから離れ逃げ惑っている。

 そんな考えが浮かぶと同時にユウは駆け出していた。今もなお地面に転がっているルンたちを助けるために。だがそこでさらに酷い光景を見ることとなる。


「ひぃ⁉ ああぁ!」


 状況を理解して顔を上げたブラウの目の前。一体の糸人形が彼女たちに目をつけ、じりじりとにじり寄っていた。ブラウは舌のない口から悲鳴にならない声を上げる。

 糸人形は怯えるブラウを見て楽しんでいるのか、ケタケタと不気味な笑い声を上げると、そのまま錯乱したように暴れながらブラウ目がけて飛びかかった。


「ダメェ!」


 今まさにブラウに糸人形が突進をかました刹那、すぐさま立ち上がったルンがブラウの前に出て、彼女を庇うように立ちはだかる。

 瞬間、糸人形がルンの脇腹を掴み、そのままゴミの上に着地して糸を引っ張った。

 途端にルンの脇腹は解かれると、布を解すようにみるみる解かれていき、ルンの腹の中に納まっていた内容物を露出させる。

 出血はなかった。代わりに今なお解けていく脇腹の中から納まっていた腸が零れ落ち、ぬらりとした赤黒い光沢を放ちながらゴミの上に散らばっていく。


 ルンは糸人形に突進されるとゴミの上に倒れた。その間もルンの脇腹は解け続けると、糸の先を持った糸人形が距離を取るにつれて解ける面積も広がり、それこそゴミの山が静かに崩れるように、広がり続ける脇腹から内臓がどんどん零れていく。

 唯一の救いは、その糸人形の逃げる先にユウがいたことだった。

 ユウは咄嗟に向かってくる糸人形の前に立つと、思いっきり糸人形を蹴り飛ばした。

 その際に糸人形は持っていた糸の端を手放し、どこかへと転がっていく。


「ルン⁉ ルン!」


 ユウは急いでルンに駆け寄ると、膝を着いてその状況の酷さに血の気が引いた。腸が全部外に出てしまっている。それ以外の内臓も腸に紛れて流れ出ていた。


「ど……どうしよう。どうしよ……っ」


 助けを呼びたくて、縋りつきたくてユウは周囲を見る。だがそこに救いはなかった。

 なぜなら他の人たちも、ネズミの巣穴から湧き出した大量の糸人形に翻弄され、それどころではなかったからだ。そこかしこで大人も子どもも人形の餌食になっている。

 中にはルンと似たように腰の辺りから解かれてしまった者もおり、内臓をぶちまけながらも這いずって逃げようと努めていた。下半身は完全にその場に放置し、上半身だけで這いずって死に物狂いで逃げようと頑張っている。

 だがそこに数体の糸人形が現れると、たちまち状況は悪化した。人形たちは糸ではなくその者からはみ出ていた内臓に目をつけると、腸を引っ張って引きずり出し始めた。


「ぎゃあああああああああああああああ⁉」


 空を裂くような悲鳴が上がる。それでもなお糸人形は追いかけっこをするように腸を持って駆けずり回ると、一緒に糸も引きずり出してその者を分解し始めた。

 ユウはこの惨状に呆然とすると、すぐにハッとしてペンデュラムに手を伸ばす。


「そうだ、私が幸運体質になればこの状況を――ッ!」


 すかさず幸運体質に戻ろうと、ユウは思い切りペンデュラムを回そうとする。

 刹那、ユウの脳裏に先日の災害時の凄惨な光景が蘇る。

 爆発によって壊れていく街、瓦礫に押し潰されていく人々、泣き叫ぶ子ども、崩壊していく建物、火だるまになって焼死する者、真っ赤に燃え盛る街並み――


「!?」


 先日災害が起こったあと、路上に並べられた死体が思い起こされると、ユウのペンデュラムを回そうとする手はピタリと止まった。


(もし、私のせいでまたあんなことが起こったら――みんなが巻き込まれたら――!)


