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第20話 パリィ

「――それから俺はフロードの右手として働くようになった。やることは主に雑用だったけど、それでもフロードのお眼鏡には適ったらしい。そして俺が考えた通り、フロードのやる事はどれもが偽善活動だったよ。まったく反吐が出る仕事ばかりだった。その後はフロードの下で経営に関する技や技術を盗み、数年後に自立したいと頼み込んで、あの土地で店を開いたわけだが……まあざっとだが、俺の経歴はこんなもんかな」


 長話にようやく終止符を打つと、アラインはふうと息を吐いた。それからここまで付き添ってきた相棒の様子を窺う。

 ユウは一言で言い表すと、ぽかんとしていた。泣くでも笑うでもなく、面食らって呆然としているだけだった。そしてひたすら神妙な面持ちでアラインを見つめる。


「……それはどういう反応だ?」


 自分の半生を利かせた相手の心情がわからず、アラインは思わず聞いた。するとユウもどう表現したらいいかわからなそうに首を捻った跡、ようやく感想を漏らした。


「なんていうか……本の中のお話しみたいだった。それも悪い方の」

「悪い方の、ね……」


 なんともメルヘンな例えを出されて、アラインは苦笑いを帰した。そういえばユウはお嬢様であったことを思い出す。ならば他の人が普段どういう暮らしをしているかも知らず、このような反応になってしまうのも頷けた。

 きっとユウには別の人の話を聞かせても、同じような反応が返ってきたに違いない。

 どうしたものかとアラインは頭を掻き、取り敢えず一番重要なことを伝えることにした。


「あー、まあ……なんだ。取り敢えずこれだけは覚えておけ。成功者が語って掲げる希望になんてなんの価値もない。一番重要なのは国がきちんと機能していることだ」

「国……」


 理解しているのか、ユウは譫言のようにそう口にすると、漠然とアラインを見た。


「俺に負けず劣らず、悲惨な過去だなぁ」


 アラインの過去話に、そう感想を述べたのはユウではなかった。そもそもユウの声の質とは似ても似つかないダミ声である。では誰が言ったのかと周囲をぐるりと見渡せば、後ろで積み上げられていた荷物の奥からガサゴソと音がする。

 アラインはすぐにユウを背後にやると、いつ相手からの攻撃が来てもいいように構えを取った。それと同時に疑問を覚える。今音がする場所には人が隠れられるようなスペースは存在しない。ではいったい敵はどこにいるのかと訝しんだときだった。


 音のした方、木箱が積まれていた上の方から、長い虫の足がにゅっと出てくる。それはカサコソと動くと車両の壁にへばりつきながら動き、バッと姿を現した。

 出てきたのは、八本の虫の足を生やしたぼろきれだった。説明の通り、ぼろきれから八本の虫の足が生えており、蜘蛛のように壁を歩いているのである。その大きさは8本の足を入れるとアラインが両手を広げても収まらないサイズで、真ん中の本体自体はそこまで大きくはない。

 その姿を見て、アラインはすぐに違和感に気づいた。着目したのは足を生やした本体のぼろきれ。どこかで見たことがあるような形に、アラインは既視感を覚える。


 そして不意にダースロウの姿が脳裏を掠めた。そして理解する。あれはダースロウが人間から因果を吸い取ったあとに捨てられる、残りかす同然のぼろきれと同じであることに。

 どういうわけか、そのぼろきれから足が生え、意思を持って動いていた。そのぼろきれには子どもの落書きみたいな顔が描かれており、一応は目と鼻と口と言えるものがついて動いている。

 なにはともあれ、アラインは短い時間でそこまで推測すると、突然自分たちの前に現れた蜘蛛擬きの化け物を警戒する。


「なんだお前は……もしかして、ダースロウの手先かなにかか?」


 アラインが敵意を持って問いかけると、化け物は侵害とばかりにダミ声で何事か喚きながら、八本の足をわちゃわちゃ動かして強く否定した。


「はああぁ⁉ この俺さまがあのダースロウどもの手先だって⁉ ふざけたことを抜かすな! 誰があんな気味の悪い奴らの仲間なもんか。むしろあいつらは俺の敵だ」


 怒声とともに、怒りを表すようにダカダカと足で壁を叩く。いちいち所作の気持ち悪い化け物の言葉に耳を貸しつつ、アラインはユウと一緒に距離を取った。


「じゃあお前は何者だ。答えろ」


 アラインが警戒心を強めてそう問い質すと、化け物はタタンと足を鳴らす。


「俺はパリィ。さっきこの列車の主になった宿主だ」

「宿主だって? どういうつもりだ」


 未だに相手の要件がわからなかったアラインは、慎重に言葉を選びながら問う。だがパリィと名乗った化け物は鼻を鳴らすと、不満げに質問を返した。


「それはこっちの台詞だクソガキ。誰の許可を得て俺さまの縄張りに入り込んだ」

「縄張りだって? この列車は公共交通機関のはずだが」


 妙なことを言うパリィに、アラインは正論を突きつける。それに対しパリィは全身でジェスチャーしながら「はあ?」と漏らすと、抗議するように足で壁を叩いた。


「そんなことは知らねぇ。ここは俺の巣だ。それは俺さまがここを縄橋にした直後から決まったことなんだよ。その縄張りに入り込んだ。ただで帰すわけにはいかない――な!」


 言い終るや、パリィは足を広げると、口と思しきところから糸の塊をこちらに吐き出した。糸の塊はユウに直撃すると、そのまま壁に貼りつけて動きを封じる。


「うわ⁉」


 壁に貼りつけられたユウは、衝撃に声を漏らすと驚いて目を見開いた。見事攻撃を的中させたパリィは、自慢げに声高らかに告げる。


「さあ! 人質を解放してほしくば俺の言うことを――」


 そんなパリィの声を無視すると、アラインは10本の指から因果の糸を放出し、それを操ってユウに絡みついた糸の塊をバラバラに解く。


「んなぁ⁉」


 人間技とは思えぬアラインの手さばきを見ると、パリィは情けない声を上げて後退りした。それからアラインを睨むと、先ほど本人が言ったことと同じことを口にする。


「その糸捌き……まさかお前、ダースロウの手先か?」

「なんでさっきお前を手先かって聞いた俺がダースロウの手先になんだよ……。それよりもその姿……お前こそダースロウにやられた口か」


 アラインが呆れながら問い質すと、パリィはあからさまにギクリとした。どうやら図星のようだ。ここまでわかりやすい反応をする奴もそうそういないが。


「くっ……ここじゃ分が悪い。一時退散だ!」


 パリィは叫ぶと、八本の足を使ってジャンプするとアラインたちの頭上を飛び越える。その最中糸を吐いて後ろのドアを器用に開けると、乗客たちのいる車両へと姿を消した。


「まずい⁉ あんな奴が急に現れたらパニックになる!」


 乗客の心配をすると、アラインはすぐさまあとを追おうと車両のドアを開けた。

 そして絶句する。開けたドアの向こうでは、びっしりと蜘蛛の巣が張られていた。

 火をつけたら燃え広がりそうなほどの密度の白い蜘蛛の巣が、壁や天井や床と、車両全体に張られている。そのいたるところでは天井からグルグル巻きにされた繭がぶら下がっており、電車に揺られて振り子のように揺れていた。


