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第14話 旅立ち

「それでは、お世話になりました」


 翌日、聖儀祭三日目。店の裏口にて感謝を述べながらユウが下げた頭を上げると、カンナやジルを筆頭に、従業員たちが笑顔で答えてくれた。

 ユウは初めて会ったときに着ていた上等な衣服をまとっており、勤務中まとめていた長い髪は解かれて下ろされていた。


「いいって別にそのくらい。むしろ俺たちの方が助かったくらいだし」

「そうだよユウちゃん。気づいてないかもしれないけどね、ユウちゃんがここに来てから本当にお店にお客さんが増えたんだから。もう私なんて最初、福の神が来たんじゃないかって本気で驚いたんだからね!」


 例え話を出されると、あながち間違いではない比喩に、ユウは内心ほくそ笑んだ。

 カンナはそんなユウの心情など知らぬまま、悩ましげにユウの乏しい手元を見る。


「荷物はそれだけでいいの? ほぼ手ぶらじゃん」


 茶封筒一枚だけを手にしたユウを見て、カンナは訝しんだ。中身はこれまで店で働いた分の労賃である。稼働日数が少ないため厚みも心許ない。ユウは頷きを返す。


「他のものは全部向こうに揃ってるみたいだから……」

「そうなの? ならいいけど……。お迎えとかは?」

「待ち合わせは別の場所でしてるから、直接ここには来ないことになってる」


 なっている、というのは、言わずもがな設定のことだ。親戚と外で落ち合うことにしておけば違和感なく退出できる。これもアラインのアイデアだった。

 と、ユウがこのシナリオの発案者のことを考えていると、その思考が伝染したかのように、カンナも同じ人物のことを口にする。


「あれ、そうえいば肝心のアラインはどこ? ジル知ってる?」

「なんだ聞いてないのか。あいつなら今いないぞ。野暮用で留守にしてる」

「はあ⁉ なにそれ、あり得ないんだけど! 昨日だって結局あれ以来一度も顔出さなかったじゃん。ったく、こんなときまで……どこいるの? ちょっと連れ戻してくる」

「おいおい待てってカンナ。落ち着け!」


 アラインの欠席を知るや姉御肌気質のカンナは気色ばむと、甲斐性なしの店長を引き戻そうと、勇み足で外に出ようとした。それを見たジルや従業員たちは、カンナの言が冗談でないことがわかると、慌てて肩や腕を掴んで押し留める。


「カンナ、私なら大丈夫だから! アラインとはもう挨拶は済ましてるし」


 いつの間にタメ口で会話を交わすほど親しくなったのか、ユウも説得に加わった。しかし、それでもカンナの怒りは収まらない。


「だって今日が最後の日なんだよ⁉ だいたい店長としてどうなの、最後まで従業員にきちんとした挨拶なしって? きちんと締めるところは締めないとっ」

「それは嬉しいけど、でももう時間だから――」


 長居すればそれだけ体質の影響が色濃く出る。そういう意味では時間が限られていた。

 それにユウは、自分がアラインから恨まれているだろうことは十分に理解していた。植物園では擁護するようなことを言ってくれたが、それだって時間が経てば、いずれ思い直しても当然だとわかっている。実際に人々から憎まれるだけの被害が出たのだ。だからアラインがこの場にいないことに不満はなかった。