 途端に逡巡して手が止まる。今以上に恐ろしい事態になることが怖くて、ユウはその場に氷漬けになって身動きが取れず、ガタガタ震えながら閉眼する。

 それがいけなかった。


「ユウちゃん危ない!」


 リラと思しき声が響いてきて、ユウは正面を向く。

 糸人形が横をジャンプしながら通り過ぎていったかと思った瞬間、右腕が飛んだ。

 まるで切断されたように。右腕の肘から下が解かれて、一部が地面に落ちる。

 わずかに半身が軽くなると途端重心がずれ、ユウはその場に尻もちをついた。その目の前には自分の腕が転がっており、握りかけた掌がこちらに向いている。


 ユウは頭が真っ白のまま、それでも「あ、拾わなくちゃ」となにかが頭に命令を出し、無事な方の左手で拾おうと手を伸ばす。

 途端に落ちた右腕に数体の糸人形が集ると、糸を引っ張り始めた。

 みるみる解けて行く自分の右腕に、しかしユウはどうすることもできず、ただただ自分の右腕が解かれて小さくなっていくさまを見ていることしかできなかった。

 そして数秒後。そこにあったはずの腕は、完全に解かれてなくなった。


「あ……あぁ」

「ユウちゃん!」


 呼ばれてハッとした。横を見ると、頭から血を流したリラがこちらに叫んでいた。アイの方は先ほど腕を折られたせいか、青い顔のまま頭と腕をだらんとさせている。


「僕一人じゃルンを運べない! アイも腕がこれだし……だからブラウと一緒にルンを運んでほしいんだ! お願い早く!」

「大……丈夫……」


 リラが半分混乱状態でユウに懇願していると、ルンがそう言った。どうやら意識はあったようで、ゆっくりと半身を起こす。


「ルン、動いちゃダメだ! 内臓が出ちゃう⁉」

「あ、そうか……集めなくちゃ」


 リラに強く指摘されると、ルンは呆然としたまま地面に落ちた内臓を搔き集めてていき、なんとそのまま自分の開いた脇腹にギュッと収めた。

 しかし一度外に出た内臓を仕舞うのは至難の業だった。結果、出鱈目におさめらえた腸は捻じれていたり引っかかっていたりしたが、ルンは気にしなかった。それよりもまた零れてしまわぬよう、腸が食み出た脇腹を両手で押さえる。


「これで大丈夫……です。それよりも、早くここから逃げないと――」


 ルンはもはや頭の働かないユウやリラに代わって冷静に状況を判断した。

 やがてブラウも立ち上がる。殴られたときの痛みがまだ続いているのか、腹を押さえて顔を顰めていたが、どうにか動けそうだった。


「みんな揃いましたね……それじゃあ、一旦拠点に戻りましょう。なるべく速足で」


 状態はどうあれ、なんとか全員命拾いしたことを認めると、ルンはそう言って先頭を行った。今なおどうすればいいのかわからなかったユウは、素直にそれに従って後ろを着いて行く。幸い糸人形は近くにはおらず、他の者たちに襲い掛かっている最中でこちらに注意を向けるものはいなかったので、逃げやすかった。

 その一方で他の者たちを見捨てるという罪悪感がユウの中で芽生えたが、同時に今はそれどころではないことを理解していた。ユウは後方で響く悲鳴や助けを請う叫びに胸を痛めながらも、心を鬼にして自分たちの住処へ向けて歩を進めた。


       ◇


 どうにか住処に戻ると、ルンは途端に膝から崩れ落ちて床に倒れた。

 無理もない、ずっと穴の開いた脇腹から内臓が出ないよう、慎重にここまで来たのだ。それ以外にも内容物が腹の中で絡まったり圧迫されたりする不快感にも耐えてきたことも体力を削った要因と言える。もしかしたら痛みもあったかもしれない。

 続いてアイとリラ、そしてブラウも床に崩れる。よく見れば3人とも体中打撲だらけで鼻血を流しており、口も切れている。もしかしたら体力的に一番余裕がないのはこの3人かもしれない。


 この状況に、ユウはどうしたらいいかわからず当惑した。ルンは大怪我を負っており、アイとリラ、ブラウも先ほどリンチを受けてボロボロで、とてもじゃないが動ける状態じゃない。片腕を失ってしまったが、それでも今この中で一番動けるのはユウだけだった。

 幸い解かれた腕に痛みはない。しかしだからと言って、この最悪の状況を打開する手立ても思い浮かばなかった。


 アイとリラとブラウはさっきのリンチで骨が折れているかもしれない。特にアイは未だに腕がおかしな方を向いており、確実に折れているだろう。それ以外にもあれだけ多くの大人たちから殴ったり蹴られたりしたのだ、もしかしたら3人とも内臓を痛めている可能性もあった。最悪内臓が破裂している、なんてこともあるかもしれない。