「なんだ、これは……」

「乗客だよ。今やこの列車全体が俺さまの巣。捕まえた獲物はこうやって繭に閉じ込めているのさ。そして――」


 呆然とアラインが呟くと、繭の一つに張り付いたパリィが呟き、足先の鋭い爪を繭に突き立てた。そのまま縦に引き裂くと、中から逆さ吊りにされた人間が現れる。


「俺さまが元の人間に戻るため、均等に体の一部を少しだけ分解して奪うのさ」


 パリィは悪巧みをするような口調でそう言うと、繭に囚われた人間に向かって口を開けた。開けた口から並びのいい歯が表れると、パリィは大きく息を吸う。

 途端、宙吊りになった者の皮膚の表面が解け、薄皮となって剥がれた。

 パリィが咀嚼するように上下の歯を噛み合わせると、薄皮は吸飲されるように宙に浮き、ゆっくりとパリィの口内へと入っていく。


「やめろ!」


 なにか不吉なことが起こっていることを直感すると、アラインはすぐに両腕を伸ばし、因果の糸を放った。放たれた糸はパリィを押し退ける。

 パリィがいなくなると、それまで吸飲されていた薄皮は動きを止め、これまたゆっくりとした動作で元々皮膚のあった場所へと戻り、張り付いて結い直されていく。

 しかし全部とはいかなかった。パリィに吸飲されてしまった部分は、それこそ皮を剥いたように赤くパツパツになると、痛々しい痕がそこに残る。この様子だと、しばらく皮膚がヒリヒリして痛むことだろう。

 一方で押しのけられたパリィは床に転がると、すぐに起き上がって文句を垂れた。


「くっそぉ……お前、なにをする⁉」

「それはこっちの台詞だ、この死に損ないが! 一般人に手を出すな!」


 まるで正論を突きつけるようなパリィの抗議に、アラインは本物の正論をぶつける。しかしパリィはにたりと嫌な笑みを浮かべると、勝ち誇ったように口を開いた。


「随分な言い草じゃないか。だがいいのか? 俺さまにそんな舐めた口利いて」

「アライン!」


 ユウの鬼気迫った呼び声に、アラインはハッとして振り返る。

 そこには再び蜘蛛の糸で縛られたユウがいた。しかもさっきとは違い、グルグル巻きになった糸の上や足元、壁の周りには大量の小さな蜘蛛が集っている。


「おっと動くなよ。こっちには人質がごまんといるんだ。言う通りにしてもらおうか」


 他にもぶら下がっている繭を差しながらパリィが言ってくる。

 後方には捕えられたユウ。前方には繭に縛られた大量の乗客たち。

 アラインは咄嗟に頭を回転させる。何かこの状況を打開する方法はないか。

 だがなにも思いつかなかった。下手なことをやれば後ろでユウを監視している小さな蜘蛛たちが、ユウに危害を加えるかもしれない。そうでなくてもパリィは乗客を人質に取っているのだ。これではアラインに分が悪過ぎる。

 降参だった。アラインはそれを示すように両手を上げて己の無力を示す。


「ふん。最初からそうしてればよかったんだ――よ!」


 パリィはふんぞり返ぅてそう言うと、口から糸の塊を吐き出した。意図の塊はアラインに直撃すると、一瞬にして紐でグルグル巻きに縛り上げたようにアラインを拘束する。

 タタン、とパリィが足を鳴らす。そして静かに床を這ってアラインに近づいた。


「さて、尋問タイムだ。乗客のいる車両にはいなかったが……お前たち二人は何者だ?」


 二人を捕えると、パリィは上機嫌でアラインたちの目的を聞いた。


「俺たちは、この列車で終点まで――壁のあるところに向かう最中だ」


 特別隠し立てするほどの理由がなかったアラインは、しかし重要な部分は避けながら、本当のことを端的に告げる。それにパリィは「ふぅん」と頷いた。


「なるほど……さてはお前たちも、人生を投げうってでも今の生活を変えたい奴らだな。はん、やめといた方がいい。ろくな話を聞かないぞ。そんなことを考えるくらいなら平凡に暮らす方がお勧めだ。……といっても、お前たちを逃がすつもりもないんだがな」


 勝者の余裕というやつなのだろう。パリィは見るからに悪人気取りで高笑いすると体を仰け反らせ、残念でしたとでも言うように前足をワナワナと動かした。

 その挑発には乗らずアラインは冷静を装うと、笑みを浮かべて言い放つ。


「それよりいいのか、こんなところで俺たちの監視なんかしてて。せっかく獲物を他の車両に捕まえたのに、そのうち目を覚ますんじゃないか?」

「見くびってもらっちゃ困る。その辺りは仲間たちにやらせてるさ。あいつらは人を眠らす毒を持ってるんだよ。だからそう簡単に目覚めはしない。なに、別に命までは奪わない。俺にだって善意はある。ちょいと指先や目立たないところの皮を少しずつもらうだけだ」


 パリィは皮を剥がすような動きをしたあと、アラインに目を向ける。


「それよりもお前たちを見張ってた方がよさそうだ。特にお前、奇妙な力も使うしな」


 注意深くおパリィがアラインを見ると、蜘蛛たちが周囲に集まってきた。変な動きをしたらいつでも噛みつけるような位置で陣取っている。

 仲間たちの完璧な配置を見ると、パリィは満足そうに宣った。


「さて、俺は復活のためにこれから狩りに出かけてくる。もちろん最後に狩るのはお前だアライン。俺が力を蓄えたあと、じっくりとお前のことを聞いてから俺の餌食にしてやるからな。それまでは最後尾の車両で待ってろ。ユウと言ったか……お嬢ちゃんは俺と一緒に来い」


 不意にユウが指名されるとアラインは焦った。思わず体が前に出る。


「ユウをどうする気だ」


 叫ぶと周りの蜘蛛たちが構えを取った。いつでも攻撃できるというサインだろう。

 パリィはそんな仲間たちに信頼の目を向けると、アラインに言った。


「なに、単なる保険さ。お前たち二人一緒だと、なにをしでかすかわからないからな。人質みたいなもんだよ。これでお前も悪巧みはできまい」


 パリィがそう告げると、ユウを監視していた蜘蛛たちが彼女を拘束していた糸に一斉に集る。それから数秒としないうちに糸が解かれると、ユウは自由の身になった。


「それじゃあお嬢ちゃんは借りていくぜ。お前は最後尾の車両でおとなしくしてな」

「アライン……」


 ユウが解放されたところを見ると、パリィはそう言って踵を返した。早速狩りに出かけるのだろう。ユウはアラインを心配そうに見つつ、仕方なくパリィに着いて行く。


「ペンデュラムをキツく縛っておけ」


 告げられたのは、パリィが隣の車両に移り、ユウもそれに続こうとしたときだった。


「え?」


 突然訳のわからないことを言われ、ユウは振り向きながら困惑する。だがアラインの目は真剣だった。だからユウは自身の首から下げられたペンデュラムに目を移すと、再びアラインに目をやり、双方を見比べた。


