第10話 因果
各地で発生した謎の爆発と痛ましい事故に、人々は狂乱した。
倒壊した建物周辺がたちまち炎に包まれると、巻き込まれる前に一目散に逃げ出す。だが現場から距離を取るのは、容易ではなかった。
誰かが行動を起こした矢先に、あるいは大き過ぎるショックでその場に凍りついていただけで、対象となった人物は不運に見舞われ、そのしわ寄せが新たな薄倖を招く。
まるですべてが繋がっているかのように、伏線を回収するように、見事な手際で悲痛なドミノ倒しが延々と繰り返されていった。その勢いはとどまるところを知らない。
(始まった――因果の連鎖だ!)
次々となにかしらの不自然な災難に巻き込まれる被害者たちを見るや、アラインは戦慄しながらそう直感した。答え合わせのために、さっと素早く周囲を見回す。
睨んだ通り『因果歪曲計』は異様な動きをしていた。どの装置も揃って特定の一点を指し示すと、強大な力にでも押さえつけられたように軋みを上げる。
「この辺に仕掛けた『因果歪曲計』が全部同じ場所を指してる。普通ならあんな動作の仕方はしない。……っていうことは、あの執事まだ生きてるのか? 嘘だろ……」
直視したくない現実に打ち震えながらも、アラインは細工した風見鶏が示し続けるポイント――建物が崩れる原因となった、最初の事故現場へと目をやる。
勢いよく燃え盛る猛火の中央。高温に焼かれて黒ずみつつも沈黙を貫いていた瓦礫が、不意に盛り上がると、灼熱のオレンジに照らされた執事がゆらりと現れた。
壁に大穴を開けて破壊するほどの勢いで衝突し、なおかつ地響きを轟かせるほどの全壊に巻き込まれたにもかかわらず、その細身の人影は、肌を焼き尽くす業火に体を晒したまま平然と直立している。そしてアラインは己の目を疑った。
度重なる災難による全身の傷が、少しずつ再生されていくではないか。
体中に見られた擦過傷は、陽炎に揺られながら魔法のように消えていき、砂埃と煤で黒ずんでいた肢体には、元の色合いが戻りつつある。
「傷や汚れが、消えていく……? どういうことだ」
訝って足踏みすると、爪先になにかがぶつかる。目を落とすと、先ほど崩れた建物に設置していた風見鶏が、めちゃくちゃにへし折れた状態で転がっていた。
カバー部分はベコベコに凹んでおり、隠していた『因果歪曲計』が露出していたが、内部に損傷はないようで、故障しかけながら因果をコントロールしている。
そのときアラインの脳裏に、ある推察が閃いた。執事を取り巻く特殊な環境と、先ほどの因果をまとっていた姿を思い出すと、アラインは風見鶏から『因果歪曲計』を引っ張り出して軽く微調整する。そして慌て気味に執事を一瞥して『眸』を発動した。
「んな! これは……っ」
予想は見事に的中した。しかし想像を上回る結果にアラインは度肝を抜く。
最初の読み通り、執事は相変わらず謎の力で因果を操作して、シールドのように身の周りに張り巡らせていた。
だが、まさか吉だけを選別して取り込むことで、傷を自己再生しているとは思いもよらなかった。そのせいで福徳のみが周辺から著しく減少し、なおかつ二酸化炭素を吐く要領で執事が厄運を排出するものだから、余計に幸福の濃度が薄まる。
以上の事柄が重なった結果、そのとばっちりが人々へと及び、不幸の連鎖がドミノ現象よろしく繰り広げられているわけだ。
「建物の崩壊も、それに続く被害も、全部あいつが元凶ってことか――ツッ!」
アラインが懸命に理屈を紐解いていると、手中で稼働させていた『因果歪曲計』が徐々に熱を帯び始めた。数秒で心地よい温もりを感じるほどにまで温まると、あっという間に熱された鉄のような高熱を帯びて、すぐに手に持っていられなくなる。
肌を焼かれる気配に気づくと、アラインは慌てて『眸』を解除して、酷い火傷を負う前に『因果歪曲計』を投げ捨てた。途端に部品から煙が上がると『因果歪曲計』は異臭とともに電気を弾かせながら、ドロリと融解してショートする。
(強力にしても10秒も持たないか。これじゃあ、あの執事の周りに流れてる因果を観測できない。やっぱさっきのペンダントじゃなきゃ……)