 途端にユウは頭の中で「どうにかしなくちゃ」と考える。だけどなにも思いつかない。目の前で自分よりも小さな子が苦しんでいるのになにもできない。その事実はユウに重くのしかかり、途轍もない緊張感を覚えさせた。


(どうしよう、どうすればいい? 早くなんとかしないと。でもわからない。こんなときアラインならどうする? こんなことしてる間にも誰か死んじゃうかも――)


 早く手当をしないと死んでしまうかもしれない。でも応急処置の方法を知らない。誰か助けを呼びたいけどここには信じられる人がいない。こんなことを考えている間にも手遅れになるかもしれない。そんな焦りが頭の中をぐるぐる回る。

 気づけばユウは過呼吸気味になっていた。緊張の糸が限界まで張り詰め、今なお子どもたちが苦しみで喘いでいるのを間近で突き付けられ、己の無力さに憎悪さえ湧く。


「誰か、助けて。お願い。誰か……っ!」


 ついにユウはその場にしゃがみ込んでしまった。目尻に涙を滲ませるとギュッと瞼を閉じ、まるで恐ろしい現実に怯えるように頭を抱え、全身をがくがくと震えさせる。


「みんな!」


 その声を聞いた瞬間、ユウは救世主が現れたかと思った。

 藁にも縋る思いで顔を上げる。そこにはロトがおり、こちらを見ており。走ってきたのか息が上がっており、それでも現状を把握しようとユウたち一人一人に目を凝らした。

 ロトはユウみたいに塞ぎ込まなかった。落ち着いた視線で状況を呑み込むと、すぐに行動に出る。ロトがまず初めに向かった先はルンのところだった。

 切羽詰まった足音が聞えたのはそのときだった。大慌てで誰かが部屋に飛び込んでくる。


「大変だぞ! 外で糸人形の群れが出たって今騒ぎに――」


 現れたのはガリブだった。ロトと同じく走って来たようで肩で息をしている。だがそれも一瞬だった。すぐに部屋に目を移すと、ユウたちを見て息を呑む。


「お前たち、いったいなにが――」

「ガリブ! 丁度よかった、なにか大きな布を持ってきて。早く!」


 ロトは横になったルンの前に膝をつくと、早急にガリブに指示した。ガリブは一瞬「え?」と困惑していたが、すぐに「お、おう!」と返事をすると、来た道を引き返していく。

 その間にロトはルンの状態を見た。そして脇腹に空いた穴に躊躇なく手を突っ込む。


「ひぐ⁉」

「ちょっと気持ち悪いだろうけど、少し我慢してね」


 脇腹に手を突っ込まれ、剥き出しの内臓を直に触れられると、ルンは何とも言えない声を漏らした。それにロトは一言断りを言いながら、もぞもぞと腹部を弄る。

 なにをしているのだろうとユウは遠目からその様子を眺める。

なんとロトは、腹の中で捻じれていた腸を元に戻していた。捻じれていた原因はさっき逃げるときにルンが無理やり内臓を掻き集めて乱雑に詰め込んだからだ。


 ロトの信じられない芸当にユウは絶句する。人間の体をそんな風に弄っていいものかと倫理的な疑念を抱かずにはいられなかった。

 しかし、だからといって他に方法が思いつかなかったのもまた事実だった。これが応急処置になるかはわからない。だが今はロトを信じて動向を見守ることしかできなかった。


「ロト、持って来たぞ! これでいいか⁉」


 と、そこにガリブが布を持って帰って来た。ガリブは早速ロトの傍に寄って布を広げる。

 それと同時に灰色のぼろ切れからブワッと埃が舞った。その埃の多さにユウは思わず咳き込むと、次いで目が痛くなって涙が出てくる。


「貸して」


 ユウが目を擦っている間にロトはガリブから布を受け取ると、見るからに不衛生なそれをルンの脇腹に巻いていった。

 この接触でいったいどれほどの雑菌がルンの内臓に付着し、体内に入り込んだであろうか。そんな心配をロトはおくびにも出さず、ただ一心不乱に布を巻いて行く。

 やがてロトはルンに巻いた布を適当なところで縛ると、息を吐いて額を拭った。


「ふぅ……。よし、こんなもんかな。どうルン、立てそう?」


 ロトは一仕事終えたように嘆息すると、そう言ってルンに尋ねてみる。

