フラッシュバック
「か、和明さ……和明さんっ!
今、タクシーを呼んだから、もうすぐ、……もうすぐ来るから……っ!」
「……母さん」
母さんは、明らかにパニクっていた。
ボクに言っているのか、自分に言い聞かせているのか、分からなかった。
ボクにすがりついて、母さんはそのまま座り込む。
「あぁ。さ、紗奈が……紗奈が亡くなったばかりなのに。……紗奈……! 紗奈ぁぁぁ……」
ボロボロと泣き始めて、ボクは驚いた。
今は紗奈は関係ない──、
そう思ったけれど、言えなかった。
多分、生死の縁に陥ったじいちゃんを見て、紗奈の死を思い出したのに違いなかった。
ボクはどうにかなだめようと、母さんの背を撫でる。
「母さん。大丈夫だから。まだ、大丈夫だから……」
そう気休めを言う。じいちゃんの様子なんて分かりもしないのに。
「紗奈、紗奈ぁ……」
なだめても泣き止まない母さんを見て、ボクは非情にも、本当は心の奥底で少しホッとしていた。
紗奈の死を、母さんはちゃんと悼んでいたんだ。
泣き顔ひとつ見せない両親に、ボクは本当はショックだったんだ。
そりゃ、紗奈は体が弱くて、よく倒れて、大変だったけれど、子どもが死んで、涙を流さない親なんて、あまりにひどいんじゃないか……って。
紗奈を看護するは大変だったと思う。夜中に病院から呼び出されたのも、一回や二回じゃない。
平日の昼間であっても、呼び出しはあった。
だから母さんは、定職にはつけなかった。
紗奈は、ボクの本当の妹じゃない。
父さんが義母さんに出会って、結婚して、それから出来た、初めての義妹だ。
義母さんは、紗奈の病院の事もあったから、ボクの父さんと出会うまで、ずっと一人で全てをやりくりしていた。
《国から手当が来てたのよ》とは言っていたけれど、全ての生活費をパートでしのぐのは大変だったはずだ。
お金の事だけじゃない。自由だってなかったはずだ。
紗奈がボクの家に来てから、紗奈の体調は良くなったと言っていたけれど、それでも紗奈は、ボクが傍を離れられなくなるほど、体調を崩していた。
それが本当に《良くなっていた》って事なら、その前なんて、相当だったと思う。
「……」
そんな紗奈の看護に疲れていたのも頷けた。
でも……、もしかしたら、死んでホッとしたんじゃないかっ……て、そんな風に思うのがボクは嫌だった。
大好きな紗奈だから、紗奈を産んでくれた母さんには、誰よりも、ずっとずっと紗奈の事を愛していて欲しかったんだ……。
だから、悔しかった。
涙一つ見せないそんな義母さんが、ボクは憎かった。
そう思うしかなかったあの状況が受け入れられなくて、自分の事ではないのに、ボクはひどく辛かった……。
でも、違った。
母さんが泣けなかったのは、ボクのせいだ。
ボクが紗奈の死を、看取ってしまったから。
「……」
紗奈が亡くなるその瞬間、ボクが傍に、……紗奈と一緒にいたから。
だから、母さんは泣けなかった。
ボクに負担をかけまいと、母さんは泣かなかったのかも知れない。
「母さん。……母さん」
ボクは母さんを呼ぶ。
母さんは気づいて、軽く動揺する。
「あ……ち、違うのよ? 和明さん? わ、私は大丈夫なの……」
真っ青な顔で、母さんは笑って見せた。
笑っても、その目の端から、ボロボロと涙がこぼれた。一旦堰を切ったその感情は、そう簡単にはおさまらない……。
……ボクは、本当の子どもではないのに。それなのにまだ、ボクを想ってくれるの?
母さんは、いつもボクに優しかった。
ボクは《母さん》を知らない。
大きくなってから出来た《母さん》に、甘えてみたくても甘えられなくて、少し、紗奈が羨ましかった。
そんなボクに、母さんは紗奈と変わらない愛情を向けてくれた。
いつも一歩引いていたのは、本当はボクの方……。
「……」
母さんのその微笑みは、泣きたくなるような、悲しい微笑みだと思った。
「母さ……」
ボクの目からも涙が溢れる……。
「母さん。ボクはいいんだ。……だから紗奈の死を、悲しんであげて……っ、」
ボクの言葉を聞いて、母さんの顔がクシャクシャになる。
「う……。うわあぁぁあぁ……っ」
「……」
母さんの泣き声は、魂が削れるような声だった。
でも、
優しい泣き声だと、ボクは思った──。