 やむを得ない事情に、カンナは不承不承ながら、やっと落ち着きを取り戻した。というよりも、今さら焦っても無意味だと悟って、仕方なく諦める。


「もーわかったわよ。ユウちゃんがそれで満足してるなら、今はなにもしない」

「今は、ね……」


 含みのある言い方に誰かが復唱する。もちろんカンナに聞こえぬよう小声で。一方カンナは、呆れられているとも知らずにユウに向き直ると、勢いよくハグをした。


「短い間だったけど楽しかったよ! 新しい友達ができて嬉しかったし」

「! ……うん。私もお祭り楽しかった。誘ってくれてありがとうね、カンナ」


 真っ向から好意を伝えてくれるカンナに、ユウも感謝を込めて抱き締め返した。すると他の従業員たちも、それぞれ別れの言葉を告げてくれる。


「いつでも遊びに来てくださいね。年中無休でお店は開いているので」

「向こうが嫌になったら、いつでも帰ってきていいからな!」


 暖かい笑顔を向けてくれただけでなく、この場所をもう一つの帰る場所として提示してくれた従業員たちに、ユウは堪らず胸がいっぱいになる。

 なによりも、これまでの人生で初めて友達という存在ができたこと、そしてその相手がカンナたちであったことに最上の喜びを感じた。

 だからこそ、二度とこの場所には戻るまいと痛切に思う。


(ああ……これで増々、ここに帰って来られなくなっちゃったなぁ――)


 カンナの――この世でたった一人の友人の温もりを感じながら凄まじい激情に呑まれると、ユウは深い郷愁に駆られた。だがどれだけ願ってももはやあとには引けない。

 それを自分に言い聞かせるように、ユウは自らカンナの体から手を離した。カンナもその意味を察する。しかしユウの心情は知らぬまま、ユウに倣って距離を置く。

 もう永遠に会うことのない未来を知らぬ瞳で、きっとまた会えると信じながら。


「それじゃあまたね、ユウちゃん!」

「……うん。また、ね――」


 普段お別れの挨拶をする習慣がなかったユウは、『また』という言葉の指す意味も深く考えぬまま、元気に手を振るカンナに寂しげな笑顔で手を振り返す。

 こうしてユウは、再び相まみえることは愚か、今後永久に見ることのない愛おしい顔触れに見送られながら、短いようで長かったほんの数日間お世話になった店と仲間たちに別れを告げた。


       ◇


 店を去ったあと、ユウが真っ先に向かったのは鉄道だった。

 何度も列車を乗り継ぎ、揺られて移動すること数時間。目的地に到着したユウは、改めてその外観を下から臨む。

 数日前に見たときと変わらず、月桂秤は高い城壁に囲まれていた。

 天秤を囲う壁も記憶と違わず真っ白い。

 いったいなんの素材でできているのか、傷は愚か汚れ一つつかないその表面は金属はもちろん、木材や鉱石にも該当しない、不思議な物質でそこに敷設されていた。


 どれだけ念入りに調べても溝や隙間はない。試しに手で触れてみるが、わかるのはその壁が途轍もなくぶ厚いことと、暑さや冷たさといった熱量がないことだけだった。押しても叩いても振動が響く感じもない。そして奇妙な点がもう一つ。

 壁の周りには、なぜか一人も人間がいなかった。

 別にこの場所が街から離れた位置にあるわけではない。後ろを振り返れば数メートル先に、住民たちにとっての変わらぬ日常が全体に広がっている。


 この辺りは先日災害の起こった場所からかなり離れた地域のため、被害が出た様子は見受けられない。どこもかしこも聖儀祭初日と変わらぬ熱量で賑わっており、耳障りなほどの雑踏や出店に耳を澄ませば、近くからパレードの騒ぎが聞こえてくる。

 誰も特別壁を避けている様子がないのも不気味な点だった。まるで壁の周辺だけが人々の認識から疎外され、独立した一つの世界として存在しているかのようである。


 ある意味でアラインが言っていた通りだった。どういう原理かはわからないが、誰も傍に近づけないというのは本当らしい。そしてここは吉凶の流れが存在しない凪の地帯。

 であれば、もはやユウは赤子同然だった。

 静かに息を吐いて小さく落胆する。確証はなかったが、ここに来れば、あとは己の体質でなんとかなると思っていた。だが実際に行き着いたのは、完全な立ち往生。


 それでもなにかできることはないかと、ユウなりに努力はした。

例えば壁にへばりついて、上を目指してカサカサと登ってみたり。しかしこれはダメだった。途中で滑ってしまいズルズルと地面に落ちてしまう。

 ならばと今度は、どこかから拾ってきた大きな岩を持って来て、月桂秤から出たとき同様、扉が開かないか試して見る。言わずもがなこれもダメだった。ユウの腕力では重い岩を持ち上げ続けることはできず、岩を持ち上げたままコテンと横に倒れてしまう。