 それまで苦しげな表情を浮かべていたルンは、なおも渋面のまま身を起こすと、ロトに言われるがまま立ち上がってみせた。

 その応急処置は酷いものだった。本当にただ体に布を巻いただけであり、開いた脇腹のところなんか布の上からでも見てわかるほど穴に沿ってベコっとはみ出している。

 ところが、それでもルンは渋面を崩さぬまま口だけで「大丈夫」と言ってみせた。

 まさか本当にこれで終わりではないだろうなと、ユウはロトを盗み見る。だが最悪なことにロトはもうルンからは目を逸らしており、他の子たちへと目を向けていた。


「あーこれは完全に折れちゃってるね。待ってて、すぐに添え木してあげるから」

「ありがとうロト」


 すでにロトは次の処置に移っていた。アイの腕を見るとその辺に落ちていた木の枝を拾い、適当に布で巻いて処置を済ませてしまう。

 続いてリラ。ロトはリラの頭を見ると、血の滲んだたんこぶができたところに唾を塗って、自分の服で血を拭いた。それだけで処置を済まし次にブラウを見る。

 それは本当に、ただ見ただけだった。ブラウの体を上から下まで観察すると、出ていた鼻血を拭ってやり、ポンと頭を撫でてやる。


「ブラウはいつもよりは怪我してないね。うん、上出来上出来」

「あ、あの……」


 あまりに簡潔過ぎる処置にユウは思わず声を上げる。その困惑の声にロトはようやくユウの方を見ると、途端に驚いた顔になってユウに駆け寄った。


「うわあユウどうしたのその腕⁉ ごめん、もっと早く気づいてあげてればよかった!」


 ロトはユウの右腕がないことを今さらながら気づくと、すぐに駆けつけて状態を見た。

 瞬間、その表情が凍りつく。


「え? ユウ、これ……」


 ルンの脇腹に穴が開いていても臆さず処置をしていたロトの手が、ユウの傷口を見て止まる。なんのことかと、ユウも自分の右腕に目を落とした。

 右腕の先――本来傷口があるはずの部分から、大量の綿が覗いていた。

そこには骨や筋肉といったものがなく、血の通った人間らしさが存在しなかった。


「え――」


 状況が呑み込めず、ユウ本人も素っ頓狂な声を漏らす。


(これは……なに? なんで? どうして私の中から、こんなものがいっぱい――)

「ガリブ、余った布貸して。あと紐」


 しかしその狼狽も一瞬だった。すぐにロトは元の表情に戻ると、ガリブから布のあまりと紐をもらい、布をユウの右腕があった場所に被せ、その上から紐で巻きつける。


「うん、これで目立たないね。どうユウちゃん、動かしてみて変なとこはない?」


 ユウは今なお動揺したまま、しかし言われた通り腕を動かしてみる。


「大……丈夫……」

「よかった。しばらくは片腕じゃ不便だろうけど、徐々に慣れてくるからさ」


 ロトはなにもなかったように振舞うと、にっこりと笑ってみせた。ユウにはその笑顔が奇妙だった。だってたった今、ロトは人間にはあり得ない構造を見たはずだから。


「ロト……姉ちゃん」


 ユウが不思議に思っていると、不意にリラがロトを呼んだ。なにかとユウも顔を向けると、アイとリラ、そしてルンとブラウが、自慢げにネズミの入った網を掲げていた。


「あ、ネズミ! こんなにたくさん。どうしたのこれ⁉」

「さっき大量に出てね。それをみんなで頑張って捕まえたんだ」

「うわー凄いじゃん! あ、そうかわかった。それでみんなボコボコにされたんでしょ」

「へへ、バレたか」


 見事ロトが言い当てると、アイがお茶目に舌を出した。


「どうしてそんなに笑っていられるの」


 すぐにいつもの雰囲気に戻った一同に、ユウは咄嗟に疑問を投げかけた。

 そんなふうにユウに質問をされると、それまで和やかな空気に包まれていたロトたちは現実に引き戻されたように、はたと沈黙する。なおもユウは続けた。


「ロトはその場にいなかったからわからないかもしれないけど、さっきまで本当に危なかったんだよ。大人たちに寄ってたかって殴られたり蹴られたり、……骨まで折れちゃって。そのあとだっていきなり糸人形が大量に出て来て、ルンなんか体の中のもの外に出ちゃってるし。それなのにどうして――おかしいよ」

