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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第十、魏延伝
67/603

註一、長安強襲策

註1.

魏略曰。夏侯楙爲安西將軍、鎭長安、亮於南鄭與羣下計議、延曰「聞夏侯楙少、主壻也、怯而無謀。今假延精兵五千、負糧五千、直從褒中出、循秦嶺而東、當子午而北、不過十日可到長安。楙聞延奄至、必乘船逃走。長安中惟有御史、京兆太守耳、橫門邸閣與散民之穀足周食也。比東方相合聚、尚二十許日、而公從斜谷來、必足以達。如此、則一舉而咸陽以西可定矣。」亮以爲此縣危、不如安從坦道、可以平取隴右、十全必克而無虞、故不用延計。



(訳)

「魏略」にいう。


夏侯楙かこうぼう(夏侯惇の息子)が

安西将軍として長安を鎮守しており

諸葛亮が南鄭なんていにおいて幕下と協議していると

魏延が言った。


「聞くところによれば夏侯楙は年若く、

(魏主の)婿であり、怯懦きょうだで無謀です。


今私に精鋭五千と携帯食料五千石を

お貸しいただければ、直ちに褒中ほうちゅうを出立し

秦嶺しんれいに沿って東へ向かい、子午道しごどうから北上して

十日を待たずに長安に到達できましょう。


夏侯楙はこの魏延が

たちまちに至ったと聞けば

必ずや船に乗って逃げ出すでしょう。


長安にはただ御史ぎょし京兆けいちょう太守がいるのみで

横門おうもんにある食料庫と避難民の穀物とで

軍の糧秣は十分に賄うことができます。


東方が兵を糾合するにはなお

二十日余り掛かるでしょうから

公(諸葛亮)が斜谷やこくよりお出でになっても

必ず余裕を持って到達できましょう。


このようにすれば、一挙に

咸陽かんよう(長安の旧名)以西を

平定することができます」


諸葛亮はこれを危ぶみ、

安全に平坦な道を行き

隴右を取るに越した事は無く、

万全で必勝の策として憂いは無いと考え、

ゆえに魏延の計を用いなかった。


(注釈)

長安の事情に魏延は相当詳しいです。



南鄭なんていはほぼ漢中と読み替えて

差し支えありません。


「子午道」は漢中から長安へ抜ける

最短ルートとされていますが

悪路と思しきニュアンスです。



わざわざ「長安」じゃなくて

旧名の「咸陽かんよう」って言ってるあたり

魏延はかなり韓信を意識しています。



しかし

結局は不採用になった献策がなぜか

敵国の魏の史書に載っているのは

何故なのでしょう?


『蜀の奴らって漢の後継気取ってるし、

我こそは韓信の再来なり!!とか

自信満々に言ってそうだよな』


『向こうの偏将何て名前だっけ、

魏延??あいつあたりに

言わせときゃそれっぽいんじゃね?』


『蜀の重鎮なのに

魏延(魏が永らえる)ってのが

滑稽だよなぁ』


……とかって思われてたんじゃ

ないでしょうか。


また、文中で夏侯楙がディスられているので、

魏略を著した魚豢ぎょかん

夏侯楙が嫌いなのかもしれません。


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