本文メモ
────どうしてこうなったのか教えてほしい。
「ご、ごめんなさい。ご迷惑だったでしょうか……」
オレの目の前には、今を賭ける……所謂天才と言われているトップスター・桧山沙織が、申し訳なさそうに正座をしていた。その後ろにはスーツ姿の我が母親・竹中育江の姿がある。オレと桧山沙織を面白そうに交互に見つめながら。そこを突っ込むと違うわよと5倍になって返ってくるが、いーや違くない。オレは分かる。何てったって今までもそうだったんだから。
「いいでしょ? 大翔の部屋使うわけじゃないし」
それから鼻の穴を膨らませて育江……じゃない、母がそう言ってきた。いいも何もオレには昔から拒否権が無いというか、オレの家は昔から女尊男卑と言うか、母親の言う事は絶対だった筈だ。
「嫌だって言っても聞いてくれないんだろ」
オレの嫌、という言葉に沙織があからさまに申し訳無さそうに肩すくめて俯いた。いやいやそんな反応しなくても……と言うかトップスターだからそんなビクビクせずに堂々としておけばいいのに、なんて思ってしまった。
「あ〜……キミは大丈夫だから。そんな落ち込まなくても。これは親子のやり取りというか、日常と言うか。寧ろなんか……ゴメン」
嫌なんでオレ謝ってるの?! 心の中で自分自身に突っ込む。と言うかそもそもそろそろ状況を整理したい。オレは今日、休みの筈で朝からいつもの休日と同じように自室に引きこもっていた。そしたら仕事に行ったはずの母親が部屋の扉を激しくノックして開けたらそこには母親と桧山沙織の姿があって……。
「で、事務所の女子寮が改築工事始まるから、終わるまで一緒に住む事になる、と……」
オレの母親は小さいけれど精鋭のアイドルやスターが所属する事務所でマネージャーをしている。
そこで主に担当しているのがこの桧山沙織で、先にも話したが一線を記すトップスター。彼女は小さい頃から既に家を出て、母親や事務所が手塩をかけて育て上げてきた。それこそ、実の子供であるオレの事より優先したりする事もしばしばあり、小さい頃は色々思う事があったけれど、その分父親が面倒を見てくれたし慣れたってのもあった。そんな父親は今単身赴任中で、母親もこんな仕事なので一人暮らしも同然な環境になってしまったのでそれはそれで有難いと思い謳歌しているのだが。
「他の子達は成人済みだから一人暮らしすんなり出来たり、実家から通えたりするんだけど沙織は地方なのと何かあった時に怖いでしょ? 社長が預かってくれないかって言ってきたのよね」
まあ確かにトップスターの身に何かあったら一大事だろう。今まで女子寮と言うある程度安全を約束された地が奪われてしまっては仕方ない。
「ホラ、あなたも沙織と歳が近いし、色々とこっちも楽なのよね。部屋は私の部屋を引き渡して、私が旦那の部屋使うからそれでいいでしょ? それに沙織は普段仕事で殆ど家に居ることなんて無いんだし」
仕事、と言われてふと疑問に思った。
沙織は確かオレより一つ下のはずだ。学年で言うと高校一年生だから、学校とかあるはずだけどどうしているのだろうか。
「そう言えばお前……君は学校どうしてるんですか……?」
変に緊張してしまって、敬語とため口が混ざり合った口調になってしまった。いやでも何度でも言うけど目の前にトップスターがいていつもみたいに接せれると思うか? いや、思えないね (倒置法)。
「あ、私定時制に通っています。事務所が少しでも学校を経験してほしいからって。でも、やっぱり通えない日が殆どなので、その時は前もって課題など頂いて、通信で……」
桧山沙織が告げた高校名は偶然にもオレと同じ高校だった。そう言えばオレの高校って定時制もあったんだったっけ。普段あまり交流しないから、存在すら忘れていたしそもそも向こうもオレのようなインキャ認識すらしないだろう (事実、定時制は桧山沙織の様に何かしながら通っている人が多く、全日制のオレたちより校則が緩かった。まあ全日の校則もあってないようなものだが)。
でも桧山沙織の様な存在がいるとは知らなかった。いたらもっと話題になっていたはずなんだが、もしかしてオレが外世界に疎すぎたから情報が入ってこなかったとか……?