「ユウ?」


 切羽詰まって口々に言うユウにロトは心配そうに声をかけた。だがユウは止まらない。


「食べ物だって、あんな誰かの食べ残しを捨てたみたいな、半分腐ってるようなものを平気で食べて。おかしいよ。なのにどうしてそんな――まるで自分たちが恵まれているように振舞えるの?」

「ようにじゃなくて、実際に恵まれてるからだよ」


 ユウがこれまで感じてきた心情を吐露すると、ロトが確信をもって答えた。


「あのね、ユウ。世界中にはね、毎日なにも食べられない子がたくさんいるの。それに比べたら私たちは、あんなにいっぱい食べるものがあるでしょ?」


 前回の吐瀉物の混ざったもののことを、あんなにと表現する辺り、ユウはロトの価値観が一般の常識とはかなりかけ離れていることを察した。それでもロトは続ける。


「私たちは恵まれた時代に生まれたの。だからもっと周りに感謝しないと。こんないい国は他にはないんだよ? 私たちより酷い環境にいる子どもたちは、探せばいくらでもいるからね。だからね、食べられないことに文句言うんじゃなくて、普段食べさせてもらっていることに感謝すれば、自然とみんな幸福でいられるものなの」


 さも自分たちは幸福の渦中にいるとでも言うように。ロトは優しい表情で説く。

 しかしそれでもユウには理解ができなかった。


「そんな……自分たちが運が悪かったとは思わないの? もし別の場所で生きてたらって」

「ユウちゃん。運って言うのはね、心構えなんだよ。どんな場所にいても、運が悪いと思っている人は一生幸せにはなれない。だから不幸な人は全部その人のせいなんだよ」


 演説でもするように説き続けるロト。その姿が誰かと重なる。でも誰だったか思い出せない。最近出会った人のようにも思えたが、すぐには思い浮かばなかった。

 なんにしても、このままではいけないと思った。呑み込まれそうになるというか、この狂った価値観の餌食にされそうな、そんな危うさをユウは覚えた。

 元々幸福体質のユウは、ロトの言う幸福が間違っていることに気づいた。

 運とは努力の末に回って来るチャンスのことではない。ある日、突然頭から降って湧いてくる、棚から牡丹餅的なものなのだ。それが本当の意味での幸運であり、ロトの言う幸福は相手を、あるいは自分を納得させるための屁理屈でしかなかった。

 このままでは洗脳される。自分の本来持ち合わせている価値観まで塗り潰されてしまう。


「うう……っ」


 と、ユウがそんな危機感を覚えたときだった。不意にルンが呻きを漏らす。お陰でユウに伸びていた黒い影は収まり、一同はルンの方へと目を向けた。すぐにロトが聞く。


「どうしたの、ルン? どこか具合悪い?」

「お腹が……痛い」


 ルンはそれだけ言うと、立っていられなくなり座り込んでしまった。そのまま虫の走る床に崩れ、横になって倒れてしまう。恐らく内臓が零れたり、ロトの手によって弄られたことが原因だろう。これにロトも参ったなと頭を掻いた。


「うーん、やっぱり布を巻いたくらいじゃダメかぁ……仕方ない。みんな網を貸して」


 そう言うとロトはみんなからネズミの入った網を預かり、数を数え始める。


「本当は今日の食事に使うつもりだったけど、やむを得ない。ルン、これからネズミと薬を交換してきてもらうから、それまで我慢できる?」

「うん……多分」


 完全に丸くなりながらルンは苦しそうに唸る。真っ青な顔いろと、額に浮いた脂汗から尋常じゃない痛みであることが窺える。きっと激痛が走っているに違いない。


「待ってて、すぐに楽になる薬もらって来てあげるから――ユウ!」


 心配そうにルンを見ていると、いきなり呼ばれてユウはビクリとする。どうして私がという顔をすると、ロトがネズミの入った網を渡した。


「これ運ぶの手伝って。私一人じゃ持ちきれないし、他に動けそうな人いないから」


 言われてユウは周囲を見る。確かにユウ以外はみんな、先程のリンチ騒ぎで意気消沈してしまっており衰弱していた。そこで選ばれたのが、怪我一つ負っていない、片腕を失ってもピンピンしているユウというわけだ。

 ここはルンのためにも素直に従った方がよさそうだ。そう思うとユウは「わかった」と首肯する。それを見た運は口元をニッと持ち上げて頷きを返した。


「それじゃあブラウのところに行くよ。確か今日取ってるお客さんは薬のことに詳しい人だったはずだから。ついでにネズミと薬を交換してもらおう。みんなはルンのことお願い」


