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註七、家族は投げ捨てるもの
註7.
典略曰:初超之入蜀,其庶妻董及子秋,留依張魯。魯敗,曹公得之,以董賜閻圃,以秋付魯,魯自手殺之。
(訳)
典略にいう。
当初、馬超が入蜀した際
その庶妻の董氏及び子の馬秋を
張魯のもとに留め置いた。
張魯が敗れると、曹公はこれを得て
董氏を閻圃に賜り、
馬秋を張魯に付したが
張魯は自らの手でこれを殺した。
(註釈)
馬超の正妻の楊氏は楊阜に殺され
子の馬秋は張魯に
殺されてしまっています。
張魯を見限ったというのなら
劉備のもとへ降った時、なぜ息子を
一緒に連れて行かなかったんでしょう。
父や弟らが鄴にいるにも関わらず
反乱を起こしたことといい、
馬超は家族を顧みる人ではなさそうです。
なのに遺言では
一族郎党が滅んだことを嘆きつつ
自身に責任はないかのような
言い方をしているため、無自覚なのかも。




