時間の流れ
「あ、あの。あのね、違うの……」
紗奈が困ったように言う。
「さ、紗奈……は、変わらないのに、お兄ちゃん……。お兄ちゃんだけカッコよくなったから、……だから……えっと。その……」
紗奈はモジモジと指を動かした。
「……」
《カッコよくなった》!? まさか、紗奈の口から、そんな事が聞けるなんて……!
恥ずかしがるその姿は、なんだか小さいハムスターみたいで、ボクは笑ってしまう。
今、何を考えているのか分からない、今の紗奈の様子が、少し心配ではあるけれど、可愛いとも思える。
でもこのままずっと、離れて見ていても仕方ないから、ボクの方から紗奈に会いに行くことにした。
……多分、大丈夫なんだよね? 触れるよね……?
やっと……やっと会えた。ボクの紗奈。
震える思いで、その頬に指を伸ばす。
「……」
さら……と、指先が、紗奈の左頬に触れた。
紗奈はくすぐったそうに、肩を竦めた。
……触れる……!!
ボクは紗奈の頬に、自分の頬を重ねた。あったかい!
「紗奈だ! 紗奈。……あぁ、夢みたい」
夢中になって抱きしめた。
ずっと会いたかった。
紗奈が死んでしまって、あれから一年以上が過ぎ去った。色々あったから、あっという間だったけれど、紗奈がいなかった一年間は、ボクにとって悪夢以外のなにものでもない、苦痛に満ちた日々だった。
それが今、目の前に紗奈がいる──!
自然の理に逆らった行為だってことは分かってる。でも、抱き締めずにはいられない!
紗奈が驚いたように、身を強ばらせた。
「!」
ボクはハッとする。
……もしかして、嫌だったかな……? ボクは少し戸惑った。まさか嫌がられるなんて、思っていもしなかったから。
だってそうだろ? ボクは紗奈に会うために、必死になって頑張った。
なのに紗奈はそれを喜んでくれていない。
……もしかしたら、自分を死に追いやったボクを、憎んでいるのかも知れなかった。
「……」
そこは……そこは、考えてなかった。サーッと血の気が引いた。
ボクは悩む。
「……」
だけどボクは、この日をずいぶん待った。
会いたくて会いたくて堪らなかった。
だから、遠慮なんてしていられない。
遠慮していたら、また、消えていなくなってしまうんじゃないだろうか?
事実紗奈は死んでいる ……いつ消えるとも知れない存在。
今は生きているように見えるけど、本当は、……本当の紗奈は、この世にはもう、いないのだから。
「……」
もう……後悔は、したくない。
嫌がる紗奈なんて、かまってなんかいられない。
ボクは必死になって、紗奈を抱き寄せる。
「お兄ちゃん……!」
戸惑う紗奈は、ボクより体温が高いような気がした。
ボクは逃げられないように、更にきつく抱き締める。
「あったかい。紗奈は死んでるのに……まるで、生きてるみたい……。
もしかして、もしかして熱でもあるの?」
ボクは紗奈の高い体温が気になって、確かめるように頬擦りし、頭を撫でた。
ふわり……と、紗奈がいつも使っていたシャンプーの香りがした。
あぁ、紗奈だ。生きている頃と、何も変わらない……!
天国にも、スーパーとかあるのかな?
そんな、わけの分からない疑問が生まれ、ボクはひとり笑う。
熱は……多分大丈夫。
普段体温が低かった。
正常に戻ったから、高く感じたのかも知れない。
紗奈。紗奈……ボクの大好きな妹。
今、ボクの傍にいる……!
嬉しくて、とてもそれが不思議で、……そして、また失うかも知れない不安に、ひとり耐えた。
今目の前にある事実が、まるで夢のようで、まだ信じられない。
けれどボクは、この髪を知っている。
柔らかい紗奈の髪が、とても懐かしく感じた。思わず、その髪に顔をうずめる。
「お、お兄ちゃん……っ、恥ずかしいってば……!」
真っ赤になりながら、紗奈が身をよじった。
「!」
逃げられそうになって、ボクは焦る。
逃すわけにはいかない。やっと捕まえたんだから。
……あの雪の丘からずっと、ボクは紗奈を捕まえ損ねたことを、ひどく後悔していた。
「……」
ボクは無言で、ぎゅっと紗奈を抱きしめた。
逃れられないと知って、紗奈は諦めたようかのに、力を抜いた。
「もう。お兄ちゃんたら、しょうがないんだから……」
そう小さく、紗奈が呟いたのが聞こえた。
その声は、ボクを憎んでいるようには聞こえなくて、ボクはホッと、胸を撫で下ろした。




