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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第六、趙雲伝
55/603

四、二字の諡号

4.

七年卒、追諡順平侯。初、先主時、惟法正見諡;後主時、諸葛亮功德蓋世、蔣琬・費禕荷國之重、亦見諡;陳祗寵待、特加殊奬、夏侯霸遠來歸國、故復得諡;於是關羽・張飛・馬超・龐統・黄忠及雲乃追諡、時論以為榮。雲子統嗣、官至虎賁中郎、督行領軍。次子廣、牙門將、隨姜維沓中、臨陳戰死。


(訳)

七年(229年)に卒し、順平じゅんぺい侯を追謚された。


当初、先主の時代には

ただ法正だけが諡号を与えられた。


後主の時代には

諸葛亮が世を覆う功績と徳義を打ち立て

蒋琬しょうえん費禕ひいが国家の重責を担い

また諡号を与えられた。


陳祗ちんしは(劉禅から)寵愛を受けて

特別な褒賞を加えられ

夏侯覇かこうはは遠来し国家に帰属したため

また諡号を与えられた。


この時

関羽・張飛・馬超・龐統ほうとう・黄忠および

趙雲が追謚され、時論は栄誉であるとした。


趙雲の子の趙統ちょうとうが後を継ぎ

官位は虎賁中郎・督行領軍まで至った。

次子の趙廣ちょうこうは牙門将となり

姜維に伴って沓中とうちゅうへ赴き

敵陣に臨みて戦死した。



(註釈)

趙雲伝の本文は以上でおしまいです。


劉備の時代には関羽と張飛を差し置いて

法正一人だけ諡号(翼侯)を貰っています。


劉禅の時代には


・諸葛亮(234年没)ー武郷侯

・蒋琬(246年没)ー恭侯

・費禕(253年没)ー敬侯

・陳祗(258年没)ー忠侯

・夏侯覇(259年没?)ー???


に諡号が与えられ、

陳祗と夏侯覇が亡くなった後のタイミングで

「この際先帝の重鎮にも諡号を授けよう」

という流れになったんだと思われます。


260年に関羽・張飛・馬超・龐統・黄忠に

諡号が与えられ、翌261年に

趙雲も追謚されました。


「順平」の意味については

のちほど趙雲別伝にて。

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