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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第七、呂布伝
93/603

三、董卓刺殺

三国志3.

先是,司徒王允以布州里壯健,厚接納之。後布詣允,陳卓幾見殺狀。時允與僕射士孫瑞密謀誅卓,是以告布使為內應。布曰:「柰如父子何!」允曰:「君自姓呂,本非骨肉。今憂死不暇,何謂父子?」布遂許之,手刃刺卓。語在卓傳。允以布為奮威將軍,假節,儀比三司,進封溫侯,共秉朝政。



(訳)

これより以前、司徒しと王允おういん

呂布が州里で壮健である事から

厚く彼を待遇した。


後に呂布は王允を訪ねて

董卓に殺されかけた旨を述べた。


この時王允は、僕射ぼくや士孫瑞しそんずい

密かに董卓の誅殺を謀っており

この事を呂布にも告げて

内応させようとした。


呂布が言った。

「親子の関係をどう片付けるのだ!?」


王允は言った。

「君自身の姓は〝呂〟です。

もともと(董卓と)骨肉ではありません。

今は死を憂慮して暇が無く、

何故親子だなどと謂っておられますか?」


呂布はとうとう計画に許諾し

自ら刃を用いて董卓を刺した。


この話は「董卓伝」に在る。


王允は呂布を奮威将軍に任じて

節を仮し、儀礼は三公に並び

温侯に進封させて、ともに朝政を執った。




後漢書3.

因往見司徒王允,自陳卓幾見殺之狀。時允與尚書僕射士孫瑞密謀誅卓,因以告布,使為內應。布曰:「如父子何?」曰:「君自姓呂,本非骨肉。今憂死不暇,何謂父子?擲戟之時,豈有父子情也?」布遂許之,乃於門刺殺卓,事已見卓傳。允以布為奮威將軍,假節,儀同三司,封溫侯。


(訳)

司徒の王允が朝見に往来したのに因んで

呂布は自ら董卓に殺されかけた旨を述べた。


この時王允は、僕射ぼくや士孫瑞しそんずい

密かに董卓の誅殺を謀っており

呂布に告げて内応させようとした。


呂布が言った。

「親子の関係はどうするのだ!?」


王允は言った。

「君自身の姓は〝呂〟です。

もともと(董卓と)骨肉ではありません。

今は死を憂慮して暇が無く、

何故親子だなどと謂っておられますか?

(董卓が)戟を投げつけた時

果たして親子の情などあったでしょうか?」


呂布はとうとう計画に許諾して

門に於いて董卓を刺殺した。

この記事は既に「董卓伝」に見える。


王允は呂布を奮威将軍に任じて

節を仮し、儀礼は三公と同じくして

温侯に封じた。


(註釈)

呂布と王允は出身地が近かったので

親密になりました。

「州里」は、出身郡は違うけど

出身州は同じだったという

ニュアンスです。


君どっから来たの?江戸川区?

マジ?オレ江東区よ、みたいな。


中国は広いので、近いとこ出身だと

やっぱり親近感わくんでしょうね。



後漢書では、呂布から王允に

コンタクトを取ってますが、

三国志では、王允から進んで

呂布と親交を温めてる感じです。



三国志の記述を信じるなら、

たぶん軽い気持ちで呂布が王允に

「こないだ董卓にちょっとした事で

殺されかけたんだよ、全く」

と愚痴でもこぼしたんでしょう。


これを聞いた王允は、大胆にも

董卓の暗殺を計画してる事を

呂布に打ち明けたのです。


呂布は参画を渋ったものの、

「もともと他人じゃん。

董卓に殺されかけといて

何が親子だよ、やっちゃえよ」

と促されて、董卓を刺殺しました。


呂布が董卓を殺したのは192年。

この時献帝はまだ12歳なので

司徒の王允が代わって

呂布に爵位なり将軍位なり節なり

与えているのも納得です。

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