第17話 帝王
今でこそ民衆に慕われ、ある程度の信者も集め、煌びやかな生活を送っていたフロード・スィンドゥラーの生い立ちは、今では信じられないくらい貧しかった。
それこそ風が吹けば吹き飛んでしまいそうなボロ屋に住み、母親は水商売を生業としており、父親は毎日酒浸りでまともな職に就いておらず、口答えをしようものならすぐに拳が飛んでくる始末だった。
おまけにギャンブル依存症で膨大な借金に塗れ、借金取りに追われては逃げの、今とは真逆の生活をしていたのである。当然食事も質素で、硬くカビたパンでも平気でかじったし、日々薄汚れた茶碗に溜まった雨水で喉を潤した。
衣服ももう何年も洗っていない身につけているもの一式しかない状態。お風呂にも入れず、年がら年中体から異臭を放つ少女時代であった。
そんな彼女の生活に転機が訪れたのは、まさに奇跡の成せる技だった。
ロクデナシの父親が、全財産を賭けたギャンブルで一発当てたのである。
一世一代の大逆転だった。それからフロードの暮らしは一般層にまで回復し、ようやく人間らしい生活を営めるようになった。だが彼女たちの活劇はまだ終わらない。
なにを血迷ったのか、彼女の父親はせっかく当てた大金をすべて次ぎ込んで会社を作ったのだ。しかも、偶然にもその経営は気流に乗り、これまた大儲けしたのである。人生二度目の大活劇だった。それから父親はいろんな大手企業と提携し、元々のギャンブル気質が功を成して危険な橋を渡りまくり、一気にコネを作って次々と成功を収めた。
そのころには母親も水商売から完全に足を洗い、父親の資金とコネを使いまくって、なんと今度は政治に興味を持ち始めて選挙に出馬したのだ。
すでに土台となる政治資金とコネを持ち合わせていた選挙活動は、当然のことながら有利に周り、たくさんの裏金とコネを使いまくったことで母親は見事当選を果たした。三度目の大活劇である。
人生なにが起こるかわからないとは、まさにこのことだった。
大成功したことで溜飲が下がった父親はDVをやめ、母親も余裕ができたことでフロードに学習環境を提供できるようになった。
こうして運よく大手企業の父親と政治家の母親を持った彼女の生活環境は、数年でガラリと変わり、貧困層から一気に超富裕民層にまで上り詰めたのである。
超富裕層になったことで受けられる勉学の質も変わった。
貧困層のころは文字も書けなかった少女は、大金さえ払えば誰でも入れる超一流の学校に通えるようになり、優秀な家庭教師を雇ったことで水を得たスポンジのように様々な科目と学問を日々吸収し、元々貧困により成績が底辺だったこともあり、成績もどんどん向上した。代表取締役会長の父親と、政治家の母親。そして最高の学習環境と最高級の暮らしを手に入れた彼女は、一生涯を左右するほどの認知の歪みを持ってしまう。
「なによ。この世界、努力すればどうとでもなるじゃない」
それは偶然にも大金を手に入れ、なにもかもをすっ飛ばして地位と名誉と成功への道を手に入れてしまったことにより発生した、壮大な勘違いだった。
彼女は努力すれば望みが叶うことをその身でもって知った。
確かに彼女は努力したことで成績も上がり、学年のトップにまで上り詰めた。しかし彼女は気づかない。それが元はと言えば、父親がギャンブルで当てなければ手に入らなかったものだということに。
にもかかわらず、彼女は勘違いを続ける。成績の悪い生徒は努力不足なのだと。
そこまで彼女を育んだ最高の学習環境は、大金がなければ提供されなかったこととも知らず、自分の恵まれた環境にも気づかず。
そもそも家庭教師すら雇えない貧困層たちの言葉を、すべては努力不足を正当化するための言い訳だと、歪んだ認知で解釈する。
彼女の厄介なところは、一度その身でもって貧困を体験していることにあった。
私も昔は貧困だったのだと。でも今では勝ち組側にいるぞと。
自分はたまたま恵まれた環境に生まれ育っただけとも知らず、さらに彼女にその自覚はない。今でも彼女は、自分がこの地位にいるのは、全部自分の努力の賜物だと勘違いをしている。そして努力が実らないと言っている連中を心底軽蔑していた。
そんなことないだろう。努力は必ず報われる。現に私はそうだった。報われないのは、やり方が間違っているからだ。神は乗り越えられる試練しか与えない――と。
彼女はその考えを広めるために、父親と母親のコネを最大限に使って、見事晴れて実業家になった。母親の知り合いの小説家に文章の書き方を教わり、父親に紹介してもらった出版社で本を出して、毎年ベストセラーを連発した。
人脈に恵まれていたことすらも、自分の努力の結果だと疑わずに。ベストセラーを記念して開かれた講演会では、一流の学びを得たフロードの巧みな話術が光った。
ポジティブな言葉や格言で会場を見事に沸かせて洗脳し、それからは頻繁にセミナーや研修会を行い、着々と信者を増やしていった。
地道な作業は功を成し、こうして不動の地位を確立して現在に至る。
しかしそんな順風満帆に見えた彼女の日常は、先日の大災害で一変した。
そして現在、聖儀祭2日目のこと。フロードは耐え難い屈辱感に憤慨していた。過去、かつてこれほどまでに怒りに打ち震え、心を搔き乱されたことがあっただろうか。
聖儀祭初日に起こった厄災で予定していたオンラインサロンのオフ会は急遽中止。
アラインのところの移転の話もその影響で白紙になり、両方とも今後の目処は立っていない。それに加えて、今はと言えば――
「どうしてくれるのよ⁉ ダースロウにやられて息子が……いいえ、そもそもあなたが息子をそそのかしたから。今回だけじゃない、この前のセミナーでだって!」
