註三、霍去病に倣わん
註3.
雲別傳曰:益州旣定,時議欲以成都中屋舍及城外園地桑田分賜諸將。雲駮之曰:「霍去病以匈奴未滅,無用家為,令國賊非但匈奴,未可求安也。須天下都定,各反桑梓,歸耕本土,乃其宜耳。益州人民,初罹兵革,田宅皆可歸還,今安居復業,然後可役調,得其歡心。」先主即從之。
(訳)
趙雲別伝にいう。
益州が平定されると、成都の中の屋舎及び
城外の園地や桑田を分割して
諸将に賜ろうと議された。
趙雲が反駁して言った。
「霍去病は匈奴をいまだ
滅ぼしていないという理由で
家宅を用いませんでした。
国賊は匈奴とは比べ物にならず
いまだ安定を求めるべきではありません。
天下が全て平定されたのちに
各々故郷へ戻り、郷里にて
耕作をするのが宜しいでしょう。
益州の人民は兵難に遭ったばかりで
田園は全て彼らに還してやるべきです。
今は住居に落ち着かせ、復業させて
然るのちに賦役や徴税を行えば
彼らの歓心を得られるでありましょう」
先主はただちにその言葉に従った。
(註釈)
桑梓=ふるさと、って意味なんすね。
諸葛亮伝で、
「成都には桑800株と
畑15頃がありまして……」
と彼が話している記述があります。
霍去病は前漢の名将で
匈奴の討伐に功があった人です。