 そう言ってロトは先に部屋を出る。ユウも急いでそのあとを追った。


       ◇


 部屋を出てもこの建物の不衛生さは変わらなかった。足元にはゴミが散らばっており、歩く度になにかを蹴飛ばす。どこもかしこも壁が剥がれていた。

 それでいて同じような通路がずっと続いているのも難点である。

 一度ロトから離れたら自力では元の場所に戻れそうにないほど入り組んでいた。少し横を見ればすぐに空室が見られ、ロトたちが住処にしている部屋以上に不衛生な場所なのが目立つ。今住処にしているあの場所でもまだ清潔な方なのだとユウは納得した。

 周囲には昔使われていたと思われる看板や道具類が散らばっていた。そのどれもが風化してボロボロになっており、果てしなく長い時の流れを感じさせる。


 また通路を行く度に様々な住民と通りすがった。そこには小さな兄弟で手を繋いでこちらを見ている者や、糸人形にやられて肢体の欠損している者、我が物顔で下着一枚で通路をうろつく小太りの中年の姿など様々だった。

 中でも目を引いたのが、明らかに国籍の違う者たちの姿だった。皮膚や目の色、そして話している言葉でわかる。彼ら彼女たちはここの生まれではなく移民だ。そしてその者たちは皆一様にロトたちよりも健康状態がよさそうに見えた。

 と、不意に人の気配が濃くなる場所に来た。どこかでガサゴソとした音と複数の話声が聞こえてくる。ユウがどこから来るものだろうとか目を巡らしていると、先頭にいたロトが少し離れていた一つの部屋に入った。


「御取込み中すみませぇ~ん……」


 何食わぬ顔でロトが薄暗いその室内を覗く。ユウもロトの後ろから部屋を覗いた。

 そこには一糸まとわぬ男たちが数人いた。背丈や体格はみなバラバラで、しかし目的としているものは同じように、みなの欲望の視線は一つの場所へと注がれている。

 そこには男たち同様、裸身をさらすランジと数人の女性がベッドに横たわっていた。

 とんでもない恰好をした知り合いの姿にユウは衝撃を覚える。しかしすぐに部屋の様子がおかしいことに気づくと、部屋中に充満する雌雄の臭いと謎の煙に気づく。

 疑念の正体は男たちの吸っている葉巻だった。その煙がこちらへ揺蕩って鼻孔を通ってくるごとに、くらりとするような、一瞬幻覚を見そうな感覚に襲われる。


「あの~こちらにブラウはいますか……って、完全に伸びてるし」


 未だにブラウの姿を見つけられなかったロトはそう訊ねると、しかしすぐにだらんとした顔見知りを発見し、あちゃーと頭を掻く。


「なんだ姉ちゃんたち。あんたも働きに来たのかい?」


 ロトとユウがベッドでトリップしているブラウを見ていると、周りにいる男たちに一人がそう聞いてきた。その質問にロトはいやいやと首を降る。


「いえ、ちょっと薬を分けてほしくてですね。ついでにあの子を引き取りに来ました」

「引き取り? ……ああ、このすぐダメになったクズ女の子とか?」


 ロトが告げると、ベッドに座っていた男がランジの前髪を掴み、無理やりこちらに向かせた。その顔は視点があっておらず、だらしなく開いた口からは涎が垂れている。そして顔と体のところどころに新しい打撲跡があり、鼻血まで出て、見ているだけで痛々しかった。


