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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第七、法正伝
80/603

註四、裴松之反論

註4.

臣松之以為郭隗非賢,猶以權計蒙寵,況文休名聲夙著,天下謂之英偉,雖末年有瑕,而事不彰徹,若不加禮,何以釋遠近之惑乎?法正以靖方隗,未為不當,而盛以封墓式閭為難,何其迃哉!然則燕昭亦非,豈唯劉翁?至於友于不穆,失由子將,尋蔣濟之論,知非文休之尤。盛又譏其受任非所,將謂仕於董卓。卓初秉政,顯擢賢俊,受其策爵者森然皆是。文休為選官,在卓未至之前,後遷中丞,不為超越。以此為貶,則荀爽、陳紀之儔皆應擯棄於世矣。


(訳)

わたくし松之の意見。

郭隗は賢才ではあらずとも

なお一時の計略により寵遇を受けた。


ましてや文休(許靖のあざな)の名声は

もとから顕著であり、

天下に彼は英雄と謳われたのだ。


晩年に瑕疵かしが有ったとはいえ

その事は周囲にあきらかだったわけではなく

もし彼を礼遇しなかったとなれば

どのようにして遠近の疑いを釈明するのか?


法正が許靖を郭隗に例えたのは不当でなく

しかも孫盛が封墓ふうぼ式閭しきりょを以て

非難しているのは、

なんと的外れな事であろうか!!


それでは即ち、

(郭隗を取り立てた)燕の昭公も

また間違っているという事で

どうして劉翁(劉備)だけであろう。


兄弟が不和であった理由に至っては

子将(許劭のあざな)に非があって

蒋済の論を尋ねれば、

文休のせいではない事がわかる。


孫盛はまた、不適切な所から

官位を受けたと誹謗しているのは

(許靖が)董卓に仕えていた事を

謂っているのであろう。


董卓が当初政権を掌握した際には

賢俊を抜擢して、その策文や

爵位を受けた者たちは

森然として皆このようであった。


文休が選官であったのは

董卓の至る前であり、

のちに御史中丞に遷ったことは

超越(の出世)ではない。


この様なことで貶すなら

荀爽じゅんそう陳紀ちんきらもまた世間から

非難されて当然ということになる。


(註釈)

孫盛の論を聞いてモヤモヤしてた部分を

裴松之が9割くらい払拭してくれました。


歴史家にもそれぞれ人物の好悪は存在し、

孫盛は姜維きょうい、裴松之は賈詡かくが嫌いなようで

註釈でボロクソに貶したりしてます。

見解の相違からこうして

論戦(?)になる事もしばしば。


法正が許靖を郭隗に例えたの

結構的を射てると思うんですけどね。


荀爽は荀彧のオジさんで

陳紀は陳羣の親父さんで

かなりのビッグネームです。


董卓に仕えてたヤツは(全員)クソだ

なんて言うのはさすがに極論ですよね。


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