はげまし
机を端に寄せた放課後の教室で、巧が白雪姫役の深月の傍にひざまずいている。深月は並べた椅子の上に寝ていた。本番では、段ボール箱を重ねた上にやはり段ボール箱製の棺をのせ、そこに深月がはいる予定だ。「まるで生きているみたいだ」
「巧くん、緊張しないんですかね」
弥生が低声で訊いてきた。彼女は誰に対しても、常に敬語をつかう。発達障害というやつで、敬語をつかわなくてもいいのか、そうでないのかの判断がつかず、安全策として常に敬語らしい。だから気にしないでください、と、自己紹介の時に云っていた。
きあらも低声で返す。「凄いよね」
「はい……ううん、マント、もう少し飾ったほうがいいかもしれません」
弥生は唸りながら、メモ帳になにかを書き付ける。彼女は数人の生徒と一緒に、衣装と小道具を担当している。クラブが出す屋台に多くの生徒をとられてしまっているので、残った生徒達は演者兼裏方がほとんどだ。舞台に上がる予定がないのは、ライトや音楽のことを常にやらないといけない亮平だけである。
巧の声が響いた。
「美しいひと、僕の気持ちをうけとってください」
巧が深月に顔を近付け、キスした。唇に。
一瞬空気が凍った。
巧が上体を起こし、深月が伸びをしながら体を起こした。ごく自然に、ふたりとも芝居を続けている。
「ストーップ!」
亮平が慌てて、ふたりを停める。ふたりは亮平を見て、小首を傾げた。
「なに、坂下くん?」
「とちったか。アタシ? たーさん?」
「そうじゃなくて……そうじゃなくてさ……」
亮平は赤くなっていた。「あの、君ら、ほんとにキスした?」
「え?」巧が素っ頓狂な声を出す。「あれ? 違うの? 脚本にキスって書いてるから、するんじゃないの?」
「しないとおかしいじゃん」
深月は平然という。亮平はあうー、と唸る。雷太と咲花がくすくすしている。ほかの生徒達は、突然のことに頭が真っ白だ。
亮平が頷いた。
「いや。うん。君らがいいならそれでいいよ」
「うん……」
「じゃあ、今のとこからやりなおしな。ねえたーさん、ハッカの味したけど」
「さっき、飴を舐めたから」
巧がおっとりと笑い、深月がくすくすする。
「深月、凄いね」
「なにが?」
帰り道、とぼとぼと歩きながら、きあらはいう。目を伏せていた。深月の顔を直視できない。好きなひととキスできた彼女に、嫉妬してしまいそうだから。漣とまともに話せない自分に、絶望しそうだから。
「巧くんと……」
「たーさん、ああいうの、可愛いよな。ハッカ飴だって」
深月はくすくす笑っている。深月と巧は、随分波長が合うらしい。彼女は、キスくらいは普通の家庭で育ったのだ。巧の様子からすると、彼もそうなのだろう。
項垂れるきあらに、深月は云う。
「なあ、芝居が終わったら、陽樹達の屋台ひやかしに行こう」
「え?」
「そこで漣と、かき氷でも分けて食べたらいいじゃん?」
きあらは顔を上げて深月を見る。それから微笑んだ。友人がはげましてくれているのだ。とても、嬉しい。