「そう、その子です。えーと、それでですね……」

「薬なら高くつくぜ。それともお前たちが体で払ってくれるってのか?」


 一人の男がそう告げると、途端に室内に下品な笑いがゲラゲラと起こった。

 明かにこちらを挑発する言葉にユウはムッとする。だがなにか言い出しそうなユウの前にすかさずロトが前に出ると、これまた媚を売るような笑いを上げる。


「あっはっは、そんなまたご冗談を……対価はきちんと持ってきています」


 言うとロトは、持ってきたネズミの入った網を掲げた。ロトが男たちに見えるようにそうしたのを見て、慌ててユウも同じようにする。

 すると一番前にいた男がこちらに来て、値踏みするような目でネズミを見る。


「いくつ欲しいんだ?」

「取り敢えずいつもの人数分……と、プラス一人ですかねぇ」


 ロトは欲しい数を答えたあとユウを見て言った。どうやらユウの分の薬を買おうとしてくれているらしい。だが男は首を降った。


「ダメだ。足りねぇ」

「え。そんな……」


 そう漏らしたのはユウだった。これにはロトも食い下がる。


「またまたそんなご冗談を……いつもの倍はいるんですよ? 少なくとも人数分は余裕で手に入るはずでは……」

「悪いが、こっちもそういうわけにはいかなくなってきちまったんだ。最近薬の流通が悪くてなぁ。こっちに入ってくる分も少なくなってきてんだよ」

「そこを! そこをなんとかなりませんかねぇ……」

「おい、足りねぇっつってんだろが! 聞えなかったのかクソガキ⁉」


 ロトが男に交渉していると、後方にいた者が野次を飛ばしてきた。だがすぐに男がそれを手を上げて制すると、新たな交渉を持ち掛けてくる。


「そうだなぁ……そこにいるネズミ全部と、今回の分をタダにしてくれるってんなら、聞いてやってもいいぜ」


 言いながら男はベッドで伸びているランジを見た。つまり今回ランジが体を張って働いた分の稼ぎを、なかったことにしろということらしい。


「そんな――」

「はいはいわかりました! それで大丈夫ですよ。どうかそれでお願いします」


 またもやユウが声を上げ上げかけると、再びロトがそれを遮る。

 交渉成立だった。男は嫌な笑みを浮かべると、後方にいた者に「おい」と声をかけ、薬を持ってこさせる。その一方で他の者がランジを抱えると、こちらに投げてよこした。

 完全にハイになっていたランジは受け身も取らずに変な格好で床に叩きつけられると、言葉にならない声を漏らしながらごろんと転がった。あとから服が投げ渡される。


「ユウ、ランジを抱えられる?」

「う、うん」


 ロトに頼まれるとユウはランジの肩に手を回してなんとか立たせた。その間ロトは先ほどの男にネズミを渡すと、薬の入った袋と交換する。


「へへっ。まいどあり」


 男話明らかに悪そうな顔をすると、部屋のドアを閉めて消えた。これからまだ楽しむつもりなのだろう。中に取り残された他の女性たちが心配で仕方ない。


「さ、戻ろっか」


 ユウが他の者たちを心配していると、ロトがそう言って反対側からランジを支えた。

 確かにもう他にできることはなそうだ。それに当面の目的は果たした。

 ユウは素直にそれに従うと、ルンたちの待つ自分たちの住処へと戻っていった。


       ◇


 住処に戻ると、ルンが激痛の呻きを漏らしていた。

 他の者たちはどうしたらよいかわからず、ルンの前で狼狽えている。それを見たロトはすぐにルンに駆け寄ると、抱き起して状態を見た。


「ルン、どうした! どこか具合が悪いのか⁉」

「ううぅ……お腹、お腹が痛いいぃ……っ!」


 悶えながらルンは答えると、先ほど糸人形に解かれたわき腹を押さえた。そこは今布で遮られており、内臓が外側に傾いているのか、ぷっくりと布が膨れていた。

 ロトはすぐに険しい顔を納めると、安心させるような声音でルンの頭を撫でてやった。


「そうか、よく頑張ったね。でも安心して、もう大丈夫だから。薬をもらって来たんだ」


 そう言ってロトはさっき男からもらってきた袋を床に置くと、中から葉巻を一本取り出す。それをルンに咥えさせると、取り出したライターで葉巻に火をつけた。


「さあ、ゆっくり吸って。少しずつ利いてくるから」


 ルンは言われた通り、火の付いた葉巻を咥えると喉を震わせながらも、言われた通りに呼吸をした。葉巻の先が少しだけ赤く染まり、先端から灰になって落ちていく。

 やがてルンは肺一杯に煙を吸い込むと、深呼吸をするように「ふぅー」と深く息を吐いた。それからもう一度葉巻を吸い、それを何回か繰り返す。

 同じ動作を繰り返しているうちにルンの顔色は徐々に血色が戻って行った。痛みが和らいだのか、随分とリラックスした顔つきになり、そのうちに目がとろんとしてくる。


 一方でユウは、この煙に既視感を覚えて眉をひそめた。そして思い至る。この臭いは先ほどランジがいた部屋から漂って来たものとまったく同じものだ。

 そう結論付けると、再び眩暈がユウを襲った。それほど強かったわけではないが、軽い貧血を起こしたときのようにわずかに足元が覚束なくなる。


「ほら、みんなも今日は体中痛いでしょ。数は十分にあるからみんなも吸って」


 ルンを支えながらロトが袋を渡すと、一同はそこから一本ずつ葉巻を取り出して火をつけだした。それから慣れた手つきで葉巻を吸い、心底リラックスしたように目をとろんとさせる。