つい先ほど、咄嗟に執事につけたアクセサリーのことを思い出しながら、アラインは宿敵の方を見やり、すぐにその考えを改める。
もうとっくに全快していた執事は、五体満足にも関わらず、動きがぎこちなかった。
まるで関節が錆びたように肢体を軋ませ、酔人を彷彿とさせる千鳥足でたたらを踏んでいる。さながら立ち歩きを覚えたばかりの赤子のようだった。
奇妙な動きに目を奪われていると、不調を来たした執事は、簡単な段差で何度も躓きかける。その度に背中のボタンに引っかかっていたペンダントが揺れた。
この瞬間ほど自惚れそうなことはなかった。アラインは過去の自分を褒めてやりたい衝動に駆られながら、アクセサリーを見て理解する。
(やっぱりそうか! あいつを中心として、めちゃくちゃに吉凶が渦巻いてるのを見たときから思ってたが……運気の流れが乱れると感覚が鈍るのか)
(あのときは咄嗟の思いつきでペンダントをつけてみたけど、さっき壁にぶつかったときといい、今だって傷が治ったのにふらついてるのも、全部あのペンダント型の『因果歪曲計』の影響をもろに受けてるからか。そのせいでまともに動けないんだ)
頭の中で整理しながら、ついさっき執事がカンナたちに突っ込んだとき、軌道が逸れて建物に激突したことを思い返す。この収穫は大きい。
けれどそれも時間の問題だ。風見鶏型の『因果歪曲計』が大量に故障するほどの強大な流れの中にいるのだ、いつペンダントが壊れてもおかしくない。しかもあれは、まだ試作品なのだ。そしていつまで持つかで、今後が大きく左右される。
(あのペンダントも、もってあと数分か。その前に型をつけないと。どんな原理を使ってあいつが因果を操ってるかわかればいいんだが……)
「もうやめてスチュワード!」
対策を練っていると涙声の懇願が響いた。知っている声が誰かを名指しで叫ぶのを聞き取ると、今この場にあってはならない存在にアラインは絶望する。
名前に反応して執事が振り返った先で、ユウが打ち震えていた。
対するユウはスチュワードと呼んだ執事と対峙すると、真っ向から睨みつける。
そこからはいつもの悠然とした表情は消え去り、先日までのユウからは想像できないほど取り乱した様子で、なにかに深く絶望したように酷く顔を歪ませていた。
「バカ! なんで逃げてないんだ、今一番危険なのは――」
随分前にカンナたちと一緒に避難したとばかり思っていたユウが苦悶の表情を浮かべて立っていた。アラインはショックのあまり悪態をついた。その間にスチュワードは完全にユウを見据える。
そのときユウの手首が掴まれ、捻じり上げるようにグイッと後ろに引っ張られた。ユウはもちろん、アラインも何事かと乱暴者へと視線を投げる。
「あんた、なにぼーっとしてるんだ! 早く逃げないと危ないよ!」
強圧的にそうユウに怒鳴りつけたのは、現在進行形で避難中の、ショートヘアの女性であった。一向に逃げ出す気配のないユウを見かねたのだろう。
強引に腕を引っ張ったのも、切迫感と親切心が入り混じったが故に手荒になってしまったに違いない。だが今回に限って、その善意は好ましくなかった。
いきなり怒号されたことと腕の痛みでユウの顔に恐怖の色が滲むと、あからさまにスチュワードの挙動が変わった。それまで棒立ちのままゆらりとしていた細身は、まとっていた空気ごとスイッチを切り替えたように、静かに足を開く。
もう何度も見た構えを、今さら見間違えることはなかった。アラインはスチュワードが攻撃モーションに入ったことを悟ると、駆け出しながら叫ぶ。
「避けろユウ! 突っ込んで来るぞ!」
喉が裂けるほどの大喝は無事に届いた。ユウは弾かれたようにハッとする。すぐに状況を思い出すと、なんとユウは女性を後ろにど突き、自分を盾にして背後に庇った。
注意喚起を無視するユウにアラインは卒倒しそうになった。愚かな自殺行為を目の当たりにして、なんとしてもユウを助けようと、地面を蹴る足にさらに力が入る。
しかしもう手遅れだった。アラインが精一杯前に伸ばした一歩は、スチュワードの人間離れした跳躍に呆気なく抜かれる。