「いい加減自首しなさいよ! あなたがやっているのはただの洗脳よ!」
とある用事で外出中だった最中。以前ダースロウの被害に遭ったと訴えてきた被害者家族たちが、ほとんど八つ当たりに近い勢いで難癖をつけてきた。
その手にはもはや人の姿から逸脱して、ただの皮の塊となった不気味な亡骸が抱えられている。その正体は、以前アラインが時計塔で『因果歪曲計』を設置していた際、ダースロウに突っかかっていた若者の亡骸であった。
当然フロードは事件のことも、その亡骸が元は人間であったことも知らない。
もっと言ってしまえば、自分とは完全に無関係な事故であった。
この被害者家族がフロードに当たる理由は、その若者たちが以前フロードを病的に崇拝し、何度も道を踏み外したという経緯があるからである。
故に今回も、フロードが一枚噛んでいるのだろうという不信感が被害者家族の間で募り、こうして決めつけているのだ。
実際のところ、フロードの勧誘は洗脳に近いところがあった。だから今回に関して言えば、身から出た錆だろう。でも今回の件と自分が無関係なのも事実。
そこのところをハッキリさせるため、フロードも反論に出る。
「あら、それは残念でなりませんわ。私も大切な信者を失って心を痛めています。でもこれだけはハッキリさせてください。おたくのご家族がなくなったこととダースロウに関しては、私はまったく無関係なことでしてよ。そもそもダースロウなんて、あんな予言や占いめいた迷信を言う人種……私とは永久に関わり合いのない者たちです」
なるべく穏便に済ませようと笑顔で対応する。だいたいにしてフロードは現実主義者だ。そんな人物がダースロウと関係を持つことなどないと、フロードの信者であれば速攻で納得しただろう。だが相手はその辺りの事情を知らない一般人だった。
「私の息子はあなたの言葉を信じてからおかしくなったんですよ! それでも無関係と言えるんですか⁉」
「その通りです! あなたが余計なことさえ言わなければ、こんなことには……」
涙ながらに力説する遺族たち。しかしフロードは断固として譲らなかった。
それどころか遺族たちの言い分を鼻で笑い、相手を貶めることを口にする。
「そんなの私の知ったことではありません。すべては息子さんがご自身で決めたことでしょう? そういうのを自業自得と言うんです。その辺の分別がなかったから、そのような不幸な事故に遭われたのではなくて?」
「なっ⁉ なにを――」
「だいたい……そのダースロウたちには、本当にそんな摩訶不思議な力なんてあるのかしら? どうも私には現実味がなくて、まったく信じられないのよね」
あろうことかフロードは、被害者たちを慰めるどころか、猜疑の目で持って本人の死まで疑い始めた。そんなフロードに被害者たちはショックで言葉を詰まらせる。
それをいいことに、フロードはさらなる嫌みを言う。
「そこまで私に文句があるなら、あなた方が私の代わりに良い世の中になるよう努力すればいいじゃない。それこそ好きなだけダースロウを排除すればいいだけのこと」
「あなた……さっきから好きに言わせておけば!」
ついに遺族の怒りの沸点が限界を迎えた。それまでどうにか耐えていた遺族たちは完全に怒髪天を突くと、フロードに掴みかかろうと一歩迫る。
と、その前に、フロードの後ろで控えていた屈強なガードマンたちが立ち塞がった。
突然前に出てきた筋肉質な男たちに、遺族たちは萎縮して一歩下がる。
「最後に一つ、大事なことを教えて差し上げますわ」
自分が有利な立場になったのをいいことに、フロードは怯えている遺族たちに言う。
「あなたのお子さんたちは私の言うことを守ろうとした。それは称賛に値します。でも残念ながらやり方が間違ってた。だからこんな悲しい結果を招いたのでしょう。そう、きっと努力の方向が間違っていたのね。あなたたちの話が本当だとしても、いくら私がダースロウを毛嫌いしているからって、誰かにどうにかしてくれなんて頼んでないのに」
フロードは言い切った。すべては信者の独断で、自己責任だと。
その冷たい言葉に、遺族の一人が涙ながらに訴えかける。
「あの子は……あなたのためを思って、こんなになるまで無茶をして死んでいったんですよ? あなたはそこに……自分の発する言葉の影響力に責任はないの?」
「責任って……全部あなたの子どもが勝手にやったことでしょ? 私には関係ないわ」
失笑気味に言うと、フロードは懐中時計を見て「あらあら」とわざとらしく宣う。
「嫌だ、もうこんな時間。悪いですけど、私はこれにて失礼しますわ。これから大切な用事がありますの。それじゃあご機嫌よう」
一方的に会話を終わらすとフロードは踵を返した。
後ろではなおも遺族が喚き散らしていたが、それらは全部ガードマンに任せて、フロードは一人先を急ぐ。これが実業家フロードのいつものやり口であった。
片っ端から信者を増やしては自分の信仰を広げ、しくじった信者はトカゲの尻尾切りのように容赦なく切り落とし、あとのことはすべて信者たちの自己責任にする。
当然ながらフロードはそこに罪悪感を覚えていなければ、失敗した信者を可哀想とも思わず、救いの手を差し伸べようともしなかった。
そのため被害者の会なる団体も多数存在し、今までに賠償金を命じられたことも枚挙に暇がなく、同時にそういった会をいくつ潰してきたかも記憶になかった。
裏社会にもコネのあるフロードにとってそれらは、目の前のハエを叩く淡白な作業でしかない。