 自分の能力頼りであったがために、ユウは成す術を失ったのである。

 今のユウにできたことは、自身と月桂秤の間を阻むように円形に敷設された純白の壁を、餌を欲しがる雛のようにぽかんと口を開けながら、茫然と見上げることだけ。

 このまま立ち尽くしていても仕方がなかった。ユウは一度壁から離れると、背後の人通りに戻り、適当な段差を見つけて腰を落ち着ける。

 あっという間に一時間が過ぎた。休憩を挟めばなにか閃くだろうと期待したが、得策が思いつくわけでもなく、手元に残った残金を確認したり、周囲を行き交う人々を見ているだけで、生産性のない時間が徐々にユウを社会から隔絶する。


「これからどうしよう……」

「おや、お嬢ちゃん?」


 成す術もなくぽつりと呟くと、不意に声をかけられた。振り向くとそこには手提げを持った婆さんがおり、心配そうにこちらを見ている。


「あ、あの……」

「お腹が空いたのかい? それならいいものを上げようねぇ」


 ユウがどう説明しようか口籠っていると、なにも言わないうちからお婆さんが手提げの中をガサゴソし、飴玉を二つプレゼントしてくれた。


「おやおや、もしかして迷子かい?」

「可哀想に。お腹は空いてないかい?」


 するとその様子を見た他の人たちが、みるみるユウに集ってパンやお菓子を恵んでくれた。小さな子までもがお菓子をくれたりした。

 そんなことが数分続くと、ユウの周りはあっという間に食べ物の山ができる。


「あ……ありがとうございます。とても助かりました」


 腹は減ってはいないのだが、恵んでもらえたことに感謝を示すと、道行く人たちは満足げに頷いてやがて去って行った。

 ユウは自分の周りにできた食べ物の山を見て、再び呟く。


「さぁてと。これからどうしよう……」


 深刻さの欠片もなく、能天気にもらった飴玉を口の中で転がしながら、ユウはもう何度目かもわからない呟きを漏らした。呟きながら次のお菓子に手を伸ばす。

 この問題は、今まで幸運に導かれるまま気楽にやってきたユウにとってはかなりの難題だった。自分で考えて行動するというのは、とても難しいということがわかった。

 人の流れを見るのにも飽きて、弄り過ぎてボロボロになった茶封筒を再度弄る。そのとき誤って封筒を落としかけた。


 寸前で持ち直して、なんとか地面に金銭をばら撒くのは死守する。それでも傾いた拍子に中から硬貨が一枚だけ転がり落ちてしまい、あらぬ方へと転がって行った。

 拾うために起立して、追いかけたときだった。硬貨は酔っ払いのようによろよろと右往左往したあとパタリと倒れ、前方にいた人物に拾い上げられる。

 歩きかけていたユウが相手に気づいて止まると、先に向こうから声をかけてきた。


「やっぱこの辺りだったか」


 言いながらアラインは近づくと、摘まんだ硬貨をユウに差し出した。

 ユウは硬貨を受け取りながらも、意外な人物の登場で、未だに息を呑んでいる。


「アライン……なんでここに?」

「なんだ、その山は……」

「なんかみんながくれた。アラインも食べる?」


 アラインは答える前に、ユウの後ろにできた食べ物の山を見て、放浪していたときになんとかなっていたのはこういうことだったのかと、半ば呆れながら得心した。


「いや、いい……」

「アラインはどうしてここにいるの?」

「そんなの、因果を見れば一目瞭然だ。明かに尋常じゃない因果の塊がこっち方面に動いてたからな。昨日から周りに体質の影響が出るのも気にかかってたみたいだし、そうなるとユウがこの辺に来ることは、ある程度予想できたから――」