 特にアイは折れた腕で痛みに顔を歪めながらどうにか火をつけていたが、それも葉巻を吸うと一転してだらしない顔になり、途端に痛みから解放される。それからは骨が折れたことが嘘のように腕を動かし、葉巻をスパスパと吸った。

 ルンとアイの様子を見た限り、どうやらあの葉巻には鎮痛作用があるらしい。だがその後の様子を見ていると、それ以外にも重大な副作用がありそうだった。

 それでも一同は喫煙をやめようとはせず、取りつかれたように葉巻を吸い続ける。


「ほら、ユウも」


 ユウが不思議な顔で彼ら彼女たちを見ていると、ロトが一本勧めてきた。しかしどこも痛むところがなかったユウは、なにより若干様子が怪しかった仲間たちを見て遠慮する。


「私はいいよ。どこも怪我とかしてないし……」

「そうかもしれないけど、でも一回は吸っておいた方がいいよ。慣れないうちは咳き込んだり上手く吸えなかったりするから。練習だと思ってさ」

「でも……」

「仕方ないなぁ……ガリブ、ちょっと手伝ってあげて」


 なおもユウが身を引いていると、ガリブが後ろからユウを羽交い絞めにし、その口元に自身が吸っていた葉巻を近づけた。突然のことにユウは思わず大きく呼吸をしてしまう。

 煙を剥いで満たされた瞬間、不思議な感覚がユウを襲った。まるで睡魔と興奮の狭間のような独特な感覚が頭の中で弾け、意識ごとどこかに吸い込まれそうになる。

 次の瞬間にはユウは盛大に噎せていた。煙を吸い過ぎたのだ。次いで葉巻の作用で立っていることが困難になり、その場にぺたんと座り込んでしまう。


「ね、最初はきついでしょ? これをいざ怪我したときにやると、咳き込むわ痛いわで結構大変なんだよ。だから今のうちに慣れておいた方がいいよ」


 親切心からなのだろうが、それにしたって少々乱暴過ぎた。しかしロトはまったくそんなことは思ってもいない顔で、ユウにニカッと笑みを向ける。


「どう、ちょっとずつリラックスして来たでしょ?」

「あー……う? んぅ……あぁー……」


 軽いトランス状態になったユウは、呂律が回らず生返事をした。そのまま脱力すると床に寝そべり、眠くもないのに自然と瞼が降りてくる。

 気づけばユウ以外にも、みんながそんな状態だった。唯一葉巻を吸っていないロトだけがハキハキと喋り続け、そんなみんなの様子を見守っている。


「少し早いけど、明日に備えて今日はもうこのまま寝ちゃおうか。明日は大事なお客さんがここに来る予定だし、その準備もしないと」


 みんながトリップしてクラクラな状態の中、ロトがあっさりと言う。その声は酷く遠くから響いているように感じ、まともに言葉が理解できなかった。


「ねぇロト姉ちゃん……なら寝る前に、いつもみたいにお話聞きたい」


 誰もが意識を失いかけている中、ルンが甘えた声で言う。この中では一番の重傷者で、まだ葉巻の効果が完全に利いていないのだろう。ロトは静かに傍に座った。


「いいよ。どの話がいい?」

「前に話してくれた寓話がいいなぁ。あのときは眠くて全部聞けなかったから」

「わかった。それじゃあ話すね」


 途切れ途切れの意識の中、ユウはロトが話し出すのを聞いた。その一方で胸騒ぎがしたユウは、このまま眠ってなるものかと意識を繋ぎ止めようとする。

 ユウがそんな独り相撲をしていることなど露知らず、やがてロトは語り始めた。


「それじゃあ始めるね。『光帝ユーディスと12の誓い』――これは『帝冠クラウン』で古くから語り継がれている、時計回りの世界で栄盛のあとに衰枯が訪れるという世界が舞台の話」


 夢現の中、ユウはロトの声を聞いてふと思う。


(あ……これ、いつもスチュワードが私を寝かしつけるときに聞かせてくれた話だ)


 そう思いながら睡魔と戦っていると、やがてロトは話し始めた。

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