そう、すべては自己責任なのである。例えそれが自分を信じたがための過ちであっても。
さて。邪魔者もいなくなったところで、フロードは本来の作業に取りかかる。
目指すは『帝冠クラウン』の中心地の月経秤側にある、タームを仕切る巨大な壁。不気味なほど人気がなく人通りのない、『生贄の門』へ続く神聖な入り口。
門に入る直前、フロードはチラリと横を見る。
その先では他の入り口が遠くまで続いており、その出入り口で家や家族や希望を失くした野蛮人たちが居を構えている。
しかし月経秤から近い、フロード側の門には誰一人陣取っておらず、閑散としていた。
いつもの見慣れた光景に、今さらなにか思うことはなかった。
フロードはそのまま遺跡のような門を潜ると、これまたガランとした集落を、今度は『生贄の門』――の方向ではなく、月経秤側に向かって歩いていく。
アラインとユウ以外、誰も近づくことができなかったその先へ――
フロードは世間一般から見た自身の認知度を把握していた。そのためこの先へ進む際はいつも、誰かに着けられていないか確かめてから月経秤へと続く隠し扉を開けた。
だがその心配はいつも杞憂に終わる。いったいどういう原理なのか、フロードが堂々と怪しい配置に陣取っても、こちらに視線をやる者は誰一人としていないのだ。
それこそ魔法でこの先が隠されているか、周囲の認知から疎外されているかのように。
やがてフロードは後ろを警戒しつつも、ゆっくりと前方の壁を見る。そこには丁度胸の位置にこの国、『帝冠クラウン』のシンボルである風見鶏の彫刻が彫られていた。
フロードは見慣れたシンボルに目を移すと、慣れた動作でそこに手を添える。
瞬間、彫刻に触れた個所から指が解け、フロードを長い一本の糸へと変えていった。
糸はまるでそれ自体に意思があるように宙に浮くと、フロードの全身を螺旋状にグルグル回りながら包んでいく。その間もフロードの指は解けて行き、やがてその現象は腕、肩へと到達して、みるみるうちに彼女自身を解いていった。
自身を巻き込んで周囲で巻き起こる摩訶不思議な現象を前に、フロードはすでに見慣れた光景なのか、特別驚くこともなく神妙な面持ちでその様子を見守る。
フロードは己を取り囲むこの、到底理屈では説明できない状況を、例えば魔法がかかって引き起こされているなどとは一ミリも思わなかった。
これは、この装置を作った者が来客を喜ばすため、あるいは驚かすために作った一種のエンターテイメント作品であり、なにか仕掛けがあるに違いないと思っていたからだ。
現実主義者のフロードがスピリチュアルな事柄を信じないのと同様、魔法などというファンタジーが存在するなど、もっての外である。
だから初めてこの現象を見たときも、驚きはしたものの狼狽はしなかった。むしろ無駄に派手な演出だなと嘆息し、半ば呆れたくらいである。
フロードが王族の存在を知り、この王宮に初めて招待されたのは、栄光を手にしてすぐのことだった。それからはこの王宮を介し『生贄の門』を通らずしてタームを移動して、様々な場所で自身の名声を挙げた。
初めの方こそ半信半疑だったが、この王宮内に政治家や有名な著名人が出入りしていることを知ってから、自分の幸福論を世に知らしめるには王族を利用した方が有益だと確信し、徐々にその存在を自分の中で受け入れ始めたのだ。
と、そうこうしているうちにフロードの全身はついに長い糸に包まれ、繭のような形になり見えなくなって隠れる。やがてその繭はそのまま縦に長く伸び、人間が入らないほど細くなっていくと、一本の線になってその場から消滅した。
◇
気がついたときには、フロードは宮殿の内部にいた。
しかし驚くことはない。いつも通りのことだと、フロードは事もなげに歩き出す。
壮麗な宮殿内は、その外観からは想像もできないほどに、煌びやかに飾り立てられていた。至るところに絵画や銅像が飾られており、柱一つとっても厳かで、壁には芸術作品のような文様が描かれている。それはまるで巨大な博物館のようだった。
その一方で宮殿内は閑散としており、ほとんど人気がなかった。
ときおりすれ違う者といえば、その道では有名な業界人や、裏社会に精通している役人に、新聞の記事にも乗ったことのある有名な政治家たちである。
中には今自分のいるタームの者ではない政界人もいた。
彼らは別のタームから来た者たちである。各タームには政治家がいて、それぞれのタームを仕切っているのだ。その中にこうして自分も招待され加われたことを、フロードは誇らか半分、警戒半分で進んでいた。
それこそ初めて招かれたときは猜疑心MAXで、有名な資産家や著名人が通りすがるのを見なければ、すぐに引き返して今後関わりを持たなかったくらいである。
そんなフロードも、今では我が物顔で宮殿内を闊歩するくらいには慣れた。
道中も目的地に着くまでの間、先程の失礼な輩からの謂れのない非難を頭の隅に置き、これから会う重要人物のために心に余裕を開けておく。
が、その余裕が一瞬脅かされる光景に立ち会う。前を歩いていると、反対方向から仮面をつけた黒装束の集団が歩いてくる。言わずもがなダースロウたちだ。
閑散とした雰囲気に交じって、不穏な空気が漂いだす。
だがそこはフロード、長年培ってきた持ち前の昂然さを保ち、威風堂々とした足取りで何事もなくすれ違う。そうでなくともこれから殿上人と面会するのだ。
この時点でフロードの観念の土台は完成されており、落ち着き払って素通りすることができた。かといって、心までを縛りつけることはしなかった。
(なぜこの宮殿内に、あんな野蛮な人種が……?)
