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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第六、趙雲伝
57/603

註二、モブと樊氏と孫夫人

趙雲別伝その②です。


劉備からの厚い信頼、

樊氏との縁談を断る場面、

昔馴染みに対する公私の分別、

孫権の妹の描写など、見所だらけです。

註2.

雲別傳曰:初,先主之敗,有人言雲已北去者,先主以手戟擿之曰:「子龍不棄我走也。」頃之,雲至。從平江南,以為偏將軍,領桂陽太守,代趙範。範寡嫂曰樊氏,有國色,範欲以配雲。雲辭曰:「相與同姓,卿兄猶我兄。」固辭不許。時有人勸雲納之,雲曰:「範迫降耳,心未可測;天下女不少。」遂不取。範果逃走,雲無纖介。先是,與夏侯惇戰於博望,生獲夏侯蘭。蘭是雲郷里人,少小相知,雲白先主活之,薦蘭明於法律,以為軍正。雲不用自近,其慎慮類如此。先主入益州,雲領留營司馬。此時先主孫夫人以權妹驕豪,多將吳吏兵,縱橫不法。先主以雲嚴重,必能整齊,特任掌內事。權聞備西征,大遣舟船迎妹,而夫人內欲將後主還吳,雲與張飛勒兵截江,乃得後主還。



(訳)

趙雲別伝にいう。


かつて先主が敗れた時

趙雲が既に北に去ったと言う者があり、

先主が手戟しゅげきをその者に投げ付けて言った。


「子龍は私を見捨てて逃げたりはせん」


暫くして趙雲が到着した。


江南を平定し終えると、趙雲を偏将軍に任じ

桂陽けいよう太守を兼任させ、趙範ちょうはんに代わらせた。



趙範のやもめあによめはん氏といい、

国を傾ける程の容色があった。

趙範は樊氏を趙雲に配偶させようとしたが

趙雲は辞して、


「(我々は)お互いともに同姓である故

あなたの兄上は、私の兄上でもあるのです」


と述べ、固辞して受け入れなかった。

時に、趙雲に樊氏を娶るように

勧める者があったが、趙雲は言った。


「趙範は切迫して降って来ただけで

その心はいまだに測りかねる。

天下に女は少なくないのだから」


とうとう樊氏を娶る事は無かった。

趙範は果たして逃走したが

趙雲は少しも未練を持たなかった。


これより以前、博望はくぼうに於いて

夏侯惇かこうとんと戦った時に

夏侯蘭かこうらんを生け捕りにした。

夏侯蘭は趙雲と同郷の人で

幼い頃からの知り合いであった。

趙雲は先主に彼を生かすよう上申し

夏侯蘭が法律に明るかったため

軍生に推薦したが、趙雲は自ら

彼に近付こうとはしなかった。

その慎重な配慮はこの様であった。


先主が益州に入ると、

趙雲は留営りゅうえい司馬しばを兼務した。

この時、先主の孫夫人は

孫権の妹である事に託け傲慢であり

呉の官兵を多数率いていて

好き勝手に振る舞い、法を守らなかった。

先主は趙雲の厳格さを以って

必ず孫夫人を掣肘できるとし

特に任じて内事を取り仕切らせた。

孫権は劉備が西征した事を聞くと

大いに船を遣って妹を迎えさせた。

夫人は内心後主を連れて帰りたいと考えたが

趙雲は張飛と兵を率いて長江を遮り

こうして後主は帰ることができた。


(註釈)

「先主が敗れた」っていうのは

いつのことを言っているんでしょう。


前述の通り

劉備が趙雲と鄴で再会したのであれば

呂布や曹操に徐州でやられた時のことを

指しているわけではない事になります。

すると、ここで言っている負け戦は

201年の汝南じょなん

208年の長阪のどちらかになります。

中でも趙雲の見せ場である

長阪と見るのが自然なのでしょう。



赤壁の勝利に乗じて

劉備が荊南の諸郡を平定したあと

趙雲が桂陽けいよう太守になったというのは

陳寿の本文にはない記述です。

これはちょっと半信半疑ですね。


趙雲がはん氏との縁談を断った件は

関羽が「杜氏を娶らせて」って

言った逸話と対比させるために

裴松之が引用したんでしょうか。


ですが、同姓の人物と婚儀を結ぶのって

趙雲の言うように、

儒教的に割とアウトっぽい気がします。

もっとも、それは建前であって

本音は趙範の腹積もりが分かりかねるので

突っぱねたのでありました。


また、京劇における樊氏には

玉鳳ぎょくほう」という名前が設定されており

趙雲と互角の戦闘を繰り広げる

女武者として翻案されています。


孫権の妹の「孫夫人」は、

伝は立てられていないのですが

諸葛亮伝や法正伝に

内憂として名前が挙げられています。


映画レッドクリフでは主役に近い扱いで、

京劇では「孫尚香」と呼ばれています。


この、趙雲別伝の記述にもあるように

なかなかの問題児であるようです。


しかし、

いくら信頼されてるったって、

劉備の後宮に入ることを

許されている趙雲は何者なのでしょう。

やっぱり実はすごい男らしい見た目の

女性なんじゃないでしょうか。


樊氏との縁談を無碍にしたのも

女だってバレたらマズイ、

みたいな裏があったりとか……

ないか。


孫夫人は劉禅連れて呉に帰ろうとしますが

張飛と趙雲に阻まれる逸話は、

演義・横山三国志でも同様に描かれています。



あと、「趙雲別伝」を読んでいて思うのは

「呂布伝」と似た記述が

結構多いなー、という事です。



○呂布を呼んで厚遇する王允

☆趙雲を呼んで厚遇する劉備


○呂布に手戟を投げる董卓

☆部下に手戟を投げる劉備


○奥御殿を取り仕切る呂布

☆奥御殿を取り仕切る趙雲

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