「そうじゃなくてっ」


 的外れの返事にユウは食い気味に遮った。それから物怖じするような仕草をすると、アラインはなんとなくユウの言わんとしていることに勘づく。


「どうしてユウを追いかけてきたのか、ってことか?」

「……近くにいると巻き込んじゃうから離れたのに。これじゃ意味ないじゃん」


 所作や声音から読み取ったことを伝えると、ユウは控えめに頷いた。

 もっともな意見に納得すると、アラインは順を追って説明を始める。


「ちょっと事情が変わったんだ。早急に解決しないといけない問題ができた」


 深刻そうに理由を告げると、ユウの表情もつられて緊張した。


「問題って……もしかして、また私が原因でなにか⁉」

「いや、悪いことが起きたわけじゃない。ただ調べものができただけだ」

「? それって、私となにか関係があることなの?」


 被害が出たわけではないことに安堵しつつも、言葉のニュアンス的に自分が関係した事柄であることに変わりはなさそうだったので、ユウは疑念を抱いた。

 その瞳に先を促されると、アラインは首肯する。


「そういえば、この国の吉凶が12年で一周することはまだ伝えてなかったな」

「じゅう……に……」


 問いかけられたユウは返事ではなく、感慨深げにオウム返しをした。既視感のある数字に本人も気づいたようである。構わずアラインは続けた。


「実は、ずっと前から気になってたことがあるんだ。どうして吉凶のサイクルが一周するのと、聖儀祭が行われる時期、その開催日数に12っていう数字が絡むのか。なにか関連性があるんじゃないかと引っかかってた。そして今度は、幸福体質のユウと、吉凶を操作する執事が現れて、しかもユウは12年に一度大事な役目があるって言うじゃないか。こんなの、もう偶然じゃ片づけられないだろ」


 確かに言われてみれば、不自然なほど一致する事柄にユウは因縁を見出す。まずはそのことをユウが理解してくれたことを確認すると、アラインさらりと告げる。


「この世界から吉凶の差をなくしたい俺としては、この因果関係を突き止めないわけにはいかない。だから俺もユウに着いて行くことに決めた」


 重要な話の途中、さり気なく言われた一言を、ユウは聞き逃さなかった。寄っていた眉根は目が見開かれたことで離れ、驚きの面持ちでアラインを凝視する。

 短い間で何度も百面相するユウが可笑しくて、真面目な話をしているにもかかわらずアラインは思わず口元を緩めた。それからもう一つ理由をつけ足す。


「それに執事みたいな奴が存在してると知った以上、同じ仲間としては、ユウ一人だけで行かせるのが心配だからな。ちょっとした護衛係だ」

「着いてくって……いつまで続くかわからないよ? ううん、終わりなんてないかもしれない。それにアラインが急にいなくなったら、お店が困るんじゃ」

「仲間には、厄災のことを調べるからしばらく店を留守にするって伝えておいた。ほら昨日、『因果歪曲計(ウェザー)』で操作してたのになんで厄災がー、って話になったろ。理由としては申し分ない。それに、この追いかけっこにも終わりはあるからな」

「っ!」


 漂わされた終焉に、ユウは今まで以上に大きな反応を見せた。気持ち前のめりで息を呑むと、期待と不安の入り混じった眼差しを輝かせながら、慎重に言葉を選ぶ。


「それって……私が月桂秤に戻るってこと? それとも――」


 ニュアンスからユウがなにを望んでいるかは想像に容易かった。だが確証があることではなかったので、誤解を与えぬよう先に断りを入れる。


「悪いけど、俺もそこまで見通しがついてるわけじゃないんだ。ただわかってるのは、確実に終わりがあるってことだけで」

「……そっ……か。……でも、なんで終わりがあるってわかるの?」


 一瞬落胆するも、すぐに持ち直して真意を問うユウ。切り替えが早いことに胸中で感謝しつつ、アライン根拠を提示する。


「昨日、植物園で話を聞いたときにピンと来たんだ。もしその12年に一度、ユウが巫女とやらの役割を果たすのが聖儀祭の行われる間だとすれば、この期間を乗り切って終祭を迎えれば、一先ずユウに関わる騒動は落ち着くか、すべてが収束するんじゃないかって。つまり今日を含めて、あと10日間逃げ切れば――」


