表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第六、趙雲伝
54/603

三、いぶし銀の敗戦処理

3.

建興元年、為中護軍・征南將軍、封永昌亭侯、遷鎮東將軍。五年、隨諸葛亮駐漢中。明年、亮出軍、揚聲由斜谷道、曹真遣大衆當之。亮令雲與鄧芝往拒、而身攻祁山。雲・芝兵弱敵彊、失利於箕谷、然斂衆固守、不至大敗。軍退、貶為鎮軍將軍。

(訳)

建興元年(223年)

中護軍ちゅうごぐん征南せいなん将軍となり

永昌えいしょう亭侯に封じられた。

昇進して鎮東ちんとう将軍となった。


五年(227年)

諸葛亮に随行して漢中に駐留した。


明年、諸葛亮が出陣し

斜谷やこく道を通ると喧伝すると、

曹真そうしんは大軍を派遣しこれに当たらせた。


諸葛亮は趙雲と鄧芝とうしに命じて

曹真の進軍を阻ませ、

自身は祁山きざんを攻撃した。


趙雲と鄧芝の兵は弱く、敵は強く

箕谷きこくにおいて敗北したが

軍勢を収斂して固守したため

大敗には至らなかった。


軍が撤退すると、鎮軍ちんぐん将軍に降格した。


(註釈)

劉備が漢中王や皇帝に即位したとき

趙雲は特に昇進したり

封爵された気配はありません。


223年に劉備が亡くなり、

227年頃から

諸葛亮の北伐戦線が始まります。



諸葛亮は趙雲と鄧芝とうしを陽動に用い

斜谷やこくを通ってを奪うと喧伝し、

西側に迂回して祁山を攻めました。


諸葛亮の来攻に動揺して

天水・南安・安定の三郡が蜀に寝返り

天水の姜維きょういはこの件で行き場をなくし

諸葛亮に降伏しています。


ここでみな、経験豊富な魏延ぎえん呉懿ごい

先鋒を任せるべきだと議論しますが

諸葛亮は馬謖ばしょくを抜擢します。

この采配が大きく外れてしまい

結局最初の北伐は失敗しました。


趙雲と鄧芝の軍は単なる囮だったゆえ

曹真の軍勢に打ち破られてしまいますが

それでも懸命に守って

大敗には至らなかったとあります。


諸葛亮は戦後の論功行賞において

馬謖らを処刑し、自身や趙雲を降格させる中

手柄のあった王平おうへいは昇進させています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