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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第十三、張嶷伝
454/603

註三・註四、張嶷と夏侯覇/最後の奉公

註3.

益部耆舊傳曰:時車騎將軍夏侯霸謂嶷曰:「雖與足下疏闊,然託心如舊,宜明此意。」嶷答曰:「僕未知子,子未知我,大道在彼,何云託心乎!願三年之後徐陳斯言。」有識之士以為美談。

(訳)

益部耆舊伝にいう、

当時の車騎将軍であった夏侯覇かこうは

張嶷に向かって言った。


「足下とは疎遠であったと雖も

心を託す事は旧知の如くである、

この気持ちをご明察くだされ」


張嶷は答えて言った。


「僕はまだ子を知らず、

子も我を知りませぬ、

大きな道義は彼方にあるのです、

どうして心を託すと仰るのですか。

願わくば三年の後、

徐にその言葉を陳べてください」


有識の士は美談であると見なした。



註4.

益部耆舊傳曰:嶷風濕固疾,至都浸篤,扶杖然後能起。李簡請降,眾議狐疑,而嶷曰必然。姜維之出,時論以嶷初還,股疾不能在行中,由是嶷自乞肆力中原,致身敵庭。臨發,辭後主曰:「臣當值聖明,受恩過量,加以疾病在身,常恐一朝隕沒,辜負榮遇。天不違原,得豫戎事。若涼州克定,臣為籓表守將;若有未捷,殺身以報。」後主慨然為之流涕。

(訳)

益部耆舊伝にいう、

張嶷は風や湿気による

痼疾(持病)をかかえていた。

都に至って次第に重篤になり

杖を補助としてはじめて

起きられるような有様だった。


李簡が降伏を請うた時

衆議としては狐疑していたが、

張嶷は間違いない、と述べていた。


姜維が出陣する時、

張嶷は帰ってきたばかりで

股を患っている事から

行軍には参加できないだろうと

論じられていた。


これにより張嶷は

中原に力を尽くし

敵方の庭へ我が身を到らせたい

と、自ら願い出た。


出発に臨んで

後主に辞去して言った。


「臣は神聖なる叡明にお逢いして

過分なる御恩を受けてまいりました上に

病疾がこの身にあっては、

一朝にして命を落とさば

ご寵遇に辜負そむくする事に

なりはしないかと、常に恐れてまいりました。


天は願いを違えず、戎事(軍事)に

預(与)かる事がかなったのです。


もし、涼州の平定が決まったらば

臣は籓表(外境)の守将となります。


もし勝利できねば、

身を殺して報恩いたします」


後主は慨然として彼の為に流涕した。 


(註釈)

益部耆舊伝三連発入ります。

これも陳寿が書いてるから

文章がおんなじ特徴を持っている。


夏侯覇も亡命した立場だから

蜀の有名どころ(張嶷)と

手っ取り早くパイプを

築きたかったんかな。


張飛が夏侯氏の娘を娶ってたおかげで

夏侯覇は魏蜀双方の皇族と

縁がある事になる。

しかも、東晋の皇帝にも

夏侯淵かこうえん(覇の父)の血が入ってたりする。


最後の戦いは

病をおして出陣していたのか。

カックイイ。

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