もうどう足掻いたところで避けようのなかったはずの死は、ユウに迫った瞬間、不自然に軌道を変えてユウの後ろを通り過ぎた。そのまま後方の建物にぶつかる寸前でスチュワードは空中で体勢を整え、今度は見事に壁に両足をつけて着地する。
瞬間、斜め前から突っ込んできた鉄の塊が、スチュワードを押し潰した。
鉄の塊の正体は大型自動車だった。先の火災から逃げて道路に飛び出した人を、突然のことに対応が遅れて誤って跳ねてしまった直後。そのことでパニックに陥った運転手が慌ててハンドルを切ったところに、タイミングよくスチュワードが現れたことで起こった偶然の事故だった。
少なくとも、一般人ならそう考えただろう。
もちろんアラインは、それが偶発的なものでないことを知っていた。一連の出来事は、すべて因果が誘導した宿命である。そして執事に着いたペンダントの効果も、少なからず影響していたはずだ。
それよりもアラインはユウのもとへと急ぐ。ユウはへたり込んだまま落胆し、小さく震えながら俯いていた。今にも崩れそうな背中にアラインは危うさを覚える。
「ユウ大丈夫か⁉ どこか怪我を――」
言いかけてアラインはやめる。ユウはどこにも怪我をしていなかったからだ。しかし精神面に受けた傷はかなりの重症であった。蹲るユウの傍らを見る。
ついさっきユウが庇おうとしてど突いた女性が、胸から血を流して死にかけていた。
気の毒にも倒れた先には、先の災害で地面から露出した数本の鉄杭が突き出していたようだ。首、胸、腹、太腿と満遍なく串刺しになっていて、女性は身動きが取れずにいる。特に首の方は動脈を抉り、胸の方は肺をやってしまっていた。下顎から右頬にかけて貫かれた顔は、皮膚や筋肉ごと歪んでいる。
おまけに後頭部を強打したようで意識も混濁していた。唯一の救いは、鉄杭が背骨の神経にも到達していて、すでに痛みすらも感じなかっただろうことと、朦朧として思考が飛んでいたことだろう。この調子なら苦しまずに逝けるはずだ。
「ごっ、ごめ、なさ……わた、し……そんなつもり、じゃ……っ」
ユウは突発的に謝ろうとして、けどそれ以上に取り返しのつかないことをしてしまった事実に打ちのめされて、つっかえながら言い訳の言葉を連ねる。倒れた女性を労わろうと伸ばされた手は何度も胸の前を行ったり来たりし、結局触れることはなかった。
そうこうしている間に、小さく瞬こうとしていた相手の瞼の動きが止まり、風船が萎むように胸が深く沈む。目に映らずとも、魂が一緒に抜けて行ったのが見て取れた。
これにはアラインも無念で思わず目を逸らす。だが今は、悲しみに打ちひしがれている余裕などなかった。強引にでも傷心を振り払うと、冷たく思考を働かせる。
(今の執事の動き……自分で動きを変えたようにも見えたが。ペンダントの作用か? それとも自身にも凶の影響が及んだ……そのどちらでもないとしたら)
次々と起こる偶然では済ませられない悲劇に、アラインは考察した。
いくつかの考えられる原因が順に脳内を掠めると、もう一つの可能性に視線を向けようと振り返ったところで、ユウの消え入りそうな囁きを耳にする。
「私だけ、助かっちゃって……庇えば大丈夫と思ったのに……ごめんな、さ……」
目前で、しかも偶発的とはいえ人一人を手にかけてしまったことに、ユウは相当な心理的ショックを受けてしまっていた。それも相手を助けるつもりで取った行動であれば、なおさらだろう。ユウは自分の殻に閉じ籠り、後悔と懺悔を口ずさむ。
この結果も、吉凶のバランスが崩れたことによる弊害であることを、アラインは理解していた。だからアラインもユウを責めることはしない。
どう声をかけるべきかと、アラインは呆然自失な少女を見つめる。それに確認しなければいけないこともあった。しかし時間と運命の歯車は止まってはくれない。
岩で地面を擦るような不快音が意識を引っ張った。それに続いて、砂利や石塊が転がる音や、金属同士が擦れる残響が加わると、我慢ならず目が引き寄せられる。
壁と大型自動車の間に押し潰されていたスチュワードが、扉を開くような所作で、軽々と大型自動車を退かしていた。
