註三、張遼のキモチ
本文から離れ、
裴註による、傅子の記述です。
張遼の心情について書かれてます。
註3.
傅子曰:遼欲白太祖,恐太祖殺羽,不白,非事君之道,乃歎曰:「公,君父也;羽,兄弟耳。」遂白之。太祖曰:「事君不忘其本,天下義士也。度何時能去?」遼曰:「羽受公恩,必立效報公而後去也。」
(訳)
傅子にいう、
張遼は太祖(曹操)に
関羽の言葉を報告しようとしたが
太祖が関羽を殺すことを恐れた。
しかし報告しなければ
君臣の道義に外れる事になるので、
そこで歎息して言った。
「曹公は主君であり父であるが
関羽は兄弟にすぎぬ」
かくて太祖に関羽の言を打ち明けた。
太祖が、
「主君に仕える上で
その根本を忘れぬ(関羽)は
天下の義士である。
彼はいつ立ち去るであろうか」
と尋ねると、張遼が言った。
「関羽は公に恩を受けております故
必ず手柄を立ててその恩に報いてから
立ち去るでありましょう」
(註釈)
傅子は、隋書の34巻に
「〝傅子〟百二十卷晉司隸校尉傅玄撰」
とあります。
傅玄は晋書の47巻に列伝あり。
曹操が、張遼だったら
関羽の個人的な感情を
聞きだせるのではないかと
判断してるあたりから、
客観的に見ても
関羽と張遼って仲いいんですね。
張遼は、呂布が董卓を討った時か
呂布が徐州へ向かった時に
「28歳」と書かれており、
165or169年生まれ。
関羽は、少くして劉備に仕えた張飛より
数歳年長、と書かれています。
張遼の兄分なのか弟分なのか
微妙なライン。
しかしこの場面では
劉備への旧恩を忘れぬ関羽も
関羽の言葉を曹操に打ち明けた張遼も
関羽を行かせてやった曹操も
みんなかっこいいと思います。




