二、蜀軍のエース
劉備が死んで劉禅の代となり
年号が変わって建興年間です。
2.
建興元年、封都亭侯。五年、諸葛亮駐漢中、更以延為督前部、領丞相司馬・涼州刺史、八年、使延西入羌中、魏後將軍費瑤・雍州刺史郭淮與延戰于陽谿、延大破淮等、遷為前軍師征西大將軍、假節、進封南鄭侯。
(訳)
建興元年(223年)
魏延は都亭侯に封じられた。
建興五年(227年)
諸葛亮が漢中に進駐すると
改めて魏延を督前部・
丞相司馬・涼州刺史とした。
建興八年(230年)
魏延を西方の羌へ遣わせた。
魏の後将軍の費瑤、雍州刺史の郭淮と、
魏延は陽谿で戦い、これを大破したため
昇進して前軍師・征西大将軍・仮節となり
南鄭侯に封じられた。
(注釈)
223年に劉備が亡くなり
劉禅の代になってからも
魏延は昇進を重ねていきます。
まず侯に封じられ、
諸葛亮が北伐を開始すると
魏延は軍のNo.2に収まっています。
涼州刺史といっても
蜀軍が涼州で実質的に支配できていたのは
三次北伐で平定した武都郡だけに過ぎず
形式的なものだと思われます。
とはいえ魏延は難敵、郭淮と
ぶつかってもそうは負けません。
大将軍への昇進も納得、
魏延は当代最強の将軍の一人です。
(色眼鏡じゃなくて