「あの、そう言えば改めてお名前お伺いしても宜しいでしょうか」
おずおずと申し訳なさそうに訊ねてくる桧山沙織。
そう言えばオレだけ相手の情報知っておいて、一つも自分の事は伝えていないと気付いた。これもコミュ障故か。と、言うか簡単な内容なら母親経由で聞いているとは思うが。
「大翔。竹中大翔。高校二年生。部活は何も入ってない。委員会は美化委員。後は……」
こう言う時って何を話せばいいのか分からない。ベラベラ余計な事を話すのも性に合わないし、かと言って何も話さないのも相手に申し訳ない気もする。
そう言えば沈黙がダメなコミュ障もいるんだっけか。ならオレはオールマイティーなどこへ出しても恥ずかしくないコミュ障って事か。どこへ出せばいいんだ。
「あ、大丈夫ですよ……?」
自分自身に突っ込みを入れていたら、オレの挙動を不審に思ったらしい。桧山沙織は小さく手を挙げ静止のポーズで首を傾げた。気を使わせてしまった。
「ええっと、それではヒロセンパイって呼ばせて頂きますね。同じ高校ですし。交わる事はあまり無いと思いますが……」
────ヒロ"センパイ"?!
オレには一生縁のないワードだと思っていたのでのけぞってしまった。自慢ではないがオレは生まれてこの方センパイなんぞ呼ばれた事が無い。と言うか名前も滅多に呼ばれない。勿論外での話だが。
大体はオレを呼ぶ時は"ちょっと"とか"あの"とか名前を呼ばなくても当たり障りのない感じと言うか、寧ろ名前を忘れられている事の方が多い。なんてったって根っからのコミュ障隠キャ。唯一入っている美化委員でも、名前を忘れられるなんてザラ。クラスメイトからは辛うじて苗字呼びだが。
唯一オレの事を外でも名前で呼ぶ奴と言えば────……。
「ヒロ! 居るんでしょ?!」
気の強い声が玄関の方から響いてきた。
それからオレの返事も聞かずに上がり込む音がする。
母親はいつもの事なので気にも留めないのだが、その、一応年頃の……。
「ヒロ!」
勢いよく扉を開けたのは、オレの幼馴染の巴環だった。
相変わらずの桃色のハーフツインテールが眩しい。それから気の強そうな吊り目と八重歯が顔を覗かせている。幼馴染と言っても向こうが一つ歳下だが。
そう言えば桧山沙織と同い年になるのか。
「……?! なんで桧山沙織がここに居るのよ……」
いつもだったらオレの腕を引くなりなんなり理由つけて外へ飛び出したりしている環だが、桧山沙織の姿を見て腰を抜かしそうになった。当たり前だろう、いつもと同じ様に幼馴染の家に行ったらトップスターがいるのだから。オレが逆の立場でもそうなる。いや今は当事者なのだが。
「こ、こんにちは。お邪魔してます」
対照的に相変わらず、どこか一歩引いた様な桧山沙織の態度。
そう言えばこの二人は見た目も対照的だな、と思った。
吊り目八重歯、気の強そうな見目で実際も引っ張っていく様な環。
垂れ目で笑みを絶やさない、何処かふわふわしている桧山沙織。
環は幼馴染のオレから見ても可愛い顔はしていると思う。でも、可愛いの種類を環しか見たことがなかったので、改めて桧山沙織を見ると世の中には色んな種類の人間がいるのだと思った。
「環、母さんが芸能事務所のマネージャーしてるって知ってるだろ」
「当たり前じゃない。そこで桧山沙織の担当をしてるってのも聞いてるわよ」
「なら話が早い。その事務所の女子寮が改修工事する事になって、その間オレの家で預かる事になったんだ」
「マジ?」
信じられない、と言った顔になる環。オレも母親からその話聞いた時、きっと同じ顔をしていたのだろう。
「そう言う事。環ちゃんも宜しくね」
今まで黙っていた母親が、無理矢理切り上げる様に言って一応その場はお開きになった。
「全く……桧山沙織がいるなら前もって教えてちょうだいよ」
あの後、母親と桧山沙織は仕事があるからと家を出て行き、オレは環に日光浴に行くわよ、と外に連れ出された。
「いや、オレもいきなりだったんだよ。母さんがオレの部屋ノックしたからフツーに扉開けて……」
「ふぅーーーん???」
環はあからさまに疑っている、と言った顔を見せつけてきた。眉間に皺を寄せてこちらを睨んでくる。幾らでも睨んでくれて結構だし、疑ってくれて結構。だってオレが一番この状況信じられてないのだから。
「にしても桧山沙織、テレビの中とは大違いだったわね……。確かに肌は綺麗だったし顔はめちゃくちゃ整っていたけれど、オーラ? が全くなかったと言うか……」
環と桧山沙織がエンカウントしていた時間は一時間も無かった筈だ。よくもまあその短い時間で細かいところまでチェックしていたものだな、と感心する。同性だからだろうか。
『分かるでしょう? 貴方がさっき見せた一瞬の隙。その間に私はパフュームを仕込んでいたの』
つい先程までそばに居た桧山沙織が、大型ビジョンに映っていた。