威厳は崩さぬまま、ふと胸中に浮かんだ違和感に眉間にしわを刻む。だがそれも数秒のこと。謁見の間が見えてくると、フロードはすぐさまその思考を捨てた。
扉を開く前に、フロードは懐中時計で時刻を見た。確認したところ、約束の時間に寸分の狂いはない。フロードは一呼吸置くと、ノックをして扉を開く。
謁見の間に入ると、まず初めに階段が目に入った。視線を少し上に上げればその途中に小さな踊り場があり、その先ではまた階段が続いている。
さらに階段を上がった先には、一本の小さな塔が立っていた。
塔の上には玉座があり、そこに座っていた一人の老人がこちらを見下ろしている。
「よく来たフロード・スィンドゥラー。いつも時間通りで感心するぞ」
どれだけの美辞麗句を並び立てても表現しきれない黄金郷の間に、美麗な雰囲気には似つかわしくない掠れた声が響く。
その声質はとても弱々しく、縮こまった体躯と皺くちゃな肌からは、威厳も尊厳もすでに感じられなかった。
見たところ近くに側近もおらず、完全に一人でこの大広間にいるらしい。
それでも背筋を伸ばしてしまうほどの畏怖を感じたのは、相手の着ている礼装とその全身を飾る煌びやかな宝石、そしてなによりも老人を覆う皮膚にあった。
皮膚の見える手や顔全体、そして首回りはすべてケロイドで覆われており、全身に火傷を負った痕か、もしくは皮膚を剥いだ痕跡のように奇怪にブヨブヨしていた。そこにただでさえ老化でダルダルの皺くちゃになった肌質も加わり、より不気味さが増す。
中でも一番気味が悪かったのは、両目の眼球だった。
まるで眼球すらもなにか怪我を負ったように元は黒かった瞳は白みがかっており、一瞬白内障を疑ってしまう。それら華麗な要素と奇怪な部分が混ざり合うことによって、独特の雰囲気を醸し出しており、相手は一種の威厳を保つことができていた。
「帝王――いえ、殿下。お褒めに預かり光栄です」
自分の様々な内心をおくびにも出さず、フロードは形式的な挨拶をする。
「今回呼んだのは他でもない。お前の知恵を借りたいのだ」
殿上人は世間話を好まなかった。最低限の挨拶を済ませると、さっさと本題に入る。こうして帝王と顔を合わせるのも数回目。すでに帝王との遣り取りに慣れていたフロードは狼狽えることなく、相手のテンポに合わせて会話を進めていく。
「知恵……と申しますと? いったいどんなことでしょう」
「聞くところによれば、お前はその巧みな話術で信者を増やしているようではないか」
「信者なんて、そんな……私はただ、みなに正しき考え方を伝授しているだけです」
「そう、それだ。その正しき考えとやらの刷り込ませ方を教えて欲しいのだ」
刷り込ませ方……その失礼な言い回しに、フロードは口の端をピクリとさせる。
それでも笑顔だけは決して崩さず、丁寧に誤解を解いていく。
「陛下。お言葉を返すようで大変恐縮ですが……それだと私がみなを洗脳していると言ってるように聞こえてしまいます」
「なにを言うか。洗脳だろう。どこからどう見ても」
世迷い事をとでも言いたげに帝王は鼻で笑った。それがフロードの逆鱗に触れる。
フロードのやっているビジネスは、本人曰く、本気でみなを幸せに導くものであると自負していた。それを汚職呼ばわりされたのだ。腸が煮えくり返らないわけがない。
しかしなにも起こらなかった。正確には、なにもできなかった。
腐っても相手は殿上人。そんな相手に無礼を働こうものなら、どんな厳しい処罰が待っているか……ゆえにフロードは泣き寝入って無言を貫く。
ところが帝王はそうではなかった。
不意に口元から笑みを消し、どこか厳しい真顔で沈黙するフロードを認めると、ふんとつまらなそうに鼻で笑う。
「まあなんでもよい。とにかく私は、お前のそのやり方を尊敬しているということだ」
間違っても貶したわけではないと念を押す帝王。その言い分を聞きフロードは幾許か余裕が生まれる。なるほど、今のは言葉の綾でしかなかったわけだ。
頭を整理するために一拍置いたあと、フロードはようやく落ち着きを取り戻す。
「……いいでしょう。わかりました。その変わり一つ教えていただきたいのですが、私の知恵をいったいなににお使いのつもりで?」
「『帝冠クラウン』の情勢をよりコントロールしやすくするためだ」
「と、いいますと?」
いまいち事情が呑み込めなかったフロードはさらに質問する。それが間違いだった。
「フロード・スィンドゥラー。お前はこの国に吉凶の流れがあることを知っているか?」
「なんですって?」
「吉と凶。要するに運気の流れというやつだ」
それは現実主義者のフロードがもっとも嫌う類の話であった。
まさか帝王がそんな迷信めいたものを信じているのかと心底呆れる。
先刻遺族から聞いたダースロウの話といい、この帝王といい、今の世の中はそんな絵空事を信じねば生きられぬほど路頭に迷っているのかと心配になる。
お遊戯程度ならまだ可愛いものだ。しかしそれを人生に取り入れようとしている輩の気が知れない。そんな現実離れしたスピリチュアル的なものに、いったいどんな信憑性があると言うのだろうか。
