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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第六、趙雲伝
60/603

註五、子龍の話を聞きなさい!

註5.

孫權襲荊州,先主大怒,欲討權。雲諫曰:「國賊是曹操,非孫權也,且先滅魏,則吳自服。操身雖斃,子丕簒盜,當因衆心,早圖關中,居河、渭上流以討凶逆,關東義士必裹糧策馬以迎王師。不應置魏,先與吳戰;兵勢一交,不得卒解也。」先主不聽,遂東征,留雲督江州。先主失利於秭歸,雲進兵至永安,吳軍已退。


(訳)

孫権が荊州を襲撃すると

先主は大いに怒って、

孫権を討伐しようとした。

趙雲が諌めて言った。


「国賊は曹操であって孫権ではありません。

加えて先に魏を滅ぼせば

呉は自ずから服従しましょう。


曹操自身が死んだとはいえ

子の曹丕が(帝位を)奪い取りました。


人心に沿って早々に漢中を図り

黄河と渭水の上流を拠点として

凶々しき逆賊を討ったならば

関東の義士は必ずや食糧を携え

馬に鞭打って師君を迎えるでしょう。


魏を放置したままで

先に呉と戦ってはなりません。

干戈を一度交えてしまえば

にわかに解くことはできないのですから」


先主は聞き入れず、かくて東征した。

趙雲を江州の督として留め置いた。


先主が秭帰しきに於いて敗北を喫すると

趙雲は兵を進めて永安に至ったが

呉軍は既に撤退した後であった。


(註釈)

これは流石に結果から遡って

趙雲に言わせてるだけですね。


話盛らなくても趙雲は

十分渋くてカッコいい男だということを

別伝の著者はわかってません。


関羽が討たれたのを皮切りに

張飛・黄忠・法正・劉巴ら

蜀の主力と呼べる者たちが

この頃相次いで亡くなっています。


馬超は寿命が迫っているし

魏延は漢中の要なので

呉攻めに連れてかなかったのは

わかるんですが、

趙雲はこの時何してたんでしょう。

別伝の記述通りなら

後詰担当だったっぽいのですが

本文には何も書かれてません。


劉禅の代になった途端に

趙雲が亭侯に封じられていたり

死後は二字の美諡を与えていたり

劉禅が赤ん坊の頃に長阪で

趙雲に助けられた時の恩に

しっかり報いてるんだろうなと

思えるのがなんだか好きです。

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