「おい、なにしてる! 早く来い!」


 ユウが戸惑っていると、奥からパリィが怒鳴った。ユウはそれに返事をすると、もう一度だけアラインを見て、そしてついに隣の車両へと移って姿を消す。

 残されたアラインは、どうにか拘束を解けないか体に力を入れてみた。しかし思った以上に糸は頑丈で、ちょっとやそっとじゃ解けそうになかった。

 と、アラインが抵抗を試みていると、周りの蜘蛛たちが威嚇を始めた。その動作から察するに、どうやら最後尾の車両へ歩いて行けということらしい。

 仕方なくアラインは立ち上がる。と、そこで両手の指が動かせないことに気づいた。

 どういうことかと後ろを見れば、蜘蛛たちによって指までガチガチに固められている。これでは因果の糸も放出できない。


「周到な奴らめ……」


 アラインは恨めしそうに蜘蛛たちを見る。しかし蜘蛛たちは相変わらず威嚇を続け、早く移動しろと急かすだけだった。


       ◇


「さあて、それじゃあ早速お嬢ちゃんには俺を手伝ってもらおうか」


 別れ際にアラインに言われたことを考えながらペンデュラムを手に取って見つめていると、糸で天井にぶら下がったパリィがこちらを覗き込むように顔を近づけてきた。


「な、なにをすればいいの?」


 不意に目前に現れた子どもの落書きのような顔に、ユウはわずかにギョッとした。下手に悲鳴を上げてパリィに侮られてはいけないと、少しだけ勇気を出して食い気味に問う。

 ところがパリィはそんな小さな努力になど気づかない様子で、勇を鼓したユウをさらりとながすと、そんなことよりもと後ろを振り返って指し示す。


「そこら中に俺さまがグルグル巻きにした人質がいるだろ。その糸を破って体が見えるようにしろ。全身だ、わかるな?」

「え? いいけど……逃がすの?」

「バカ言うな、違う。俺が狩りやすいようにするのさ。こんなふうにな」


 言ってパリィはお手本とばかりに近くの繭を指先で裂くと、中に捉えられていた人を露出させた。捕まっていたのは、どこにでもいそうな特徴のない中年の女性だった。

 それからパリィは顔以外の、服から出ている皮膚の部分に顔を近づけると、パクパクと口を動かしながらカチカチ歯を鳴らす。

 怪しい風が起こったのはそのときだった。パリィが上下に動かす顎に合わせて空気が口内に吸い込まれると、女性の露出している皮膚が薄く剥かれ、そのままパリィの口へと入っていく。

 皮膚を薄く捲られた女性の方はというと、向かれた箇所が充血したように真っ赤に染まり、みるみる薄皮一枚になっていく。


「う、うわ……」


 奇妙な技を使うパリィにユウは一歩退いた。それでも好奇心を押さえることはできず、ユウは恐る恐る覗き込みながら問う。


「なに……してるの?」

「俺さまが完全復活するためにちょいと皮膚をもらってるのさ。なに、命まで取りはしないさ。俺さまもそこまで悪じゃない。むしろ情けをかけてるんだから善人だろ?」


 人と言えるほど人間の形もしていないのだが。それよりもユウは、吸飲中のパリィがどうやって喋っているのか、そちらの方が気になった。だがその疑問はすぐに晴れる。

 よく観察すれば、パリィが今吸飲のために動かしている口以外に、人間でいうところの頬の辺りに、もう一つ小さな口が張り付いていた。パリィはそちらの方で話していた。


「クククク……。こいつらは俺の毒で眠らせてあるから、しばらく起きはしない。その間にたんまり俺さまの糧になってもらうとしよう」


 己の独壇場が完成して浮かれているのか、パリィは気持ちの悪い声で笑いながら吸飲を続けた。


「ぜ、善人なら、アラインも助けてくれる……よね?」


 言質とばかりにユウはパリィに聞いてみる。途端にパリィの顔は厳つくなった。


「ダメダメ、あいつは危険だ。残念だが生かしちゃおけない。あいつには俺さまの脅威になりかねないからな」

「そんな……」

「悪いねお嬢ちゃん。せいぜい今のうちに別れの挨拶でも考えておくんだな」


 取り付く島もないとばかりにパリィは手を振る。諦めろということだろう。


(どうしよう、アライン……)


 アラインを助ける算段が頓挫してユウは万事休した。どうしようかと頭を抱えると、必死に脳みそを回転させながら、パリィにバレぬよう小さくうんうん唸る。


(なにか……なにか私にできること――)

『ペンデュラムをキツく縛っておけ』


 そのとき頭の中でアラインの声がした。それは別れ際、アラインからユウへと伝えられた謎の伝言だった。ユウはそっと首元のペンデュラムに触れる。


(あれは、どういう意味だったんだろう……?)


 ペンデュラムを持ち上げながら、ユウはアラインに言われたことを咀嚼する。噛み砕いて舌で転がして、しつこく味を確かめるようにペンデュラムを観察する。

 と、執拗に弄り回していると、宝石のフレーム部分がキュルっと回った。

 一瞬壊してしまったのかと思い、ユウはビクリとする。だが外れた様子はなく、取り敢えず元の位置に戻しておこうとし、小さく文字が彫られていることに気づいた。

 ユウは目を細めて、じっとその文字を見つめる。そこには「緩める」「締める」と文字が書かれている。


(縛る……締める? 確かアラインは縛っておけって言ったけど……)


 こういうことだろうかと、取り敢えずユウはフレームを「締める」と書かれている方に回してみる。そして1、2、3秒が経つ。だが目に見える変化は起きなかった。

 見えないのは当たり前だった。因果はアラインにしか目視できない代物だから。


「おい、なにをぼさっと突っ立てる」

「わっ!」


 急に声をかけられてユウは飛び跳ねた。大丈夫、ペンデュラムから手を離しただけだから怪しい動きはなかったはず。現にパリィもなにかに気づいた様子は見せなかった。

 それよりもと、こちらを手伝えと催促してくる。


「手本は見せただろう。お前も同じようにやれ。言っとくけど、獲物はここにいるので全部じゃないからな。他の車両にも沢山いるんだぞ」

「あ、うん。わかった」

(これで……いいん、だよね? アライン……)


 自分の行動が正解だったかわからず、アラインのいる方を振り返るユウ。

 そしてやはりユウは最後まで気づかなかった。フレームを締めたことで運気を操作する装置の効力が極限になったことを。それに伴いユウの幸運体質が完全に抑えられたことを。

 加えて現在地は、不幸地帯へと向かう列車の中。

 徐々に不運は周囲に蟠り始めると、今も体積を膨らませていた。


       ◇


(ホルス)』を発動させていると、とあるタイミングで因果の流れが変わったのをアラインは見逃さなかった。それはユウがペンデュラムの仕組みに気づいたという証拠だった。

 そのことを裏付けるように、薄幸の気が非常にゆっくりとしたペースで車両内に湧き始めた。それは毒ガスよろしくアラインの足元にも蔓延りだした。


「よし。これで準備は整った。あとは発症を待つだけ――」


 すべての準備が整うと、アラインはそのときが訪れるまで瞑想状態に入る。手と指を封じられた分、体内を巡る因果の流れを背中に集注させた。

 そして、そのときが来るのを静かに待つ――


       ◇


 パリィに言われた通りに繭を剥くのは、見た目以上に重労働だった。

 乗客を拘束した糸はその細い見た目以上に頑丈で、引っ張ると手にべたつきながら伸びるためなかなか切れない。しかも糸同士がくっついて太い一本の束になっていたりするため、それを剥がすのは想像以上に骨が折れた。

 一方でパリィはというと、指先の鋭い爪で簡単に繭を裂くため、ユウの何倍も時間を短縮して作業を進められていた。これにはユウも不満を覚える。


「ねえ、そっちばかり爪使ってやるの、なんかズルくない?」

「あん? ズルいって、なにが?」

「私にもその爪貸してよ」

「バカ野郎! この爪は俺さまの腕とくっついてるんだぞ⁉ それをよこせってのは腕ごと捥げって言ってるのと同じだ! 考えてもの言えこのバカ!」


 どうやらパリィは沸点が低いらしい。なにもそこまでやれとは言っていないのに、被害妄想で怒りを爆発させた。

 でもと、ユウは考えを改める。これはいい時間稼ぎになるのではないかと。

 ついさっきアラインから言われた伝言。それをユウはもう決行した。多分決行できたと思う。だとしたら、あとはアラインから動きがあるのを待つだけだ。

 だけど今までの間に新しい動きがないところを見ると、アラインが動けるようになるにはまだ時間が必要なことが窺えた。


 となれば、今のユウにできる唯一の手段は時間稼ぎだった。

 ぐるりと回りを見る。先ほどまではたいして気にも留めていなかったが、よく観察を摺れば至るところに沢山の小さな蜘蛛が床や壁や天井を這っていた。今さら言うことでもないが車内は蜘蛛の巣だらけで、四方八方から監視の目が光っている。

 これだけのことをして、この列車の運転手は今ごろどうしているのだろうか。それともパリィに脅されて運転しているのか。あの蜘蛛たちをけしかけて?