 それ以上は続けず、わざと途中で言葉を切る。なぜならそれ以降のことはアラインにも測りかね、どんな結末が待ち受けているかわからなかったからだ。


(逃げ切れば……なんとかなるのか? でも今は、それしか方法がない……)


 自分から切り出しておいて、話の着地点を見失いアラインはまごつく。とにかくユウを納得させることを念頭に置いていたこともあり、そのあとのことを考えていなかったことが仇になった。

 そんな歯切れの悪くなったアラインに、ユウも察したのか、特別言及はしなかった。代わりにフッと小さく息を吐くと、柔らかく綻んだ笑みを浮かべる。


「嬉しいな。まさか、まだ私のことを仲間って言ってくれるなんて思わなかった」


 間が生まれたのを好機とばかりに、ユウは素直な気持ちを吐露した。どう続きを継ごうか迷っていたアラインも、ユウの本音を目の当たりにして思わず聞き入る。


「昨日もさ、忙しいって言ってアライン送別会に参加しなかったし、私てっきり完全に嫌われちゃったのかと思ったから。だからアラインが一緒に来てくれるって言ってくれたことが、ちょっとまだ信じられなくて……」


 心の内を打ち明けられると、言われてみれば確かに勘違いされるような行動を取っていたことに気づき、アラインは今さらながら反省した。


「あー……悪い。あれは避けてたんじゃなくて、これを完成させるのに忙しかったんだ」


 言い訳とお詫びの念を交えながら、アラインは自分の首元につけていたペンダントを外して、ユウの前に掲げた。ユウは既視感のある造形をまじまじと見つめる。

 それは先日、スチュワードに引っかけたものと同種のペンダントだった。と言ってもユウは実際にそれを目にしたわけではないので、当然そんなことは知る由もない。


 またそのペンダントは、以前スチュワードに引っかけたものや、普段店頭に並んでいる商品とは、宝石も造形もかなり違っていた。

 前回はペンデュラムの部分が剥き出しになっていたが、今回の作品は、芸術的で複雑な空枠が、ペンデュラムが絶対に落ちぬよう全方向から包んでいる。厳重かつ秀麗さも損なうことのないその造形美は、素人目に見ても特注品であることは明白だった。


「あれ、そんな形の空枠ってお店で使ってたっけ?」

「これは昨日、カンナに無理を言って作ってもらったんだ。そしてこの宝石部分には、俺が今まで作った中で一番強力な小型『因果歪曲計(ウェザー)』が埋め込んである」

「え?」


 なぜそんな代物をここに? という疑問は、不意にアラインが接近した驚きで息が止まり、声に出せなかった。

 目前には、体が密着しそうな至近距離にまで近づいたアラインがおり、ユウの体に腕を回してホールドの態勢のまま動きを止める。

 そして体が触れ合うこともなく、5秒もしないうちにスッと離れた。途端に一瞬の緊張が解けると、ユウは胸元に違和感を覚えて視線を落とす。

 たった今アラインが持っていたペンダントが首から下がっていた。

 どうやらアラインは、これをつけるために近づいたらしい。でもどうして自分にこれをと問いの視線を投げれば、問わずともすぐにアラインが答える。


「うーん、相変わらず全然抑え切れてない……けどまあ、最初のときと比べたらだいぶマシか。これでちょっとは体質の制御も利くだろ」

「制御……?」


 きょとんとしながらユウが声を漏らすと、わずかにしわの寄っていたアラインの眉間がフッと緩んだ。所作からして『(ホルス)』でユウを取り巻く因果を観測していたのだろう。裸眼で『(ホルス)』を使える程度には、ユウの体質を抑制できているらしい。