そんなものに縋るくらいなら、今から人一倍努力した方が確実に身について生きた力となるのに。まったくそんなものを信じる者の気が知れない。それは単なる現実逃避だろう。それがフロードの本心だった。
と、フロードが心中でそう愚痴っている一方、帝王はそんなフロードの心情など知らずに、悠々と話しを続ける。
「元々『帝冠クラウン』には運気の流れ――因果が存在する。もしかしたらこんな話、お前たち民は信じないだろう。だが事実、それは年々大きくなりつつあるのだ。私は危惧しているのだ、この激しい落差で自分たちの移住区が凶になった直後、落差に耐えられず自ら命を落とす者が続出する恐れがあるのではないかと。そうなればいずれ暴動も起こり、この月桂秤も安全ではなくなるだろう。そこでお前の、気の持ちようという考え方で、民たちに幸せは考え方次第という思考を植え付けて、民たちの精神を操作したい」
話が終わると、帝王は再びフロードへと目を移した。
この際、帝王が運気の流れというスピリチュアルを信じていることには目を瞑ろう。それに民たちに、幸せは捉え方次第という帝王の考え方にも賛同する。
しかし最後のだけは受け入れがたかった。
「私のやっていることは、あくまで人々に小さな幸せを気づかせることです。そんな洗脳のために扱うものではございません」
「はっはっは。自分は洗脳しといてなにを言っている。ではお前の抱えている信者はいったいなんだ? 洗脳で集めたものではないのか?」
「同じ志を持った仲間です。決して洗脳したわけではありません」
「自分のやっていることに誇りを持っているのだな、フロード・スィンドゥラー。ならば今回の件、お前に託すとしよう」
「なんですって?」
「お前の仕事をしやすいよう、わしが手を貸してやろうと言っているのだ」
帝王の思い付きに、フロードはすぐにでも嫌だと言いたかった。
しかし帝王の言うことは絶対。もし逆らったら最後、どこから衛兵が現れ、処刑されるかわからない。
だが、せめてもと。なにか言ってやらないと気が済まなかったフロードは、質問と言う方法でなんとか言葉を返す。
「仕事とは、具体的になにをやればいいんですか?」
「今まで通り幸福になる方法を、タームの各地を訪れて朗唱すればよい。そうだ、なにもわしがやらなくても、お前がこれまで通りやってくれればいいのだ。お前は各地に自分の考えを知らしめられ、わしとしても自死する者を減らせる。まさに一石二鳥ではないか」
ナイスアイデアと一人手を打つ帝王。フロードはそんな陛下を風変わりな人物と思いつつも、自分はいつも通り考えを広めるだけだから別にいいかとも思う。
どのみち自分の目的は変わらない。大広間に悲鳴が響いたのはそのときだった。
何事かと振り返れば、そこに広がっていた異様な光景にフロードは一瞬硬直する。
タキシードに身を包んだフルフェイスが、一人の男の首根っこを掴んで大広間に入って来た。身長は2メートル前後あり、手足の細さも人間離れしている。
その衣装は、スチュワードの執事服と違った種類のものだった。
簡単に折れそうな細腕にもかかわらず、フルフェイスは男をいとも簡単にこちらまで引きずってくる。いったいどこに、そんな力があるのだろうか。全身の人間離れした骨格も含め、フロードは相手がただ者ではないことを悟る。
「バトラー。なんだその男は」
挨拶もなく入ってきた怪しげなフルフェイスに、帝王は親しげに声をかけた。
フルフェイスは階段を上ってフロードの隣にまで来ると、帝王に向く。
『この者が内部の機密情報を』
『外部に漏らそうとしていたので連行しました』
月経秤内部で起こったことや話したことは他言無用。この月経秤の内部に人が出入りできることはもちろん、帝王の存在すら民衆には秘密なのだ。
禁を破った者には厳しい処罰が待っており、帝王の許可なく内部事情を教えた者、知った者は即刻排除される。どうやらあれは、その禁を犯した者をここまで連行したらしい。
いや、それよりも。フロードはフルフェイスの独特な話し方に面食らった。
音が出ている場所は同じなのに、その声質は別々の者がしゃべっているように聞こえたのだ。まるで一人の中に二人の声が混在しているように感じる。
「お、お待ちください陛下!」
バトラーが報告していると、すかさず捕まっていた男が這いつくばったまま前に出て、帝王へと顔を向けた。
「ほんの少し魔が差しただけなのです! まだ誰にも情報は漏らしていません!」
「黙れ愚か者。言い訳は聞かぬ。バトラーよ、今すぐこの者を処刑しろ」
是非もなしと帝王は即座に判断を下すと、バトラーは悲鳴を上げる男と頭を掴んで、そのまま片手で宙へと持ち上げた。
細腕からは想像のできない腕力にフロードは小さく悲鳴を上げる。だがそれ以上に頭を掴まれた男の喚き声が大広間中に響き、その声は掻き消された。
いったいなにが起ころうとしているのかフロードが息を呑む横で、バトラーは不意に胸を張り姿勢を正すと、そのまま風船のように肺を膨張させる。
それに伴ってタキシードも生地を伸ばすと、途中で破れることなく伸縮した。
このときフロードの目にはなにが起きているのかさっぱりわからなかった。