 車両の天井から吊るされている繭の数も尋常じゃない。もしパリィがこの列車をジャックしていなかったら、今ごろこの車両は満員だったのではないだろうか。それほどまでに繭の数は多かった。


 これはユウの想像でしかないが、恐らくここにいた乗客たちはみな、聖儀祭で浮かれて列車に乗りこんだ乗客たちだったのだろう。そこに目を付けたパリィが列車を襲った。

 そう考えればこの繭の多さにも納得ができた。

 なんにしても今は時間稼ぎだ。先ほどペンデュラムのことを言われたときからアラインになにか秘策があると信じていたユウは、会話で時間を稼ぐことに決めた。

 取り敢えず、当たり障りのない内容から触れてみることにする。


「あなた……パリィは、どうしてこんなことをしてるの?」

「はっ、いきなり呼び捨てかよ。でも嫌いじゃないぜそういうの。どうして俺さまがこんなことやっているかだったか? それはなぁ、完全な人間に戻るためだ」

「戻るため? 今やっていることが?」


 ユウはパリィがさっきからずっと乗客の薄皮を吸引しているのを見て首を傾げた。その質問は的を射ていたようで、パリィは返事をする。しかしユウは疑問を覚えた。


「でも人間に戻ってるようには見えないよ。そのまま大きくなって見える」

「これは言わば虫で言うところの幼虫の姿なんだ。これから栄養を蓄えて人間に戻る」


 戻る、と言われても想像ができなかった。まあ、ユウにとっては他人事なので、その辺りはどうでもよかったのだが。

 それよりも会話だ。ユウは頭を回転させて新たな話題を提供する。


「どうしてそんな姿をしてるの?」


 取り敢えず怪しまれぬよう、ユウは手を動かしながら質問をした。するとパリィは見事に食いついた。文句を垂れながらもパリィは話してくれる。


「どうしてだぁ? それはなぁ、あのクソ黒装束の奴らにやられたんだよ」

「クソ?」

「ダースロウだよダースロウ! 俺さまはこんな姿になる前はもともとコソ泥でな。それで奴らの仮面を盗んでやろうと剥がしたら、一瞬でこんな姿にされちまったんだ」

「それ自業自得なんじゃ……」


 誰がどう聞いても身から出た錆でしかない内容にユウが落胆していると、パリィは「うるせぇ!」と叫びながらも、先を続けてくれた。


「お前にはわからないだろうがな、今この地域一帯は貧乏一直線なのさ。物価は上がるは給料は下がるは、そのくせ税金は上がるはでみんな苦しい生活を強いられてんだよ。そこで俺はダースロウに目をつけたのさ。あいつらの付けてる不気味なお面でも売れば、もしかしたら大儲けできるんじゃないかと思ってな。なかには物好きな奴もいるもんだ。そいつに高値で売ればぼろ儲けよ。ついでに奴らの正体でも暴いて撃退方法でも見つけられりゃあ、一石二鳥で万々歳よ」

「倒す方法があるの?」

「あるさ。なんだ、お前もしかして知らないのか? 仕方ない、お前には特別に教えてやる。あいつらは今でこそあんな化け物染みた力を使うがな、通過儀礼をする前は俺たちと同じ種族だという噂があるんだよ」

「パリィと同じ蜘蛛ってこと?」

「バカ野郎! 人間だよ人間。ダースロウは人と同じ生き物だってことだ!」


 酷いしゃがれ声だった。聞いているだけで耳がキンキンする。それでもパリィはユウの目論見通り、上機嫌で喋った。


「もしあんな怪しい恰好をする前が人の姿なら、俺たちにも勝機はあるだろ?」

「どうして倒す必要があるの? 見た感じ、こっちから手を出さなければなにもされないように見えたけど……」


 ユウは数少ないダースロウの記憶を拾ってパリィに意見する。しかしパリィの主張は変わらなかった。パリィは忌々しそうに口を開く。


「直接はなにもされなくても、間接的に被害に遭ってる奴らはたくさんいる。例えば糸人形とかな。あの人形はダースロウが作ったものだ。お前も知ってるだろうが、あの人形たちは人間にいたずらをして体の一部を解いたりする。厄介な連中だぜまったく」

