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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第六、趙雲伝
61/603

註六、恭敬なり趙子龍

註6.

雲別傳曰:亮曰:「街亭軍退,兵將不復相錄,箕谷軍退,兵將初不相失,何故?」芝荅曰:「雲身自斷後,軍資什物略無所棄,兵將無緣相失。」雲有軍資餘絹,亮使分賜將士,雲曰:「軍事無利,何為有賜?其物請悉入赤岸府庫,須十月為冬賜。」亮大善之。


(訳)

趙雲別伝にいう。


諸葛亮が言った。


「街亭の軍が撤退した時は

将兵が再び集まる事はなかったのに

箕谷の軍が撤退した時は

将兵が初めから失われなかったのは

何故か?」


鄧芝が答えて言った。


「趙雲自身が後方を断ったので

軍需物資や什器じゅうきを殆ど捨てずに済み

将兵は相失う事がなかったのです」


趙雲は軍需品の余りの絹を持っていて

諸葛亮が将士に分割して賜ろうとしたが

趙雲が言った。


「軍事にて勝利を得られなかったのに

どうして下賜があるのですか?

それらの物資は悉く赤岸せきがんの府庫に入れ

十月を待って冬の賜り物となさいますよう」


諸葛亮はこれを大いによみした。


(註釈)

横山三国志では、これが

趙雲の最後の言葉になっています。


最初に読んだ訳本では

「冬賜」の部分が

「冬のボーナス」と訳されていたので、


蜀の兵隊ってボーナス制度あるんだ!?


とかってアホなことを

考えてたのを思い出します。


趙雲伝本文では、一次北伐のあと

趙雲は降格させられたとありますが

それに下賜品があるのは矛盾してます。


そして、鄧芝が趙雲のことを

名指しで呼んでますが、いいんでしょうか。


ここまで趙雲別伝を読んでみると

三国志演義における、神のような

趙雲のキャラ付けや活躍は

殆ど別伝準拠だという事がわかります。

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