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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第七、法正伝
82/603

註五、孫盛ふたたび斬る!!

註5.

孫盛曰:夫威福自下,亡家害國之道,刑縱於寵,毀政亂理之源,安可以功臣而極其陵肆,嬖幸而藉其國柄者哉?故顛頡雖勤,不免違命之刑,楊干雖親,猶加亂行之戮,夫豈不愛,王憲故也。諸葛氏之言,於是乎失政刑矣。



(訳)

孫盛はいう、

威福が下の者によって行われるのは

家を亡ぼし、国を害する道である。


寵遇を受けた者が

刑罰を欲しいままに行うことは

政治をこわし道理を乱す根源である。


どうして功臣だからという理由で

その陵肆(意のままに振舞うこと)を極め

嬖幸へいこうとしてその国権を

りてよいものだろうか。


故に顛頡てんきつは精勤すれども

命を違えて刑罰を免れず

楊干ようかんは主の親族と雖も

なお(車の)行列を乱して

(御者が)刑戮を加えられた。


愛していなかったからだろうか、

いや、王法ゆえである。


諸葛氏(亮)の言動はここにおいて

刑罰・政治の道理を外れている。


(註釈)

顛頡(読めねぇ)は春秋時代の晋の人で

主の命令に背いたかどで処刑されました。


楊干は晋悼公の弟で、

諸侯との会見の際に

車の隊列乱したという理由で

本人でなく御者が処刑されています。


功績があるからと言って

好き勝手やっていい理由にならない。

諸葛亮がガツンと法正に

言ってやるべきだったと

孫盛は述べています。


信賞必罰・公明正大を旨とする諸葛亮に

王法を説くのは釈迦に説法では?

と、正直思ってしまいました。


蜀は魏呉と比べて有為の人材が少ないので

徒らに損なうわけにはいかないのです。

魏延と楊儀がケンカしてた時も

諸葛亮は得難い人材を除くことを

よしとしなかったわけですから。


そのあたりの事情も察してあげてぇ!

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