一、呂布、丁原を殺す
一旦蜀から離れて
(一般的には)三国志最強と称される
飛将軍、呂布伝を読みます。
呂布は陳寿の「三国志」のほか
范曄の「後漢書」にも列伝があり
両著を読み比べながら
呂布奉先の素顔に迫ります。
「淡々三国志、兼後漢書」です。
三国志1.
呂布字奉先,五原郡九原人也。以驍武給并州。刺史丁原為騎都尉,屯河內,以布為主簿,大見親待。靈帝崩,原將兵詣洛陽。與何進謀誅諸黃門,拜執金吾。進敗,董卓入京都,將為亂,欲殺原,并其兵衆。卓以布見信於原,誘布令殺原。布斬原首詣卓,卓以布為騎都尉,甚愛信之,誓為父子。
(訳)
呂布はあざなを奉先といい、
五原郡九原県の人である。
勇猛さを以って并州に仕えた。
(并州)刺史の丁原は騎都尉となり
河内に駐屯すると、
呂布を主簿に任命し、大いに親愛した。
霊帝が崩御すると(189年)
丁原は将兵を引き連れ洛陽へと向かい
何進とともに諸黄門(宦官)を
誅戮しようと謀り、
執金吾に任命された。
何進が敗れると、
董卓が都(洛陽)へと入り
動乱を起こして丁原を殺害し
并州の軍勢を手中にしたいと考えた。
董卓は、呂布が丁原から
信頼されているのを見て、
彼を誘って丁原を殺害させた。
呂布が丁原の首を斬って
董卓のもとへやって来ると
董卓は呂布を騎都尉に任じた。
(董卓は)甚だ呂布を信愛して
親子の契りを結んだ。
後漢書.1
呂布字奉先,五原九原人也。以弓馬驍武給并州。刺史丁原為騎都尉,原屯河內,以布為主簿,甚見親待。靈帝崩,原受何進召,將兵詣洛陽,為執金吾。會進敗,董卓誘布殺原而并其兵。卓以布為騎都尉,誓為父子,甚愛信之。
(訳)
呂布はあざなを奉先といい、
五原郡九原県の人である。
弓馬に秀で、勇猛さを以て并州に仕えた。
(并州)刺史の丁原は
騎都尉となって河内に駐屯すると
呂布を主簿に任じ、甚だ親愛した。
霊帝が崩御すると、
丁原は何進から召集を受けて
将兵を引き連れて洛陽へと向かい
執金吾に任じられた。
何進が敗れると、
董卓は呂布を誘って丁原を殺し、
并州の軍勢を取集した。
董卓は呂布を騎都尉に任じると、
親子の契りを結んで、彼を甚だ信愛した。
(註釈)
後漢書の和訳持ってないので
後漢書は気合いで訳していますが
絶対どこかで間違います。
生暖かい目で見守ってやってください。
三国志と後漢書、
両著における呂布伝の
出だしの記述はほとんど同様です。
呂布はお世話になっていた
丁原を殺して、董卓に寝返ります。
いきなり梟雄らしさ全開ですね。