すでに体の傷は塞がりかけており、障害物を取り除き次第、いつでも行動を起こせそうである。
「おい立て! 隠れるぞ!」
死神の釜の切っ先でなぞられたような悪寒が走ると、アラインはその不快感から逃げるため、蹲っているユウの腕を引っ張った。まだショックから立ち直れていなかったユウは、状況に頭が追いつかないまま、罪悪感と混乱に挟まれてふらつく。
アラインは仕方なく脱力した体を強引に持ち上げると、半ば引きずるようにしてユとともに避難した。
たったそれだけの動作すらも一筋縄ではいかない。
10メートルもない距離を移動する間にアラインは、切り傷と打撲を数ヵ所、熱された黒煙を吸い込んだことによる喉の軽い火傷、右中指と左人差し指と薬指を突き指し、両足を何度も捻って捻挫しかけた。すべては降りかかる厄災を避けた結果だ。
されど、周囲でも人々が不幸に遭い、最悪命を落とす中で、アラインがたったこれだけの軽傷で済んでいるのは、驚くべきことだった。
それはひとえに、アラインが普段から因果を観察していたことに起因する。日頃から事前に難を察知し掻い潜ってきたから、脈絡なく襲い来る不運にも瞬時に対処できた。
薄倖を振り撒く元凶との距離が空いたお陰か、悪い巡りもわずかに弱まる。やがて建物の陰に着くと二人は身を隠した。アラインはここまで来る途中にボロボロになった袖で、これまた道中で切った眉から流れる血を拭うと、物陰からそっと顔を覗かせる。
スチュワードは真っ直ぐこちらに向かっていた。その足取りは平均台の上を歩くように慎重ではあるものの、最初に壁に激突したときよりも軽くて、かなり安定している。
(さっきまでの不調がない。すでに元の調子を取り戻しつつあるのか? あのペンダントでしばらく時間稼ぎできると思ったが……くそ、思った以上に適応が早い! やっぱ因果をコントロールできるから、その分順応も早いのか?)
とことんついてない状況にアラインは歯噛みする。なによりも気に食わなかったのは、一切の迷いも見せず、スチュワードが一直線に二人の方を目指して歩いていることだ。
(わざわざ遠回りして物陰に隠れながら逃げたってのに、なんて奴だ。これじゃあ、かく乱する方が余計に時間を使ってるんじゃないのか? 何度も俺たちを見失ってるはずなのに、迷いなくこっちに来やがる)
(居場所がバレる原因……思い当たる節があるとすれば――)
「私一人じゃカバーし切れない」
なぜスチュワードが自分たちの痕跡を辿るように、正確に、手繰り寄せるように慎重に歩めているか。その理由を考えていると、深刻そうな声音が隣から漏れる。
振り返るとユウと目が合った。相変わらずショックから立ち直れずにいるのか、それでもユウはこれだけは伝えなければと、怯えた表情で正面からアラインを見つめている。
なんの文脈なく、突然ユウに無念そうに戦力外だと告白され、困惑したのも一瞬。アラインはその言葉の意味するものを把握すると、確信を持って問うた。
「……ってことは、やっぱりあの執事とユウは、なにか関係があるのか?」
「いつもは四六時中静かで、あんな過激なんて知らなかった。私がなにも望まなければこんな……本当にごめんなさい。私のせいで街が、人がいっぱい死んで――」
アラインの質問に対し、ユウはこちらの問いを無視すると、言い訳がましくそう捲し立てた。どうやら混乱しているせいで、伝えなければいけない情報とそうでないものがごっちゃになり、意思伝達が上手くできないらしい。
それ以上話を聞くのは時間の無駄だった。アラインは、取り乱しながらも、それでも懸命に伝えようとするユウに詰め寄ると、厳格な佇まいで悔恨の言葉を遮る。
「もういい。詳しい話を聞いてる猶予はない。つまりあいつの目的はユウで、ユウは連れ戻されないために俺たちに取り入って、あわよくばやり過ごそうとしてたわけだな」
装飾を省いて要約されたあらましを聞かされると、ユウはびくりとした。
自分の意思ではなかったとはいえ、これだけの騒ぎを呼び寄せたのだから攻められて当然だ。ユウは胸中でそう自分に言い聞かせると、風景が涙でぼやけるのを感じながら、素直に頷く。