しかしこの場にアラインがいれば、或いは見えていただろう。
バトラーが男から好運を吸引し、自らの肺に取り入れている光景を。
一方で目に見える変化もあった。それは男の容姿に表れる。
「うがああああぁぁ!」
男は悲鳴を上げながら縮み上がると、皮膚から水分が抜けていった。瑞々しかった肌はたちまち浅黒く変色し、空気が抜けるようにしてカラカラに枯れていく。
肉の下に隠れていた骨も浮き上がって、皮さえも干からびていった。
ついには骨と皮だけになると、元の大きさよりも小さくなった男の体からは完全に水分が失われ、乾ききった皮膚を被っただけの骸骨へと成り果てた。
それに合わせてバトラーの胸元も収縮していくと、元のやせ細った体躯に戻る。
こうして公開処刑は終わった。バトラーは男だった亡骸から手を離す。
亡骸は床と接触するや小さく砂煙を上げると、ガシャンと音を立てて粉々に砕けた。
一連の騒動を見ていたフロードは、今にも膝から崩れそうだった。
そうしなかったのは、帝王の御前ということと、これまでに築き上げてきた実業家としてのプライドが、今も笑っている膝をどうにか支えていた。
「よくやったバトラー。その死骸はあとで片付けておけ」
翻って帝王はというと、今目の前で起きた出来事に仰天する様も見せず、通常運転でバトラーを称賛した。と、今度はフロードへと目をやる。
「見苦しいものを見せてしまったな。お詫びと言ってはなんだが、先に報酬をやろう」
なにを考えているのか、帝王は再び「バトラー」と呼ぶと、顎でフロードを差した。
嫌な予感がフロードの中で湧き上がる。命令を受けたバトラーはフロードに向き直ると、さっき男の頭を掴んでいた手とは反対の手でフロードの頭を鷲掴みにした。
咄嗟に叫びかけて、フロードは口元を震わせる。悲鳴が出なかったのは、バトラーに掴まれた手が岩のように重く、身動ぎすることさえも許さなかったからだ。
途端にバトラーは再び肺を膨らませた。先程男を処刑したときと同じ動作にフロードは恐怖で硬直する。刹那、脳裏に男と同じように干からびる自分が浮かんだ。
だがその想像は杞憂に終わる。バトラーはフロードの頭を持ち上げないどころか、そのまま大きく膨らませた肺を萎ませていくと、彼女に多幸を送り込んでいく。
それは先刻死んだ男から吸引した好運であったが、フロードはそれを知らない。またフロード自身も、多幸を与えられたからといって、身体的な変化はこれといって感じなかった。やがて譲渡作業も終わり、バトラーはフロードの頭から手を離す。
他方でフロードがなにが起きたのかわからず困惑していると、帝王があとを継いだ。
「これでわざわざ月経秤を介さずとも、数度だけ直接タームを超えられる。フロード・スィンドゥラー、タームを超えるところを民に見せ、お前の力を示してやれ」
いきなりそんなことを言われると、フロードは困窮してリアクションに困った。なによりもいきなり生身でタームを超えろと言われて当惑する。
……だが。この月経秤を支配する主が言うのであれば……越えられるのであろうか、あの平等に人を選定する『生贄の門』を……――
「さて、わしからは以上だ。他になにかあるか?」
フロードが授かった特権に慄いていると、帝王がそう聞いてくる。すかさずフロードは持ち前の洗練されたビジネスフェイスで居住まいを正すと、すぐに返事をする。
「いえ、私からもなにもございません」
「そうか。ならば話はこれで終わりだ。もう下がってよい」
帝王から下がるよう言われると、フロードは一礼して背を向けた。
もっと言えば、早くこの場から立ち去りたかった。
よくわからない力を使うバトラー。すぐ横には男の亡骸。報酬と言い気味の悪い召使に自分の頭を掴ませた狂王。不気味に思うには十分過ぎる理由だろう。
「いや、一つ聞きたいことがあった」
早々に退散しようとしたところに、帝王から待ったをかけられる。フロードは一瞬ビクリとしつつ、相手に背は向けたまま足を止めた。
これ以上いったいなにがあるのかと内心びくつきながら言葉を待つ。しかし実際に聞かれたのは、フロードとはまったく関係のない事柄だった。
「先日、お前のいるタームの方で災害が起こったそうだが、なにか心当たりはないか? どんな些細なことでもいい。例えば……異様な人物を見たとか」
一瞬……数秒にも満たないほんのコンマ数秒、開催するはずであったオンラインサロンのことと、アラインの店舗の移動を阻止すると言った銀髪の少女のことが脳裏を過ぎる。
それは本当に刹那のことだった。数秒後には脳裏を過ぎ去って思考から消える。
自分とは直接関係のない内容に、フロードは心の中で胸を撫で下ろした。
それから悠々と振り返ると、にこやかな営業スマイルを張りつけて答える。
「いいえ陛下。私の知る限り、そのようなことはなかったかと」
「ふむ、そうか……。足止めをして悪かったな。もう行ってよいぞ」
許しをもらうとフロードは一礼して、そそくさと門へと急いだ。
『陛下。『禍の神子』の容態に』
『また異変が表れています』
「なんだ、またか。最近やけに多い気がするな」
(『禍の神子』……?)
