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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第六、趙雲伝
63/603

まとめ

以上で趙雲伝、趙雲別伝ともおしまいです。


本文自体はとても質素なのに

別伝では彼の人格者ぶりが

これでもかとフィーチャーされていて

そのギャップに戸惑ってしまいます。



最後に年表にして、

趙雲の事績を振り返っていきます。



・???年

公孫瓚に属する。



・???年

公孫瓚が劉備を派遣して

田楷とともに袁紹を防がせたとき

劉備の主騎となる。



・???年

兄の喪によって公孫瓚のもとを去る(別伝)



・200年?

鄴で劉備と再会し、

同じ寝床で寝食を共にする。

秘密裏に数百の兵を集める。(別伝)



・207年

博望の戦いで夏侯惇と戦った際に

同郷人の夏侯蘭を生け捕りにする。


夏侯蘭は法律に明るかったため

趙雲によって軍生に推挙されたが

趙雲から妄りに彼に干渉はしなかった。

(別伝)



・208年

当陽の長阪で劉備の妻子を保護し

牙門将軍となる。



・209年?

劉備が江南を平定し終えたのち

偏将軍・桂陽太守となり趙範に代わる。


趙範から、彼の兄の寡婦である

樊氏との縁談を持ちかけられるも固辞(別伝)。



・209年????

劉備の孫夫人が

孫権の妹であることを笠に着て

勝手放題に振舞っていたため

劉備は趙雲に内事を取り仕切らせる(別伝)。



・211年

劉備が蜀に入る。

趙雲は荊州の抑えとして残される。



・211年?

劉備が蜀に入ったのを見て

孫権が船団を遣り、

孫夫人を迎えようとする。


孫夫人は劉禅を人質に

呉に連れ帰ろうとしたが、

張飛と趙雲がこれを防ぐ(別伝)



・213〜214年

劉備から呼び寄せられ

諸葛亮・張飛らとともに蜀へ向かう。


張飛が巴郡を平定すると

趙雲は外水から江陽へ向かい

成都で諸葛亮と合流。


蜀が平定されると、翊軍将軍となる。



・214年?

益州平定後に、益州の家屋や田畑を

諸将に分割して賜ろうと議論されるも

趙雲は反対意見を述べ、劉備はこれに従う。

(別伝)



・219年?

夏侯淵が破られたのち

曹操が北山に兵糧を輸送。


黄忠が趙雲から兵を借りて

食糧を奪い取ろうとするも、

期日になっても戻ってこないため

趙雲が軽騎20余を率いて出撃、

途上で曹操軍に出くわすも

引きながら戦って撃退。


部下が負傷したのを見て

再び曹軍に馬を馳せて救出。


追撃してきた曹軍を空城計で蹴散らし

劉備から「趙雲は全身肝っ玉だ」と

賛辞を受ける(別伝)。



・221年?

劉備の呉攻めを諌める(別伝)。



・223年

中護軍ちゅうごぐん征南せいなん将軍となり

永昌えいしょう亭侯に封じられる。

昇進して鎮東ちんとう将軍となる。



・227年

諸葛亮に随行して漢中に駐留する。



・228年

諸葛亮の北伐に従い、鄧芝とうしとともに

箕谷きこくで陽動を担当する。


曹真の軍と交戦し、

彼我の戦力差から敗れるが

軍勢を収斂して固守したため

大敗には至らなかった。


軍が撤退すると、鎮軍ちんぐん将軍に降格。



・228年

趙雲が後詰めとなって奮戦したために

箕谷では大敗に至らなかったとされる。


戦後の論功行賞において

趙雲の持っていた余りの絹を

諸葛亮が諸将に賜ろうとするが


「勝利が得られなかったのに

なにゆえ下賜品があるのですか。

絹は倉庫に入れておいて、

冬に改めてお賜りください」


と趙雲が言ったため、

諸葛亮は大いに嘉した(別伝)。




・229年

卒する。



・261年

順平侯を追謚される。






最後に、ンバの個人的な趙雲の評価です。


・戦闘★★★★★★6

長阪と一次北伐、メディアによっては

易京えきけいと、負け戦で目立っている燻し銀です。


荊州南郡平定と入蜀の戦でも

それなりの活躍を見せている筈です。


派手な戦果はないですが大崩れもしません。


勝ち戦に乗じて功績をあげるよりも

逆境に於いて力を発揮することの方が

遥かに難しいのではないかと思います。




・戦略★★★★★5

与えられた仕事をキッチリ熟す

という雰囲気です。



・内政★★★★★5

特に治績をあげた描写がなく

判断材料がありません。



・人格★★★★★★★★8


蜀将の中ではあの諸葛亮以外で唯一

二字の美諡を与えられています。

(何回言うんだろうねこれ


「趙雲別伝」の存在があるのも

究極的に言うなら、趙雲が

すごく立派な人だったからだと

思えるところがあります。


記述が少ないから相対的に

粗が見えてこないとも言えますが、

関羽や魏延のような傲慢さ

張飛のような粗暴さ

馬超のような身勝手さはなく

任務に忠実で、慎しみ深い人柄が伺えます。


趙雲別伝準拠なら

戦闘★9 戦略★7 内政★6 人格★9です




日本人の大好きな、

奥ゆかしさを持っている趙子龍。

関羽や張飛が性格の問題点から

その身を全うできなかったのに対し

彼の生き方には慎ましさを感じます。


趙雲別伝は、あまりにも

趙雲をかっこよく書こうとしすぎて

却って彼の持っている慎み深さを

損なっているような気がします。


しかし、別伝を読んでみることで

「趙雲はもしかして女性?」

という視点を持てたことが

ある意味一番の収穫とも言えそうです。

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