「そ……んな感じ。私も今見てて初めて気づいたんだけど、多分スチュワードは悪いことを引き寄せたり、周りに影響を出したりする性質を持ってるんだと思う。今までも私たちは一緒にいたけど、こんな酷いことになったことは一度もなかった。だから真逆の体質の私が傍にいれば、いろいろ相殺されて騒ぎも収まるかも」
しゃくり上げぬよう努力しながら、ユウは出頭する前提で提案をする。自ら自首を申し出る姿勢はとても勇敢で、健気だった。場を丸く収める最善の方法は他にない。
片やアラインは、ユウの話を半分聞き流しながら一人黙考していた。
(初めて……仕組み……性質……)
ユウが教えてくれたスチュワードに関する既存の情報と、話の随所に見られた重要と思われる意味深な単語や引っかかった言葉を、素早く頭の中で仕分ける。
「あっ」
思わず漏れ出たとばかりに言うと、ユウがさっと前に出た。何事かとアラインが顔を上げると、こちらに倒れかかっていた看板をユウが押さえている。
よく見ると、木製の看板の脚には虫食いがあり、今まさに崩れ折れたところだった。
少し強めの風が吹いたことも原因だろう。そしてその強風も、向こうの火事による凄まじい空気の変動の影響を受けて発生したものだ。それらの事象が示していることは一つ。
すなわち、スチュワードとの距離が縮まっているという警告だ。
「この辺も影響が出てきたな。場所を変えよう」
兆候を捕えるとアラインは腰を上げた。すかさずユウが行く手を制する。
「いいよ、アラインはここにいて。私が行くから。そうすれば全部解決する」
「それは俺が許さない」
今度はアラインが引き止める番だった。提案を却下されるとユウは当惑する。
「なんで? 早くしないと被害がもっと広がっちゃう。それにこれは、私が原因で起きたことだし……そのけじめをつけないと」
「違う。それは単に事態を先送りにするだけだ。なにも解決してない」
「……どういうこと?」
真剣な面持ちで意味深に告げられると、ユウも足を止めざるを得なかった。そしてアラインもユウの境遇に同情してではなく、揺るぎない事実として詳細を述べる。
「つまり、運勢を左右する力を持ってるあの執事をこのまま野放しにするのは、どの道俺たちにとってもこの国にとっても、危険ってことだよ。この惨状が証拠だ。なにより、今後俺たちの計画の弊害にもなりかねない。ユウ、お前の存在もな」
加害者兼、需要参考人として。そしてまた迷子になったり、避難命令を無視して自分勝手な行動をさせないために。アラインはユウの手を取ると場所を変えた。
「ようやくわかったよ、なんで『眸』が使えなくなったのか。特異体質を持ったユウがずっと近くにいたからだ。こんな事態になるまで俺が大きい流れに気づけなかったのも、プラスのユウとマイナスの執事が一緒にいることでお互いを相殺してたから、これまで観測できなかったんだ。そして今回、対になってた双方がバラバラになったことで、吉凶のバランスが大きく傾いた。今思えば突然『眸』が不能になったのも、ユウと出会ったときだったな。まあユウは今まで執事の持つ性質は知らなかったようだけど」
一方的に捲し立てたあと、ユウは口を挟もうと息を吸う。アラインはさらに遮った。
「今回の『因果歪曲計』の件だって、自分の幸運体質を知ってて、わざと俺たちに持ちかけたんだろ。本当は『因果歪曲計』の再調整なんて必要なかった。なにもしなくても店の件は結局白紙になってたはずだ。ユウはただ疑われないよう、そして辻褄を合わせるためにだけに便宜上、形だけの作業をやらせた。自分がどれだけ強い威力を持つ爆弾か、最初から自覚してたってことだ。違うか?」
問いかけると、ユウはもうなにか言おうとはしなかった。なにも反論がないところを見ると、ぐうの根も出ないほど言い当てられたらしい。アラインは最後にダメ押しで締め括る。