「なら作らないでって頼めばいいんじゃん」

「どこまで平和ボケなんだお前は。それで交渉できたら誰も被害になんて遭ってないだろ」


 ユウの天然ボケに話が脱線すると、パリィは「つまりだ」と続ける。


「奴らの幼体を捕まえて人質に取れば、あいつらも少しはこっちの交渉に応じるだろうって踏んだのさ」

「それでなにかヒントは得られたの?」

「もちろんさ。それがさっき話した通過儀礼になる。奴らが定期的に行ってる儀式だ」

「儀式? そんなことしてるんだ……」

「ああ。噂によると、その儀式は人目に触れる場所ではやってないと聞いた。きっとあいつらには秘密のアジトがあるんだ。必ず居場所を突き止めてやる」

「で、その前にまず人に戻るためにこんなことをしてるってわけだね」

「その通り。なんだ、だんだん話がわかってきたじゃないか」


 話をまとめると、パリィは上機嫌になってユウを褒めた。

 上手く話に乗せていることを実感すると、ユウはもっと深堀って質問をしてみる。


「でもアジトなんてあるの? あの人たち、ずっとこの世界をグルグル回ってるだけって聞いたけど」

「あるに決まってる。でなけりゃどこで通過儀礼をやってるって言うんだ? アジトじゃなくても隠れ家くらいはあるはずだ。そこを突き止めればこっちのもんよ」

「そんな上手くいくものなの?」

「行くさ。なぜなら俺は、あいつらにこんな姿になる前は、盗みで一度も捕まったことなんてなかったんだからなぁ」


 いったいそれがどう自信に繋がるのかはわからなかったが、取り敢えず時間稼ぎとパリィの機嫌を取ることができて、ユウは満足していた。


       ◇


 ユウがパリィから話を引き出し、時間を稼いでいる一方。


「う……ぐ。はぁ、はぁ……」


 アラインは熱に浮かされたようにふらふらし、呻きを漏らしていた。

実際、アラインの体内では目まぐるしい変化が表れていた。

 全身の血がいつもの数倍の速さで体内を駆け巡る。体が疼く。息が荒くなり、全身の細胞が勝手に活発化して、歪な成長を遂げようとしている感覚がある。

 そんな奇妙な感覚を、血の巡りを、細胞の成長を、アラインは耐えるのではなく、そのまま背後に――丁度肩甲骨の辺りへと流れるイメージをした。

 それに伴って背中の皮膚が張るような感覚が芽生える。植えた種が成長して目を出し、木の幹が成長するような。背後でなにかが膨らむような感覚がある。


 それは列車が同じ方向に進み、不幸地帯方面へと向かうにつれて強まった。

 背後の感覚が成長するにつれて、全身に縛られたパリィの糸がきつくなる。実際にアラインの体積は増していた。しかしその変化は、フードの上からではわからない。

 それでも視覚的にわかる部分もある。アラインの背中は見るからに膨張すると、まるで別の生き物がそこに隠れているように、もぞもぞとひとりでに動き始めた。


「うう……あぁっ……」


 きつくなる糸と体の不快感でアラインは苦悶を漏らす。それでもなにかが背中に流れて行くイメージは止めない。むしろ一秒前よりも強く、数瞬ごとに想像を膨らます。

 そんなことを繰り返しているうちに、やがて糸の方も張り詰めていった。ギチギチと音を立てると、強度の弱いところから1本、2本と千切れていく。

 3本、4本と切れた次の瞬間、束の一部が一気に裂けた。


       ◇


 パリィの手伝いを始めてから何時間が経過しただろう。というのもパリィが作った繭は、通常であれば満員電車並みの量をストックしていたからだ。

 なので移動はほとんど眉の下を潜っての移動となり、あまり前に進めない。それにこの数。ユウは今の時間がどの時間なのか、もう自分でもわからなくなっていた。

 加えてどうしたことか、この列車はこの数時間の間で一度も駅に停まっておらず、常に超特急で線路を走っていた。

 これも恐らく、パリィが警備隊を列車に乗せないための作戦なのだろう。

 それに加えて、ユウがパリィから話を引き出しながら動いていたこともあり、作業は想像以上に進んでいなかった。今になって分かったことだが、パリィもお喋りな性格なのか、ユウが話題を降るとすぐに飛びつき、自ら聞いていないことまで話す始末である。


 これではとてもじゃないが、一日で終わることは見込めなかった。そしてそれこそがユウの思惑通りだった。

 だが作業の速度が遅いのはそれだけじゃない。単純に繭を解くことが思いの外重労働であったため、ユウの体力もかなり削られ、必然的に遅れていたのだ。要するに、会話で時間を引き延ばすまでもなく、動作が遅くなっていたということだ。

 いったいいくつ駅を飛ばしたことだろう。それともわざとルートを逸れて延々と同じ場所をグルグル回っているのか。とにかくユウたちが列車に乗りこんでから駅に停まることは一度もなかった。


「うーん、思ったほど回収が捗らないな」


 と、ここにきてついにパリィが違和感を持ち始めた。思った以上に捗らない作業に悩ましげな声を上げ、ポリポリと額と思われる辺りを長い脚で掻き始める。

 そんな何気なく漏らされた言葉に、ユウは内心でマズいと思った。このままでは効率を上げようと、パリィが速度を上げてしまうかもしれない。

 けれどもユウも話題が尽きかけていた。それもそうだろう、何時間もぶっ続けで話していれば普通は話題が尽きるもの。それに加えて相手に怪しまれないように会話を進めなければいけないのだから、骨だって折れる。


 それに下手なことを聞いたらユウの企みがバレてしまうかもしれないし、だからといって突っ込んだことを聞けばどこに地雷が埋まっているかもわからない。

 パリィにまだ善意というものがあってよかった。本当に体の芯まで悪に染まった悪人であったなら、会話することすら禁止されていたことだろう。

だがとにかくもう話題もない。聞くことは底を尽きた。これ以上の引き延ばしは無理だ。

 ならば、あとユウにできることは――


「ねえ、一旦休憩しない? ちょっと疲れた」


 ユウは素直に本音を吐露する。そう言ったユウの体は、何時間もぶっ続けで行われていた重労働で筋肉痛になり、全身汗だくになっていた。


「なにぃ⁉ まだ全然進んでないぞっ」


 ぜんぜん進んでいない解体作業と、ユウの提案を天秤に欠けた結果、パリィはとんでもないとばかりに叫んだ。それに対してユウは弱々しく言う。


「そんなこと言われても……もう手に力は入らないよ。握力も弱くなってきた」


 証拠とばかりにユウは両手をパーにしてパリィに見せてみる。ユウの言うとおり、ユウの掌はところどころ皮がむけており、豆や小さな水膨れまでできていた。


「ただ繭を破るだけだろ。そんな強く拘束はしてないと思うが?」

「あ、実は私あまり外に出ることとかなくって……。必要なものは全部揃ってたし、運動とかも全然したことないから。そのせかも」

「ちっ……はー仕方ない。じゃあ5分だ。5分間だけ休むことを許してやる」

「えぇー5分? せめて10分くらいちょうだいよ」

「このっ……生意気だなお前。仲間が人質に取られてること忘れたのか?」

「それはわかってるけど……でも体力が」


 どうしてもと食い下がるユウ。そのとき列車がガタンと揺れた。脱力していたユウは揺れに耐えることができず、そのまま情けなく尻もちをついてしまう。

 それを見たパリィは、ついに大きなため息を漏らすと苛立たし気に告げる。


「あーもーわかったわかった。10分休憩をやるから、そのままじっとしてろ。変な動きをしたら、ただじゃおかないからな。自分が無力であることを忘れるなよ」


 それだけ告げると、パリィは黙々と繭を割る作業へと戻った。

 なんとか手伝うことから抜け出すと、ユウはすかさずペンデュラムを見る。


(多分もう一時間以上は経ったよ。アラインに言われた通りにしたけど、本当にこれでよかったの? 私に他にできることはある?)


 今も最後尾の車両で蜘蛛の糸に縛られているであろうアラインのことを思い、ユウは必死に考えた。だがもはやこれ以上ユウにできることはなにも思いつかない。

 休憩中の今はまだいい。パリィを手伝っていない分、作業は滞る。だが休憩が終わったら、いよいよペースもスピードアップするかもしれない。そうなればもう誤魔化す手立てはなくなる。


 もしこのまま順調にすべての作業が終わってしまったら、自分たちはどうなるのだろうか。繭に囚われている人質と同じく、皮膚を薄く解かれてしまうのか。その場合逃がしてもらえるのか。それともパリィの行いを見てしまったことで、このまま餌食になってしまうのか。

 一番いいのは、パリィがこのまま人間に復活することだが……その望みは薄いだろう。

 ここまで作業をしてきたが、パリィが人間に戻る気配はまったくない。命までは取らないとはいえ、この調子で続けているようでは、あと数年はかかることだろう。


「さあ時間だ。休んだ分だけ、ここからはたっぷり働いてもらうからな」


 と、そうこうしているうちに、もう10分が経過してしまった。ユウは仕方なく腰を上げると、地道な繭を裂く作業に戻る。

 もう思いつく方法は、だらだらと作業をする以外になくなってしまった。これが最後の悪足掻き。これでどのくらい時間を稼げるか。


(お願いアライン、早く来て……っ)


 繭を裂きながらユウは胸中で相棒に助けを求める。パリィはそんなユウの心情など露知らず、黙々と繭を引き裂いては人質の皮膚を解いていくのだった。


       ◇


 ユウが願いをかけていたころ。徐々にアラインにも変化が表れていた。


「うがあぁ⁉」


 背後に体内の因果が巡るよう集中してから一時間が経過したころ。先ほどからドクドクと鼓動を発していた背中が、不意に大きく疼き出した。

 それまでただ膨張だけしていた背中は突然ひとりでに動き始めると、フードを突き上げてバサバサと音を立て始める。アラインを縛っていた糸はその勢いで数本千切れると、拘束が弱まったことで背中はさらに暴れ出した。

