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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第七、法正伝
84/603

七、定軍山の戦い

7.

二十四年,先主自陽平南渡沔水,緣山稍前,於定軍、興勢作營。淵將兵來爭其地。正曰:「可擊矣。」先主命黃忠乘高鼓譟攻之,大破淵軍,淵等授首。曹公西征,聞正之策,曰:「吾故知玄德不辨有此,必為人所教也。」



(訳)

建安二十四年(219)、

先主は自ら陽平の南の沔水を渡り

山に沿って前進し

定軍・興勢に陣営を建てた。


夏侯淵が兵を率いて至り、その地を争った。

法正が「撃つべし」と言うと

先主は黄忠に命じ、高所から乗じて

太鼓をけたたましく打ち鳴らして

これを攻めさせ、夏侯淵の軍を大破して

夏侯淵らは首を献じた。


曹公は西征し、法正の策を聞いて言った。


「玄徳にこのような策が考えつく筈もなく

きっと人から教えられたものだと

私には初めからわかっておったわい」



(註釈)

曹操が珍しく、劉備に対して

負け惜しみを言っています。


定軍山の戦いの記述は、

黄忠伝でも太鼓ドンドコ打ち鳴らして

夏侯淵を倒したとありましたが

やっぱりここでもドコドコ鳴らしてますね。


法正が高所に立って紅白の旗を振り

黄忠に合図送る話があったと

思うんですが……出典がなんだったか

思い出せません。吉川三国志?



夏侯淵を破った劉備は、

あれだけ恐れていた曹操の来攻を聞いても


「曹操が自らやってきたところで

何もできまい。俺が必ず勝つ!」


と、自信たっぷりの態度を見せています。


徐州で叛旗を翻してより20年、

劉備が自前の兵力のみで

曹操を降したのは、これが

最初で最後の機会となるのでした。


かくして漢川を保有した劉備でしたが

曹操は予め漢中の人員を北に移しており、

領土を増やせど、生産力自体は

それほど伸びなかったと思われます。


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