ハイヒールを履いて真っ赤なドレスを身に纏っている。
横に纏めていた髪はおろしていて、化粧もしているせいかかなり大人びて見えた。声の出し方もさっきまで聞いていたのと全く違う。ドスが効いていて別人の様だった。
『早く渡しなさい。それともなぁに? この私がご丁寧に貴方の元へ取りに行かないといけないのかしら』
「別人、よね〜……」
環の言葉に俺は頷いた。
別人、だった。と言うか住む世界が全く違う人間だと素直にそう思った。
オレは母親がキッカケでこうして交わる事が出来たけれど、それが無ければ恐らく一生交わる事はなかっただろう。
「アンタまさかこれを機に桧山沙織とワンチャン狙ったりしない訳?」
環がとんでもない事を言ってきたので、盛大にむせてしまった。わ、ワンチャンなんて考えてもいなかったし大体トップスターに手を出したらそれこそ母親の首が飛びオレたちは露頭に迷うハメになってしまう。
と言うかそもそも仕事で大体家を空けてるだろうし、会う事なんてそうそう無い。
「あのなー、オレの命なくなるぞ。仮に手を出したら。と言うかそもそもインキャコミュ障のオレなんか向こう眼中にないと思うぞ」
「そうね。休みの日にこうやって誘ってくれるのも幼馴染のアタシしかいないワケだし」
「うるせー」
画面が切り替わった。今度は桧山沙織が滅茶苦茶イケメンと背中合わせで歌を歌っていた。どうやら今度リリースされるCDのコマーシャルらしい。
「prince:SSの新曲ね」
相手は確か……そうだ、Souだ(ダジャレではない、断じて)。確かSouも桧山沙織と同じ事務所で、それこそ桧山沙織と一、二位を争うトップスターだった筈。
そう言えば母親が、この二人の仕事が入ったって最近バタバタしてたっけ……。
「ホンッとSouもカッコいいわよね〜。桧山沙織もだけど」
カメラいっぱいにSouが映り込み、満面の笑みを浮かべてからウィンクをする。その後桧山沙織とアイコンタクトを取って彼女が映った。伸びやかなソロパート。さっきとは打って変わって歳相応の表情をしていた。
「prince:SS、アンタのお母さんの事務所で一番稼ぎ頭じゃないのかしら」
「なーんかそんな事言ってた気がする」
まあ関係ない。ため息をついた。環が呆れた顔になる。
「取り敢えず買い物に付き合ってもらおうかしら。私新しい服買いたいのよね。あとコスメ」
「……またっすか」
こりゃ夜遅くまでコースかな。
今度はオレは別の意味でため息をついて、先を歩き始めた環の後を追いかけた。
結局環と別れたのは夜の7時を過ぎてしまっていた。
夜ご飯は環と済ませた。大体休みの日は環と一緒にいる(向こうから来るといってもいい)ので、こうやって一緒に飯を済ませるか、家が近いのでオレの家で環が飯を作ったり、逆に環の家に呼ばれたりしている。
オレは別に一人でも構わないのだが、不健康生活! と環が色々言ってきてくるので仕方なく従っている。
大体環と母親のパイプラインが強すぎるんだよな。下手すりゃオレより連絡取り合ってんじゃないのだろうか。
「────あ、電気ついてる?」
電気がついていた。つけっぱなしで出てしまったのか。まずいな、電気代がかさみそう。
オレの母さんは無駄が嫌いな性格なので、バレたらどうなる事やら。
「おかえりなさい」
今日何度ついたか分からないため息をついて鍵を開けるとエプロンをつけた桧山沙織が、洗濯ものがいっぱいに入ったカゴを両手に持っている姿に鉢合わせして腰を抜かしかけた。
「な……え?!」
いやいや夢か。一気に頭がこんがらがる。
大体この時間母親は仕事で出払っているので、一人の時間が当たり前だった。勿論てっきり桧山沙織も母親と一緒に外にいるものだと思っていたから……え?!
「おま、仕事は?!」
「今日は終わりましたよ。育江さんはスケジュール調整の為に事務所に残りましたけど、私はもうする事もないので」
育江とはオレの母親の名前の事である。
「だ、だからと言ってなんで洗濯物……?!」
「育江さんに頼まれました。私も女子寮に居た時家事は当番制だったので、別に苦ではないですし」
母さん! とオレは心の中で怒鳴りつけた。
母親がダブルピースからのウィンクをきめて消えていった。
「夜ご飯はその様子だと召し上がられたみたいですね。お風呂は沸かしてありますので、お好きなタイミングでお入りください」
それから桧山沙織は部屋の奥へと消えていった。どうやら洗濯物を干しにいったらしい。
「んぐ……」
手を洗ってからリビングへ向かうと、美味しそうな匂いが漂っていた。キッチンから鶏肉のソテーが顔を覗かせている。もしかしてこれも桧山沙織が作ったのだろうか……。
「凄いな。完璧じゃん」
勝手だけど芸能界、と言うところにいる人間はこう言うことに疎いものだと思い込んでいたが、違うらしい。