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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第十、魏延伝
68/603

四、楊儀との争い、そして死

4.

秋,亮病困,密與長史楊儀、司馬費禕、護軍姜維等作身歿之後退軍節度,令延斷後,姜維次之;若延或不從命,軍便自發。亮適卒,祕不發喪,儀令禕往揣延意指。延曰:「丞相雖亡,吾自見在。府親官屬便可將喪還葬,吾自當率諸軍擊賊,云何以一人死廢天下之事邪?且魏延何人,當為楊儀所部勒,作斷後將乎!」因與禕共作行留部分,令禕手書與己連名,告下諸將。禕紿延曰:「當為君還解楊長史,長史文吏,稀更軍事,必不違命也。」禕出門馳馬而去,延尋悔,追之已不及矣。延遣人覘儀等,遂使欲案亮成規,諸營相次引軍還。延大怒,纔儀未發,率所領徑先南歸,所過燒絕閣道。延、儀各相表叛逆,一日之中,羽檄交至。後主以問侍中董允、留府長史蔣琬,琬、允咸保儀疑延。儀等槎山通道,晝夜兼行,亦繼延後。延先至,據南谷口,遣兵逆擊儀等,儀等令何平在前禦延。平叱延先登曰:「公亡,身尚未寒,汝輩何敢乃爾!」延士衆知曲在延,莫為用命,軍皆散。延獨與其子數人逃亡,奔漢中。儀遣馬岱追斬之,致首於儀,儀起自踏之,曰:「庸奴!復能作惡不?」遂夷延三族。


(訳)

秋、諸葛亮は病に苦しみ

ひそかに長史の楊儀ようぎ、司馬の費禕ひい

護軍の姜維きょういらに、自身が没したのちに

軍を撤退させる命令書を作らせた。

魏延には後続を断たせ、

姜維をこれに次がせ

もしも魏延が命令に従わぬ場合は

そのまま軍を進発させるよう命じた。


諸葛亮が没すると密かに喪を発さず、

楊儀は費禕に命じて

魏延の意向を推し量らせた。


魏延は言った。


「丞相が亡くなられたといえど

私がいまだ健在である。


丞相府に親豫する属官は、すぐに

将の遺体を(成都に)還して葬るがよい。

私は自ら諸将を率い、賊の迎撃に当たる。

何故一人の死を以て

天下の大事を廃するというのか。


それに、この魏延を誰だと思っている。

楊儀のためにその指揮下に入り、

後続を断つ将になれだと!?」


そのため、費禕とともに

進む部隊と留まる部隊とに分けて

費禕に命じて手書きで自分に連名させ

諸将に告知させた。


費禕は魏延を欺いて言った。


「君のために帰って

楊長史に説明しましょう。

長史は文官であり、軍事には疎いので

きっと命令に背きますまい」


費禕は門を出て馬を馳せ去って行くと

魏延はすぐに後悔し、費禕を追ったが

もはや追いつけなかった。


魏延が人を遣って楊儀らを視察させると

諸葛亮の作成した命令書によって

諸々の軍営は相次いで軍を退け

帰還しようとしていた。


魏延は大いに怒り、

わずかに楊儀がいまだ出発せぬうちに

配下の手勢を率いて

ただちに先行して南方へ還ると

通過した場所で桟道さんどうを焼き落とした。


魏延と楊儀はそれぞれがお互いに

謀反を起こしたと上表し、

一日の間に羽檄うげきが続々と届けられた。


後主が侍中の董允とういん

留府長史の蔣琬しょうえんにこの事を咨ると

蒋琬と董允は揃って楊儀を擁護し、

魏延のことを疑った。


楊儀らは山木をって道を通し

昼夜兼行で、また魏延の後を追った。


魏延は先に到着すると南谷口なんこくこうに拠り

派兵して楊儀らを迎撃させた。

楊儀らは命令して何平かへい

前衛に配置し、魏延を防がせた。


何平が魏延の尖兵を叱咤して言った。


「公(諸葛亮)が亡くなられ

そのお身体が今尚冷たくならぬうちに

お前たちは何故この様な事をするのか!」


魏延の士卒らは、

魏延に非がある事を知っており

命令を聞くものはなく

軍兵は皆散り散りとなった。


魏延は孤立してしまい、

数名の子らとともに逃亡し、

漢中へと奔った。


楊儀は馬岱を遣って追撃させ

魏延を斬らせた。

魏延の首が楊儀に届けられると

楊儀は立ち上がり、

これを踏みつけて言った。


「愚か者めが!

これでまだ悪事を働けるか!」


かくて魏延の三族は皆殺しにされた。


(註釈)

何平というのは王平のことです。


第五次北伐、

陣中で病に苦しむ諸葛亮は

自身が亡くなったのちに

軍を撤退させるように予め

楊儀らに言付けていました。


もし魏延が撤退の命に従わなければ

ほっといてそのまま帰れ、と付け加えて。


諸葛亮の予想は当たり、

魏延は諸葛亮が死んでもなお

陣に留まって魏と戦おうとします。


自尊心の強い魏延にしてみれば

諸葛亮が倒れようと、自分さえいれば

じゅうぶん魏と戦えると

思っていたのでしょう。


犬猿の仲である楊儀が

中心となって軍を動かしているのも

魏延をますます意固地にさせた

一因であったかもしれません。


届けられた魏延の首を踏みつけ

罵倒したとされる楊儀。

この二人は本当に、死ぬほど

仲が悪かったのだと思われます。


魏延と楊儀は、諸葛亮の

後継の座を巡って反目し合い

お互いが謀反を起こしたとして

羽檄(緊急事態を告げる上奏書)が

飛び交う異常事態に発展します。


結局、魏延に賛同する者は一人としてなく

完全に孤立した魏延は、反逆者として

楊儀が派遣した馬岱に斬られてしまいます。


馬岱が魏延を斬る場面は

三国志演義では、諸葛亮の立案

という形に翻案されています。


横山三国志では


「わしを殺せる者があるか!」

「ここにいるぞ!」


というやり取りがなされる

超有名シーンです。



諸葛亮も費禕も馬岱も董允も王平も

あまつさえ士卒にすら見捨てられ

悲惨な最期を遂げてしまった魏延。


蜀軍のなかで、大真面目に

魏を倒せると考えていたのは

たぶん彼だけだったんだと思います。


皆、魏延に遠慮して

彼を避けていたとあるので

この場面でもやはり、諸将との

意思疎通が全く取れていません。


北伐に対しての彼我の温度差、

スタンスの違いがこうして、

最悪の形で表面化してしまいました。


この後、楊儀は

謀反人の魏延を討った功績から

自身が諸葛亮の後釜に据えられると

思い込んでいたのですが、

後継者に選ばれたのは後輩の蒋琬でした。


楊儀はその事で愚痴をこぼし、


「こんな事なら魏に行けばよかった」


と費禕の前で洩らしてしまったため

告げ口されて官位を剥奪されます。


その後、朝廷に対する

誹謗中傷文を書き連ね

その内容が激烈すぎたために

逮捕されてしまいます。


その後、楊儀は自殺した、と

楊儀伝では書かれています。


政敵の魏延と楊儀は、かくして

共倒れとなってしまいますが

どちらの死にも費禕が絡んでいるのが

見逃せません。

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