 幾重にも束ねられることで強度を保っていた糸は、途端に弱化すると堰を切ったように千切れていく。背後のそれは一層猛り狂うと、ついにフードを突き破った。


 数本の枯れた木の枝のようなものが、アラインの背中から突き出る。

 その枝と枝の間には薄い灰色の膜が張られてあり、左右に揺れて風を起こした。

 次いで、もう一方の肩甲骨からも同じものがフードを突き破って出現する。

 その正体は歪な形をした羽だった。

 羽が出現したことで一気に体積が増えると、ついにアラインを縛っていた糸も限界を迎えた。束になっていた糸は勢いよく千切れるとブチッと音を立てて床に散らばる。二組の羽が羽撃くと糸は宙に舞い、散り散りになって宙でばらける。次いで指の糸も緩む。


 そしてアラインも限界だった。

 ようやく自由の身になったアラインは全身を戦慄かせると、絶叫を上げた。

 今まで感じたことのない嫌悪感に侵されて気が触れそうになる。それを誤魔化すために声帯の限り声を張ると、勢いよく腕をクロスして思いっきり自分を抱いた。

 その10本の指先から因果の糸が伸びると、背後の羽の根元に幾重にも巻きつき、決して離さぬようにギュッと強く縛り付ける。

 瞬間、アラインはクロスした腕を一気に解放した。

まるで殻を破るように両腕を前に突き出し、大きく広げる。


 途端に背中の羽は根元から切断されると、切断面から血飛沫が上がった。

 背中に走る痛みにアラインが呻いていると、切断された羽はひとりでにバサバサと羽ばたき、車内のところどころに激突する。

 自分の穢れた一部にアラインは汚物を見るような目を向ける。できれば今すぐにでも処分したかった。しかし今はそれどころではない。

 アラインの突然の変化に、それまで見張りを続けていた蜘蛛たちが騒めき始めた。警告音とばかりに無視独特の小さな鳴き声を上げ、再びアラインを捉えようと頻りに糸を吐き出す。そして一部はパリィに知らせようとこの車両の出口まで走った。


 しかしそうはいかなかった。アラインは自由になった腕を振るうと、10本の指から因果の糸を伸ばし、今この車両にいるすべての蜘蛛たちに糸を巻き付ける。

 刹那、アラインは開かれていた両方の手をグッと握り締めた。

 決着がついたのは一瞬だった。縦横無尽に張られた虹色の糸は途端に引き締まると、蜘蛛たちはその場で盛大に体液をぶちまけながら、粉々になって即座に息絶える。

 邪魔者を一掃すると、アラインは痛みで言うことを聞かない体を強引に持ち上げ、車両を繋ぐドアを開ける。出口ができるとひとりでに羽ばたいていた翼は一目散にドアを潜り抜けた。


 予期せぬ来客に、見張りの蜘蛛の群れはこちらに視線を寄越した。そして頭を失くした鳥のように出鱈目に宙を飛ぶは翼目がけて一斉に糸を吐く。

 四方から飛ぶ糸が絡まると翼は暴れるようにバタつき、そのまま落下しそうになる。

 その隙にアラインは、腕を振り回しながら車両の端から端まで一気に駆け抜ける。その際、指から放出された因果の糸が蜘蛛たちを拘束すると、そのまま一斉に潰した。

 蜘蛛たちは悲鳴を上げると、車両の至るところで体液を弾き飛ばしながら絶命する。

 一方でアラインは背後を振り返ると、再び腕を振り回して乗客が拘束されている繭に因果の糸を伸ばす。


 やがて因果の糸が車両すべての繭に絡んだころ、アラインはグッと拳を握る。

 途端に車両全体にぶら下がっていた繭は綻ぶと、中に捕まっていた乗客が開放されて床に落ちた。パリィの毒は相当強いのか、落下しても目を覚ます者は一人もいなかった。

 蜘蛛の群れも一掃し、乗客が意識を失っている車両内はレールの音しか響かず、とても静かだった。ただ一点、宙を飛ぶ穢れた翼だけがバサバサと飛びにくそうにしていた。

 アラインは蜘蛛の糸の絡まった翼をしばし見つめてから、ふと閃く。


「……こういう使い方もあるか」


       ◇


「おい、もっとキリキリ動けないのかお前⁉」

「これ以上は……ちょっと……」


 時間稼ぎのためにわざと遅く動いていたユウは、ついにパリィから指摘されてしまった。けれど演技少し、本物の疲労ほとんどだったため、作戦が上手く行っているとは言い難い。


(どうしよう、もう誤魔化しようがないよ。どうすれば……)


 万策尽きたとユウが困っていると、後ろの車両からドンと大きな音が響く。


「なんだ⁉ いったいどうした!」


 何度も壁にぶつかるような、それでいて捨て身のタックルでもかましているような音にパリィも違和感を覚え、それまでの作業を中断する。

 二人して後方の車両の方を見ていると、音がどんどんこちらに近づいてくる。次いで小さな生物が発するような、小さい悲鳴が断続的に響いてきた。

 ついに車両を繋ぐドアがバンと音を立てる。ユウは身を縮みこませ、パリィは警戒心を高めると、こちらに来る何者かに備えて構えを取った。蜘蛛たちも作業を一旦中断する。

 その瞬間、ドアが勢いよく開いて呪われた翼が突入して来た。


「なんだこれは⁉」


 突然現れた未知の生物にパリィは驚く。蜘蛛たちは侵入者に向かって一斉に糸を吐きかけると、相手の動きを封じようとした躍起になった。

 が、糸が吐かれた直後、別の方から放たれた糸に切断されてしまう。

 虹色に輝く糸はそのまま蜘蛛たちの吐いた糸を薙ぐように切断すると、途端に蜘蛛たちの攻撃を無力化した。

 そこに駆けだして来たアラインが突入し、蜘蛛たちを因果の糸で絡め取る。その後方ではパリィが拘束した乗客たちが開放され、床に倒れていた。

たちまち蜘蛛たちは糸に締め付けられると、アラインが拳を握った瞬間、破裂して体液を飛ばした。

 車両の至るところで体液が飛び散り、小さな悲鳴が上がる。飛び散った体液はパリィの顔を汚すと、汗のようにパリィの体を流れ落ちた。


「貴――様アァァァァァ! よくも俺の分身体を殺したなあぁぁ⁉」


 一瞬にして仲間たちがやられた様を見ると、パリィは叫びを上げる。そして車両に備え付けられていた椅子に糸を絡ませると、強引に引き千切って椅子を持ち上げた。


「ユウ、床に伏せろ!」


 アラインに言われてユウはすぐさま床に倒れる。それを合図にアラインも自らの指から糸を放つと、近くにあった椅子に巻きつけてピンと糸を張る。

 パリィが引き千切った椅子を投げるのと、アラインが椅子を引き千切るのは同時だった。双方の攻撃は空中でぶつかると、大きな破壊音を響かせながら木の椅子は木っ端微塵に粉砕する。

 ユウは床に伏せたまま、頭上から降りかかる破片を頭から被った。

 双方の攻撃はまだ終わらなかった。パリィは怒りに任せて椅子を引き千切っては投げてくる。それに応戦するようにアラインも手当たり次第に椅子を投げ飛ばし、攻撃を相殺する。