大広間からです瞬間、そんな会話がフロードの耳に届く。だがこれ以上厄介事に巻き込まれたくなかったフロードは、意味深な言葉に首を傾げつつ門を閉じた。
◇
先ほどフロードが月桂秤に入ったとき同様、同じ場所で一本の長い糸が発生する。
糸はその場で風に踊るようにクルクルと回ると、徐々にその体積を増やし、糸の中央部分を膨らませながら上下に伸びていく。
やがて人一人分が入れるくらいに膨張した直後、今度は収縮して縮む。だがただ縮んだだけではなく、人の形を模倣し糸人形となって固まった。
間もなくして糸くずがボロボロと落ちると、いつの間にか中にいた人物――フロードは何事もなかったように糸くずを払うと、月桂秤の裏口から出た。
その形相は怒りで満ちていた。フロードは今、怒りで頭がどうにかなりそうだった。
過去に、昨日と今日ほど最悪だった二日間はあっただろうか。そうと思えるほどに今のフロードは憤懣やる方なかった。
先日は謎の災害で予定していたオンラインサロンを台無しにされ、今日といえば謎のクレーマーに絡まれ、帝王からは自分のやり方を詐欺まがいのものと一緒にされた。
しかもその帝王が、因果なるものを信じているというではないか。
呆れてものが言えないとはこのことだった。なにが運気だ、バカバカしい。そんなものに頼るくらいなら、自分で努力し切磋琢磨した方がよっぽど有意義というものだ。
あんな者が月経秤を統べ、各タームを取り仕切っているのだとしたら、いよいよこの世界の終りも近いのかもしれない。
そう確信するほどにフロードは帝王に呆れ果てていた。だがその一方で、帝王が言っていた、異様な人物についても気になっている。
異様な人物とはなんなのか。もしやその人物が、先日の数々の災害の元凶なのか。
仮にもしそうだとしたら、放ってはおけない。
今回のオンラインサロンは本当に大事な式典だった。各業界のスターや有名人も参加予定だったのだ。本来ならここでコネを作りネットワークを広げる予定だったのである。
その機会を水の泡にした罪は大きい。どだい許せる話ではなかった。
(これは……私の方でも調べてみる必要性がありそうね)
ゆえにフロードの方でも調査の予定を立て始めた。帝王の言った通り、本当に元凶となる人物がいるのだとしたら、また厄介事を起こされる前に早々に始末しておいた方がいい。
なによりそうしないと、フロードの腹の虫が収まらなかった。
「それにしても、異様な人物ね……私の近くにそんな輩いたかしら」
事務所への帰り道、フロードは思い当たる人物がいないか記憶を辿る。だが思い出すほどに裏社会との繋がりが濃い人物ばかり出てきて、到底一人に絞れそうにはなかった。
怪しい人物。ここ最近で、なにか気にかかるようなことを言っていた者は――
『土地代をどうにかすればいいの?』
不意にフロードの脳裏に怪しげな言葉が去来した。
いったい誰の言葉だっただろうかと時間を遡る。そして思い出した。確か自分に面と向かってその言葉を吐いたのは、アラインの連れていた女の子のものだったと。
名前は確か……いや、聞いていない。相手が名乗る前にアラインがそれを制したのだ。
「ふふ、まさかね……」
あまりにも突拍子のない展開に、フロードは自身で小さく笑った。
あり得ない。あんな小さな女の子一人に、あの災害を起こすなど不可能だろう。どこからどう見ても世間知らずな、このフロードのことさえ知らない人物に。
……だが、こういうときのフロードの勘は当たるのだ。
フロードは足先を別の方へと向けると、当初の予定を変更して、とある場所へ向かう。
アラインが経営しているジュエリーショップへと――
◇
「どうもごきげんよう。少しお時間いいかしら?」
店内に響き渡る声に、それまで働いていた従業員たちは一斉に動きを止めた。
すぐに沈黙が降りると、沈黙は囁き声に代わり、今度は動揺が場を満たしていく。
いかにも招かれざる客に対する対応に、しかしフロードはそんなものはどこ吹く風と、今回立ち寄った目的を全体に向けて話し出す。
「この店の店主はいるかしら? ちょっと話があるのだけど……」
と、よく通る声で全体に用件を伝えていると、店の奥の方から慌ただしい様子でジルが現れた。その顔には驚きと侮蔑が浮かんでおり、明らかにこちらを警戒している様子だ。
「フロード……さん。どうしたんですか、いきなりうちの店に来て?」
噛み締めるように呼びながら、かろうじて丁寧語で話すジル。