「まだまだ改良の余地があるな。具合はどうだ?」

「今のところは……多分、大丈夫」


 聞かれても、まだつけたばかりなので時間を置いてみないとわからなかったが、今の段階で体調に変化はなかった。ペンダントの方もつけていて違和感はない。

 翻ってアラインは満足げな表情を浮かべた。


「取り敢えずは、これで少しくらいは奴らの目を晦ませられるだろ。カバーし切れない部分は場所移動で相殺すればいい。それじゃあ行くとするか」


 ユウの返事を聞くと、ようやく準備が整ったとばかりに、アラインは一人頷いて踵を返した。月桂秤を横切るように街中を歩き始める姿に、ユウはギョッとする。


「待って⁉ どこ行くの? 月桂秤は向こうだよ? っていうか相殺って……?」


 背中を追いかけながら、ユウは同時に二つ浮かんだ疑問の処理に手間取る。だがその辺りの計画は、すでにアラインが策定していた。アラインは落ち着いた声音で告げる。


「月桂秤は後回しだ。ユウの体質が通じない以上、ここで足踏みしてても埒が明かないし、なにより小型『因果歪曲計(ウェザー)』でも完全に体質を抑え切れてないから、いつ刺客が来るかもわからない。だから落ち着いて今後の計画を練るためにも、一先ず不幸地帯に行ってその体質を無効化する。これからのことを考えるのはそのあとだ」

「不幸地帯って……確かこの前言ってた、そこにいるだけでみんなに不運が降りかかる場所のこと⁉ 平気なの、そんなところに行って?」


 アラインの口から出たワードにユウは耳を疑った。しかしアラインは、そんなユウの不安を跳ね退けるほどの自信で首肯してみせる。


「不幸地帯って言っても、位置によって度合いも違うし、ユウの影響が及ぼす比率が均等になる地点を選べば問題はない。それに、その辺りは俺が『(ホルス)』を使って調節する。でも日によって気の流れは変わるから、常に移動しながらの生活にはなるな。それだけは覚悟しといてくれよ」


 今日に至るまで積み重ねてきたアラインの経験と知識は、先ほどまでユウにのしかかっていたはずの数々の悩みを、まるで手品のように杞憂に変えて解決する。

 どうやらこの一連の流れは、ユウが茶封筒から硬貨を落とした瞬間から、今の結果に帰着するよう、運命の歯車が回っていたのだろう。そしてこれからアラインとともに、まだ見ぬ不幸地帯に向かうことこそが、結果的にユウの幸運へと繋がる筋道のようだ。


 胸中でなんとなくそんなことを感じ取ると、ユウは自分が恵まれた星の下に生まれ落ちたことを身をもって実感した。しかしこれが望んだ結末へと至る道程というのであれば、従わないわけにもいかない。

 そう観念して受け入れると、自然と口元が緩んだ。変に拘っていたプライドを捨てたことで逆に吹っ切れ、むしろ受けて立とうじゃないかと、気持ちが前のめりになる。


「その辺のことなら気にしてないよ。今までもそんな感じだったしね」


 アラインの隣に並び、強気に言い返してみる。

 まさか返答があるとは思っていなかったので、アラインは目を見張ったが、そういえば植物園で会う前は、短期間とはいえ似たような生活を送っていたとユウが言っていたことを思い出し、なるほどと納得した。


「それは心強いな。それじゃあ大いに役立ってもらおう」


 言葉を締め括ると、アラインは不幸地帯の方角を見据えて先を行く。


「ユウ。取り敢えずそのお嬢様みたいな恰好、どうにかしようか」

「じゃあ真っ赤なつなぎが着たい。だって格好いいでしょ?」

「真っ赤……」


 ユウの言葉にアラインは二の句が継げなくなる。これから不幸地帯に行こうっていうときに、その能天気さに呆れた。この調子がこのまま続くとすれば、この先の旅もきっと振り回されるのだろう。

 聖儀祭が終わるまでの、これから始まる10日間の旅。果たしてこの旅の終着点はどう迎えるのだろうか。それは神のみぞ知るところだ。

 なんにしても、これからの旅は、アラインにとってある意味過酷なものになるだろうことは確かだった。


「よい、しょっと……」


 ユウは一人かけ声を出すと、先ほどもらったお菓子の山を両手いっぱいに抱えながらアラインのあとを着いて行こうとしていた。それを見てアラインは「はぁ」と小さく息を吐く。

 その一方で脳内では、先日ジルと交わした会話と遣り取りを回想していた。

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