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四、劉璋降伏の決定打
4.
先主遣人迎超,超將兵徑到城下。城中震怖,璋即稽首,以超為平西將軍,督臨沮,因為前都亭侯。
(訳)
先主は人を遣って馬超を迎えに行かせ、
馬超は兵を率いて城下に至った。
(成都の)城中は恐怖で震え上がり
劉璋は即座に降伏した。
(劉備は)馬超を平西将軍に任じ、
臨沮を督させると
以前に因んで都亭侯に封じた。
(註釈)
「馬超が来た」と聞いただけで
すぐに降伏してしまった劉璋。
馬超は随分恐れられています。
臨沮はのちに関羽が孫権軍に斬られた場所です。
この臨沮は関羽のいる江陵から
そこまで離れていません。
諸葛亮に「馬超ってどんな奴なの?」
って手紙出すより、直接馬超のところに
使者でも出した方が、早く
彼の人となりを知れそうな気がします。
涼州に顔のきく馬超を
荊州に配置するのもなんだか
不自然な気がするので
「臨沮」って地名が益州にも
別にあるのかもしれないです。
単純に「川の近く」とかそういう意味なのかも。




