アクシデント
巧と深月は完璧だった。ふたりとも、完璧に役をこなしている。稽古は毎回、特に修正するところもないくらいに完成されていて、きあらは安心していた。亮平は巧と親しくなって、下の名前で呼ぶようになっていった。
クラブや委員会の屋台も、どこも順調らしい。陽樹や奏太など、所属している部の手伝いがある生徒達は、毎日放課後に忙しそうにしていた。チェス部は白黒のお団子を売るそうだが、それじゃあ囲碁じゃんね、と咲花が楽しそうにしていた。彼女は各屋台をまわるのを、かなり楽しみにしているらしい。ふとるぞと雷太に云われて、雷太を蹴っていた。
文化祭当日、きあらは安心して学校へ行った。きっとうちのクラスが一番だわ、巧くんと深月が居るんだもの、ふたりともとっても素敵だから、と思っていた。登校直後、衣装を確認していた深月が突然うずくまって動かなくなるまでは。
深月はジャージ姿で、巧に抱え上げられている。左手で額と目許を覆い、右腕は巧の肩にまわしていた。顔色は悪く、苦しそうな呼吸をしている。
「深月?」
巧が焦って訊く。深月は唸るだけだった。
「彼女、気分が悪いみたい。医務室へつれてく」
巧はそう云って、深月を抱えたまま出て行った。康太がそれを追う。「巧、お前王子役だろうが!」
教室内に不穏な空気が流れる。
「白雪姫の代役を立てよう」
亮平が焦った顔でうろついている。「男子でもいいから、台詞をすべて覚えているひと、居ない? 巧が相手役だから、身長は気にしなくていい」
相手はクラス一の長身だ。学年でも一・二を争う。並みの男子でも白雪姫役をして違和感がないだろう。
漣は真面目なひとだときあらは思う。それとも、特に親しくしている亮平が困った様子なのを見ていられなかったのだろうか。彼は勢いよく挙手した。
「俺、覚えてる」
「ああ、漣! 助かるよ、君なら白雪姫とのシーンはほとんどないし、白雪姫と女王の二役をしてもらえるかな」
「ああ」
「でも、きがえはどうするんですか? メイクは一緒でもいいですけど、白雪姫と女王の衣装、すぐにきがえられるようなものじゃないですよ」
弥生がいい、不安げな声が複数追随する。「あの」
きあらは勇気を出して、言葉を発した。
「女王の衣装は、ローブでしょ? 裾をつぎたして、前のところが完全に閉じられるように、テープをつけて……白雪姫の衣装の上からそれを羽織って、フードも被ってしまえば、問題ないと思う」
「掛居さん、ナイス! それでいこう」
亮平が嬉しそうにとびあがった。漣が感謝の目できあらを見て、頷く。きあらは嬉しくて、相好を崩す。
衣装の改造は急ピッチで行われた。
もともと漣は、安いワンピースの上にローブを羽織って、女王用の冠(康太と弥生のつくった、ハンガーとおもちゃの宝石製のもの)を被る予定だった。
しかし、白雪姫をするのだから、黒髪のかつらが要る。深月は黒髪で長髪なので、お団子にしてネットをかぶせる予定だったのだが、連はツーブロックだ。三根夏彦という演劇部のユーレイ部員が、演劇部の部室でかつらを見たというので、やはりユーレイ部員の鈴木美冬と借りにいってくれた。演劇部は快く貸してくれたらしい。
女王のローブはくるぶし丈だったが、亮平が用務員室に走って、廃棄予定だった破れた暗幕をもらいうけ、それを胸下の辺りからつぎたして後ろに長く垂らした。前をきっちり閉まるようにしたので、胸の下に切り返しがある黒いドレスのようにも見える。冠はフードに縫い付けられた。フードを被ると冠も勝手に頭の上にくる。
モデル体型の深月用の細身のドレスは、平均的な体型をした男子の連にはきついものがある。夏彦と美冬が肩パットを外し、胴の辺りを解いて脇腹に別布をつぎたし、漣にぴったりになるように調整した。
丈が少し短いが、白雪姫の子どもっぽさ、あどけなさが感じられて、そのほうが寧ろいいと亮平が絶賛した。みんなの士気を落とさない為でもあろうが、実際のところふたりの改造技術は相当なもので、最初から漣用にあつらえたようにしっかりした出来だった。
問題は靴で、漣の足では用意されている靴を履くことができない。亮平が購買でスリッパを買ってきて、夏彦達がそれにレースをくっつけ、弥生が持っていた飾り付きのヘアゴムで足に固定することになった。小さなひまわりの花はあまり白雪姫っぽくないが、仕方がない。
最後に弥生ときあらのふたりで、ドレスを着た漣の顔にメイクを施す。
じっとして目を瞑った漣は、よく見るとかなり整った顔立ちで、きあらはどきどきしてしまった。つけまつげをつける手が震える。弥生は手際がよく、漣の色の白さを生かして、しかし女の子っぽい肌の質感に仕上げていた。