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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第七、法正伝
76/603

三、法正からの手紙(後)

3-2.

本為明將軍計者,必謂此軍縣遠無糧,饋運不及,兵少無繼。今荊州道通,衆數十倍,加孫車騎遣弟及李異、甘寧等為其後繼。若爭客主之勢,以土地相勝者,今此全有巴東,廣漢、犍為過半已定,巴西一郡,復非明將軍之有也。計益州所仰惟蜀,蜀亦破壞;三分亡二,吏民疲困,思為亂者十戶而八;若敵遠則百姓不能堪役,敵近則一旦易主矣。廣漢諸縣,是明比也。又魚復與關頭實為益州福禍之門,今二門悉開,堅城皆下,諸軍並破,兵將俱盡,而敵家數道並進,已入心腹,坐守都、雒,存亡之勢,昭然可見。斯乃大略,其外較耳,其餘屈曲,難以辭極也。以正下愚,猶知此事不可復成,况明將軍左右明智用謀之士,豈當不見此數哉?旦夕偷幸,求容取媚,不慮遠圖,莫肯盡心獻良計耳。若事窮勢迫,將各索生,求濟門戶,展轉反覆,與今計異,不為明將軍盡死難也。而尊門猶當受其憂。正雖獲不忠之謗,然心自謂不負聖德,顧惟分義,實竊痛心。左將軍從本舉來,舊心依依,實無薄意。愚以為可圖變化,以保尊門。」


(訳)

本来明将軍のために懸案した者は

この軍が遠来し食糧無く

輸送も追いつかず、兵は少なく、

後続の軍も無いと、必ずや述べた筈です。


今荊州との道は通じ、兵力は十倍で

加えて孫車騎(孫権)は弟御

および李異りい甘寧かんねいらを派遣して

その後続とさせております。


もし主(劉璋)客(劉備等)の勢力が

領土を以て互いに勝敗を争ったならば

現在(劉備は)巴東の全域と

広漢・犍為(けんい)の半分以上を已に平定し、

巴西の一郡とてもはや

明将軍の有する処ではございません。


計るに益州が恃みとしているのは

ただ蜀郡のみでありましょうが、

蜀もまた破壊され、その三分の二を亡くし

官民ともに困苦して、叛乱を企てる者は

十戸のうち八にまで及んでおります。


もし敵が遠ければ百姓は労役に堪えられず、

敵が近ければ一朝で主を

変えてしまう事でしょう。

広漢の諸県がまさしくこれに当たります。

また魚復ぎょふくと関頭とは実際に

益州の禍福を現す門でしたが、

今や二関ともに開かれて堅城は皆下り、

諸軍は揃って破られ将兵ともに尽き、

しかも敵は複数の道から並進して

中心部に入ってしまっており、

坐して成都、雒を守っていては

存亡の趨勢は明らかに見る事ができます。


大略は斯様なところで

これはその輪郭に過ぎません。

その他の詳細な事柄については

言葉に言い表すのは困難です。


私は下劣で愚昧ではありますが、

それでもなおこの事が

成就されないのを承知致しており

ましてや明将軍の左右の智謀の士に

どうしてこれらの道理を

知見できぬ事がありましょうか。


朝な夕な寵愛を盗んで

包容を求めて媚びへつら

将来の計画に思いを巡らさず

心を尽くして良計を

献策しないだけなのです。


もし事態が窮し状況が逼迫すれば

将は各々生きる事を求めて

一族門戸を救おうと態度を変えて反覆し

みな共に現在とは異なる計を立てて

明将軍の為に死を賭して難局に立ち向かわず

尊門はやはり憂いを被る事でしょう。


私は不忠と謗られておりますけれども

依然として心は聖徳に背いてはおらず、

節義を顧みまして誠に心を痛めております。

左将軍は此度至ってからも

旧交を忘れておらず

酷薄の意は全く持っておりませぬ。

変化の事を図って、尊門を

保たれるべきかと具申致します」


(註釈)

法正は恐らく、心の中では劉璋のことを

見下しているんでしょうが

手紙には虚偽の尊敬の念が

終始に渡って込められており

法正の素敵な二枚舌を堪能する事が出来ます。


かなり詳細に渡っているので

陳寿が「三国志」を書いた頃にも

この手紙は現存してたんでしょうかね。


郡の境界がわかりにくいので

益州の首都の成都せいと周辺の郡に

ざっと色を塗ってみました。


情勢が法正の言った通りだとすると、

魚復ぎょふくは地図にないですが

巴郡の東側、巴東の辺りで

水色に塗った範囲で、

江水に沿ったルートの拠点はほぼ

張飛に攻め落とされているようです。


関頭かんとうは緑に塗った

白水のあたりで、ここは劉備や黄忠が

葭萌から南下して、

北側はほぼ全て制圧している筈です。


黄色く塗った犍為けんい郡の北、

「資中・徳陽には張飛の分隊が……」

って言われてますが、これが多分

趙雲と諸葛亮ではないかと思われます。


張飛・趙雲・諸葛亮の

三路同時侵攻って、

聞いただけでゾッとしちゃいますね。


また、早いとこ降伏しないと

劉備のあとに「孫権も」来るよ!

的なことを言ってますが、これは

とっとと劉璋を諦めさせるための

方便ではないか……と思うんですが、

実はマジだったりするんでしょうか。


李異りいという名前の人がもともと

劉璋の配下にいたようなのですが

ここで孫権傘下として出てくる

李異と同一人物かどうかはわかりません。


また、甘寧かんねいは生粋の呉人ぽい

イメージがありますが、

もともと益州の人なので

彼が道案内役を兼ねるというのは

なかなかリアリティがあります。


三國無双2で、甘寧が無双乱舞の時に

「血がたぎってきたぜーー!!!!」

って言うんですけど、


さき行ってきたぜーー!!!!」

に聞こえてしまって、

甘寧は呉とか益州とか以前に

茅ヶ崎にゆかりのある

イメージができてしまいました。


アホな話はさておいて

法正がここで言っている

「孫権の弟」っていうのは

一体誰なんでしょうか。


すぐ下の孫翊そんよくは既に死んでいる筈で

末弟の孫匡そんきょうも、二十代で

亡くなった……と書かれてるので

恐らく従弟の孫皎そんこうだと思われます。


三國志11で

この辺の年代のシナリオやると

孫皎は荊・益の国境にいた気がします。


横山三国志だと

雒城が落ちる回の副題が

雒城らくじょう落城らくじょうという

ナイスなダジャレになっているため

何回読んでもそこでフフッ、となりますw

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