「この機会だから教えとくけどな、俺たちの目的は単に運の流れを変えることだけじゃない。そもそも不安の種すら生み出さないように立ち回ることが一番重要なんだ。芽を摘んでる時点だと手遅れの場合もある。だからユウみたいな曲者は、なおさら放っておくわけにはいかない。そして種はもう蒔かれた。今はそれらが芽を出す前に、ユウが何者で、どこから来て、スチュワードとはなんなのか、それらの情報を聞き出す必要がある。ユウの処遇を決めるのはそれからだ。だから今いなくなられたら困るんだよ。それに理由はどうあれ、ユウのお陰で俺たちや店が救われたのは事実だしな」
「アライン……」
「ユウを行かせない理由がこれだけじゃ、まだ不満か?」
便宜上取り繕わないといけなかったのは、どうやらユウだけではないらしい。
あれこれとそれらしい理由を並べ立てたが、結局のところアラインも同僚として、仲間として、恩人として、ユウを見捨てるという選択肢は最初からなかったのだ。
スチュワードとの距離が空いていたため、逃げるのは比較的スムーズだった。だがそれでも後方を見やれば、相変わらず揺るぎない足取りで確実にこちらに向かって来る執事の姿がある。アラインは薄々気づいていた事実を再確認した。
(ここまで来たらもう確定だな……あの執事、間違いなく俺と同じで、因果を認知してやがる。吉凶を自在にコントロールできるんだから当たり前か)
(それでもって、ユウのまとってる因果を辿ってここまで着いて来てるんだ)
スチュワードの通った道は、ただ通過しただけで凄まじい災難に見舞われていた。常に周辺の禍福を乱すので、歩いているだけで不運が発生し、被害が拡大する。
そしてついに、いつまでも続くと思われていた鼬ごっこにも終わりが来た。
「……っ」
休みなくずっと走り回っていると、ついにアラインは限界を迎える。しわを眉間に刻みながら苦悶の表情を浮かべた。何度も挫いた足が痛み、思うように動かなくなってしまった。
「危ない」
転びかけると咄嗟にユウが支えてくれた。2人は一旦路地に移動する。
運勢というのは即効性のあるものではなく、あとになってから、じわじわと効果が出てくるものだ。だから本来運気のいいはずの日でも、過去に低迷していたときに決断や決定、その他運気の下がるようなことをしていれば、その影響が先行して、幸運の時期にいい結果に結びつかなくなる。
今回もそれに該当した。始めこそユウを連れてどうにかここまで来られたが、スチュワードによって蔓延した凶の中にいたため、その影響が今になって覚醒され始めている。
(せめて『因果歪曲計』だけでも正常なら、もっといいルートを行けるのに……)
胸に浮かんだ文句は、しかし口にすることはなかった。
もし迂闊に愚痴ってしまったら、隣で必死に介抱してくれているユウを深く傷つけることになる。『因果歪曲計』が使えない一端はユウにもあるのだから。
(先に行け……と言いたいところだけど、ダメだ。こいつ方向音痴だからな。ちくしょう、こんなところでも運の影響が出るのかよ! マズいな、このままじゃいずれ……)
自分を覆う影に気づいたのは、諦めの文字が脳裏をちらついたときだった。
スチュワードとは十分距離が空いているからと、他への警戒を完全に怠っていた。アラインは一瞬の気の緩みを呪いながら、備える暇もなく、後悔の念から歯噛みする。
他に現状を打開する名案など浮かばなかった。アラインは覚悟を決めて陰に振り返る。
肩に手を置かれると、一拍遅れて友人の顔に気づいた。
「なにがあったんだよアライン、怪我だらけじゃねーか!」
きょとんと拍子抜けしていると、ジルが深刻な面持ちで叫んだ。アラインはしばしアホ面を晒したまま硬直すると、拍子抜けして無反応になってしまう。
ようやく状況を呑み込むと、アラインはやっと周囲にも気を配れた。こちらに差した翳りの正体はどうやら仲間たちだったようで、他に4人ほど集まっている。
「ジル……? お前、なんでこんなところに」
「なんでって、国中で『因果歪曲計』が狂いまくってるからだよ。お前だってもう知ってんだろ。そんで、これは一大事だと思ってな。あと元々お前を探してたってのもあるけど、さっき偶然カンナたちと会ったんだよ。そしたら物凄い剣幕で、お前に避難するように言われたっていうじゃねーか。だからこうしてお前を探してたってわけよ」
