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淡々三国志  作者: ンバ
呉書第十八、劉惇伝
427/603

一・二、神明

1.

劉惇字子仁,平原人也。遭亂避地,客游廬陵,事孫輔。以明天官達占數顯於南土。每有水旱寇賊,皆先時處期,無不中者。輔異焉,以為軍師,軍中鹹敬事之,號曰神明。

(訳)

劉惇りゅうとんは字を子仁しじん平原へいげんの人である。

(訳)

乱に遭遇して(根拠)地を移し、

廬陵ろりょうに客遊して、孫輔そんほに事えた。


天官(天文)に明るく、

占数に暁達している事から、

南方の地で顕らかとなった。


水害、旱魃、賊の侵略が起こるたびに

すべて先んじて時期を処し、

的中しないという事がなかった。


孫輔は特異なものであるとして

彼を軍師に任じ、

軍中は咸、敬ってこれに事え、

「神明」と号した。



2.

建安中,孫權在豫章,時有星變,以問惇。惇曰:"災在丹楊。"權曰:"何如?"曰:"客勝主人,到某日當得問。"是時邊鴻作亂,卒如惇言。惇於諸術皆善,尤明太一,皆能推演其事,窮盡要妙,著書百餘篇,名儒刁玄稱以為奇。惇亦寶愛其術,不以告人,故世莫得而明也。


(訳)

建安年間(196〜)に

孫権が豫章よしょうに在った際、

星に変事が起こった。

劉惇に問うと、劉惇は言った。


「災いが丹楊たんようで起こりましょう」


孫権は言った。


「どのような?」


いわく、


「客が主人に勝ります。

某日に到りてたよりを得られましょう」


この時、辺鴻へんこうが乱を作し

ついには劉惇の言葉の通りとなった。


劉惇は諸術にすべて長じており、

もっと(最)も明るかったのは太一たいいつで、

その内容をすべて敷衍する事が出来、

要妙を窮め尽くしていた。


著書は百余篇、

名儒者の刁玄ちょうげんが非凡さを称えた。


劉惇もまた

自身の術を重んじて惜しみ、

人に告げる事はなかったため

世はその仔細を得ることはできなかった。



(註釈)

孫堅と孫策の間に孫賁そんひ伝をやりましたが

孫賁の弟が孫輔そんほです。


辺鴻へんこうは孫権の長弟・孫翊そんよくを殺したやつ。

辺洪へんこうとも。

その弑逆事件は204年。


刁玄は太子孫登の賓客で

のちに侍中をつとめた。

孫亮の聡明エピソードなんかに出てくる。


劉惇伝は二節のみで終了、

裴松之の注釈もない。

子どもがいたとも書かれてないし

情報が残らなかったのかな。


続いて趙達伝。


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