 攻防は激しさを増すと、一度に投げられる椅子の数は一気に二つ、三つと増える。もちろんアラインもそれに合わせて、放る椅子の数を増やした。

 次の攻撃に備えてアラインは次の椅子を用意しようとし、しかし先に糸を吐いたパリィに奪われてしまった。一瞬の沈黙が降り、アラインはパリィと目が合う。

 パリィはにたりと笑うと、渾身の力で椅子を投げた。


「くっ……」


 防御法がなくなったアラインは、迫ってくる椅子に向かって即座に腕を振り回した。

 途端に細かな網が空中に生成されると、そこにぶつかった椅子は壁にでも激突したかのようにバラバラになる。細かくなった破片はアラインに飛散し、頬や手の甲を切った。


「へっ、ざまあみやがれ!」


 パリィは憎たらしく笑うと、捨て台詞を吐いて奥の車両へと逃げた。

 ユウはすぐさま立ち上がると、走って蹲るアラインのもとへと急ぐ。


「アライン、大丈夫⁉ ああ大変、血が……っ」


 ユウはアラインの前にしゃがむと、手で血を拭った。そのとき指に触れた奇妙な感触に眉を顰める。

 なにかと指を離して傷口を見ると、一瞬前まで皮膚が切れていた箇所がザラリとしており、わずかに硬化していた。そして数秒と経たないうちに鱗へと変わっていく。


「アライン⁉ 皮膚が固まって……っ」


 ユウが当惑しながら呟くと、アラインもハッとして傷口に触れた。そして指の感触を確かめると、忌々し気に舌打ちをする。


「くそ、呪印だ。列車で一気に不幸地帯方面に向かってるから、症状が早く現れたんだ」


 よく見ると、他の切り傷ができたところにも同じように鱗が出始めている。ユウは状況がよくわからなかったが、とにかくやる事は一つだとアラインに手を伸ばす。


「早く傷の手当てをしないと」

「平気だ。この調子ならすぐに傷は塞がる。それよりもあの蜘蛛野郎はどうした?」

「あ、なんか向こうの方に行っちゃったけど……」


 ユウが前の車両を示すと、アラインはすぐに立ち上がって歩き出した。全身擦過傷だらけで、体の至るところから血を流しているアラインに、ユウは慌てて声を張る。


「待ち伏せしてるかも!」

「上等だ。こっちは指が10本。あいつは足もあわせてせいぜい8本だろう。こっちの方が2本分有利だ」


 言い放つとアラインは勇敢な足取りで次の車両を目指した。

 だが備えておくに越したことはなかった。アラインは自分より前に今なお宙を羽ばたいている忌まわしい翼を先に進ませる。そして翼がドアに近づくと同時にドアを開いた。

 アラインの予期していた通り、先を行った翼はすぐに糸に拘束されると、そのまま床に転がり、それでも羽ばたこうと懸命に藻掻いていた。

 アラインが車両を移ると、前方から椅子が投げられてくる。

 しかしここまではアラインの予想通りだった。アラインは飛んできた椅子に自らの糸を放って縛り付けると、そのまま横の替えに叩きつけて攻撃を躱す。そして前に出ようとし――足を止めた。


「ヒヒヒヒ。これにはお前も安易に近づけまい」


 待ち構えていたパリィは厭らしく笑うと、天井からぶら下がっていた巨大な繭に近づいて憎まれ口を叩いた。

 その繭は、他の乗客が拘束されているものとは明らかに違った。車両の半分ぐらいを覆うほどの大きさの繭で、何重にも束ねられた糸で車両に固定されており、なにやら不穏な気をまとっている。


「この嫌な感じ……まさか⁉」


 長年培ってきた経験則から不穏な空気を感じ取ると、アラインは『(ホルス)』を発動する。

 思った通りだった。繭に蔓延る空気は不運をまとっていた。

 いや、繭自体が巨大な厄運の塊だった。


「まさかとは思うが、中身がなんであるかに気づいたった訳じゃねぇよなぁ」


 言い当てられアラインは眉間にしわを寄せる。その動作を見てパリィは目を剥いた。


「おいおいおい、そのまさかかよぉ!? こりゃ参ったね……お前いったい何者だ?」

「え、なに? あれがどうかしたの?」


 アラインとパリィが見つめ合う中、一人だけ状況に着いて行けないユウが聞く。

 すぐにでも情報共有しておいた方がいいと思ったアラインは、問いに答えた。


「あの中身は厄災の塊だ。割れたら最悪なことになる」

「その通り。これは俺がガス抜きのために生んだ……言うなれば、不幸の卵といったところだな。人間どもから肉体の一部を奪うと、一緒にガスまで溜まって来ちゃってねぇ。時々こうして排泄しては捨ててるんだよ。まさか、それがこんな形で役立つとは思わなかったがなぁ」


 アラインの言をパリィが継ぐ。その言い草にアラインはパリィを睨んだ。

 だがいくら睨んだところで状況は変わらなかった。そして完全に主導権を握ったパリィはついに恐れていた行動に出る。


「それじゃあ、お前らとはこれでおさらばだ」


 パリィは宣うと卵に向き直り、鋭い爪を振りかぶった。


「させるか!」


 アラインは即座に飛び出すと、因果の糸の塊を放出して直接パリィの腕に絡みつかせようと伸ばす。するとパリィもそれに気づき、同じく糸の塊を伸ばした。

 ぶつかった双方の糸は弾けるように四散すると車両中に飛び散って、ネットトラップのようにどちらの糸ともとれない糸が絡まりながらそこら中に張りつく。

 同じ出力で放たれて相殺された自らの糸にアラインは舌打ちをすると、即座に計画を変えた。アラインはそのまま因果の糸を集めて薄い板を作り出すと、パリィとこちら側を完全に分断するための壁を作り出す。卵があるなら離してしまえばいいという寸法だ。

 だがその作戦はすぐにパリィにバレた。


「なにやろうとしてるかバレバレなんだよ!」


 パリィは愉悦とばかりにケタケタ笑うと、自らの脚を引っ張って糸を解き始めた。途端にあちらとこちらを分断した壁に隙間ができ、どんどん解かれてしまう。


「くっ……ならこれでどうだ!」


 アラインは苦渋の決断で因果の糸を空いた隙間に伸ばすと、そのまま釘を打ち込むように糸を差し込む。次いで、そのまま勢いよく引っ張った。

 瞬間、車両の壁は、まるでその素材自体が生地かなにかでできているように解かれて息、ジッパーのみたいに広がっていく。空いた隙間からは外の空気が入り込み、吹きすさぶ風で車両中の糸が大きく撓んだ。

 これはパリィも予想していなかったのか、開いた隙間から吹いてくる気流をダイレクトに受けると、飛ばされぬよう自分の張った巣にしがみつくように態勢を低くする。その間も車両はどんどん解かれていくと、外の景色が完全に見えるまでに広がった。


 そのころには、アラインが必死で作った双方を隔てる壁はパリィによって完全に解かれてしまっていた。だがそれでよかった。アラインは今度は両手をパリィの横にある卵に伸ばす。10本の指から放たれた糸は放射状に卵の周り――卵を支えている糸の塊に絡みつくと、アラインは再び糸を思いっきり引っ張る。

 卵を支えていた糸は一瞬にして解かれると、支えを失くした卵は床に落ちてごろんと転がり、そのままアラインによって広げられた車両の隙間に落ちて挟まる。


「外に落とされてたまるか!」


 パリィは決心が固まったのか、8本の脚を使って器用にジャンプすると、卵を割ろうと足先の爪を伸ばし突撃する。だがアラインもそうは問屋が卸さなかった。


「うおおおおおお!」


 アラインは自分を鼓舞するように声を上げると、思いっきり糸を引っ張って一気に車両を解体した。解かれた車両はガタンと大きく揺れると、瞬く間に隙間を開けて、ついに卵はパリィに割られる前に見事外に捨てることに成功した。


