きあら、高校一年生
「まーた見てる」
びくっとして、掛居きあらは右方向を見た。
クラスメイトの橋村深月が、教科書とノートを肩にのせるような格好で、にやにやしている。きあらは深月を叩くふりをした。低声で云う。「おどかさないで、深月」
「へえー、別にこっそり近寄った訳でもないのに、気付かないくらい集中してたんだ? れ」
「深月」
きあらは深月の口を塞ごうとする。深月は笑いながらそれを避けた。
月曜日の四時間目、実験室での実習が終わって、きあら達のクラスの生徒は、お弁当の待つ教室へ向かっているところだ。が……きあらはクラスメイト達からだいぶ遅れていた。階段の踊り場で身を隠すようにし、上の階をうかがっている。
その理由は単純で、こっそりと、やはりクラスメイトの海山漣を見ていたのだ。別のクラスの女子生徒に呼びとめられ、話し込んでいる彼を。
深月がきあらの肩に軽く腕を置いた。フランスとのクォーターの彼女は、背が高い。きあらよりも頭ひとつ半くらい大きく、それなのに体重はたいして重くない、所謂モデル体型をしている。
ちびのきあらは、友人のプロポーションのよさをたまに、ひどく羨ましく思う。深月当人は、そういうことには頓着しないで、言動も男の子のようだが。
「告られてんじゃねえの」
「えっ」
「あいつ、顔は結構いいじゃん。きあらが見惚れるくらいには」
なにもいいかえせず、きあらはぎゅっと深月を睨む。深月はにやにやしていた。
上の階でなにか動きがあった。きあらはそちらを見る。
漣が頭をかきながら降りてきた。
「あ」
「よ、漣」
「きあら、深月。……なにしてんだ?」
「えっと」
慌てたきあらの手から、細身のペンケースが滑りおちた。かしゃんと小さな音をたてて、ペンケースが開き、中身がこぼれる。「あ」
「あーあー」
漣は苦笑いし、屈みこんでシャーペンや消しゴムを拾う。きあらと深月も屈み、散らばったものをかきあつめた。
漣はペンケースに拾ったものをいれ、きあらへさしだした。
「ごめんなさい……ありがとう」
「いや」
ペンケースをうけとろうとしたきあらの指に、あたたかいものが触れた。それが漣の指だとわかって、きあらは少しだけ、赤面する。
もう一度礼をいい、きあらは自分が拾ったものをペンケースへおしこんだ。深月が拾ってくれたものもうけとる。
「あー、思い出した」
深月がわざとらしく云って、立ち上がった。「アタシ、たーさんと飯くう約束だった。じゃあまた後で。きあらは漣と飯くったら?」
「深月……!」
深月が階段を飛び降りていなくなり、漣が呆れ顔で立ち上がる。きあらはどんな顔をしたらいいかわからず、漣から顔を背けて立った。
「なんだよ、あいつ」
「あの、漣くん、ごめんね。深月が変なこと云って」
「変?」
漣は小首を傾げた。きあらはそれをちらりと見て、可愛い、と思う。
漣は頭をかいて、にこっとすると、云った。「一緒に教室、帰る?」
特別なことではない、というのはわかっているのだけれど、きあらはあしどり軽く、漣と並んで歩いていた。なにか喋りたい気持ちはあるが、男子とどんな会話をしたらいいのかわからず、きあらはなんとか思い付いた共通の話題を口にする。
「漣くん、今日のお弁当なあに?」
「なんだろ。きいてねえや」
漣は素っ気なく云ってから、申し訳なげにきあらを見た。「ああ、いや。朝、ぎりぎりで家、出たから」
「そうなの? 漣くん、お寝坊さんなんだね」
漣は微笑んでくれた。きあらも微笑む。
「わたしはね、今日はオムライスとハンバーグなの」
「へえ。うまそうだな。俺、ハンバーグ好き」
「あのね……」
よかったらおかずを交換しない? とか、ひと口食べてみる? とか、そういうことをいいたいのだが、声が出なかった。緊張している、と自覚する。
「漣、おせーぞー」
教室まであと数メートルのところで、教室から真野康太がひょいと顔を覗かせた。おう、と漣は片手をあげて、そちらへ小走りに向かう。康太がひっこんだ。
きあらは数秒、康太が居た辺りを睨んでいた。