けれど表情と言葉の端々からは嫌悪感が溢れ出しており、それをまったく隠せていない。
常であればここで嫌みの一つでも言ってやるのだが、今はそういう場合ではないのでとどめておこう。それよりも先に、ここに来た要件を話す。
「アラインはいるかしら?」
「アライン……ですか? 彼なら、用事で数日店を開けていますが」
こちらの出方を窺うような様子で答えるジル。
フロードは卓越した観察眼でそっと目を細める。今見た限り、どうやら嘘は言っていないらしい。同時にそのことがフロードに引っかかった。
(災害が起きた昨日の今日で店を開ける? それも数日も? 妙ね……)
「――余ってた在庫まで売れて本当によかったねぇ」
「本当にそうだよ。これも全部ユウちゃんのお陰で……」
店の奥から雑談が聞こえてきたのはそのときだった。荷物を持った二人の従業員が、ジルの後ろを通ってどこかへ運ぼうとしているのを発見する。
「そこの二人!」
つい大きな声を上げると、ジルたちはもちろんのこと、その後ろで荷物を運んでいた二人もビクリとして足を止めた。そしてフロードを見るなり嫌悪感を露わにする。
だがこの際そんなことはどうでもよかった。それよりも今の会話に出てきた名前に興味を惹かれると、ほとんど確信をもって二人に尋ねた。
「そのユウって子……もしかして最近ここで雇った新人ではなくて?」
「え……あ、はい。そうですが……?」
やっぱりそうかと、今の短い会話の中ですべてを見透かすフロード。ならば話は早い。
「その子をここに連れて来てくれるかしら? ちょっと用があるの」
以前アラインと挨拶に来たときは、なんの取り柄のない子だと侮っていたが、ここに来てそれが変わった。すぐにでもその子に対面しなければと気が急く。が。
「悪いですけど、その従業員ならもういませんよ」
なにから話を聞こうかとフロードが頭の中で考えていると、ジルから信じられない言葉が飛んで来た。フロードは慌てずに事情を聴く。
「いないですって? それはどういうことかしら」
「事情があって辞めたんですよ。だからもうこの店にはいません」
(辞めた……いや、逃げられた?)
瞬時にフロードは頭の中で言葉を返還した。そしてこの一連の流れを奇怪に思う。
アラインが店を開けたタイミングで、ユウまで姿を消すなんていかにも怪しい。
そしてフロードの中で着々と推測が形作られていく。
もしや帝王が言っていた異様な人物とはユウのことであり、彼女がこの災害騒動に絡んでいるのではいかと。こんな飛躍した考え、普通の人なら「いや、そんなまさか」と笑い飛ばすだろう。だがフロードは違った。何年もかけて卓越した勘がフロードに警笛を鳴らす。なんにしても所詮は推測だ。決定的な証拠があるわけではない。
だからこそ解明する必要があると踏んだ。ユウと最後に会ったのは数日前。
ここ数日で辞めたとなれば、まだそれほど遠くへは行っていないはず。各地に配置した情報網で彼女の居場所を調べてみる価値はあるだろう。
それでも見つからなければ、あるいは……。
帝王の言葉を思い出す。あの方は、タームを超えていけと言われた。
まさかとは思うが……もし帝王の言っている人物がユウのことを指しているのだとしたら、彼女も特別なはず。タームの一つくらい超えていてもなんらをおかしくはない。
と、そこまで考えたところでフロードは冷静になる。たかが少女一人になにを熱くなっているのか。いくらなんでも突拍子がなさ過ぎる。自分にはこれからやる事がいっぱいあるのだから、そんなことに構っている暇なんてない。
だからこの件は、網にかかればラッキーくらいに思えばいいのだ。
最低限の罠を貼り、もし相手がそれにかかったら実際に行動に移せばいい。それまではこの前の災害で損失した分を取り返す作業にかからなければ。
(タームも渡れるようになったことだし……あの子たちに働いてもらおうかしら)
考えをまとめるとフロードは一呼吸置く。そして従業員たちの方を向いた。
「アラインに会ったら伝えておいてちょうだい。いつでも戻ってきていいのよって」
何事もなくフロードが去ろうとすると、店中の従業員たちがぽかんとした顔をした。きっとんまた不当な扱いを受けると思っていたのだろう。だからこそ呆然と立ち尽くす。
一方でフロードは捨て台詞を吐くと、その場をあとにする。
そして一人不敵な笑みを浮かべると、今度こそ自分の事務所の方へと帰っていった。