「やった!」


 その様子を見ていたユウが歓喜の声を上げる。アラインも間一髪で卵が割られるのを阻止すると、ふうと大きく息を吐いて緊張を解いた。その油断がいけなかった。


「アライン、あれ……!」


 突然ユウが前を見て大声を上げる。アラインはその声に弾かれて前方を見ると、そこにはパリィと――ついさっき外に捨てたはずの卵が車両の四方に固定されて鎮座していた。

 アラインは信じられないものを見るように、呆然と声を漏らす。


「どう、して……っ!?」

「クックック……誰も卵が1個だとは言ってねぇんだよなーあぁ!」


 どうやら、たった今捨てた卵の後ろに、もう1個同じものが隠されていたようだ。

 パリィはチェックメイトとばかりに高笑いすると、今度こそ鋭利な爪を振るって卵を割った。途端に卵は引き裂かれると、大きな音を立てて破裂して車両全体に不運を撒き散らす。

 途端に薄幸が車両に充満すると、その波はアラインたちの方へと靡く。車両を解いたことで風が入って来ていたこともあり、その因果はこちらの方に吹いてきた。


「後ろに下がれユウ! 後ろの車両に移るんだ!」


 アラインは咄嗟に叫ぶと、ユウと一緒に後ろの車両へ移動した。その際アラインは因果の糸でまだ残っていた椅子を引き千切ると、手当たり次第に窓ガラスを割る。少しでも厄運が外へと流れるようにするためだ。

 だがすでに禍の前兆は表れていた。アラインが厄運を散らすために行った行為はそのまま、災厄が起こるきっかけとなってしまう。

 割れた窓、そして先ほど解かれた車両の穴から外へと不運の欠片は外へと流れ、禍の種はアラインの望み通り薄まっていく。しかしただ外へと流れるだけではなかった。


 蒸気機関車の出す煙が風に流れるように。窓から出た煙もまた、列車全体をその悪質な煙霧で覆ってしまう。

 その結果、不幸が明確な形となって現れた。

 厄運の波は列車の下に流れると車輪を覆う。その波は錆びていた車輪のネジに触れてしまう。きっかけを与えられたネジは途端に粉々に砕け散ると、そのまま車輪が外れて汽車は脱線する。そして最後に列車は大きく横転した。

 ガタンと大きく弾むと、次の瞬間には車両ごと地面にぶち当たり引きずられて火花を散らす。一つの車両が脱線すると後ろの車両も次々に脱線し、ついには列車全体がレールから投げ出された。


「うわっ!?」


 なんの前触れもなく突然脱線した列車に、ユウは声を上げた。一方でアラインは咄嗟に因果の糸を伸ばすと、苦肉の策で自分とユウの体を適当なところに固定する。

 けれど衝撃までは緩和できず、全身を突き抜ける強い衝撃にダメージを受けた。

 衝撃は一瞬だった。というのも、それ以降の感覚はすぐに目の前が真っ暗になったことで途切れてしまったのだ。即座に音も聞こえなくなり、なんの感覚もなくなる。


(あれ……? 俺、どうしたんだっけ……――)


 アラインが気が付くと、次の瞬間には体が酷く重くなっていた。

 まるで内臓ごとひっくり返ったように全身の気分が悪く、とにかく節々が痛い。意識も朦朧とし、アラインはそれ以外なにもわからなくなる。

 頭からなにかぽたぽたと流れている感覚がある。これは血だろうか。

 体を起こそうとするが、肉体が言うことを聞かない。仕方なく視線を巡らせると、そこが横倒しになった車両の中ということだけがわかった。

 すべての窓ガラスが割れ、横倒しになった車両で自分が倒れていることがわかる。今にも途切れてしまいそうな意識の先では、ユウと思しき人物がアラインと同じように倒れていた。


「ユ……ウ……」


 全身が痛む中、なんとか声を絞り出し少女の名を呼ぶ。だが返事はなかった。ただ自分と同じように倒れており、完全に意識を失ってしまっている。

 すぐにユウの安否を確認するため立ち上がろうと試みる。しかし相変わらず体は重く力が入らない。視界も霞み、どうしても薄目になってぼやけてしまう。

 どうしたものかと瞬きする。一人の黒い人影が映ったのはそのときだった。

 どこか見覚えある服装をしていたその人物は、倒れた状態のアラインからは足しか見えず、体全体までは見えない。

 次に瞬いたときには人影の数が増えていた。再び瞬きするとさらに人数が増える。三度目に瞼を開けたときには一番近くにいた者がしゃがみこみ、こちらを覗いてくる。

 視界に映ったのは、忌々しい不気味な仮面――ダースロウの一人だった。


「な……ん……っ」


 なんでここに。そう言おうとして言葉が途切れる。けれどダースロウはそんなアラインに構うことなく、そっとこちらに手を伸ばしてくる。


「やめっ――」


 アラインがその手を拒もうとした直後。再びそこで意識が途切れた。


       ◇


「やっぱり死んでるのかな? 全然起きないじゃん」

「でもまだ息があるよ」


 暗闇の中、ユウは確かにその声が自分にかけられているのを聞いた。

すぐに起き上がって「生きてるよ」と返事しようと試みる。けれど思うように動けなかった。体のあちこちが痛くて、変に動いたら骨が折れそうなほど体が軋む。


「どうする? 捨ててくる?」

「アイ、リラ! ダメでしょそんな考え方。助け合いが大切って教えてもらったでしょ⁉」


 ユウがどうしようと迷っていると、突然そんな怒声が聞こえた。

 いきなりのことでびっくりして、思わずパチッと瞼が開く。そして瞼が開いてから思った、そうか、目を開ければよかったのだと。


「あ、見て。起きたみたいだよ」

「本当だ。目が開いてる」


 さっき聞えた声とは、また違う声がこちらに向けられた。ユウは今度こそ意識をハッキリとさせると、ゆっくりと顔を巡らしてそこにいる人たちを見る。


「んっ……う?」


 静かに目を覚ますと、そこには数人の子どもたちが、こちらの顔を覗き込んでいた。

 歳はユウと同じくらいだろうか。いや、ユウよりも小さな子もちらほらいる。


「あ、目が覚めた?」

 ユウが見覚えのない顔触れに当惑していると、この中では一番年長者の少女が気づかわしげに声をかけてきた。ユウは返事の代わりにゆっくりと体を起こす。


「あっ、起きて大丈夫?」


 起き上がるとき全身が悲鳴を上げるように痛かったが、その際さっきの少女が背中に手を添えて手伝ってくれると、ユウはどうにか座った態勢にまで持っていくことができた。

 ようやく話をできる姿勢にまでもってくると、改めてそこにいるメンバーを見る。

 そこにいたのは、やはり数人の子どもたちであった。最初に見た通り年齢はバラバラで、小さい子もいれば、今ユウが起きるのを手伝ってくれた年齢の高そうな少女までいる。


「ここは……?」


 第一声がそれだった。ユウは見覚えのない場所に、思わずそんな疑問を漏らす。


「ここ? ここは私たちの家だよ」


 知らない場所にユウが困惑していると、さっきからユウを介抱してくれていた少女が答えてくれた。それでもユウが呆然としていると少女はにっこりと笑い、


「ようこそ我が家へ。私たちがあなたを助けたのよ。もう大丈夫だから安心して」


 眩しい笑顔を湛えて、どこの誰とも知らないユウを喜んで迎えるのだった。

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