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淡々三国志  作者: ンバ
魏書第七、呂布伝
89/603

一、呂布、丁原を殺す

一旦蜀から離れて

(一般的には)三国志最強と称される

飛将軍、呂布伝を読みます。


呂布は陳寿の「三国志」のほか

范曄はんようの「後漢書」にも列伝があり

両著を読み比べながら

呂布奉先の素顔に迫ります。


「淡々三国志、兼後漢書」です。


三国志1.

呂布字奉先,五原郡九原人也。以驍武給并州。刺史丁原為騎都尉,屯河內,以布為主簿,大見親待。靈帝崩,原將兵詣洛陽。與何進謀誅諸黃門,拜執金吾。進敗,董卓入京都,將為亂,欲殺原,并其兵衆。卓以布見信於原,誘布令殺原。布斬原首詣卓,卓以布為騎都尉,甚愛信之,誓為父子。


(訳)

呂布(りょふ)はあざなを奉先(ほうせん)といい、

五原郡九原県の人である。

勇猛さを以って并州(へいしゅう)に仕えた。


(并州)刺史の丁原(ていげん)騎都尉(きとい)となり

河内に駐屯すると、

呂布を主簿に任命し、大いに親愛した。


霊帝が崩御すると(189年)

丁原は将兵を引き連れ洛陽へと向かい

何進かしんとともに諸黄門(こうもん)(宦官)を

誅戮しようと謀り、

執金吾しつきんごに任命された。


何進が敗れると、

董卓が都(洛陽)へと入り

動乱を起こして丁原を殺害し

并州の軍勢を手中にしたいと考えた。


董卓は、呂布が丁原から

信頼されているのを見て、

彼を誘って丁原を殺害させた。


呂布が丁原の首を斬って

董卓のもとへやって来ると

董卓は呂布を騎都尉に任じた。


(董卓は)甚だ呂布を信愛して

親子の契りを結んだ。





後漢書.1

呂布字奉先,五原九原人也。以弓馬驍武給并州。刺史丁原為騎都尉,原屯河內,以布為主簿,甚見親待。靈帝崩,原受何進召,將兵詣洛陽,為執金吾。會進敗,董卓誘布殺原而并其兵。卓以布為騎都尉,誓為父子,甚愛信之。



(訳)

呂布(りょふ)はあざなを奉先(ほうせん)といい、

五原郡九原県の人である。

弓馬に秀で、勇猛さを以て并州に仕えた。


(并州)刺史の丁原は

騎都尉となって河内に駐屯すると

呂布を主簿に任じ、甚だ親愛した。


霊帝が崩御すると、

丁原は何進から召集を受けて

将兵を引き連れて洛陽へと向かい

執金吾に任じられた。


何進が敗れると、

董卓は呂布を誘って丁原を殺し、

并州の軍勢を取集した。


董卓は呂布を騎都尉に任じると、

親子の契りを結んで、彼を甚だ信愛した。




(註釈)

後漢書の和訳持ってないので

後漢書は気合いで訳していますが

絶対どこかで間違います。

生暖かい目で見守ってやってください。



三国志と後漢書、

両著における呂布伝の

出だしの記述はほとんど同様です。



呂布はお世話になっていた

丁原を殺して、董卓に寝返ります。

いきなり梟雄らしさ全開ですね。

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