言われてアラインは思い出す。確かカンナたちに避難を煽ったときに、すぐに事態を察してくれた仲間たちもいた。きっと彼女たちが状況を報告してくれたのだろう。
「取り敢えず応急処置でいくつか『因果歪曲計』は調整し直しといたぜ。他の奴らもメンテナンスして回ってるけど、あの調子じゃまたすぐに狂っちまうな」
芳しくなさそうにジルは視線を動かす。その先では、早速近くの『因果歪曲計』を修理してくれている仲間の姿があった。こうやって異変に気づいた先から、みんなが自主的に行動して操作しているのだろう。
日頃の積み重ねた功績が今こそ宿命の鐘を打ち鳴らす瞬間だった。ツキはまだこちらにあるらしい。しかし他の者たちはそうは思っていないようだった。
ジルを筆頭に、仲間たちはアラインたちが逃げて来た方角を見やる。改めてそこで起こっている数々の災害や、今なお被害に巻き込まれ続けている住民に気づくと、全員が度肝を抜かれて一様にざわついた。その酷い有様に誰も二の句が継げなくなる。
「どうにか『因果歪曲計』を調整したお陰で、こうしてお前のとこにまでは来られたけどよぉ……なあアライン、まさかあれ全部、因果関連で起こってるのか?」
失いかけた言葉を、ジルはどうにか紡いだ。しかしそれ以上は誰もなにも言うことができず、ただ呆然と住み慣れた風景が壊れていくのを眺めるしかない。
きっとジルたち以外にも、他の仲間たちも近くにいるはずだ。そしてその仲間たちは、この惨状の中を今も『因果歪曲計』のメンテナンスをしながら、この街を守るために危険も顧みず作業をしてくれているに違いない。
そして二人を助けるために駆けつけてくれたジルたちが今、なにもできず嘆いている。
ならば次は、アラインが同胞たちに恩を返す番だった。
「みんな……来てもらったところ早速で悪いけど、一つ頼まれてくれるか?」
腰を上げながらアラインは提案した。希望を窺わせる声音にジルは耳を疑う。
「! アライン、お前……まさか、この惨事をどうにかできるのか? 俺たちに? 周辺にある、ほぼ全部の『因果歪曲計』が狂ってるんだぞ。その上で言ってるんだな?」
ジルを筆頭に、ユウも例外に漏れず一同は息を呑んだ。アラインは大きく頷く。
「俺の読みが正しければ、少なくとも一時的な回避くらいならできるはずだ。ありがたいことに、みんなが道標も残しておいてくれたからな。『因果歪曲計』を再調整しといてくれたのは、かなりでかいぞ。みんなありがとうな」
こんなときでさえ、いや、こんなときだからこそ律儀にアラインはお礼を言う。
そんな凛々しい相棒の姿に、ジルたちは心からの安心感を覚えた。どうやら我らがリーダーは、まだ他人を気遣えるくらいの余裕はあるらしい。
ただ一人、まだアラインたちの信頼関係に馴染んでいなかった新米のユウだけが、わずかに緩んだ緊張感に着いて行けず、当惑しながらみんなを見回した。
もちろんアラインはユウのことも忘れていない。むしろ今後の作戦における主役であり、最重要人物の彼女を、放置したり軽率に扱うなど言語道断だった。
「なにぼーっとしてるんだよ、ユウ。この作戦は誰よりもユウに一番働いてもらうんだから、もっとシャキッとしろ」
「え、私⁉」
背中を叩いて鼓舞すると、ユウは予想だにしなかった展開に面食らった。慌てて振り返ると、アラインの期待に満ちた眼差しに後退りする。そこに仲間たちの期待に満ちた熱い視線も集まって、いよいよ耐えられず縮こまってしまった。
「そんな、私…………私に、なにかできるの?」
自分なんかなんの役に立たないと思っていたユウは、突然の指名に見るからに戸惑う。
だが周囲から期待を向けられ、一度自分が必要とされていることを自覚すると、みるみる瞳に熱意が宿った。そこに義務感と先刻までの罪悪感が加わって後押しする。
「むしろ手伝ってもらわなくちゃこの騒ぎを収められない。もちろん拒否しないよな?」
ここで引き下がられては困るので念押しする。だが心配は無用のようだった。
ユウは決意を表すように相貌を引き締めると、挑むようにこちらを見つめ返した。




